コンラートの本心
よろしくお願いします。
「……僕は早いうちから後継に相応しくあれと教育されてきたよ。父上は叱責するだけで褒めてくれたことはない。それどころか、母上はそのことに触れることすらなかった。忙しいから、あっちに行って、そんなことばかり言われていたよ。そんな僕の味方は乳母だけだった」
「もしかして迷路で話していた方?」
子どもの頃にいつも探してくれていたとコンラートが話していたことを思い出して私が聞くと、コンラートは破顔した。
「覚えていてくれたんだ。そうだよ。その人だ……だけど、その乳母は父上に辞めさせられたんだ。甘やかしていたら教育に差し障るからといって。本当に辛かったよ。それでも僕は諦めきれなくて、また乳母が来てくれるんじゃないかと思って、毎日あの迷路で待ったんだ。馬鹿だろう?」
コンラートは自嘲の笑みを浮かべる。だけど、私はそう思えず、首を振った。
「……子どもなら甘えたいのは当たり前だと思うわ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ、ありがとう。それで、何日も誰も探しに来なかったんだけど、ある日母上が庭に出て来たんだ。母上は僕がいないことに気づいてくれた、そう思ったよ」
そこでコンラートは感情の籠らない冷たい目で義母を見た。
「だけど、この人が庭に来たのは庭師と逢引をするためだったんだ。僕の前でも御構い無しで庭師に好きだの、愛してるだの言っていたよ。僕には一度だって言ったことないくせに、庭師には何度も繰り返しね。その言葉たちがいかに薄っぺらいものなのか僕は思い知ったよ」
吐き捨てたコンラートに、義母は俯いて呟いた。
「……あなたがあそこにいるとは思わなかった」
だけど、その言葉がコンラートの怒りを煽ったのか、声を荒げた。
「あそこにいたから何ですか! あなたにとって僕はいてもいなくても一緒でしょう? いつも御構い無しに逢瀬を重ねていたではありませんか!」
コンラートは興奮していて、私から僕に変わっている。義母は瞬きもせずに虚ろな目で答える。
「……確かにそうね。わたくしは何も見ようとせず、考えようともしなかった……その結果がこの始末。わたくしの人生って本当に何だったのかしら……」
「お義母様……?」
様子がおかしい。私は怪訝に義母に問いかけた。だけど返事はない。
「コンラート、お義母様の様子がおかしいわ」
「それもその人の作戦なんじゃないか? これだけ反省してるっていう」
コンラートはあくまでも信じない。冷たく睥睨するだけだ。だけど、私にはそう思えなかった。
義母は義父やコンラートとうまくいってなくても、貴族としての責任からは逃げなかった。
だけど、こうして義父の最悪の裏切りを知り、息子から詰られ、貴族としての責任も果たせてなかったと知ってしまった今、義母は──?
私は嫌な予感しかしなかった。
そうして私の嫌な予感は当たってしまった。
義母は糸の切れた人形のように、崩れ落ちてしまったのだ。
「お義母様、しっかりしてください!」
私は義母の肩を掴んで揺さぶるけど、何の反応もない。焦った私はコンラートに向かって叫ぶ。
「コンラート、すぐにお義母様をベッドに運んで!」
「あ、ああ」
コンラートは何が起こったのかわかってないのか、戸惑いながらも義母を抱え上げて、寝室へ向かった。
◇
「……お義母様はね、お義父様を愛していたのよ」
ベッドに横たわって眠る義母の傍で、私たちは並んで椅子に座る。それから私はコンラートに話しかけた。コンラートが黙って聞いてくれているのを確認して、私は続けた。
「だけど、自分を振り向いてくれないお義父様を憎んでもいた。そして、そんなお義父様に似てくるあなたが怖かったそうよ。あなたにその憎しみをぶつけてしまうのではないかと。だから敢えてあなたを遠ざけた」
「……そんなことは僕には関係ない」
孤独な幼少期を過ごしたコンラートにはもっともな言い分だ。だけど、私はそうせざるを得なかった義母の気持ちもわかる。
「愛する人との子どもなのに、可愛がることができないのは辛いわ。お義母様も後悔していたのだと思う」
