45 牧場暮らし
ノンナの熱が下がってからすぐに一番小さくて一番安い荷馬車を買った。
ノンナの風邪がちゃんと治った日、毛布に包んだノンナを荷馬車に乗せて陽のある時間だけ進んだ。ランダル王国との間にある国境検問所を通る時、ノンナは荷台で果物やお菓子をのんびり齧っていた。
今の私は黒髪のマリア。ノンナは黒髪の息子ライル。
マリアの名前は以前本物のビクトリアの状況を調べてもらった時に折り返しの依頼で調べてもらった。マリアもまた行方不明者だ。八年前にランダル王国からアシュベリー王国に入った人で、それきり帰ってこなかった女性だ。私より二歳年上で、その時点で子どもはいなかったそうだが。
マリアは黒髪だったので、その情報は使いにくいと思っていた。だから自由市で長い黒髪を見つけた時は本当に嬉しかった。
ランダル王国を移動中、自分の事情をできるだけ正確にノンナに説明した。
「ビッキーは逃げて来たの?」
「うん。辞めたくても辞められない仕事だったの。だからカツラが必要だし、名前も変えなきゃいけないし、引っ越さなきゃならないの。勝手に逃げたから仕事の人たちが怒って追いかけて来るかもしれないの。ノンナ、落ち着いて暮らせなくてごめんね」
「いいよ。いろんなところに行けるもん」
「……ありがとう。それで、これからは、ビッキーじゃなくてマリアって呼んでくれる?」
ノンナは少し考えてから返事をした。
「お母さんて呼んでもいい?名前だと間違えてビッキーって言っちゃうもん」
思いがけない返事に驚いて、そして嬉しくて、ノンナを抱きしめて何度もうなずいた。私の方からお母さんと呼んでくれとは言い出せなかったのだ。
「うん。うん。もちろんいいわよ。お母さんて呼んでね。ありがとう」
「ええー。なんで泣くの?」
「なんでもよ」
私たちはそれからランダル王国で暮らしている。焼き栗の秋の季節から暮らし始め、三ヶ月たった今は北風が冷たい冬になった。
ランダル王国の南にあるエグニルという田舎町の羊牧場で暮らしている。そこが使用人を募集していたのだ。賃金はあまり高くはないけれど、住み込みなのがとても助かる。使用人の部屋は十分暖かくて清潔だ。羊の肉も頻繁におすそ分けしてもらっている。
使用人の部屋には調理もできる煙突付きの大きな薪ストーブがある。藁を詰めてあるベッドはお日様の匂いがした。掛け布団は贅沢にも羊毛入りで、ぬくぬくと暖かかった。
牧場で羊の世話の仕方と冬の仕事である毛糸の紡ぎ方と染め方を教わり、奥さんのミーナさんに褒められた。
「あんたは飲み込みが早いねえ。それによく働く」
「ありがとうございます。身体と手を使う仕事が好きなんです」
ノンナは昼間は私の仕事を手伝って羊たちの水を交換したり羊小屋の掃除をしたり。疲れると子羊と遊んでいる。そして毎日夜になると毛糸でひたすらボビンレースの毛糸版を編んでいる。たくさん出来上がったモチーフを繋げてベッドカバーやソファーカバーを作るのだそうだ。
「お母さん、これ売れるかな」
「売っちゃうの?」
「うん。お金を稼ぎたい」
「お金なら私の稼ぎでなんとかなるわ」
「でも売りたい」
「そう?それなら高く売れるといいわね」
農場の奥さんであるミーナさんは五十代後半くらいか。私達が訳ありとわかっているだろうに、私たちを雇って住まわせてくれた。
たまに
「世の中には女房を殴る男も多いから」
と言う。私たちはタチの悪い夫から逃げて来たと思われているようだった。
「春になったら毛刈りの仕方も教えてやるよ」
「ありがとうございますミーナさん。でも、春の終わりには引っ越しするつもりなんです。教えてもらってすぐ出て行くのが申し訳なくて」
「ああ、そうだったね。寂しくなるね」
「そう言っていただけるのはありがたいです。本当にお世話になってます」
