85話 ウサギ小屋でのお茶会
――王都の市民街の路地の奥。俺とシーラが一時的に借りている古びた一軒家。
その玄関先に、この場所に似つかわしくない豪奢なドレスに身を包んだ女性。それがシーラの義理の母・ベラドンナ。
大きく胸元の開いたドレスは、自信たっぷりとばかりにボディラインを露わにする。年齢は俺と同じか少し上くらいだろうか?『お茶でもいかがです?』と社交辞令にも似た言葉を受けて、ベラドンナは蔑むような視線を俺に向ける。
「冗談でしょう?こんな小汚いウサギ小屋に入ったら病気になっちゃうわ」
口元を高級そうなハンカチで覆い、整った眉を寄せる。
「はぁ。じゃあ、そんな高貴でお清潔なベラドンナ様はなんでわざわざこんなウサギ小屋を訪れたんですかね?あっ、そう見えて意外にウサギ好きとか?」
ヘラヘラと露悪的な笑みを浮かべながら、全力で嫌味を返す。初対面で悪いが、俺にとってこいつはすでに敵以外の何者でもない。勘違いだったらごめんな?
「貴様……、冒険者風情がベラドンナ様に過ぎた口を……!」
数人いる付き人のうちの一人、白銀色の軽鎧に身を包んだ若い女性が声を上げて腰に提げた剣に手を掛けようとしたので、俺は慌てて制止する。
「ちょっ!?止めてくれ、剣を抜くな!まだ死にたくないだろ!?」
俺の言葉に女剣士はギリっと歯を食いしばる。
「くっ……、貴様。私などすぐに殺せると……!?」
「いや、そういう意味じゃないんだよなぁ」
きっと君が剣を抜くより速くシーラが抜くだろうからね。
女剣士以外のお供たちは往来のど真ん中にカーペットを敷いてテーブルセットをセッティングしている。
「ベラドンナ様、ご準備が整いました」
「ずいぶん待たせるのねぇ」
「……申し訳ありません!」
純白の豪奢なティーテーブルに椅子は一脚。当然その椅子に座るのはベラドンナだ。
付き人は彼女に日傘を差し、もう一人の付き人はティーポットを取り出して、紅茶を入れる。まるでそこだけ別世界のような優雅な空間に変わったのだが、それが逆に滑稽に映る。
「ベラドンナ。なんで私の家知ってる?」
嫌悪感も何も感じさせぬ普通の物腰で、軽い世間話とばかりにシーラが問い、ベラドンナは何を当たり前の事をとばかりに小さくため息をつく。
「母が違うとは言え、あなたもヴァンデント様の子。この私の義理の娘のようなものなのよ?心配して行く先を調べる事くらい当たり前でしょう」
「へぇ。そういうもんか」
ポップコーンの入った皿を片手に、シーラは軽く返事をして頷く。
従者は俺とシーラの分の紅茶を入れ、ソーサーの上に置く。琥珀色の水面からは白い湯気が立ち上る。
「街はずれに土地を買ったもの知ってるわよ?何するのよ、あんな場所で」
「ん?家を建ててる。私とリューズの家」
「あんな辺鄙なところにねぇ」
さほど興味も無さそうに相槌を打ち、ベラドンナは紅茶を飲む。本来であれば、『お前の事は何でも調べ済みだ』と言外の圧力をかけている場面だろうが、シーラにはそんなものは効かない。
「レッドウッド様もよろしければ」
従者が俺に紅茶を勧める。
「じゃあ、折角なんで頂きましょうかね。毒とか入ってなければいいっすけど、わはは」
そう言ってカップを手に取ると、従者は露骨に嫌な顔をする。
透き通る様な白磁のカップは見た目より重く、滑らかな手触りはまさに吸い付くように手に馴染む。詳しいことはわからないが、きっと最高級のカップに、最高級の茶葉を、最上級の作法で入れた紅茶。カップを口に運び、ゴクリと喉を通す。
熱い紅茶を、まるでシーラのように、ゴク、ゴク、ゴク、と一気に飲み干す。俺はあいつほど丈夫ではないので、当然ながら口の中も火傷する訳だけど、そんなのは関係ない。俺は治癒魔法が得意だから。
そして、紅茶を飲み干すと、空のカップを持ったまま、天を仰いで長く息を吐く。今日はいい天気だ。空が青い。視界の端では従者が俺に奇異の目を向けている。