「……」
私の言葉がコンラートに届くかはわからないけど、私はこのままわかりあえないままでいて欲しくなかった。
「だから自分に優しくしてくれる男性に逃げてしまった。これは私の想像だから間違っているかもしれないけど、女性であることを忘れたくなかったのかもしれないわ。愛する人から女と思われなかった屈辱も感じていたのではないかと思うの。自分に魅力がないから愛人を作るのだとお義母様が思っても不思議ではないわ」
「何できみにそんなことが……」
「わかるわ。私だってあなたに愛されていないのだから」
それを口にするのは辛いけど、それが真実なのだから仕方ない。わざと明るい声で言うと、コンラートは慌てて否定した。
「違うんだ!」
「気を遣わなくてもいいの。そのうちにこの気持ちは消えていくと思うから。今は辛くても私なら大丈夫」
元々政略結婚なのだ。それに私は気持ちもちゃんと伝えたから後悔はない。だからいずれ割り切れる時が来るだろうと、まだ痛む心に蓋をして、コンラートに笑いかける。
「そうじゃなくて……!」
コンラートはもどかしげに言葉を詰まらせると、急に私を強く抱きしめる。私には何が起こったのかわからなかった。
「コンラート?」
「……きみに愛していると言われて、咄嗟に母上のことを思い出したんだ。僕はその言葉の意味がすごく軽く思えて、きみの気持ちがどうあれ、聞きたくなかったし、言いたくもなかった。それできみが勘違いすると思わなくて、傷つけてごめん」
コンラートは更に私を抱きしめる腕に力を込めた。その力強さに私の息が詰まりそうだ。
「……きみの欲しい言葉じゃないかもしれない。だけど、僕にはきみしかいないし、きみしか欲しくないんだ……!」
コンラートの震える声が一所懸命に言葉を紡ぐ。
初めてコンラートの気持ちが見えた。好きだとか、愛していると言えないコンラートが、精一杯に気持ちを伝えてくれている。
私はこんなにも愛されている、それを実感して視界が潤んできた。私が泣き始めたことに気づいたコンラートは慌てて体を離すと、困った顔で私の顔を覗き込み、涙を拭ってくれる。
「ごめん。やっぱり伝わらなかったか……」
「……っ、いいえ、伝わったわ……最高に、嬉しくて……」
「早く誤解を解きたくて、きみが本邸に移ってから毎日会いに来てたんだけど、母上に追い返されていて。その上、今度は義兄上に止められたんだよ」
コンラートは苦笑する。
「お兄様が? どうして……」
「ニーナとの関係を説明もできないくせに、追いかけて妹を傷つけるなと言われたよ。あと、ユーリのおかげで織物で伯爵家と子爵家は対等な立場まで回復してきているから無理に姻戚関係を続けなくても、事業提携は続けられる。事と次第によってはお義父上に言って、伯爵家当主命令で離縁をさせるともね。それならきみに落ち度はないから再婚が望める。義兄上はそこまで考えていたようだよ」
兄はまた私の知らないうちに手を回していたようだ。本当にどこまで妹に甘いのか。その優しさにまた泣きそうになる。
だけど、義母も、私のことを思ってコンラートを追い返していたのだ。それはちゃんと伝えたいと思った。
「お義母様は、私を守るためにあなたを追い返してくださっていたの。私があなたと向き合えるようになったら会わせるつもりだったのよ。私とご自分を重ねていらしたのだと思うわ」
「そうか……僕は、この人に親しみを感じないし、腹が立ってもいるんだ。だけど、きみを助けてくれたことについては感謝してはいるよ」
「それならお義母様の目が覚めたら、直接ご本人にお礼を言って。きっとお義母様、喜ぶでしょうから」
私が笑いかけると、コンラートは逡巡して渋々頷いた。
「……喜ぶかはわからないけど、そうするよ」
そうやって少しずつでもわかり合えるといいと、この時の私は楽観視していた。だけど、これまで耐えてきた義母にとって、余程辛かったのだろう。
目が覚めた義母の心は完全に閉ざされていたのだった──。
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