細かい作業が好きな私は、奥さんに卸値で分けてもらった羊毛で毛糸を紡いだ。その毛糸を教わった通りに草木の汁で染めてセーターを編んだ。編み物は候補生だった時に同室の女の子に教えてもらって以来だったが、十数年前のことなのに手はちゃんと編み方を覚えていた。
「お母さん、その模様、すごくきれい!」
「そう?ありがとう」
「お母さんはいつもありがとうって言うね」
「そうかな。だって本当にありがとうって思うのよ」
そのセーターは紺色の地に白い毛糸で模様を編み込んでいる。襟周りと袖口に雪の結晶のような白い編み込み模様のセーターは我ながらなかなかお洒落なセーターだと思う。
えんじ色に白い模様、深緑色に白い模様。女物、男物、子ども用。気がついたら三ヶ月で十枚のセーターが出来上がっていた。基本、冬場の牧場暮らしは太陽が沈んでからの時間が長いのだ。
ノンナ作のベッドカバーも仕上がった。毛糸のボビンレースは空気が通り抜ける隙間ががたくさんあるのに肩や膝に掛けると不思議とふわりと暖かい。
「大きな町に売りに行こうか?ノンナのカバーも売れるわよ、きっと」
「大きな町に行けるの?大丈夫?」
「私はカツラの他に帽子も被ってマフラーで口元を隠すから大丈夫。ノンナは毎日私としか会話をしていないでしょう?子どもはたまには他人と触れ合うことも大切よ」
町で売る前に値つけが品物に相応しいかどうかを牧場の奥さんに見てもらった。奥さんが厳しい表情で編み目や襟首、袖口、はぎ合わせた部分を点検している。
「男性用が小銀貨三枚、女性用が小銀貨二枚と大銅貨五枚、子ども用が小銀貨二枚と考えているんですけど、どうでしょうか」
「その値段なら間違いなく売れるね。もう少し高くてもいいけど、マリアがそう決めたならそれでやってごらん」
奥さんのお墨付きを貰って馬車に乗り、二時間ほど先の大きな町に向かった。ノンナのコートと調味料を買わなくては。お菓子は全部手作りしてるけど、たまには買ったお菓子もノンナに食べさせたいし自分も食べたい。
大きな町であれこれ買い物をしながらセーターを買ってくれそうなお店を探した。セーターなどの日常着を売っているお店に入り、ノンナの服を数枚買った。お店の人に支払いをした後、
「こちらで手編みのセーターを買ってもらえませんか?」
と尋ねた。店長らしい女性は快活な笑顔で
「物によって、かしら。うちの品揃えに合わなければ難しいわ。今、持っているの?」
と聞いてくれた。
「はい。見ていただけますか?」
「ええ、喜んで」
そして十着のセーターを女性店長は全部言い値で買い取ってくれた。
「これなら十分売り物になるわ。もしこれからも編む予定なら、うちで売らせて貰える?それと、こちらのベッドカバー、小銀貨八枚でどう?」
「はい!それで売ります!」
興奮したノンナが私より先に返事をしてしまう。
「え?この子が編んだの?」
「ええ、モチーフはこの子が。二人で繋いで大きくしました」
「ボビンレースの応用でしょう?ここまでよく頑張ったわね」
「はい、頑張りました!」
ノンナのランダル語はアシュベリー語よりも言葉遣いがきれいだ。
セーターを売ったお金は十着で小銀貨二十四枚と大銅貨五枚になった。それにしてもノンナのベッドカバーが小銀貨八枚とは。
嬉しくなって二人でお洒落なお菓子屋さんに入ってケーキとお茶を頼んだ。お店の前にテーブルと椅子、小さな薪ストーブまで置いてある。
「アップルパイにする?」
「ううん。クリームがたくさんのケーキがいい。アップルパイはお母さんが作ったのが好き!」
二人で久しぶりにお店のケーキを楽しんだ。ケーキを食べながらノンナが笑顔で「次はどこに行くの?」と尋ねた。
ノンナはきっと、引っ越しを続けることに対して私が申し訳なく思っているのを知っているのだ。
賢い子だな、と思う。もっと文句を言ってもいいのに。






