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手札が多めのビクトリア1〜元工作員は人生をやり直し中〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 守雨


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番外編 シェン国のアッシャー家 1 イル少年

 船から降りて久しぶりに踏んだ地面は、なぜかゆらゆら揺れているように感じる。

 どこからか食欲をそそる香りがしてきて、ノンナは(シェンの空気はいい匂いがする!)とわずかに唇の端を持ち上げた。


「ノンナ、行くわよ」

 母のアンナに声をかけられてノンナは笑顔で母の元に駆け寄った。甘やかし専門の父ジェフリーが駆け寄るノンナを抱きとめて、いつものように抱え上げる。

「お。少し重くなったかな」

「船のご飯が美味しかったもん。お父さん、毎日重くなったって言ってる」

「そうだったか。確かに船の食事は美味しかったな」


 副船長が自分たちに付き添って港湾の検問所まで来てくれた。副船長が一緒だったからか、三人はあっという間に検問所を通り抜けることができた。副船長が先頭に立って検問所の外の乗り物が並んでいる場所に案内された。


 その乗り物は二人がけのソファーに大きな車輪を二つ付けたような造りだ。どうやら人が引くらしい。


 ノンナと母、父と副船長、荷物の山を乗せた二台の合計四台の乗り物は滑るように進む。引いているのは若い男の人だ。

「お母さん、これ、面白い乗り物だね」

「そうね。それにかなり速いわ」


 道を歩く人々は全員が黒い髪と黒い目だ。

 人々が自分たちを見て驚いた顔をする。振り返る人も少なくない。ノンナは(船員さんたちもみんな黒髪だったけど、シェン国は本当に全員が黒髪なんだ)と感心した。



「こちらでお待ち下さい」

 刺繍がしてあるストンとした形の服を着た若い女性がノンナたちを部屋に案内して、お茶を出してから退室した。

 早速お茶に手を出したノンナは取手の無いカップをそっと持ち上げてコクリと薄い黄色のお茶を飲んだ。


「美味しい。お母さん、このお茶美味しいよ」

 そう言ってお茶と一緒に出された茶菓子に手を伸ばす。

 丸いぽってりした形のお菓子は花の形をしている。色は赤茶色で花の中心に緑色の何かの種が埋め込まれていた。


 ずっしり重い菓子にパクリとかぶりついてノンナは目を丸くした。食べたことのないしっとりした食感の菓子は濃厚な甘さとクルミの味がした。

「美味しい……」

 お茶とお菓子を交互に口に入れて、ノンナはたちまち花の形の茶菓子を完食してしまった。


 やがて体格の良い男の人が現れた。男の人は『エンローカム』と名乗ったように思う。名前を名乗ることならノンナにもできるのだ。エンローカムは副船長を通訳にして父と長いこと話し合っていた。母がニコニコしてうなずいている。


 会話に加われないノンナは部屋の調度類や茶器、壁に飾られている絵画を眺めるのに忙しい。何もかもが目新しくて面白い。


 やがて両親は書類を広げて一層熱心に話し込み、ノンナは案内をしてくれた女性に促されて部屋の外に連れ出された。


 女性は優しく話しかけてくれるが、ほとんど理解できない。仕方なくノンナは自分を指さして『ノンナ。私の名前はノンナ・アッシャー』とシェン国語で話しかけた。すると若い女性は『私はマオ』と言う。

『マオ!どうぞよろしくね』

『はい。よろしくお願いします』

 

 こうして本当に外国の人と会話が成立したことが嬉しくて、ノンナは「むふぅ」と笑ってしまう。マオさんに案内された庭には様々な種類の庭木が植えられていて、どれも几帳面に刈り込まれている。池があるのを見つけて走り寄り、覗き込む。


