84話 ドラッケンフェルド
――即位50周年式典を三日後に控えた王都。
王城に繋がる貴族街の停車場は緊張感に包まれていた。門の外から両脇をずらっと近衛兵が取り囲み、これから到着する馬車を待つ。式典には国内外の有力者も多く参列する。もてなしに間違いがあれば比喩でなく首が飛びかねない。
隊列の先頭の兵士の目に、数台の馬車団が映る。その馬車には白銀色に光る、四本爪の竜の紋章。
「ドッ……ドラッケンフェルド卿、ご到着っ!」
大きな声を張り上げると同時に、近衛兵の後ろに居並ぶ楽隊が歓迎の曲を奏でる。
「……お、おいすげぇな。昨日来たバリルライオの国王の時よりすごいんじゃないのか?」
若い近衛兵が姿勢を崩さずにヒソヒソと小声で隣の同僚に問いかける。
「……そりゃ、まぁ。ドラッケンフェルド家は別格だろ」
「気をッ付けェーッ!」
部隊長の声がビリビリと空気を揺らし、兵士たちは武器を立て直立の構え。馬車は一台、また一台と停車場に入っていく。道中の護衛と、囮を兼ねた六台に及ぶ馬車団だ。そのどれもが、乗り合い馬車などと比べるべくもない高級で豪奢な作りをしている。
馬車が止まり、従者が恭しく扉を開く。当然、足元には真っ赤なカーペット。青く晴れた空、白い雲、地には真っ赤なカーペットが映える。
「ヴァンデント・ダル・ドラッケンフェルド卿、御成り!」
馬車のタラップがカツ、と靴音を鳴らす。ゆっくりと姿を現したのはブラウンの髪をした細身の中年男性。彼こそが『国家の柱石』とも称されるウィンストリア貴族院第一席・ヴァンデント・ダル・ドラッケンフェルドだ。
ヴァンデントは手で日除けをして空を見上げる。
「あぁ、今日もいい天気だ」
ヴァンデントの一歩後ろを長身の女性が続く。従者に日傘を差させて、濃い紫色の長い髪をした、胸元の大きく開いたドレスを着た女性。その後ろを十代前半の男子が歩く。
「あぁ、皆楽に。楽にね」
居並ぶ兵たちに手で示し、ヴァンデントは赤いカーペットを進む。楽隊の演奏は続き、三人は王城へと直結した道を進む。
――事件は起こった。
まるで戦場のような、ミス一つ許されない緊張感の中で、楽隊は歓迎の曲を奏で続ける。楽隊の前列には小太鼓を提げた隊員がいて、熟練のスティックさばきで速射砲のように正確にドラムロールを奏でる。
青い空、白い雲、赤いカーペット。汗で滑ったのか、極度の緊張か、彼のスティックは手をすり抜け、弧を描いて宙を舞う。スティックは、ヴァンデントの少し前方、少し離れた場所に落ちた。
まるで、指揮者がそう指揮したかのように、シンと一瞬で曲は止まり、あたりは静寂に包まれる。
ヴァンデントはまるで意に介さずとばかりに微かな微笑みを湛えたままカーペットの上を進む。一歩ごとにスティックへと近づいていき、一歩ごとにその持ち主の若き隊員の鼓動は速く、強く拍を打つ。
ヴァンデントは進む、僅かにも足元に視線をやらず、まっすぐとそのまま進む。
それに耐えきれず、隊員は小太鼓を放るように外し、隊列を離れ、真っ赤なカーペットの脇で土下座し、額を地面に押し付ける。
「たっ……、大変申し訳ありません!どのような処分でも……っ、何なりとお受け致します!」
所々裏返る声で、若き隊員は大声で全面的な謝罪を告げる。
足を止めたヴァンデントは、彼の傍らに跪き、微笑みを絶やさずに彼の肩をポンと叩く。
「気にすることはない。人には誰しも間違いはある。私は君に処分などするつもりはないよ。顔を上げなさい」
と、言われて即座に顔を上げるのは迂闊な行為だろう。彼は頭を下げたまま言葉を続ける。
