誕生
よろしくお願いします。
今日もいつもと同じように、コンラートを仕事に送り出す。
「行ってらっしゃい」
「ああ。だけど心配だよ。医者の話ではもうそろそろだろう? 僕が留守の間に何かあったら……」
「その話も何度もしたでしょう? 何かあったら遣いを出すから心配いらないって。それに今日も別に変わらないわ。勢いよくお腹は蹴ってるけどね」
せり出したお腹を私は撫でる。
最初は実感がなかったけど、悪阻が続き、少しずつ膨らんでいくお腹に、胸が張る痛み、そうした自分の体の変化で、本当に子どもがいるのだと私は思えるようになった。
だけど、コンラートにしてみれば、変わっていく私を見ているだけだから、父親になる実感も湧いてこないのだろう。子どものことよりも、私の体の心配ばかりしている。まあ、それだけではないのだろうけれど……
子どもが生まれることが嬉しい反面不安なのは、私も同じだ。それでも、コンラートと私ではその不安にも差がある。それがもどかしかった。
コンラートは名残惜しそうに振り返っては手を振る。私は苦笑しながらコンラートの姿が見えなくなるまで手を振り返していた。
「やっと行ったわね」
ふうと一息吐くと、私は義父の部屋に向かった。
お腹が大きくなってきても、義父の仕事が忙しい時は私が義母についているようにしている。少しでも回復の兆しがあれば見落としたくなかったからだ。
「お義父様、お忙しいようなら私がお義母様についていましょうか?」
執務室に入り、机に向かって仕事をしている義父に声をかける。義父は顔を上げて顔を顰める。
「もう、あまり歩き回らない方がいいんじゃないか? これが終われば私が行くから、君は休んだ方がいい」
「いえ、調子はいいんですよ。それにお義母様の傍でも休めますから」
「だが……」
「それならお義父様が来られるまで、お義母様についていますから。終わったら来てくださいますか?」
「……わかったよ。君は言い出したら聞かないようだから。それならお言葉に甘えてお願いするかな。だけど、無理をしてはいけないよ」
義父は渋々受け入れてくれて、私は義母の部屋に向かった。
◇
「ついていてくれてありがとう。後は私がいるからもういいわ」
義母についてくれていたメイドにお礼を言うと、彼女は頭を下げて部屋を出て行った。どこかサラに似ている。
サラも本当は子爵領に連れてくるつもりだったけど、サラは今、王都にいる。それというのも、義父といるのも気まずいだろうし、サラの結婚が決まったからだ。行きたいと話していたけど、新婚早々離れ離れも気の毒で、今はオスカーの元で働いている。
だけど、手紙のやり取りはしていて、子どもができたことを報告したら喜んでくれていた。サラに子どもが生まれたら乳母になってもらうのもいいかも、と考えている。
義父がサラに興味を持ったのは、クライスラー男爵夫人のことがあったかららしい。夫人は平民から貴族へ、サラは貴族から平民へと変わったから、その生い立ちから重ねてしまったと。未練というより執着だったと、義父は話していた。だけど、今度こそ吹っ切れたようで、もうクライスラー男爵夫人の話をしていない。ただ、静かに義母の回復を待っている。
「ふう……」
義母の近くの椅子に腰掛ける。お腹で下が見えないから座るのも一苦労だ。
「お義母様、見てください。もうはちきれそうなんですよ。お義母様もコンラートがお腹にいた時は、このくらいになりましたか?」
「……」
「コンラートは心配性なんです。今日も仕事を休んで傍にいるって言うから、心配いらないから仕事に行ってと送り出したんですよ」
返事はなくても、私は話しかけていた。その最中、お腹に痛みが走った。
「痛っ……あ、治まった。気のせいだったのかしら」
と、そのまま義母の傍にいると、また痛みが走る。やがて、その間隔が短くなっている気がして不安になった。
「お義母様、これって陣痛ですか……?」
痛いけどまだそこまででもない気がする。と思っているうちに激しい痛みに襲われ始めて、私はお腹を抱えて蹲る。足の間を何かが流れ落ちる感覚に戦慄した。
──破水した。
「痛っ……どうしよう……生まれ、る」
ズキズキなんて生易しい痛みじゃない。このままではいけないと、私は声を振り絞って叫ぶ。
「誰か来て!」
その叫び声にバタバタと人が走ってきた。
「ユーリ様!」
「うっ……お願い、コンラートに……」
「はい、すぐに伝令を出します! 後は旦那様に言ってお医者様をすぐに呼んでいただきます!」
「おね、がい……」
痛くて話せない。息を詰めて痛みをやり過ごそうとする。ダラダラと汗が流れてきて目に入りそうだ。頭を振って汗を飛ばし、顔を上げて、息を呑んだ。
──お義母様の表情が、変わった?
