魔法いらずの魔法
それから、昼食後の空き時間に。
いそいそと『薔薇の名前』に通うのが日課となった、アシュトン・リード大尉。
今日もコンコンと、キッチンの窓を叩くと
「あっ、アッシュ様……!」
ぱあっと花が咲いたような笑顔で、ドアを開けてくれるロージー。
「どうぞ! ちょうど今スコーンが、焼けたところです!」
「それはラッキーだな」
こほんと咳払いしながら、いつもの野薔薇を差し出す。
「まぁっ――今日は、こんなにたくさん!?」
驚くロージーに手渡されたのは、棘を取った20本ほどの野薔薇に、白いリボンが結ばれた可愛い花束。
「毎日花を貰っていた家の、その――ご婦人が、用意してくれたんだ」
すっかり顔なじみになった、バラ色の頬をした元気なおばあさんが、
『隊長さん、あんた男だろ? たまには彼女に、どーんとプレゼントおしよ!』
ばんっと軍服の背中を叩いて、
『大丈夫! うちの息子も嫁にプロポーズした時、この花束を渡したんだ!』
得意げに、成功談を披露した。
『ぷっプロポーズ!? あっ、いや! 彼女とはまだ、そんな仲では……』
もごもごと言い訳するアッシュに、
『なんだい、あんがい意気地が無いんだねぇ! だったら……』
にやりと笑って。
『これを渡して! まずは「デート」にお誘いよ!』
おばあさんのアドバイスを思い出し
『デート? デートに誘う……? どうやって!?』
眉を寄せて、ぐるぐると考えている間に、
『少し弱ったお花は水切りすると、元気になるんですよ……ほら!』
と魔法のように、ぐったりした花を蘇らせた、最初の日のように。
花束を水切りして花瓶に活けたロージーが、にっこり振り向く。
「すごくステキ……ありがとうございます! あっ、今お茶入れますね! どうぞこちらに」
促されるままキッチンの隅にある、小さな木のテーブルと椅子が2脚あるコーナーに。
近頃ではここでロージーとお茶を飲みながら、この町の歴史から好きな本や食べ物まで、様々な事を話すのが、アッシュの密かな楽しみになっていた。
「そうだ! この前途中になった、『大聖堂が改修された時に現れた、不思議なネコの話』をしようか?」
「わぁっ――楽しみです! 急いで準備しますね!」
2人共、歴史や伝承に興味がある事が分かって、更に盛り上がる様に。
それにしても……
『ロージーは「こちらに来る前は、ただのメイドでした」と言ってるが。
仕草や話し方に教養も、まるで貴族の令嬢クラスだ。
実は高位貴族の侍女か、家庭教師だったのでは……?』
片方の椅子に座って『パブの主人の姪』の過去を、あれこれ推理していたアッシュの前に、
「難しいお顔をなさって、何か隊で問題でも……? さっ、冷めないうちにどうぞ」
控え目な笑顔で首を傾げたロージーが、良い香りのするティーカップと、スコーンの乗ったお皿をそっと置いた。
「……嫁に、貰いたい」
思わずぽろりと、口からこぼれ落ちた言葉。
「はいっ? 何か仰いましたか?」
きょとんと聞き返す若草色の瞳に、はっと我に返った。
「なっ――何でもないっ! いただこう!」
動揺を隠してごくごくと、一気にお茶を飲む。
『落ち着け、アッシュ……! フランク王国と小競小競り合いをした時も、マルト王国との合同演習の時も、常に冷静に判断し突き進み、勝利を掴んで来た――それがこの俺、アシュトン・リード!』
紅茶を飲み干し、がちゃんっと空になったカップをソーサーに戻したとき、
「うーん……むーっ!」
目の前のロージーがジャムの瓶を手に、うなり声を上げているのに気が付いた。
「ロージー、どうした?」
アッシュの問いかけに
「このイチゴジャム、とっても美味しいのに、蓋が固くて……」
情けなさそうに眉を寄せるロージー。
思わず『可愛いな』と笑いながら、
「貸してみろ」
瓶を取り上げた。
そのまま蓋にかけようとした手が、ふと止まる。
とんっ――テーブルの中央に置いた、ジャムの瓶。
「アッシュ様?」
不思議そうに問いかけるロージーに、
「見てろ……?」
微かに、笑いかける。
『これを見たら、ロージーも――がっかりするか?
俺を笑うか?
底意地の悪い親族や、プライドの高い前の婚約者のように?
でも……彼女なら』
アッシュは祈るような気持ちで、パチンと指をならして
「テイク・ザ・リィード……!」
『蓋よ、外れろ』と、呪文を唱えた。