「わあ、大きなお魚。これ、食べるのかな」

 羊牧場の羊のように食べるのだろうかとしゃがんで見ていると、池の反対側に柔らかそうな茶色の革の靴が見えた。

「ん?」

 顔を上げると十歳くらいの少年が立って無表情に自分を見下ろして話しかけてきた。


『お前はピマローか?』

それを聞いたマオさんがすぐに叱責した。何と言ったのかはわからないが少年が良くないことを言って叱られたことはわかった。


『私の名前はノンナ。ピマローじゃない』

『シェン国語が話せるのか。僕はイルカークだ』


 少年は名乗った後でしげしげと自分を見る。

『イルカーク?ふうん』

 そこで少年より魚に興味があるノンナは池の中を覗くことに戻った。すると少年はツカツカと歩み寄り、ノンナの腕をグイ、と引っ張って立たせた。


「やめて。私は魚が見たいの!」

 そうアシュベリー語で文句を言うがイルカークは何か言いながらノンナを引っ張る。マオさんが『やめてください』と言うが少年の足は止まらなかった。


 手を振り払って逃げることもできたが、ノンナは(仕方ない)と少年に腕を引かれるままおとなしく付いて行った。いよいよとなったら蹴り倒して逃げればいい。


 母屋をぐるりと回り込んで連れて来られたのは大きな鳥小屋だった。細かい格子はツルツルした感じの円筒形の植物の柵で四方を囲まれていて、羊牧場の農具置き場くらい大きかった。


「わあ……」


 中にいるのはアヒルくらいの大きさの鳥。その体は目の覚めるような光沢のある深い青色だ。そして青緑色の長い尾を引きずりながら歩いている。小さな頭には作り物のような繊細な飾り羽。

 その鳥たちがノンナを見ると、長い尾を立ててゆっくり広げた。


「はわわー。なにこれ!」


 半円形に広げられた豪奢な尾羽根にはたくさんの卵型の模様が散っている。その卵模様の輪郭は青緑色で黄身の部分は胸と同じ深い青色だった。


「きれい!すごくきれい!」

『これはコンチェルー』

『コンチェルー!』


 イルカーク少年はウンウンとうなずいた。

『イル、ピマローは何?』

 ノンナがまっすぐな視線を向けて問うと、イルカークは少し動揺した。


『ピマローはあれ』

 指差す方を見ると隣の小屋には茶色の鶏とたくさんの黄色いヒヨコがいた。髪が金色だからか。それともヒヨコみたいに小さいといいたいのか。

『私、ピマロー、違う!私、強い!』


 するとイルカークは「ぷっ」と噴き出してから大笑いした。

 その笑いが赤ちゃん扱いしているようで腹が立った。口で言い返すのは無理と諦めたが腹立ちは収まらない。


「うううー。見ていなさい。ヒヨコじゃないから!」


 そう言って辺りを見回して一番高い松の木を選んで駆け寄り、靴を脱いで登り始めた。船旅で有り余っていた元気をぶつけるような気持ちでよじ登り、一番上の枝まであっという間にたどり着いた。

 マオさんが大慌てで何か叫びながら家の方へ走って行き、イルカーク少年はあんぐりと口を開けて見上げている。


 高い枝の上に立って見渡すと、この家の敷地が途方もなく広いことがわかった。あちこちに池があり、おもちゃみたいな小さな橋が架けられている。造られたものらしい小さな山には野の草が植えられている。

 計算されて植えられたらしいたくさんの花。鳥小屋はさっき見たコンチェルー用と鶏用だけでなく他にもあった。


「面白そう」

 そう独り言を言っていると母と父が走ってきたので手を振って呼びかける。


「お母さーん!」

「ノンナ、皆さんを驚かせてしまうわ。静かに降りていらっしゃい」

「はぁい」


 ノンナはスルスルと途中まで降り、地面を確認してからふわっと飛び降りた。

 マオさんが「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。


 空中でクルッと回って両足でスタッと静かに着地すると母が笑いながら近寄ってきた。お父さんがエンローカムに謝っている。


 ノンナはツカツカと靴下のままイルカーク少年に近寄ると

『イル、私は、ピマローじゃない。私はノンナ。ノンナ・アッシャー。覚えなさい』

と言い放って靴を履き、母の隣に立った。



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