46 新しい任務地
宰相の執務室でジェフリーは今回のことに対する国側の対処を聞かされている。
「ビクトリア・セラーズはハグルのエース工作員だったそうだ。脱走したことで暗殺者が送られたのだ」
「エース、ですか」
「陛下の判断でビクトリアはランダル王国の国民であり、理由は不明ながらハグルの人間に殺された、ということになった」
(なぜ?)と無言で問いかけるジェフリーの目を見て宰相が続ける。
「ハグルの連中は、ビクトリアが生きてると知れば繰り返し我が国に暗殺者を送り込んで来るだろう。厄介だ。ハグルには苦情を申し入れる。奴らの正体はバレてるぞと遠回しに釘を刺しておけば少しは自重するだろう」
「……」
「念のために第三騎士団に尋ねたが、ハグルの情報を聞き出すなら現役が四人も手に入ったから居場所もわからん彼女には興味がないそうだ」
宰相は眼鏡の鼻に当たる部分を中指で押し上げた。
「我が国は彼女の正体に気づかなかったことにする。ランダルの女性が我が国でハグルの男たちに殺された。これだけのことだ」
一度咳払いをした宰相は妙に芝居がかった口調でジェフリーに問いかけた。
「で?君は彼女の正体に気づいていたのか?それとも気づかなかったのか?」
「薄々気づいておりました。報告せず申し訳ありませんでした」
「ん?歳のせいかな。よく聞こえなかったな。君は何も気づいていなかったのか?」
「いえ、確証はありませんでしたが、薄々は気づいておりました」
宰相は「はぁぁぁ」と深いため息をついた。
「なんと馬鹿正直な。知らなかったと言い張ればそれで済むのはわかるだろう。正直すぎるのも考えものだよ、君」
それでもジェフリーは発言を撤回せずに口を閉じていた。
「はぁ、全く。仕方ない、それなら君にも処分は下される。自宅で謹慎して処分を待つように。ビクトリアの件は生涯他言無用だ。これで終わりにする。いいね」
「はっ」
ジェフリー・アッシャーは騎士団長室で私物をまとめながら考え込んでいた。
ビクトリアは暗殺部隊とは入れ違いで姿を消した。おそらく彼女は自分がハグルの関係者に見つかったことも暗殺部隊のことも知らないままだろう。知っていたらヨラナ夫人たちを置いて姿を消すはずがない。
そして自分が死んだことになっているのも知らずに隠れ続けているのか。そう思うとやりきれなかった。
後日、ジェフリーは騎士団長の職を解かれて全く別の仕事へと異動になった。材木輸出の窓口であるハイデンを抱える領地の保安管理官である。若い隊員たちがしょんぼりした顔で見送ってくれた。
「頑張れよ」
ジェフリーがそう言うと泣き出す者もいた。
王都の表舞台から姿を消す配置替えだから左遷だが、ジェフリーは温情ある処分と受け止めていた。解雇されても仕方ない、むしろ自分から辞職すべきと思っていたくらいだ。元々ビクトリアと生きるために辞職することを考えていた身なのだ。今はそのビクトリアが消えてしまったが。
ジェフリーは実家で兄のエドワードに頭を下げていた。
「兄上、今回のことは誠に申し訳なく……」
「ああ、気にしなくていいよ。私はもともと雑用係みたいなものだからね。お前の影響は全く受けない。安心して新しい仕事を頑張りなさい。それと、母上も最近はそこそこ体調がいい。心配せずにあちらに向かうように」
「はい」
「それより大丈夫か?お前、少し痩せたんじゃないか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。あちらは気候も穏やかだ。美味しいものを食べてしばらくはのんびりするといい」
「ありがとうございます」
出発する弟の姿を見送り、エドワード・アッシャーは思案顔になる。
今回の件は表向き『ランダルからの旅人が我が国内でおたくの国出身の強盗らしき者に殺された。強盗たちは貴族の護衛に殺された。我が国としては迷惑極まりない』と抗議して形だけでも貸しを作れたのは良かった。
(しかし当のビクトリアが見つからないのでこの処置の内容も連絡のしようがないのは困ったね)
