対峙する時
よろしくお願いします。
私が伯爵家に呼び出されてから数日経ったけど、その間、毎日来ていたコンラートが来なかった。私は何かあったのかと、内心気にしていた。
「今日も来ないわね……」
勉強の合間にお茶を楽しんでいると、義母が何気なく言った。私も同じことを考えていたから、考えを読まれたのかと驚いた。それでも素知らぬふりで答える。
「……もう諦めたのではないですか? 結局は彼にとって私はその程度の存在だったということです」
「わたくしは違うと思うわ。きっと、こそこそ何かしているのよ。何も言わないから歯痒いわね」
何かといっても、仕事が忙しいだけではないだろうか。と思って、ふと気づいた。
「そういえば、今日がニーナ様の結婚式だわ……」
以前日付を聞いていたのを忘れていた。別にコンラートは関係ないとは思うけど、どうしても関連付けてしまう。最後に聞いた二人の会話が印象に残っているからかもしれない。
「まさか、結婚式に出席しているってことはないでしょうけど」
コンラートにだってその影響はわかっているはずだ。あり得ない想像に私は笑ってしまった。義母も同じように笑う。
「わたくしも息子がそこまで愚かだとは思いたくないわ」
「そうですよね」
頷く私に義母が目を細めて、しみじみと言う。
「ようやく笑えるようになったのね」
「私はずっと笑っていましたよ?」
首を傾げる私を義母は嫌そうに見ている。
「あの胡散臭いのが? 何か企んでいるのかしら、とわたくしは思ったわよ」
「……それ、兄にも言われたことがあります」
胡散臭いとか、怖いとか、色々言われたけど、そんなに酷いのだろうか。私は自分の顔をペタペタと掌で触って確認してしまった。
でも、義母がオスカーに見せた薄ら笑いに比べたらマシだと思いたい。
そんな私を見て義母は笑った。
「今は普通に笑っていたから、ようやく気持ちが落ち着いたのかと思ったのよ」
「そうですね。泣くだけ泣いて、お義母様に聞いていただいたおかげですっきりはしました。時々胸が痛みますが、そのうちに今の気持ちも風化していくのでしょうね……」
愛が歪んで憎しみに変わるよりは、消えてしまう方がいいのだろうか。だけど、それはコンラートへの関心が消えてしまうことと一緒だ。
愛の反対は憎しみではなく、無関心。関心がなければ感情は動かない。
私の中でコンラートの存在が消えていくのは辛いけど、それを受け入れる方が心は痛まない。
──だけど、それは本当に幸せなことなのだろうか?
私の頭を新婚旅行や庭の散策などの楽しかった思い出が過ぎる。忘れたくない大切な思い出だ。
「……お義母様、どうすればいいのですか? 辛くて忘れたいと思ったのに、忘れたくもないんです」
まだ、こんなに愛しいと、心が悲鳴を上げている。顔を見たら思いが溢れそうで怖い。それ以上に、それでまた拒絶されたらと思うと怖くてたまらない。
私は義母の顔を見られずに俯いた。
「……そんなものよ。割り切ろうと思っても割り切れるものではないでしょう。だから離れた方がいいと思ったのよ。顔を見れば余計に相反する気持ちで辛くなるから」
「お義母様もそうだったのですか……?」
「さあ、どうかしら。あまりにも昔のことで忘れてしまったわ」
はぐらかしてはいるけど、どこか切なさを含んだ声音は肯定しているように思えた。
「厄介ですね、心って」
「わたくしもそう思うわ」
私は気持ちを落ち着かせようと、まだ温かい紅茶を一口飲んだ。義母は逡巡するように視線を落として、また私と視線を合わせた。
「……それならまだ会わない方がいいのかもしれないわね」
義母が私を気遣ってくれているのは嬉しい。だけど、私はこのままではいけないと思っている。
「……いえ、話すべきなのだと思います。私は結局、あの日に逃げ出したままで、コンラートの話は聞いてないんです。それが言い訳や私が聞きたくない言葉だとしても、聞いてから考えてもいいのかもしれません。私の気持ちを整理するためにも」
