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手札が多めのビクトリア1〜元工作員は人生をやり直し中〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 守雨


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20 何者?

 私は頼まれていた翻訳の書類をバーナード様に手渡し、昼食用にサンドイッチを作っている。ノンナはテーブルでグラスを磨いている。

 ノンナはこの手の単調な作業が好きらしい。そのノンナが話しかけてきた。


「ビッキー、この前のヒゲのおじさんと仲良しなの?」

「仲良しではないかな。お友達になったばかりだもの。ノンナもお友達が欲しいわね」

「ううん。いらない。鍛錬してるほうがいい」

「あら」


 そこで私は声を小さくしてノンナに話しかけた。


「高い場所に飛び乗る練習、してみる?」

「してみる!」


 ノンナが俄然生き生きする。


「ノンナは可愛いから強い方がいいわ」

「可愛い?」

「うん。とても可愛い。可愛い子は弱いままだと危ないのよ」

「ふうん」


 以前、人身売買組織に潜入した。

 拉致され売られるまで地下に閉じ込められていた少女たちは全員美しい顔をしていた。常に護衛をつけられている貴族の子は狙われない。平民の見栄えのいい少女が狙われるのだ。


 その日の仕事の帰り。そろそろあたりが薄暗くなろうかという時刻。

 二人で自宅近くの空き家の石垣に登る練習をした。高さは私の肩くらい。デコボコした石積みの塀だから練習にはちょうどいい。


「飛び上がって上に手をかけて塀を腕と足の爪先で押すようにして、こう!」


 私がお手本を見せてヒョイと塀の上に立つ。ノンナの目が丸くなる。塀から飛び降りてノンナにやらせてみる。ウエストを持って飛ぶのに力を貸す。


「腕だけじゃなくておなかの奥に力を入れて」

「うーん!くうっ!」


 いいところまで行くけどピョンと一気には塀に登れない。ま、最初はそんなものだ。


「毎日練習するとできるようになるわ。慣れるともっとずっと高い塀にも登れるの。そうなると逃げやすいのよ」

「ビッキー、かっこいい」

「ありがとう。なんでもできないよりできた方が楽しいわよ」

「うん!」


 何度も塀に飛び乗る練習をしたあと、ノンナに小声で話しかけた。


「ノンナ、おうちに先に帰ってくれる? 怪しい人がいるから『もうここに来るな』って注意しなくちゃならないの」

「悪い人?」

「さあ、どうだろう。全力で走ってドアに鍵。できる?」


 コクリとうなずくノンナの背中をポン、と叩く。ノンナは全力で走り去った。教えた通りに一度も振り返らなかった。ヨラナ夫人の屋敷には腕の立ちそうな男性が二人いるから敷地に入ればまずは安心だ。

 近くの木立に向かって声をかけた。


「何か用なの?」


 木立の中から若そうな黒髪の男が一人現れた。目から下をスカーフで覆っている。


「なんだ、気がついてたの?」


 こいつ、玄人じゃない。人を殺し慣れている人間とは(まと)う雰囲気が違う。

 落ちていた手頃な枝を拾って塀の上に飛び乗り、相手から目を離さずに枝を両手で掴んで膝で叩き折った。ビュッと振る。うん、強度はないけど一回は使えそう。


「君は何者だい?」

「さあ?」

「話がしたいんだ。降りておいでよ」

「断る。立ち去れ。さもないと攻撃する」

「怖いなぁ。少し話がしたいだけなんだけど」


 男は降参の印に両手を上げたが立ち去らない。


「立ち去れ」


 男が歩み寄り、ヒョイと塀の上に飛び乗ってきた。

 こいつに何かされるまで待つ義理はない。私は男が塀に乗った瞬間に枝を構えて踏み込んだ。男は塀の上で素早く後ろに下がって間合いを取る。こいつ、そこそこできるのか。


「本当に話をしにきたんだけど、ちょうどいいからかかってきていいよ、僕は……」


 私はそいつが喋り終わる前に枝を斜めに振り下ろし、すぐさま男の顔を狙って斜め下から枝で斬り上げる。男は枝を避けてバランスを崩した。高さのある場所で闘うのは慣れが必要だ。


「うわっとっと!」


 体勢を崩した所へ枝で(したた)かに男の右脇腹を打つ。枝は折れたけど多分肋骨にヒビくらいは入っただろう。男は塀から上手く着地したけれど痛みで顔を歪めているようだ。


 男の横に飛び降り、拳で顔を殴ると見せかけてさっき枝で叩いた男の右脇腹を左足で蹴り、連続して鳩尾(みぞおち)を右足で蹴り飛ばす。後ろによろめいて男が呻く。本当に顔を殴っていたらおそらく腕をつかまれていただろう。私の攻撃は速いが軽いのが欠点だ。


