32 ベビーピンクのドレス
セドリック殿下のご訪問はあれ以来無い。
もしかしたら団長さんがガッチリと釘を刺したのかと団長さんにそれとなく尋ねたけれど、「いや、別に」としか言わない。 殿下は諦め……たかな?
・・・・・
ランダル語で演じられるお芝居の「白き姫と青いトカゲ」はセリフと演技も上々の仕上がりとなり、私は(お芝居形式の授業はこれで終わり)と思っていた。
ところがエバ夫人が「ぜひ夫に観せたい。私たちも観たい」とおっしゃる。
それもそうかな、と思って了承した。すると侍女さんたちが
「旦那様に観ていただくなら衣装も必要ですね」
と言い出した。
「語学の授業としてのお芝居ですからそこまでは……」
「いいえ!お任せくださいビクトリアさん、衣装担当の者も張り切ってるんですよ。以前使用人たちでおしゃべりした時に三人の衣装のデザインはもう考えてあると言ってましたから」
アンダーソン家には普段着を縫う専門職がいる。
(裕福な貴族なら子供のために衣装を作るくらいなんてことはないのかな)と納得した。
クラーク様には青を基本としたシンプルなトカゲの衣装と美しい貴公子のための華やかな衣装の二着が縫い上げられ、ノンナには魔女の黒いドレスと三角帽子、可愛い杖が用意された。
「ノンナ!私の小さな魔女さん!なんて可愛らしい魔女なのかしら。黒い衣装に金髪がすごく映えるわ」
「ビッキー、これ、貰えないよね?」
「魔女のドレスが気に入ったの?エバ様にお願いして買い取らせてもらうわよ。任せなさい」
「やった!ありがとう!」
ここまではよかったのだ。
お姫様役の私は、
「私の分は手持ちのドレスで!」
と訴えたが聞き入れられず、ふわふわしたピンクの生地でお姫様用のドレスが作られるという。
「エバ様、私は家庭教師なのに三人の中で一番手間も材料費もかかるドレスを作ってもらうなんて。あまりに申し訳ないので本当にドレスは自分の……」
「娯楽が少ない我が家にこんな楽しみを運んでくれたんだから、全く問題ないわ。我が家はあなたにドレスを作るくらいなんてことないの。気にしなくていいのよ。じゃ、私は慈善活動に行くわね」
エバ様はそう言って笑顔で立ち去ってしまう。
「そんな……」
右腕をエバ様の後ろ姿に伸ばしたまま私はガクリと項垂れてしまった。
それから五日後。
「ビクトリアさん、お姫様のドレスが出来上がりましたよ!」
そう言って侍女さんが掲げるベビーピンクのドレスが愛らしすぎて顔が引きつる。
(これってどう見ても十代前半の少女が着るようなドレス……。確かに姫は十代の少女だけど!)
侍女さんたちが得意満面で手渡してくれたドレスに絶句する。
「試着してみんなに披露してくれる?楽しみだわ」
とエバ様に迫られ、ノンナとクラーク様の期待に満ちた視線を向けられて断ることもできない。
(気絶できるものなら気絶したい……)
ノロノロと隣室で着替えながらそう願ってしまう。試着を終えて奥歯を噛み締めながら皆の前に出た。
「ビッキー綺麗!」
「先生、素敵です」
と子供たちから賛辞が贈られる。エバ様も侍女さんたちもご満悦だ。嫌な汗はかいたが皆が喜んでくれるならこれでいいのだ、そう思おう。笑顔で噛み締め続けた奥歯が痛いけど。
「そうだ!ジェフも呼びましょう。あの人のお休みの日にお芝居を披露すればいいわよね」
(そんな!エバ様!)と叫びたいのを堪える。
「団長さんにだけはベビーピンクのドレス姿を見られたくない」と言ったら「あら、なぜ?」と聞かれるだろう。答えられない。
再び奥歯を強く噛んだまま笑顔で了承した。
エバ様はその日のうちに使いを出し、団長さんから一番近い休日を聞き出し、日程を決め、確約を取り付けた。エバ様はさぞかし伯爵家夫人として有能でいらっしゃるんだろう。その手際の良さが恨めしい。
「ああ楽しみだわ。あなたもでしょう?ビクトリア」
