95話 とばっちり
――『お詫びに一発殴らせてあげよう。どうだい?それで君の気が済むのなら安いものさ』
月明りが照らすウィンストリア城の中庭・パーティ会場。威風堂々と階段を下りてきたシーラの父――、ヴァンデントはそう言った。両手を広げて、余裕の笑みを浮かべて俺に頬を向ける。
セイラン曰く、『国家の柱石』と称される筆頭貴族ドラッケンフェルド家の当主。殴っていいと言われて殴れる人間はいないだろう。衆人環視のこの場で、相手は国王に比肩するような権力者。きっと、多くの人間は苦笑いでも浮かべながら『いや、そんなつもりじゃ』とか言って引き下がるだろう。
そうして、彼は器の大きさもアピールできるうえ、相手は振り上げた拳を下した卑小な人間と周りが勝手にレッテルを張ってくれる。一石二鳥。一瞬でこんな計算を張り巡らせる知略はさすが『国家の柱石』といったところだ。
で、俺は言葉通りヴァンデントを殴った。なぜが息が荒くなり、右こぶしがわずかに熱を帯びる。
「面白い男だね、君は」
ヴァンデントがそう呟くとほぼ同時に、会場中の憲兵と警備兵が一糸乱れぬ統率された動きで俺と、傍にいたシーラとセイランを取り囲む。
「セイラム王子、おさがりを」
「ま、まぁまぁ……!とにかく武器をしまえって!陛下のめでたい席だよ!?」
苦笑いでセイラム王子ことセイランが仲裁をする横でシーラは不思議そうに俺を見る。
「事案?」
「違うよ!?」
「そっか」
短く答えた瞬間、シーラの纏う空気が変わる。
「違うか」
ズズ、っと広場を深海の底に引きずり込むような重圧が渦巻き、兵たちは一瞬で気圧される。
「じゃあ邪魔。どけ」
「シルヴァリア。その言い方は失礼だろう?」
「は?うっさいんだけど」
笑顔でシーラと似た重圧を生み出すヴァンデントと、それを苦々しく睨むシーラの地獄のような親子喧嘩。憲兵の皆さんはその重圧に板挟みの形となる。
「ほらほら!二人とも久しぶりにあったんだろ!?ケンカしないで!ドラッケンフェルド卿、今の彼の一発はあなたも望んだもの。当然お咎めなし、でよろしいんですよね?」
ひきつり笑いで化け物二人の仲裁に入るセイラン。おそらくこの会場内でそれができるのはこいつだけだろうなぁ。
セイランの言葉にヴァンデントは困り顔で頷く。
「最初からそう言っているつもりなんだけどね」
「ほら、ドラッケンフェルド卿もこう言ってるだろ。持ち場に戻って。ほらほら!」
セイランはパン、パンと手を鳴らしてテキパキと兵たちに指示を出し、兵たちはどこか安心した様子でそれぞれの持ち場に戻っていった。
次の標的は俺。申し訳なさそうな笑顔で両手を合わせる。
「リューズさんも。ここは僕の顔を立てる形でなんとか収めてくれませんか?」
「……わかってるっての。そんなにガキじゃねぇよ」
正直言って言いたいことなんて山ほどある。本人が気にしていない事に俺が腹を立てる筋合いが?と考えて、そんなもの『ある』に決まっているとすぐに思い至る。なぜなら、俺とシーラは、『三食おやつ付き』なのだから。
「墓参り、今度行かせてくださいよ。だから、……ピッカピカにお墓磨いて待ってろよ」
まっすぐにヴァンデントを睨み、そう告げる。今の俺にできる限りの宣戦布告。
「あぁ、楽しみに待っているよ」
ヴァンデントが右手を差し出し、俺はその手を取る。視界の端でセイランが不安そうにおろおろしながら見守っているのが新鮮に感じた。
「ヴァンデント様、先に戻りますね」
退屈そうにスパークリングワインを飲みながら後ろのベラドンナが呟く。その声を聴いて、ふと思い出したとばかりにシーラはベラドンナを呼ぶ。
「あ、そうそう。ベラドンナ」
シーラに名を呼ばれただけでベラドンナは不快そうに眉を寄せる。
「……何かしら?」
「『楽しみね』ってあの骨の竜の事?」
『え』と、俺もセイランも、シーラの言葉の聞こえた範囲のみんなの目が点になる。
「……いっ、一体何を言っているのかしら?根拠のない憶測での誹謗中傷は止めてくださらない?」
できる限り平静を装いつつベラドンナは答える。だが、今のシーラの問いかけに対してその返事っておかしくない?
「シーラさん、今のやり取りって、どんな意味か教えてくれる?」
当然そこにセイランが食いつく。
「ん?別に普通。こないだベラドンナが毒紅茶飲ませに来た後で言ってただけ」
「毒紅茶」
およそ日常生活では現れない単語に、セイランは復唱して視線をベラドンナに送る。
「も、戻ります。夜風が身体に障るといけませんので」
そそくさと城内に戻ろうとしたベラドンナをヴァンデントが引き留める。
「待ちなさい、ベラドンナ。最後まで聞こうじゃあないか。実に面白そうな話だよ」
「いえ……、その……」
さすがの毒婦ベラドンナでも、ヴァンデント卿には意見ができない様子。
「それで?」
質問を続けるセイラン。シーラは若干面倒になりつつも言葉を続ける。
「しつこっ。私もリューズも毒なんて効かないから普通においしかった。で、帰りにベラドンナが『式典が楽しみね』とか言って帰った。もういい?しつこすぎる」
「なるほどね。……となると、あの闇ギルドも」
セイランは納得したように頷きつつ物騒な単語を呟く。それを聞いてベラドンナはさらに挙動不審に陥る。
「ななな何がなるほどなのよ!?私はただ純粋に式典を楽しみにしていただけでしょう!?第三王子とはいえ過ぎた横暴よ、これは!」
その言葉を聞いたセイランは薄笑みを浮かべて詰めに入る。
「じゃあなんで、シーラさんがそう言っただけで『憶測』とか『誹謗中傷』なんて言葉が出てくるんですか?」
「そ、それは……」
笑顔のセイランは言葉を続ける。
「それは、あなたが、闇ギルドに依頼して、シーラさんを――」
「セイラムくん」
低く、威厳のある声でヴァンデントは言葉を遮る。そして、申し訳なさそうに微笑み、手で合図をする。
「どうか私の顔を立ててそこで止めてくれはしないだろうか?愛する妻なんだ」
まるで意趣返しのように、セイランが俺に言った言葉をヴァンデントはセイランに送る。セイランにしても証拠のある話ではない。言ってみれば言葉尻を捉えただけなのだから。だが、今の一連のやり取りを見たこの広場の目撃者たちは、この騒動の元凶を勝手に想像するだろう。
「……失礼しました、ドラッケンフェルド卿」
「愛する?」
その単語を聞いて、シーラがまた会話にカットイン。
「じゃあ、お父さんはベラドンナの為に死ねる?」
「……お前いつもその質問するよな」
俺のぼやきを意に介さず、娘に問われたヴァンデントは照れる事も無く、微笑んだままで即答する。
「あぁ、もちろんさ」
誰がどうきいても空疎に響くその言葉。シーラだけが「やっぱりそうか」と一人納得していた。
ドラッケンフェルド夫妻は場内に戻り、広場は緩やかに喧騒を取り戻していく。
月明かりが喧騒を照らし、式典の夜は更けていく――。




