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35 手紙

「はあ……どうしたものかしら」


 実家サラクラン伯爵家へと宛てた手紙を届けるようにメイドへと渡した私は、彼女が部屋を出て行ってから大きくため息をついた。


 ベッドメイキングされたばかりのベッドへと腰掛けて、収まらない頭痛に額を押さえた。


 父と母には手紙で状況を詳しく伝えたけれど、これを知れば二人とも同じように頭を抱えるはずだ。


 ……そうよね。そうなのよ。あの子がああなったのは、私たちにだって責任があることはわかっているわ。


 オレリーは幼少期余命は短いだろうと医師から宣告され、それならばと私たちはとことん甘やかしてしまった。


 オレリーの身体が良くなる特効薬が開発されてから、私たちはこれで良くなると両手を挙げて喜んだけれど、その後のことなんて全く考えもしなかった。


 成人が出来ないと思われていたオレリーは、大人になってから必要な何も教育されていない。


 姉の私の持ち物を異常に欲しがったことも、経験の少ない子どもであれば良くある欲求かもしれない。


 あの子が持っているのに、私は持っていない。だから、特に必要というわけでもないけれど、取り上げて私の手元に欲しい。


 それは、子どものうちであれば良い。だって、誰しもそういう時期はあったはずなのだ。けれど、成長するにつれ心の中で折り合いを付け、自分に必要なもの以外は手にする必要もない。


 誰しもだんだんと、大人になっていく。


 けれど、オレリーは我慢を知らないのだから、我慢出来るはずもない。


 生きていける時間は延びたけれど、これからは、あの子にとって辛い時間になるかもしれない。


 オレリーは家族以外の殆どの誰とも会っていないのだから、口の上手い誰かを警戒するということもしない。ああいった男性に騙された女性が、その後、どんな酷い目に遭っているかという噂話も耳にしたことがない。


 仕方ないことだと思うけれど、社交の場に行けばああいった男性は何人か居るのだから、私たちがそれを教えていないのがいけない。


 ……ただ、既にオレリーはトレヴィル男爵に心を許しているようだった。


「……ミシェル」


 不意に声を掛けられて目線を上げれば、そこには心配そうな表情を浮かべたジュストが居た。


 先ほどは帰って来たばかりで旅装そのままだったけれど、今は楽な服に着替えている。


 私は彼の護衛騎士服を見慣れているから、貴族然とした立ち振る舞いに少し戸惑ってしまう時がある。


 それもこれも……すべては、私のためだ。


「ああ。ジュスト……なんだか、ごめんなさい。早く帰って来ることになったのでしょう?」


「いえ。元とは言えば、仕事とは言えミシェルから離れた、僕が悪かったんですよ」


 しれっとした顔でそう言い、私はその言葉に隠れた棘に気が付いた。護衛騎士であった時の彼は、それこそ四六時中一緒に居たからだ。


「まあ……私が一人だと、何も出来ないみたいに言わないで」


 険のある視線を向けても嬉しそうに微笑んだジュストは肩を竦めて、私の隣へと腰掛けた。


 幼い頃から一緒に居るジュストは、いつもそうなのだ。仕えていた私のことを『何も出来ないお嬢様』にしたがる。


 オレリーに比べれば、私の方が幾分マシだと思うわ……誰かから見れば、同じように見えるかもしれないけれど。


「それにしても、オレリー様は相変わらずですね。親は選べないと申しますが、兄弟も選べないですから……ミシェルも大変ですね」


 ジュストが言わんとしていることは理解出来る……私だって、心のどこかではそういう事を思ったこともある。


 けれど、何があってもオレリーを憎めないと思ってしまうのは、私にとって大事な存在だからだ。


「それでも、私の妹だもの。騙されようとしているのなら、なんとかしなくてはいけないわ」


 どれだけひどいことをされても困らされても、赤ん坊の頃に私の指を掴んだ小さな手の柔らかな感触を忘れることは出来ない。


「僕は一人っ子なのでそういうお気持ちはわかりませんが、ミシェルがそうしたいなら手伝いますよ」


 ジュストは整った顔を私に近づけてそう言った。茶色の目は悪戯っぽく輝き、少々楽しそうに見える。


 ……ジュストは甘やかされて育てられたオレリーのことを、元々あまり良く思っていなかったようだけど、決定的に嫌いになったのは、あの子が彼との虚偽の肉体関係を匂わせた時のようだった。