「ええ、本当に楽しみですね……」
ふと、何年も前の仕事を思い出した。
五ヶ月間ハグル王国の高位貴族の領地の屋敷に使用人として潜入し、情報提供者の女性と連絡を取り合った。屋敷に住んでいるその女性は侯爵の『後妻候補』だった。
あの女性はベビーピンクのドレスを好んで着ていたっけ。あの時彼女は二十二歳だったけど、童顔で人形のように愛らしい容姿だったので年齢に関係なくベビーピンクのドレスがよく似合っていた。
ある時、悪事を盗み聞きされ、証拠まで持ち出されたことに貴族が気づいたので彼女を連れて逃げ出すことになった。私が待ち合わせ場所でジリジリしながらその女性を待っていたら、目立つピンクのドレス姿でやって来た彼女。
『目立たない服でとあれほど……山道を踏破しなきゃならないのに』
『じゃあ着替えてくる』
『ダメです。見つかれば殺されますよ』
『あれもダメこれもダメって!もう、うんざり!』
『静かに!ここで気づかれたら私たちは二人とも終わりです』
その女性はベビーピンクのドレスで逃げ続けている間ずっとグズグズ泣いたり私を罵ったりしていた。途中で平民の服装に着替えてもらったら、女性は『もう疲れたから』と歩くことを拒否した。
『あの人、私のことが大好きだから見つけても殺さないわよ。大丈夫だってば』
私は怒鳴りつけたいのを堪えて優しく慰め、励まし、手を引き、追手から彼女を守り、逃げ続けてハグルの王都を目指した。全てを終えて彼女を担当者に無事引き渡した時、私の口のなかには驚くほど大きな口内炎が四つも出来ていた。
(そんな仕事もあったわよ。このくらい何よ)
当日、団長さんは白とピンクの花を何種類も集めた大きな花束を抱えてアンダーソン家にやって来た。
「白き姫にこれを」
と私に捧げるように差し出す。
「団長さん、とても嬉しいのですが今日は子供たちの発表会なのに。申し訳ないです」
「もちろんクラークとノンナにもご褒美の菓子を買ってあるさ。でも姫君役の君には花束かと思って」
「では遠慮なく頂きますね。ありがとうございます」
「ビクトリア、いつもの落ち着いた雰囲気の服装もいいが、ピンクのドレスもまた可愛らしいじゃないか」
「……」
もはや何もかもを忍耐という名の容れ物に放り込んで蓋をして、芝居を終わらせたら一刻も早く容れ物ごと火の中にぶち込んで忘れ去りたい。恥ずかしすぎる。
二十七歳にしてリボンとフリル満載のフワフワなベビーピンクのドレス。忘れられるかな……。
その日、子供たちの愛らしい芝居は大人たちを魅了した。特にバーナード様が眼鏡を外して目頭をハンカチで押さえていらして驚いた。このお芝居に泣く要素は無いのに。私もあの年齢になったらこのお芝居を観て泣くようになるのかしら、と心温まる思いでバーナード様のお姿を眺めた。
クラーク様のお父上のマイケル・アンダーソン伯爵様も大満足のご様子。
「ビクトリア、大変素晴らしい出来だったよ。君の仕事ぶりは期待以上だった。どうかこれからも長くクラークの家庭教師を務めてほしい」
「そうよビクトリア。私もあなたを家庭教師に招いたことが誇らしいわ」
「僕も先生の授業が大好きです!」
アンダーソン一家の賛辞をありがたく笑顔で頂戴している私である。お芝居の授業はとても楽しかった。家事をこなしながら(次はどんな授業にしようか)と考えてしまう程に。
団長さんもアンダーソン一家に続いて私に向かって何か感想を言いそうになっていたが、私が全力の目力で『何も言わないでいいんですよ!』と訴えたら開きかけた口を閉じてくれた。
察してくださってありがとうございます、団長さん!
その夜、奥歯が痛くて肉を噛むのがつらく、ノンナに心配されてしまった。
ノンナは無事手に入れた魔女のドレスと三角帽子で母屋を訪問した。母屋の皆さんに
「なぜ私たちをお芝居に呼んでくれなかったのか」
と私が責められた。