エドワードは困ったとは思うが「ま、なるようにしかならないか」と思考を打ち切った。やるべきことはたくさんあるのだ。
今回捕縛された暗殺者の一人は情報提供者だった。第三騎士団でもそれを知っているのは自分の他には一人だけだ。見張り役だった男はこの国への亡命を求めている。彼の身の振り方を考えなければならないし、次の情報提供者を作らねばならない。
ジェフリーは実家の馬車を断り、愛馬に乗って移動し、やがて港町ハイデンのある領地に到着した。
ジェフリーの到着に気がついて、管理事務所の男が駆け寄って来る。
「保安管理官様、遠いところをようこそ公爵領へ。わたくし、これまで当領地を管理しておりましたハムズでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
ハムズは五十手前くらいだろうか。短い茶髪、鍛えられてそうな身体。笑顔は優しいが強い覚悟を秘めた雰囲気で、怒らせたら大変なことになりそうな、そんな男だった。
「管理官様、公爵様が昨日からお待ちですよ」
「え?」
この領地はハイデンという重要な港があるゆえにいずれ第二王子が公爵となった時に管理する土地だ。しかしセドリック殿下はいまだ王子のはず。(公爵って誰だ?)と思っていると、
「やあ!ジェフリー。君を失って兄上ががっかりしていたよ」
と陽気な声がかけられた。
「セドリック殿下!」
金髪碧眼の美丈夫が管理事務所からゆっくり歩いてきた。服装こそ落ち着いた領主風だが、全身から漂っているのは今も華やかで陽気な第二王子の雰囲気である。
「もう殿下ではない。いい加減真面目に領地の管理を務めて国のために働くよ。父上と兄上も私がこの地で王族の務めを果たすことをお望みなんだ」
「はあ、そうですか」
「なんだ、気の抜けた返事だな。そうだ、私の婚約者を紹介しよう。おーい、ベアトリーチェ!」
呼ばれて出て来たのはセドリックの元婚約者のベアトリーチェなのだが、(いや、同名の別人か?)とジェフリーは目を凝らした。
以前は顔色が悪く枝のように細かったベアトリーチェはぽっちゃり気味の体で色艶も良く、頬をツヤツヤと光らせながら小走りでやって来る。
「アッシャー卿、お久しぶりでございます」
「ジェフリー、見違えただろう?私も驚いたよ。私が公爵領に移ると聞いて城に押しかけて来たんだ。『まだ結婚相手が決まってないなら私を妻にしてくれ』と粘られた。別人のように身も心も逞しくなっていて驚いたよ」
それを聞いてキリリとした表情でベアトリーチェは後を続けた。
「わたくし、病弱を理由に婚約を解消されましたから。悔しくて悔しくて『健康になって見返してやる!』と頑張りましたの。セドリック様の未来の奥様に負けないように、と思って努力しておりましたのに、婚約もされないままで臣籍降下されると聞いて、とてもじっとしてはいられませんでした。何が何でも私と結婚してくださいませと直談判したのですわ。ふふふ」
セドリックが穏やかな顔でベアトリーチェの横顔を見ている。そしてジェフリーに目を向けた。
「こんな一途な女性を蔑ろにしては男が廃るだろう?結婚式はもう少し落ち着いたら執り行う予定だ」
セドリックは実に嬉しそうだった。
「この領地は人の出入りが多い。行事といえば年に一度、カディスの祭りくらいだが目を光らせるべきことは多々ある。今まではハムズがしっかりと管理してくれていたが、今後は私も領地の繁栄と平和のために、気を引き締めて働こうと思っているよ」
「公爵様、私も力の限りお支えいたします」
頭を垂れるジェフリーをセドリックとハムズがうなずきながら見ていた。
(外国人の出入りが多いこの領地の管理はおそらく簡単ではないだろう。気を緩めれば違法な品物が出回り、不法な行為が横行してしまう可能性がある。今日からでもハムズの指導を受けてしっかり把握せねば)
ジェフリーは仲睦まじい若い二人を眺めながら気を引き締めるのだった。






