花嫁の出立
翌朝の9時30分きっかり、フローレス男爵家の屋敷前に、フランク国仕様の豪華な馬車が停まった。
降り立った、きらびやかな衣装の従僕を、猫なで声で迎える義母。
「まぁまぁ、良くいらっしゃいました。さすがザーリア伯爵様!
こんな立派な馬車、初めて見ましたわ!
それにしても随分と、お早いお着きで――確か、10時のお約束では?」
「……何か、問題でも?」
ひと言で冷たく返され、慌てて義母は大声を出す。
「いえいえ! 問題なんて何もありません!
ロージー、早くおいで! ――ったく、何を手間取ってるんだい!?」
「いくら『おめかし』したって、どうせいつものボロボロドレスでしょ?」
「そりゃそうよ! あれ1枚しか持ってないし」
義理の姉達が、けたけた笑っている所に、
「お義母様! お待たせ致しました」
スカートの上にドレープを寄せたオーガンジーを、ふわりと腰の後ろで膨らませた、最新流行の黒いドレス姿のレディ・ローズマリーが、淑やかに現れた。
「おっ――お前、そのドレスは!?」
「母の形見を、手直しした物ですわ」
にっこり答えてから、目を白黒させている義母と義姉たちの顔を、強い瞳で順に見据える。
「それではこれで、おいとま致します。皆さまどうぞお元気で」
『お礼なんて、言わない。
お辞儀なんて――絶対にしない』
唇をきゅっと噛み締め、従僕の手を借りて、さっさと馬車に乗り込む花嫁。
御者の合図で動き出した馬車を見て、慌てて義母が追いすがった。
「お待ちくださいっ! 例の物――『結納金』がまだ……!」
必死に叫びながら追いかけ、足がもつれて転んだところに、
「あぁ、これか……受け取れ!」
走る馬車の窓から重そうな袋が、ドスンと投げ落とされた。
「あの恩知らず! お礼のひと言も、お辞儀のひとつもしないで……でも、これさえ貰えば、こっちのもんだよ!」
重い麻袋をひーひー言いながら、玄関まで運び入れて。
「もー無理! 執事に居間まで、持ってこさせよう!」
「ついでにお茶もー! 家政婦に言って!」
「お腹すいたー!」
3人が暖炉上のベルの紐を、千切れるほどぐいぐい引っ張っても――召使いは誰一人、現れない。
「あぁもうっ! お前たち地下の厨房に行って、誰か呼んでおいで!」
苛立った母の言いつけに、
「えーっ、やだー!」
「あんな汚いとこ、ドレスが汚れちゃう! そんなのロージーに……あっ、もういないんだっけ」
文句を言いながらしぶしぶと、裏階段を降りて行く娘2人。
「さてと、では金貨を拝もうかね?」
袋の口を縛っていた紐をほどき、ほくほくと中に手を突っ込んで、
「んっ? なんだい、これは……?」
首を傾げながら義母が取り出したのは、ただの陶器の欠片。
「何でこんな物が?――金貨! 金貨は!?」
慌てて袋を横に倒してみても、中からあふれ出たのは、ただの『壊れ物』ばかり。
呆然とした義母グエンダの耳に、
「母さん、大変っ――!」
「厨房はからっぽ! 執事も家政婦も料理人も!」
「あのチビも――猫一匹、いないわよ!」
階段を上がりながら叫ぶ、愛娘たちの声が届いた。
「あいつら――やりやがったねっ!?」
キーッと悔し気に叫び声を上げる、グエンダ・フローレス男爵夫人。
「やりやがったって……逃げちゃったの!?」
「ご飯は? お茶は? 誰が持ってくるのよ!?」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ娘たちを、ぴしりと一括。
「おだまりっ! 代わりの使用人なんて、いくらでも見つかるよっ!
出て行ったあいつらこそ、いい気味さ。
前の雇い主――このあたしの『紹介状』が無けりゃ、雇ってくれる屋敷なんて、どこにもないからね!」
グエンダは底意地の悪い笑顔で、高らかに言い切った。
その時、ドアノッカーが激しく叩かれ
「ヴァルド伯爵家である! 花嫁を迎えに参った!」
玄関ホールに響く、居丈高な声。
「花嫁って、ロージーはもう……」
「どうするの、ママ!?」
「どうって……どうしよう?」
『本物のお迎え』に三人の顔は、みるみる青ざめて行った。
その頃ロージーを連れ去った、『偽ヴァルド伯爵家』の馬車は、隣町を走っていた。
「ここまで来れば、大丈夫でしょ?」
「ですね……『解除』!」
従僕に扮したスタンリーが、パチンと指を鳴らす。
すると、顔や声まで変えたスタンリーの変装も解け、豪華な馬車はごく質素な馬車に。
御者は男装した料理人のメイジーに、姿を変える。
「メイジーは、馬の扱い上手なのね!」
「あいつは田舎にいた時から、馬が大好きで……あっ、そこの角!」
人気のない場所で待ち合わせていた、家政婦のルイーズと子猫を抱いたディビーが、大きく手を振っていた。
「良かったです、みんな無事で!」
馬車に乗って来たルイーズが、ほっと笑顔を見せて
「お嬢様――じゃなかった、ロージーお姉ちゃん! そのドレス、ほんとにキレイだね!」
ディビーがうっとり叫ぶ。
「ありがと。こっそり1着だけ隠し持っていた、お母様の形見なの。
昨日、昔なじみのドレスメイカーのマダムが魔法で、最新流行のデザインに変えてくれたのよ!」
嬉しそうにロージーが答えた。
『以前お父様にお世話になった、ほんのお返しですわ!』
と、微笑んでいたマダム。
「あの方のお子さんが、旦那様の『お薬』で助かった事が。
そのご恩を少しでも、お返ししたかったのでは?」
執事のスタンリーが、そっと告げた。
この国では大抵のケガや病気は、魔法で簡単に完治できる。
でも中にはまれに、魔法が効きにくい体質の人も。
そんな人達のために、『薬や薬草の輸入販売』を手掛けていた父。
マルト王国に商用で出向いた際に、母と出会い。
元々身体の弱い母の為に、ますます仕事に打ち込んで行った。
その恩恵に預かったのは、貴族や上流階級だけでなく。
「たしか、スタンリー――じゃなくて、『叔父さん』のご家族も?」
「はい。旅の途中でたまたま、村に立ち寄った旦那様に、母が助けて頂きました。
――っと、『助けて頂いたんだよ』、ですね?」
まだぎこちない執事の言葉。
しんみりしていた馬車の中に、わっと笑いの花が咲く。
全員が揃って逃げ出せる機会を、見事に掴み。
脱出に成功した使用人たちと、男爵令嬢改め、『ただのロージー』。
5人と一匹を乗せた馬車は、東の国境に向かって、ひた走って行った。




