義父という人
よろしくお願いします。
「……とにかく、彼女は子爵領へ連れて帰る。ここに置いておいても、良くはならないだろう」
「それで父上は使用人に母上の世話をさせて、ご自分はまた仕事にかこつけて女遊びですか。ご立派なことですね」
コンラートは鼻で笑う。だけど、義父はコンラートの辛辣な言葉に反応するでもなく、黙って義母に近づき、そのまま横抱きにした。
「何をするつもりですか!」
コンラートが慌てて止めようとしたけど、それを振り切って義父は義母を抱いたまま外へ向かって歩き始める。
私も思わず義父に声をかけた。
「お義父様、お義母様をどうなさるのですか?」
そこで義父は私を振り返り、答えてくれた。
「連れて帰ると言っただろう? 彼女は静かな場所で過ごさせる方がいいと思う。ここだと他の貴族の目がある。領地なら他の貴族の目を気にしなくてもいいから、彼女が回復して社交界に復帰したいと思った時に復帰しやすくなるだろう」
「どうして先にそれを言わないのですか。あなたはいつもそうだ。何の説明もなく、勝手なことばかり。だから私はあなたが信用できないんです」
コンラートは忌々しそうに義父を睨みつけ、義父は冷たい目で見返した。実の親子なのに、二人の間に漂う空気は冷たい。
「……そんな理由がなくても、元々お前は私のことを信用していなかっただろう。彼女もそうだ。だから私たちの間には仕事の会話しか存在しなくなっていた。それでいいと私は思っていたよ」
「お義父様、それは……」
家族なのにあまりにも冷え切っている。ロクスフォードと違い過ぎて、私には義父の心境がまったくわからなかった。
コンラートは面白くなさそうに義父を睥睨する。
「そうやってまた開き直るのですね。もういいです。私が母上の面倒を見ます。あなたなんかには任せられない」
そう言ってコンラートは義父の腕から義母を奪おうとする。だけど、義父はそれを拒否する。
「お前も同じだろう。見ない振りして最後に追い詰めたのは誰だ? 今更母親思いの息子面をするな」
私から見ると、どっちもどっちだ。責任の押し付け合いにうんざりする。義母をなんだと思っているのか。私は二人に向かって怒鳴ってしまった。
「いい加減にしてください!」
二人は言い合いをやめて、私を見る。私は嘆息して口を開いた。
「……とりあえず、これからどうするか、皆で話し合いましょう。勝手に誰かが決めるのではなく。それに、責任のなすりつけ合いにはうんざりです。ここにいる全員に責任があると思ってください。
それと、お義父様。お義母様をベッドに戻してください。話し合っている間は私の侍女に様子を見てもらいますから……例え聞こえてないとしても、これ以上、お義母様を傷つけたくはありません……」
私がそう言うと、二人は気まずそうな顔で頷いてくれた。義父も物分かりの悪い人ではないのだろう。すぐに言われた通りにしてくれ、私たちは応接室に移動した。
◇
「それじゃあ、お義父様、話をしましょう」
何故か私がこの場を仕切っている。それもこれも、義父が話そうとすればコンラートが、コンラートが話そうとすれば義父が遮って話が進まないからだ。
この場は子爵家ではなく、シュトラウス家として、嫁の私が進行することになった。
話すべきことはたくさんあるけど、義父がどういう心境で義母を連れ帰ると言ったのか、それをまず聞いてみることにした。
「お義父様はお義母様をどう思っているのですか?」
「どう、と言われても妻で、息子の母親だろう? あとはビジネスパートナーといった感じだが?」
それ以外に何かあるのかと、眉を寄せて義父は答える。そういう意味ではないのだけど。私は首を振る。
「それは役割の話です。お義母様自身をどう思っていらっしゃるのですか? 義務感、愛情、信頼、色々あると思うのですが……」
義父は眉を寄せて考えているようだった。それほど悩むことなのだろうか。
「……子爵夫人としてはよくやってくれていたから信頼はしていた。ただ、彼女自身と言われると、気位の高い貴族女性という印象しかなくて、好意は持ってなかった」