「あんたさ、シーラが11歳の時ダンジョンに花を採りに行かせたんだって?」
「えぇ、そうね。その子が母の墓前に添える花が欲しいって言ったのよ。当然子供だけで行かせる訳には行かないから、お屋敷の兵を連れて行かせたけど、はぐれちゃって」
まるで過ぎた笑い話とばかりにベラドンナは口元を隠してクスクスと笑う。
「なんて花?」
「さぁ?」
まったく悪びれる様子もなく、ベラドンナは微笑む。
いつの間にか俺の手は震えていた。
「……俺はさ、本当は勘違いだったらいいなって思ってたんだよ。シーラがのんきに話したみたいに、ただの勘違いで、本当にそんな話だったらいいなって」
「んん?私のんきな話なんかした?」
シーラが隣で何かを呟いたけど、今の俺の耳には入らない。
年甲斐もなく、怒りに、衝動に任せて、カップを地面に叩きつける。パリン、と鈴の音が重なる様な涼やかな音を立てて、カップは粉々に砕け散る。
「……なんで、本当に毒なんて入ってんだよこの野郎っ!ふざけんじゃねぇぞ、コラァ!」
口に含んだ瞬間の感触で分かる。どの程度の毒なのかはわからない。けれど、俺にそんなもの効くはずが無い。俺は不老不死である前に【神癒】と呼ばれた治癒術士だ。そんなもの飲んだ瞬間に解毒できる。
「あら、高級すぎてお口に合わなかったみたいねぇ」
ベラドンナは俺の怒りなどどこ吹く風、とばかりにクスクスと笑う。
「てめぇ……」
「ねぇ、リューズっ。味して。味っ」
空気を読まずにシーラがいつもより勢いよく俺の服を引いてせがむ。
「あの、シーラさん。あとでいいっすか?」
「いいわけない。早く。毒。飲んでみたい。鮮度が大事」
ワクワクした様子でシーラはカップを俺に差し出す。
「……まじかよ、お前。あ、レモンとかあります?」
最近シーラのお気に入りはレモンティー。従者さんに聞くと、困惑した様子でカットしたレモンが小皿に入れて出てくる。レモンを紅茶にひと絞りして、ティースプーンでかき混ぜる。俺は一体何をしているのだろう。
「ほれ」
「ふふ、これはレア。毒入り紅茶」
シーラは両手で持ったカップをグイっと傾ける。ゴクリ、ゴクリ、ゴクリと喉が動いて、毒入り紅茶はシーラの胃に運ばれていく。チラリと従者たちの反応に目を向けると、まるで化け物を見るような目で全員がシーラを見つめていることから、この毒が本来どれほどの強さなのかが推して知れる。さすがのベラドンナもカップを片手に唖然とした顔でシーラを見ていたので、つい口元が緩んでしまう。
飲み終えると、シーラは満足げにぷはぁと息を吐く。
「しびれるうまさ。しげきてき」
「……やっぱりお前に毒なんて効かねぇよな」
「効くわけない。ん。おかわり」
シーラは従者にカップを差し出す。
「え、あ……」
さすがに従者は戸惑いを隠しきれず、言葉に詰まり、ベラドンナを見て指示を仰ぐ。
「あぁ、俺やりますぜ。ちょっと貸してね」
高級な茶葉。高級なティーポット。高級なカップ。
俺は鼻歌交じりに紅茶を入れ、シーラも鼻歌を合わせてくる。青空の下、昼下がりののどかな空気。
そして、俺は紅茶を三つ淹れる。
「リューズ。今度はミルクティーにする」
「はいはい、ちょっとお待ちを」
淹れた紅茶を一つ、ソーサーに載せてベラドンナの前に置く。
「どーぞ」
当然これは毒入りの紅茶。余裕の笑みを浮かべ、それを差し出した俺を見てベラドンナは不快感を隠さずに苛立ちを見せた。その機を逃さんとばかりに俺はニヤリと笑う。
「あぁ、高級すぎてお口に合いませんかね?」
ベラドンナはその整った顔でギリっと歯ぎしりをすると、勢いよく席を立つ。
「……小汚い中年の淹れた液体なんて飲めるわけないでしょう」
従者も待たずにそのままカツカツと俺に背を向けて歩いたと思うと、振り返り俺とシーラに冷たい笑みを見せる。
「式典が楽しみね、うふふ」
「ね」
毒入りミルクティーを飲みながら、ご満悦のシーラは短く答えた。式典まで、残り三日――。




