22.三つだけの魔法(5)
「ブルーナ、……ありがとう」
頬を伝う涙の熱さに驚く。
涙を拭い、濡れた指先を見て、このわたしが泣くなんて、と、きららは思った。
自分だったなら、姉と元婚約者をとことん言い負かすことができるはずなのに。
きっと、ララの気持ちに引きずられたのだろう。思うように動かなかった身体がもどかしかった。
「わたくしにも姉がいるのよ。厄介なね。ーーお互い苦労するわね」
ブルーナは顔をくしゃっと歪め、わたしにハンカチを手渡した。さまざまな濃さの緑の糸で、緻密な葉が描かれている美しいものだった。
わたしはブルーナに抱きついた。彼女はじたばたともがいて「な、な……!」と叫ぶ。
「あなたね、そういう態度が殿方を誤解させるのよ? もっと淑女らしくなさいな」
「ごめん、ブルーナ。大好き!」
わたしが言うと、ブルーナはいつものようにそっぽを向いた。その耳が赤くなっている。
「さっさと残りの用事を終わらせるわよ」
わたしたちは店を出て、並んで街へと歩き出した。
王城へと戻ってきたのは、三時になる前のことだった。
「ーーこんなに早く終わるなんて……」
ブルーナがつぶやく。
「十分だけ食堂で休憩していこうか。今日の日替わりケーキが食べたいんだよね」
わたしが言うと、彼女は呆れたように眉を下げる。
「あなたなんかに聞くのは癪なのですけれど」と、前置きをしてブルーナは言った。
「どうやって仕事の計画を立てたの? いつもだったら、この半分の量でも終わらせることができなくて……」
叱られてばかりだったわ、とか細い声が聞こえた。わたしはブルーナを愛おしく思いながら、支給されたノートを取り出して見せる。
「こんなふうにやることを書き分けるんだよ。そうしたら、優先順位が見えてくるでしょ?
言われた順番に仕事をすると、どうしてもむだな時間が出てくるの。
だから、どれから終わらせたら早く済むか、どれとどれを組み合わせれば一石二鳥になるかをチェックしながら進めていくんだよ」
「ーー一石二鳥?」
わたしは口を押さえる。ああ、こちらにはない言葉だったのか。
「でも、ーー難しそうだし、出来る気がしないわ」
ブルーナはそう言ってさじを投げた。
わたしは少しだけむっとして「じゃあ、三つだけに絞ってみなよ」と告げた。
「三つ?」
ブルーナがきょとんとする。
「そう。今が二時四十五分でしょう? 次の三時までに終わらせられそうなことを三つだけ選ぶの」
「たった十五分で三つだなんて無理よ」
「もう。ブルーナの頭でっかち!」
わたしはぷりぷりして立ち上がった。
「じゃあ、わたしが決めるから、それを三時までに終わらせてね? もし終わらなかったら、今日の夜泊まりに来てもらうからね?」
「なっ」
「ほら、はやくメモを取って」
わたしが言うと、ブルーナはノートを取り出した。
「一つ、アイスコーヒーを取ってくること」
「そんなの仕事じゃないわ!」
「いいからいいから。早く書いて」
わたしが言うと、ブルーナは渋々書き付けた。
「一つ、リネン類の発注表を記入すること。
一つ、孤児院に持っていく本を、渡す相手別に並べること。ーーはい、はじめてね!」
ブルーナがこちらを睨む。
「じゃあ、今夜はパジャマパーティーだね」
わたしがにこにこして言うと、ブルーナは素早く立ち上がり、食堂のカウンターへ向かってどすどすと歩いていった。
ルスリエース王国の二十年ほど前の物語『愛し子は、森に捨てた』を書きました。今日中に完結するのでよかったらまとめてどうぞ!
ララリアラとはまったく違ったタイプのヒロインです。
https://book1.adouzi.eu.org/n6966hb/




