17 こうやって、こうやって、こう!
「ビッキー!ビッキー!」
「ん? あ、ごめんね、なあに?」
「どうしたの?」
ノンナが心配そうに私を覗き込んでいる。さっきまで布の縫い方を教えていた私が、手を止めて考え込んでしまっていた。
「どうもしないわよ。大丈夫よ」
本当は夜会以降、ずっと心の中で夜会の時の感情を持て余していた。
「さ、この二枚の布を繋げる縫い方を教えるね」
「うん……」
また布と針を手に取って縫い始めるノンナがなんとなく暗い。この子は敏感なんだな、と後悔する。
「ごめんね。私ぼんやりしてたわ」
「ビッキー、お母さんみたいだった」
「え?」
「お母さんも動かなかった」
「どういうことか教えてくれる?」
何となくこのまま聞き流してはいけない気がして、ノンナを励ましながら聞き出した。ノンナは重い口でぽつりぽつりと母親のことを話してくれた。
そこそこ時間をかけて聞き出した話によると、ノンナの母親は夜中に帰って来て昼近くまで寝て、昼頃につらそうに起きて暗くなるとまた出かけて、という暮らしでノンナを育てていたそうだ。
でもある時から母親はさっきの私のようにぼんやりと考え事をするようになり、その時間が次第に長くなり、家事をしなくなり、ついにある日ノンナを広場に連れて行って「ちょっと買い物してくる。ここで待ってて」と離れたきり戻らなかったそうだ。
私はたまらなくなりノンナをギュッと抱きしめた。
「ごめん。もう考えごとをしないから。それに私はノンナを置いたままどこかに行ったりしないわ。絶対に!」
するとノンナがフルフルと首を振る。
「違う。ビッキー違うよ」
「何が違うの。私、もうノンナに心配させないから」
「ビッキー、どうしてぼんやりしたの? 知りたいよ」
ノンナが真っ直ぐ私を見る。嘘をついたらすぐに見抜かれるような真剣な目だ。
「知りたいよね。ノンナのお母さんが何を考えていたかはわからないけど、私のことなら正直に話すわ。ノンナにとっては楽しくない話かもしれないけど、聞いてくれる?」
ノンナはコクリとうなずいて私を見つめる。
「お城の夜会に変な人がいたの。誰かを怪我させようとしてたみたい。団長さんが捕まえようとしたけどその男は逃げたの。私はその男が逃げそうな場所に先回りして待っていて、男を、その、回し蹴りと膝蹴りで倒したのよ」
「……すごい、すごいよビッキー!」
ノンナの目がキラキラして尊敬の念があふれる目になる。男を倒したのは全て自分のためだったので大変にいたたまれない。
「それでね……今までは悪いヤツが近づいて来たら倒してたけど、もうそれはやめた方がいいと思っていたところなの。戦わないで逃げた方がいいなって。それを考えてたのよ。私が戦うとノンナが危ないかもしれないもの」
ノンナが少し考え込む。
「二人で一緒だと戦えないの?」
「うん。ノンナを危険な目に遭わせたくない。私には悪いヤツをやっつける事よりノンナを守る方がずっとずっと大切なことなの」
それからノンナは何も言わず、布と針を見つめている。
「ノンナ? どうしたの?」
「ビッキーが我慢するの、嫌だ。ビッキーが可哀想」
「ノンナ、私はノンナが一番大切なのよ。可哀想じゃない。そこはわかってよ?」
「やだ。ビッキーが我慢するのは嫌だ」
子供にだって子供なりに守りたい矜持があるのだろう。
だけどノンナを守りながら工作員まがいのことをするのは無理だし、進んで正義の味方をするつもりもない。私はただ、あの時の感情を消化するのに時間がかかっているだけなのだ。
「我慢したらビッキーもいなくなる」
「なんでよ! いなくならないってば!」
「悪い人、やっつけてよ! 我慢しないでよぉ」
ノンナが突然堰が切れたように泣き出した。うわあんうわあんと手放しで泣く。この子を保護してから初めて泣くのを見た。
母親はノンナを捨てる前、何を考えてぼんやりしていたのだろう。私はひとつしか選べないなら迷いなくノンナを選ぶけれど、母親はそうじゃなかった。それはノンナには全く責任がないことなのに。
私はノンナの小さな背中をずっとさすっている。ノンナは今の今まで一度も泣かなかった。もしかしたら『自分が我慢をさせたから捨てられた』と思って泣くに泣けなかったのだろうか。
ノンナが可哀想で私まで泣きそうになる。
八歳だった私は「お前は貴族様の家に働きにいくんだよ。頑張るんだよ」と言い聞かされてランコムに渡された。八歳の子供なりに納得していたから寂しかったが親を恨んだりはしなかった。
それに比べてノンナはある日突然捨てられたのだ。心の傷はどれほど深いか。
私はノンナを膝に抱き上げた。
ヒックヒックとしゃくりあげているノンナは年齢からすると小柄で細い。食べたい盛りに食事が足りず、遊びたい盛りに家の中で静かに過ごしてきたこの子の過去が見えるような軽さだ。
そっとノンナの涙を拭いてから抱きしめた。
「わかったわ。悪い人が来たらやっつけられる時はやっつける。でもノンナが一番だから。それは絶対変わらないの。だから逃げた方がいい時は逃げる。そして私は絶対にあなたを手放さない」
私の言葉を聞いているのかいないのか。ノンナは号泣して疲れたらしくぼんやりした顔をしていた。やがて呼吸が落ち着いてから私の胸に顔をこすりつけてきた。
「大丈夫よノンナ。心配しなくても大丈夫だからね」
そう語りかけていたらお膝の上でノンナが急に私を見上げた。
「ねえビッキー、お願い」
「ん? なあに?」
「悪いやつを倒すとこ、やって。見たい」
「今? ここで?」
「うん。見たい」
「えええ……」
かなり恥ずかしいことだけど泣き疲れた美少女のお願いを断れるほど私は強くない。仕方なく王城の庭でどうやって男を倒したのか実演することにした。絶対に誰にも言わないことを約束させて。
「こうやって、こうやって、こう! 仕上げはこう!」
もし窓から覗く人がいたら頭のおかしい女が一人で暴れているように見えただろう。なぜなら「もう一回!ねえ、もう一回!」と繰り返す美少女のご要望にお応えして、何度も『回し蹴り、肩をつかんで腹を膝蹴り、とどめの手刀』を演じていたのだから。
「ノンナ、約束して。こういうことは私がいいと言うまであなたは何があっても、絶対に、人を相手に使っちゃだめ。小さな体でこれをやっても全然効かないの。余計に危ないことになるの。わかった?」
「わかった」
「絶対よ?」
「絶対にわかった」
ノンナはやっと元気になり、私と二人でお風呂に入って夕飯を食べ、ひとつのベッドに向かい合って横になり、私に抱かれて眠った。
大人が思うよりもずっと、子供は話せばわかるのではないか。すくなくとも八歳の私は理解できた。
(これからもちゃんとノンナと話し合って暮らしていこう)そう思った。
ノンナの高い体温を感じながら私は眠りに落ちた。






