24 おやすみぐらい言いなさい
三人で食事に来ている。今夜のお店は平民の間で評判だという「ツバメ亭」だった。
(最近、団長さんとよく一緒にいるな)と思う。
ツバメ亭は全ての席が半個室で、通路に面しているところ以外は壁で仕切られている。見渡したところ、どうやら私たち以外はほぼ恋人同士のようだ。こんな恋人だらけの店に子連れの私たちが来て良かったのだろうか。
「素敵なお店ですね。予約を取るのも大変だったでしょう?」
「実は女性を連れて行くのに向いている店を部下に聞いたんだ」
「まあ。わざわざそんな手間を。ありがとうございます」
部下にそんなことを尋ねるとは。本当に噂になることを気にしていないのか。
やがて一人一皿ずつにかなり大きな四角の皿が運ばれてきた。鹿肉の煮込みをメインに色とりどりの肉と野菜の料理が絵画のように美しく盛り付けられ、小さな花まで添えられていた。
「わあ」とノンナが歓声を上げて喜んだ。見た目だけでなく食べたら全部美味しい。
「団長さん、どれもとっても美味しいです」
「うん、旨いな」
団長さんは気持ちの良い食べっぷりで大皿の上を片付けていく。食べながらいつものいい声で私に話しかけてきた。
「あの方と話をした。何度うかがってもアバラを折ったのは転んだからだ、と言い張ってらした」
「そうですか」
「だから君は心配無用だ。そもそもナイフを忍ばせて近寄ったんだ。どう考えてもあの方に非がある」
「団長さんも苦労しますね」
私がそう言ったら何も言わずに苦笑していた。
食後に花のように薄切りにして盛り付けられたイチジクのシロップ煮でワインを飲みながらここのところずっと考えていたことを話すことにした。
「団長さん」
「なんだい」
「あのお方はどのようなお人柄でしょう。もちろん言える範囲で結構です。私はたいした腕がないから全力でどうにか追い払いましたが、腕のある人だったらお命だって危うかったはずです。あのようなお立場の方があんなことをなさるなんていまだに信じられなくて」
団長さんの目が皿を見たまま止まった。
「そうだな。命を落としていた可能性だってあった。君が相手でよかったと言うべきなんだろう。あの方は裏表が無い。次男ということもあってのびのび育てられている。幼い頃から剣に親しんでいらして腕前はあのお立場にしては立派だと思う。やんちゃで心配なところも多々あるが、下の者たちからは大変慕われているよ」
「そうですか」
団長さんが心配そうな顔になる。
「どうしてそんなことを聞くんだい?」
「途中で気が変わって怪我は私にやられたと公にされたら困りますので」
「それはない。王族としては型破りで周りを困らせることもあるが、そんな卑怯なことはなさらない方だ」
即座に断言した。
この人がこうまで言うなら心配ないのかな。私の身元は調べられても大丈夫だし、少しは安心して暮らせるか。
「そうですか。安心しました。今夜は早めに切り上げませんか?ノンナが眠そうなんです」
実際さっきから私たちの話を聞きながらあくびをしている。クラーク様とたくさん走り回ったものね。
「もう眠いの?ノンナ」
「うん。ちょっと」
「そうだな。残念だが早めにお開きにしよう」
私たちはアッシャー家の乗り心地の良い馬車で家へと向かった。
「ノンナ、お料理、美味しかったわね」
「うん!でもビッキーのお料理の方が好き」
ああもう。うちの子ったら!ほんとに可愛いんだから。団長さんも笑顔でノンナを見ている。
私が団長さんにあんな質問をしたのには理由がある。
王家に目をつけられたのならいっそのこと第二王子を手札として利用する手もあると思ったのだ。その手札は諸刃の剣になるだろうけれど、危険な手札でも使える物なら無いよりはあったほうがいい。
私の居場所を特務部隊がつかんだ場合、身柄の引き渡しを要求される可能性がある。私にかけてくれたお金の分以上は十分働いたと思っているが、あちらの言い分はまた違うだろう。
その際に王族と親しくなっていれば引き渡されないで済むかも、と思ったのだ。
ただ、(そうまでして私は何にしがみついているんだろう)と自分で思う。
翌日の夜八時すぎ。団長さんが「まだ仕事の途中だが」と我が家を訪れた。
「これからもまだ仕事ですか?大変ですね」
「どうしても君に言っておきたいことがあって。第一王子殿下が手配した尾行の件もあったし、第二王子殿下の件もあった。嫌がっていた君を俺が夜会に誘ったばかりにこんなことになった。君には気の毒なことをした。本当に申し訳なかった。それだけは言っておかなくてはと思ったんだ。こんな時間に突然訪問するのは失礼だとは思ったが、こういうことはなるべく早く伝えたいんだ」
ああ、善良な人だなぁと思う。私はこの人に山ほど隠し事をしているのに。
「団長さん、最終的に夜会に参加すると決めたのは私です。男のことを指摘したのも私です。団長さんが責任を感じる必要は全くありません。私が下した判断の結果は私が受け止めます。人のせいにして責めたりはしません。だから団長さんは何も気にしなくていいんですよ」
団長さんが唇を噛んで私を見る。
「どうしました?」
「君は強い人だな」
「よく言われます」
私がそう言って笑うと団長さんは私の顔をそっと両手で包み込んだ。まるで壊れ物に触れるように。
私は(今の会話にこんな行動をさせる要素があった?)と慌てた。
団長さんは体温が高くて手を通して顔に熱が伝わってくる。冬場の足の先が冷える時期にこの人が隣にいたらありがたいだろうな、とちょっと思った。
男の人の匂いにかすかなグリーン系のコロンが混じった香りが私を包み込む。とてもいい匂いだ。私はされるがままにじっとしていた。
団長さんはしばらくそのままでいたが、私の顔から手を離して
「君といるととても……ほっとするよ」
と独り言をつぶやくように言って私の顔を見ずおやすみも言わずにふらりと帰って行った。
「おやすみ」ぐらい言いなさい。
組織が私たちに実名を捨てさせた理由が今はよくわかる。
最近の私のようになることを防ぎたいからに違いない。
最初の最初に本名を捨てさせるのは、潜入先で築いた人間関係を捨てやすく、忘れやすくするためだったのだろう。それを理解している私でも『逃げて縁を切るべき』と思っていながらつらくて逃げ出せないでいる。実名で親しくなっていたらもっとつらくて苦しいだろう。
一緒に働いていた特務隊員、これから組み込まれる未来の特務隊員に想いを馳せる。
強引に連れてこられる隊員はいないはず。嫌々働かされている人もいないはず。仕事の内容で悩んでいる人はいるだろうけれど、みんな自分の意思で特務隊に留まっているはず。
なのにハグルの特務隊員や候補生たちに対して『普通の幸せ』を手にしつつある自分が後ろめたい思いになるのはなぜだろう。