 けれど、私がそうしたいなら手伝う……と、そう言ってくれるのだ。


 先ほど、オレリーは『本当と嘘はどうやって見分けているのですか? どうやって、ジュストは本当のことを言っていると、わかったのですか?』と尋ねた時、ジュストは私に代わってこう答えた。


『好きだと愛していると言ったところで、何の犠牲も払ってはいないではないですか。言葉などという、簡単なものに惑わされてはいけません。いくらでも嘘がつけます。行動でしか人は語れません……僕の見たところ、ここへ来たのは姉ミシェルの動向から貴女の付加価値を確認したかっただけのようですよ。オレリー様のことが真にお好きなのであれば、姉が嫁ぐ家など何の興味も持たないでしょう』


 それを聞いたオレリーは何も言い返せずに、サラクラン伯爵家へとあっさりと帰っていった。


 ……大嫌いな存在でも、私の願いであれば救わねばと思ってくれる。


 行動が誰かへの愛を語るというのなら、この上ないくらいに語ってくれている。


「ジュストはどう思う? ……トレヴィル男爵のこと」


 トレヴィル男爵は明らかに世間知らずの伯爵令嬢オレリーに近付き、何らかの物を得ようとしている。


「サラクラン伯爵位と金目当てでしょう。彼のような男は、付き合うなら面倒のない自分と同じ考えを持つような女性を伴侶に選ぶはず……こう言っては申し訳ございませんが、オレリー様は面倒を絵に描いたようなお方ですので……」


 私の妹は悪質な詐欺に引っかかっているだろうと事もなげに評し、ジュストはにっこり微笑んだ。


 どことなくとても嬉しそうなのは、何故かしら……単に私の目の錯覚かもしれないけれど。


「では、私と結婚したいと思ったジュストは、何だと言うの?」


 こう言ってはなんだけど、伯爵令嬢の私と結婚するために彼がしたことは尋常な努力ではなかった。


 彼ならばもっと簡単で、もっと安全な道があったはずなのに……それなのに。


「僕は面倒事が、大好きなんですよ。いえ……面倒事というより、ミシェルが好きなのでそれに纏わる何もかもが、好きになると言った方が正しいかもしれません」


 私と一緒になるためならば、それこそ何でもすると言いたげなジュストの言葉を聞いて、私は正直な感想を言った。


「……ジュスト、本当に重いわ」


 そこで、ジュストは一瞬ぽかんとした表情になった。


「ミシェルはそういう僕が、良いと思ってくださったのでは?」


 茶色の目が揺れているのを見て、私は既に婚約も済ませ一緒に住んでいるというのに、まだ不安になるような部分があるのかしらと息をついた。


「……けど、私は好きなのよ」


 そこで、ジュストは大きなため息をついて、パッとベッドから立ち上がった。


「……僕を弄ぶのは、止めていただいて良いですか。ミシェル」


 キリッとした眼差しを私に向け、ジュストはそう言った。


 あら。いつもと反応が違うわ。こう言えばこうなると、彼も学習したのかしら。


「学習したの? ジュスト」


「ええ。僕もいつまでもミシェルの可愛さにやられてばかりではありません……こういう時は素早く離れるに限ります」


「ジュスト、何処に行くの?」


 いそいそと何処かへと立ち去ろうとする彼を見て、私は不思議に思った。


 彼はこの邸へと帰って来たばかりで、先ほど旅装も解いたばかりだ。それなのに、今から急いで何処に行くのかしら。


「僕としたことがオレリー様のことについて調査指示を忘れていました。それに、トレヴィル男爵の様子も、少々気になりますし彼についても調べてみます……いえ。ミシェルがどうしてもここに居て欲しいとお願いされるなら、ここでゆっくりしていても良いんですが」


「……さっさと行きなさいよ! もう!」


 勿体ぶった目線を送るジュストにイラッとして私は言い、彼は笑いながら部屋を出て行った。


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