「ナイフを持って近寄った以上、ナイフを使われても文句はないよね?」


 男の懐のナイフのことは向かい合った時に気がついた。私は腰に隠していたホルダーから折り畳みナイフを取り出して横に振り、カチンと刃を固定した。


「待った! 本当に害意はないんだ。悪かった。君がここまで強いとは思わなくて! ナイフは護身用だ。君に使うつもりはなかった!」

「信じない。ナイフを持って私に近寄ったらどうなるか、今教えてやる」

「すまなかった! 悪かったよ!」

「さっさと立ち去れ。次は両手両足の骨を折る」


 腰を落としてナイフを構えたまま警告すると、男が走り去った。

 あいつこそ何者だろうか。

 そこそこ腕はありそうだったけど、実戦慣れしていなかった。


 家を知られたのは厄介だ。

 ノンナから目を離さないようにしなければ。出国する場合に備えて手荷物をもう一度確認しておこう。

 その夜は襲撃に備えて床に座り、ベッドにもたれかかって眠った。


 翌日。バーナード・フィッチャー邸。

 第二騎士団宛に連絡を取り、団長さんに来てもらっていた。昼休憩の時間で、ノンナはバーナード様に昔の子供の遊びの話をしてもらっている。


「ビクトリア、話ってなんだろう」

「昨日、私の家の近くまで変な男が来ました。何度も立ち去るよう警告しましたが無視して近寄って来ました。結構大きなナイフを隠し持っていたから木の枝で打ちのめしました。私、少しだけ剣の練習をしたことがあって。尾行もされたことですし、やはり王都は出ます。身元保証人の団長さんには前もってお伝えしますね」


 団長さんの目がわずかに泳いだ。


「昨日か。ビクトリア、君に怪我がなくて本当によかった。その男の外見は?」

「黒髪、青い目、整った顔、年は二十代、身長は百八十くらい、細身。スカーフで顔を隠してました」

「カツラを付けてたのかな……」

「え? 団長さんの知ってる人ですか?」

「昨日、第二王子殿下がお忍びでお出かけされてね。一人も護衛を付けてなかったらしい。それも大問題なんだが、お戻りになった殿下のアバラが二本折れていたそうだ。襲撃されたかと第一騎士団の連中は殺気立っていた」


 ……なんてことよ。


「殿下は転んだだけだとおっしゃってる」

「そうですか」


 あいつ、王子様だったのか。

 女といえども私じゃなかったら問答無用で殺されて埋められてたかもしれないのに。どれだけ危険なことをしたのかわかって……ないか。


「俺は殿下の剣の指導もしているんだ。セドリック殿下はそこそこ強い方だよ」


 団長さんは私をジッと見る。私も団長さんをジッと見返す。団長さんが先に視線を逸らした。

 

「団長さん、私のことを捕まえますか?」


 答えによってはこの後すぐにノンナを連れて姿をくらまそう。でもその前に目の前の団長さんをどうすればいいの。腕が立つ大男、しかも身元保証人の大恩人をどうすれば。


「俺は君を捕まえるつもりはない。殿下にはこんな乱暴な形で君に近寄るのはやめていただくよう話をする。それでも君は不安だろうからしばらくは俺の実家に移らないか? あの家は昼夜問わずにたくさん人がいるし、兄は俺よりは王家に強く抗議できる立場だ」

「考えさせてください」


 団長さんは無言でうなずいて帰って行った。

 団長さんにはああ返事をしたが、彼の実家に行く気はない。団長さんのご家族を私の問題に巻き込みたくない。


 こんな非常時にバーナード様とヨラナ夫人の顔が浮かぶ。この国を出てあの人たちと縁を切ることを思うと泣きたくなるような胸の痛み。団長さんに二度と会えないのもきっと寂しいだろう。


 私はいつの間にか情に絡め捕られていた。


 

 ノンナと帰宅する途中、南区の『手紙・荷物集配所』に立ち寄った。夜会の翌日に出しておいた他国への手紙の返事が配達所留めでやっと届いていた。


 以前、個人で使っていた人物からで、ハグルの特務隊には知られていない。

 手紙の文章は一見普通の内容だ。季節の挨拶、子供の成長などの近況報告。それを依頼の手紙に忍ばせて書いたルールに従って文字を拾いあげて読む。


「女、今、不明、公、アシュ、出、国」

『本物のビクトリアは今も行方不明で公的にはアシュベリーに出国』


(それならまだ逃げ出さなくてもいい、よね?)


 そうだ、もうひとつ調べてもらおう。念には念を入れて別件も依頼することにした。自宅に戻って手紙を書いた。私の手紙も一見すると普通の手紙だ。


 手紙を書き終え、前払いのお金を縫い込んだ人形と一緒に小箱に収めた。


 

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『コミック版手札が多めのビクトリア』
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