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手札が多めのビクトリア1〜元工作員は人生をやり直し中〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 守雨


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番外編 シェン国のアッシャー家 2 カン先生 

 翌日。父も母も朝から忙しそうだった。


「ノンナ、お母さんたちは薬の勉強があるの。あなたはマオさんと過ごしていてくれる?あの男の子と遊んでもいいのだけれど、回し蹴りも膝蹴りもやめてね」

「わかった。でもねお母さん、あの男の子、私のことをヒヨコって言うよ? またヒヨコって言ったらどうすればいいの?」


 母は少し驚いた顔をした後にノンナの顔を両手で挟んで視線を揃えてから話してくれる。


「ノンナのことをかまいたくなったんでしょうね。本当の意地悪じゃなければ気にしなくていいわ。仲良くなれるんじゃない?」

「ふぅん」


 ノンナは(初めて会った相手にヒヨコなんて言う人と仲良くなれるだろうか)と思う。

 朝ごはんは小麦粉を練って焼いたパンのような平たい物で、たくさん並べられたおかずをそれで包んで食べる形だ。ノンナが甘く煮た柔らかい木の実が気に入って何個もたべていると、マオさんが何か説明してくれて母が通訳してくれた。


「ナツメも美味しいけれど蒸した鶏肉をタレに付けて食べると美味しいのですって」


 言われるままに鶏肉を食べると、アシュベリーでは食べたこともないような柔らかい鳥肉で、刻んだ香草が入ったタレは甘酸っぱくて小麦粉のパンのような物に包んで食べるといくらでも食べられる気がした。


「アンナ、君はすっかりシェン国語を身につけたね」

「ありがとうジェフ。でもこれから薬の名前を覚えるのが大変だと思うわ」

「君が片っ端から言葉を書いておいてくれるから本当に助かってるよ」

「シェン・アシュベリー辞書を作れたらいいなと思っているの。それがあればシェンとアシュベリー双方からの留学生の行き来がしやすくなるはずだわ」


 母を見る父の目に驚きと感心が浮かんでいる。大好きな二人がこうして仲良しな姿を見るのはとても嬉しい。

 両親が仕事でいなくなり、ノンナはマオさんと庭に出た。走って昨日の池をまた覗き込む。黒や赤や金色の太った魚が餌をねだってバシャバシャと寄ってくる。ランダル王国の海沿いで暮らして以来ノンナは魚が大好きだ。


(これ、美味しそう)

 満腹してるのに魚を見ていたらよだれが出そうになった。今日はイルがいないからゆっくり庭を探検しようと決めて立ち上がると、遠くから掛け声が聞こえてきた。


「ハッ!ヤッ!ハッ!」

 何人もの大人の男の声だった。なんだろうと声を頼りに早足で進むと、敷地の外れの鍛錬場のような場所に出た。男たちが二十人ほど、ゆったりした揃いの青い上下を着て鍛錬をしている。


「ふわぁ」

 目を輝かせてノンナが走り出し、マオは慌てて後を追った。

 ノンナは邪魔にならなさそうな場所に立って見ることにした。男たちは皆、短髪か長い黒髪をひとつに縛り、前に立つ初老の先生らしい男性の真似をしている。


 拳を目にも留まらぬ速さで突き出し、引く。その度にたくさんのビュッ!という空気を切る音がする。

 蹴り、突き、回し蹴り。

 母が教えてくれるのとは少し違うけれど、どれも見覚えがある動きだ。


 二ヶ月以上の船旅の間、元気を持て余しているノンナに父と母がいろんなことを教えてくれた。

 母は主に体術、父は剣術。

 それが船員さんたちの間で話題になって、アッシャー家の鍛錬の時間になると手すきの船員さんたちはこぞって甲板に出て来て見物していた。


 中には腕に覚えのある船員さんもいて、その船員さんが母に声をかけて二人で組んで体術の練習をしようものなら、指笛や歓声で大騒ぎになり、船長までが何事かと様子を見に来た。