痛みで朦朧としているから判然としなかったけど、義母が眉を寄せたように見えたのだ。
「お、かあ、さ、ま……?」
だけど、また激しい痛みに目を瞑る。そのうちに私は直前に見た義母の変化を考えることなどできなくなっていた──。
◇
「うっ、ああ……!」
もうどのくらいこの痛みに耐えているのだろうか。
私は駆けつけてくれた義父によって客室に運ばれた。痛みの間隔が短くなった時に、ようやく医者とコンラートが来てくれた。
コンラートは悲愴な顔で私から離れないと医者に訴えていたけど、邪魔をしないでくださいと一蹴されていた。
私も痛い時にコンラートを気遣う余裕がなくて、医者の言う通りにして欲しいとお願いした。
それからは医者の言う通りに息を吸って、止めて、吐いて、いきんで、の繰り返しだ。時間の間隔も麻痺してくる。
このまま永遠に続くような恐怖に襲われそうになる。
私はベッドサイドに括られた太い紐を握り締めた。
「あと、もう少しですよ。頭が見えていますから。はい、いきんで!」
「うーっ!」
私の口から獣じみた声が漏れる。汗なのか涙なのかよくわからないもので顔中ぐちゃぐちゃだ。だけどそんなことを気にしている場合じゃない。
そして何度目かにいきんだあと、疲れ切った私の耳に泣き声が入ってきた。
「……ふ、ぎゃ、うん、ぎゃあ」
猫の鳴き声のような赤子の泣き声。それから赤ん坊は火がついたように泣き始めた。
そして医者が告げる。
「おめでとうございます。男の子ですよ」
喜びと無事に生まれた安堵に包まれて、また私の目から涙が溢れる。体は疲れ切っていたけど、心は温かいもので満たされていた──。
◇
「ユーリ、お疲れ様。頑張ったね」
「……ええ。本当に痛くて死ぬかと思ったわ」
大袈裟ではなく、しみじみと言った。しばらく休んでもまだ身体中が痛い。
ちなみに生まれた子は今、綺麗にしてもらっている。
コンラートは横になった私の頭を撫でてくれる。
「……生まれた子、見てくれた?」
「ああ。男の子だったね。だけど、僕似なのか、君似なのか、あれじゃあ、まだわからないよ」
そう言ってコンラートは苦笑する。
「お義母様ならコンラートが生まれた時のことを覚えているかもしれないから、どちら似なのかわかりそうだけど……」
「……覚えているわけないよ。見ないようにしていたんだから」
コンラートは目を伏せて首を振る。その寂しそうな姿が辛くて、コンラートの手を握った。
その時、出産前に見た義母の表情を思い出した。いつもの茫洋とした表情ではなくて、瞳に光が宿っていた気がしたのだ。
「……ねえ、お義母様はどう?」
唐突な問いに、コンラートは怪訝な表情になる。
「いつも通りだけど、どうしたんだい?」
「いえ、破水した後、お義母様と目が合って表情が変わった気がしたのだけど……痛くて幻でも見たのかしら」
「どうかな……よくなっているならいいけどね」
「そうね。私も動けるようになったら生まれた子を連れてお義母様に会いに行くわ。あ、それで名前はどうするの?」
妊娠中から子どもの名前は義父とコンラートで揉めていた。生まれた子と呼ぶのも可哀想だから、早く名前を決めてあげないと、と思っていた。
コンラートは頷く。
「僕が父親なんだから僕が名前を決めるよ。というか、ユーリはそれでいいのかい?」
「ええ。それでどんな名前を考えているの?」
「色々悩んだんだけど、ウィルフリードはどうだい? 平和という意味を込めて」
世界という大きな枠でなくても、家族の平和を繋ぐ存在。そう考えるとぴったりだ。
「いいと思うわ。ウィルフリードが私たちを繋いでくれるの。家族の平和のために無くてはならない子」
「ああ。決まりだね。それじゃあ父上にも報告してくるよ。君はしっかり休んでて」
「ありがとう。そうするわ……」
疲れから眠気が襲ってくる。私は幸せな気分で眠りについたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