「寛大なお言葉、ありがとうございます!……で、ですがそれでは私の気がすみません!どうぞ、なにとぞ罰をお与えください!」
「そうか。そこまで言うのなら――」
物腰柔らかな言葉、最高貴族にして兵士の前で膝をつく度量。きっと、彼を知らないこの場の全員の緊張は少なからず緩んだだろう。そして、それは続く言葉で間違いだったと知る。
「君が決めなさい。気が済まないのだろう?気が済むように、君が、自分で、自分の罰を決めなさい。さぁ、どうする?」
隊員は言葉を発せられなかった。まだ、彼はこの事件がどうやって幕を引くのか想像もできずにいる。
「黙ってたらわからないだろう?早く教えてくれないか?この後陛下と予定があるんだ」
「ねぇ、長くなるなら椅子を用意して下さらない?」
ヴァンデントの一歩後ろ。あきれ顔で、迷惑そうにベラドンナが呟く。
「お父様、先に行ってもいいですか?」
少年も退屈そうにカーペットの先を指さす。
「ははは、すまない。すぐ終わるから待ってくれよ。そら、どうだ?」
笑顔で彼に言葉を急かす。
「て――」
顔を上げずに、震える声で、彼は言葉を絞り出す。
「手をっ、――潰します!」
「それは痛そうだね」
眉を寄せ、困り顔で呟く。
「……それで、ご容赦いただけますでしょうか!?」
「それを決めるのは私じゃあないだろう?」
「手、手を――」
脂汗を顔中に流し、目を涙でにじませながら、頭の中は思考がグルグルと回る。もう周囲の音も聞こえない。長い葛藤のあと、彼はようやく口を開く。
「みっ……みみ、右手を落とします」
言い終えると、目からはボロボロと涙があふれてきた。――なぜこんな事で!?思えど、そんな言葉は口から出ていいはずがない。口に出せば次に失うのは命になるだろう。
ポン、と彼の肩を誰かが叩く。
「……もう行ったぞ」
彼と同じように顔中を汗で濡らしながら、安堵の表情で部隊長が小声で囁く。
ヴァンデント達三人はすでに王城の入り口へと至っていた。彼にとって、羽虫に等しい一兵士の罰など興味も関心もないのだ。
緊張の糸が切れた彼は、その場で意識を失い、部隊長に抱えられた――。
「ヴァンデント様、私少し小用があるので街に降りますわ」
王城に入ると、ベラドンナは門の方を指さしてヴァンデントに告げる。
「七時から会食があるから、それまでには戻ってくれよ」
「えぇ、必ず」
ベラドンナは数名のお供を連れて、城を出てウィンストリアの街へと向かっていった。
◇◇◇
――ウィンストリア市街。
神樹の家の完成までの間、リューズとシーラが借りている一軒家。
「あ」
シーラが短く呟く。すると、すぐあとにガン、ガン、ガン、と玄関ドアに付いている呼び鐘が鳴る。
「リューズ」
リューズのベッドに寝転がって本を読んでいたシーラが彼を呼ぶ。
「へいへい、行きますよ」
『人が来たから出て』とか、そんな言葉を補完してリューズは椅子から立ち上がる。だが、続くシーラの言葉はその当たり前の予想の遥か先だった。
「ベラドンナが来たよ」
「はぁ?」
あきれ顔でリューズは問い直す。だが、原理や理屈はともかくシーラが言うのなら間違いはないのだろう。
「やれやれ、心の準備位させて欲しいもんですなぁ」
頭を掻きながらリューズは玄関へと向かう。
そして、扉を開けるとそこには数名の付き人を従えたベラドンナの姿。
「ほら、ベラドンナだ」
そう言ってシーラが指を指すと、ベラドンナは眉をピクリと動かしていらだちをあらわにする。
「こりゃ思わぬ来客だ。お茶でもいかがです?」
薄笑みを浮かべつつリューズが問う。
予期せぬ邂逅の幕開けだ。