 体術の訓練をする母は、光る汗も乱れた髪も美しく、父と二人で惚れ惚れと眺めたものだ。父はシェン国の船員に剣術の経験者がいないのを酷く残念がっていた。


 ボーッとそんなことを思い出していたら男たちが動きを止めて自分を見ていた。

(あれ?見ちゃだめだった?)と少し慌てていると、男たちの前で模範を示していた初老の男性が手招きしているのに気がついた。


(私?)と自分を指さすと「うんうん」と笑ってうなずいている。物おじをしないノンナはその場で靴を脱いで駆け寄る。男たちは全員が裸足だったからだ。


「ノンナさん!」

「うん?」

 途中で止まって振り返ると、マオさんが困った顔をしている。

 だが説明する言葉をまだ持っていないノンナは、マオに向けて丁寧なお辞儀をして「これでよし」とくるりと体の向きを変え、手招きしてくれた男性のところに駆け寄った。



『こんにちは。私はノンナ・アッシャーです』

 先生と生徒たちは金髪美少女のシェン国語に「おおお」と驚いてから嬉しそうに笑い出した。


『私はカン』

『ノンナ、これ、好き』

 そう言ってさっきの突き、蹴り、回し蹴りを披露した。

 笑っていた若い男たちが一斉に笑いを引っ込めた。カン先生は『ほう』という顔になる。

『一緒 鍛錬 したい』

『おお、いいぞ』


 カン先生は「マオ!」と声をかけて何事かを指示した。マオさんが走ってどこかに向かい、すぐに青い鍛錬着を抱えて戻って来た。

「これを着ていいの?」

『ああ、いいぞ』


 マオさんが手を引いてくれて木陰で手早く着替えを手伝ってくれ、ノンナは男たちのところへ戻った。温かい視線と好奇心たっぷりの視線が交差するなか、ノンナは前から三列目の真ん中に招かれた。

 そこから鍛錬が再開された。


「ハッ!ヤッ!」

 周りの男たちとカン先生を見ながら真似をする。素早く拳を突き出し、引く。前蹴り、回し蹴り、飛び蹴り。楽しくて楽しくてたまらない。気をつけないと顔が緩んでしまう。

 しばらく練習した後はカン先生が指名した二人が向かい合って体術で闘う。周りの者は見学だ。それはそれは動きが速い。母の動きも速いと思っていたがそれよりも速い。

 ノンナは何一つも見逃したくなくて食い入るように見学した。


 生徒の中でも上手な人のお手本が終わると、今度は全員が近くの人と組んで一対一の練習を始めた。ノンナは(自分は見学かな)と思っていたのだが、カン先生が自分と組もうと身振り手振りで誘ってくれた。


「本気でやってもいいの?」

 アシュベリー語で尋ねたのに先生はウンウンと笑顔でうなずいた。

(先生だから本気でもいいんだよね)と一人で納得してノンナは母に教えられた構えを取った。


 もちろん先生に敵うはずもなく、先生はゆったりと動きながらノンナの攻撃を全てかわしつつノンナの動きを見ている。ノンナはすばしっこい子ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねながらいろいろな方向から蹴りを繰り出す。時にはカン先生の後ろから首にしがみついて、その先をどうしたらいいのか困惑した。

 母のアンナは人の命に関わるような技を教えてくれなかったからだ。


『はっはっは。その先は教わっていないか』

『お母さん、教えてくれない』

『うむ。それでいい。その小さな身体で教わったら命を縮める』

 気がつくと生徒たち全員が動きを止めてカン先生とノンナの組手を見ていた。


 その夜。

 アッシャー家に与えられた離れでノンナは夢中になってカン先生と生徒たちのことをアンナに話していた。

「そう。いい経験になったわね」

「お母さん、私、またあの鍛錬をしたい」

「あなた、どう思う?」

「いいんじゃないか?別に害はないだろう」


 父ジェフリーの返事にノンナがパッと顔を明るくした。

 



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