やっぱり義父は誤解していたのだ。義母はわかりにくい人だから、そうかもしれないとは思っていたけれど。義母の本心を知っているから、義父の言葉に切なくなった。
「お義母様はそんな方ではありません。私に自分のようになってはいけないと、色々なことを教えてくださいました。ただ、愛情の示し方が下手で、わかりにくいだけなんです。本当は優しくて愛情深い方なのだと思います。だから、私はお義父様がどういうつもりでお義母様を連れて帰ると仰ったのか、返答次第では反対します」
強い口調で言い切った私に、義父は眉を顰めた。それもそうだと思う。この家で一番偉いのは義父だ。その次が義母、コンラート、私は序列としては最後。そんな私が意見して面白いわけがない。
だけど意見ができる義母は話せず、コンラートだと感情に走り過ぎて話が進まない。それくらいは我慢して欲しい。
意見を翻すつもりはないと、私は義父から視線を外さなかった。それから義父は静かに話し始めた。
「……正直に言って彼女の気持ちを聞いたところで信じられない。そのくらい彼女はさばさばしていたからね。元々政略結婚だからこんなものだろうと、私は思っていたよ」
それは答えではなくて、コンラートがまた横から口を出そうとした。だけど、私は義父の話を聞きたくて、コンラートを手で静止した。
義父は続ける。
「……結婚生活は虚しかったが、彼女と結婚した当初は子爵領からの領民の流出が止まらなくて、それどころではなかった。
今とは違って、子爵領は領地のほとんどが農地で、領民のほとんどが農民だったんだよ。このままでは働き手がいなくなり、税の徴収が難しくなる。そのダメージを抑えるために私は必死だった。先祖から受け継いだ土地だけでなく、シュトラウスの歴史も失ってしまうからね。
だから、私は援助を求めたり、事業提携や、事業展開を模索した。農地を維持するだけでは生き残れないと。だけど、頷いてくださる方は中々いなくてね……
そんな時に、条件次第で口利きしてもいいというご夫人から声をかけられたんだ」
それが義父の愛人ということなのだろう。察した私は頷いた。
「アイリーンとは自由にすればいいと取り決めていたから、私はそのご夫人の申し出を受けた。だが、余計に惨めになったよ。当主自ら身売りをしなければいけない現状に」
義父はそう自嘲する。私はそれも気になるけど、それよりも気になることがあった。
「あの、アイリーンって……」
「きみがお義母様と呼ぶ人だよ。もっとも、私もしばらく名前を呼んでいなかったが」
そう言われて気がついた。誰もが奥様、母上、お義母様と、肩書きで呼んでいた。唯一ここで名前を呼ぶはずの義父は彼女や君と呼んでいた気がする。
結局誰一人アイリーンという女性自身を見ていなかった、そういうことなのだろう。
今度は義父の話に思うところがあったのか、冷静に話を聞く気になったらしいコンラートが質問した。
「父上、それなら母上のご実家に助けて貰えばよかったのではないのですか?」
「……私もそう思っていたよ。だが、子爵家はアイリーン共々見捨てられたんだ。援助をお願いした時に言われたんだよ。共倒れはごめんだと。かといって向こうはアイリーンを連れ戻そうともしないし、追い返すのも彼女のその後を考えるとできなかった。アイリーンには政略にすらなれなかったとは言えなかったから、あちらも大変だから援助は諦めたということにしておいたよ」
「酷い……」
娘を何だと思っているのか。私は義母の両親に憤った。そんな両親だったから、義母がああいうわかりにくい性格になってしまったのかもしれない。
「だが、そんな付け焼き刃では何も変わらなかった。コンラートが生まれたこともあって余計に何とかしないといけないと私は焦ったよ。待望の後継が生まれたというのに、継ぐものがないと意味がないだろう? だから私は平民から準男爵にまで成り上がった方に教えを請うた。そして、クライスラー男爵夫人に出会ったんだ──」
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