ニーナを愛しているなら、直接そう言ってくれれば、諦めもつきそうなものだ。怖くはあるけど、こうして気遣ってくれる人がいる。
決意を込めて義母に頷いてみせる。義母は眉を寄せて私を見ていたけど、最後は頷いてくれた。
「……本当にあなたは融通が利かないわね。真っ直ぐだから今にも折れるかと思っていたのだけど」
「そうですね。融通が利かないとは自分でも思います」
「まあ、しばらくはコンラートも来ないでしょうし、あなたの思うとおりにすればいいわ」
「ありがとうございます」
次にコンラートが来ればきちんと話をしよう、そう決意を固めたのだった。
◇
だけど、義母の予想は外れて、コンラートはその翌日にやって来た。それも朝食前の早い時間だ。一体何事だろうか。
着替えを終えた私は、義母の部屋にやってきた。
「それでは応接室をお借りしていいでしょうか?」
コンラートと話し合うつもりの私は義母に尋ねた。義母は頷く。
「ええ。だけどわたくしも同席するわ。あなたが離れに帰っても大丈夫かどうか、話を聞いて考えることにしましょう」
「ですが、お義母様を巻き込むのは……」
申し訳なくて断ろうとすると、義母は鼻で笑った。
「もうとっくの昔に巻き込まれているでしょう。その時点でわたくしには見届ける責任があると思っているのよ」
「お義母様……それならお願いします」
義母は元々愛情深くて面倒見のいい人なのだろう。私は笑顔で義母の申し出を受け入れたのだった。
◇
「待たせてごめんなさい」
応接室へ入ってコンラートに声をかけると、彼は立ち上がった。久しぶりに見る彼の顔色はあまり良くない。やっぱり仕事が忙しかったのだろうかと心配になった。
彼は私を見て笑顔になったけど、すぐに怪訝な表情で私の隣にいる義母を見遣る。
「ユーリ……と、母上? どうして……」
「今ユーリの面倒を見ているのはわたくしよ。居てもいいでしょう? それとも聞かれて困ることでもあるのかしら。クライスラー男爵令嬢のこととか」
話しながら義母の目つきがきつくなる。相対するコンラートも不愉快そうに顔を顰めた。
間に挟まれた私はどうしていいかわからず、義母とコンラートの顔を交互に見る。
するとコンラートは義母を睨みつけて嗤った。
「いいですよ。わざわざ説明に行く手間が省けますから」
私はわけがわからず、義母を見た。だけど、義母は困惑しているようで首を振る。
「それじゃあ座りましょうか」
コンラートに促されて、私と義母は並んで、コンラートの向かいに座った。
「ユーリ、体調はどうだい? あれからずっと会えなかったから心配していたんだ」
「……もう大丈夫。心配してくれてありがとう」
覚悟を決めてコンラートと視線を合わせる。目元を和らげて私を見るコンラートに、私の胸は締め付けられる。やっぱりまだ割り切れない、そう思い知らされた。
そして、コンラートは私に向けて頭を下げる。
「ユーリ、今まで傷つけてごめん。今日は謝りたかったのと、全てが終わったから説明に来たんだ。これで許してもらえるとは思ってないけど、話を聞いて欲しい」
「ええ。私も話を聞くつもりだったからそれはいいのだけど、何が終わったの?」
聞きたいことはたくさんあるけど、取り敢えず気になったことを聞いてみた。
コンラートは何故か冷たい目で義母を見て言う。
「父上や母上が何もできないように根回ししていて、それが終わったんだよ。もうこれでこの人たちには何もできないはずだ」
「コンラート、あなた何を……」
私が話そうとすると、義母が遮り、不愉快そうにコンラートに問うた。
「わたくしが何をするつもりだと?」
「ああ、あなたは子爵家には興味がないんですよね。だから僕があなた方の尻拭いに躍起にならないといけなかったんだ」
コンラートは義母を睥睨して憎々しげに吐き捨てる。
尻拭いと聞いて私は義母を見た。だけど、義母も心当たりがないのか、怪訝にコンラートを見返している。
そんな私たちに頓着することなく、コンラートは続けた。
「教えてあげますよ。あなた方が何をしたのか──」
読んでいただき、ありがとうございました。




