37 人を呪わば
「ぶえぇっ!」
リュッカに顔面を殴られたシャロンが、地面に倒れつつ鼻血を流す。
呪装刻印が浮かんだリュッカの腕力で、その顔面の骨が砕かれ陥没していた。
「よそ見はダメッスよ。――それとも戦意喪失っスか?」
リュッカが彼女を見下ろす。
エルンを含めた俺たちに囲まれたまま、シャロンは地面に這いつくばって声をあげた。
「なん……なのよう……あんたたち……」
ひしゃげた顔面を再生させつつ、彼女はそう呟いた。
俺は彼女に向かって笑って見せる。
「保安官――いや、冒険者さ」
シャロンは俺の言葉に、その視線をこちらへと向ける。
しばらく悔しげな表情を浮かべた後、彼女は叫んだ。
「――降参! 降参よ! 降参します!」
そう言うと彼女は両手をあげた。
「……ね、降参! わたしの負け! だから許して!? ほらべつにあなたの仲間も殺してないでしょ!? 血をもらってただけよ! 生きる為に必要だったの!」
シャロンは媚びるような笑みを浮かべつつ、俺たちに向かって命乞いをする。
「それともこうして抵抗する意思もない相手を殺すっていうの? ねえ! 吸血鬼だからって殺してもいいって言うの!?」
プライドも何もないシャロンの言葉に、彼女に騙されて奴隷にされたキュエリは苦々しい顔をした。
「こいつ……! 今更そんなこと言われたって許すわけ――!」
「――いや待て」
俺はキュエリの言葉を遮る。
キュエリはそんな俺の言葉に、不満げな声をあげた。
「ちょっと、こいつを許すっていうの!? 絶対にまた同じ事するわよ!」
キュエリはそう言ってシャロンを指差した。
……まあ吸血鬼、というか詐欺師であるシャロンの言葉を信じるわけではない。
というかおそらく、この命乞い自体が体が再生するまでの時間稼ぎなんじゃないかと思うが……。
そんなことは承知の上で、だ。
「許してやってもいいぞ」
「ちょっと……!」
俺の言葉にキュエリは声をあげる。
シャロンはその殴られて半壊した顔に笑みを浮かべた。
「本当!?」
「ああ。――ただし条件がある」
俺はミユサに目配せした。
「二度と悪さしないと約束できるなら、だ」
俺の言葉にシャロンは慌てて頷く。
「ええ、ええ! そんな約束ぐらいいくらだってします! だから――!」
「――ミユサ、細かいことは任せてもいいか?」
俺の言葉にミユサは微笑んだ。
「ええ、旦那様。お任せくださいです」
彼女はそう言って、一歩シャロンへと近付く。
シャロンはその目を泳がせた。
「な、なに……!?」
「なにって……『契約』、です」
ミユサは笑顔で呪符を取り出す。
その言葉を聞いてシャロンは眉間にしわを寄せた。
「契約魔術……!?」
「いいえ? 呪術です」
ミユサが何枚かの紙を放り投げると、それらはまっすぐと飛んでいきシャロンの周囲を取り囲んだ。
「これより契約の儀を執り行います。その身に制約を刻むので、くれぐれも嘘はお控えくださいです」
青色の魔力光がシャロンを包む。
その顔に焦りの表情が浮かんだ。
ミユサが呪文を唱える。
「この場にいる者全てがあなたに対する罪を問わず、不当な扱いをしない。その代償として、これより先、直接的及び間接的にもあなたは人に危害を加えない――そう誓いますか?」
「それ……は……」
ミユサの言葉に、シャロンは言い淀む。
奴隷契約をする側だったのだから、その契約が重いことを知っているのだろう。
しかし座り込んだシャロンが迷っていると、その前にリュッカが立ち、地面に剣を突き立てた。
彼女の様子にシャロンはびくりと震え、声を上げた。
「ち……誓います! 誓うから!」
シャロンの言葉にミユサは頷くと、引き続き呪文を唱えた。
「ではこれから先、ここにいる旦那様――シン・ノクスの言葉に絶対服従すると誓いますか?」
「え?」
突然振られた俺は、その言葉に驚いてミユサの方を振り向く。
だが俺が何かを言う前にシャロンが観念したように呟いた。
「……わかりました。誓います」
「よろしい。ではこの場に契約を締結します。……融神天判――弥賭螺守」
ミユサの言葉と共に、四方の呪符からシャロンの心臓の位置へと青白い光線が放たれる。
その光が高速で震えたかと思うと、すぐに光は収まった。
「――契約締結です。これで彼女はもう悪さはできないでしょう」
「……残念っスね。もうちょっと戦えるかと思ったのに」
ミユサの言葉にリュッカが口を尖らせた。
いくらポーションで傷を回復したとはいえ、常人であれば倒れてもおかしくない出血量だったはずなのに、いったいリュッカの体力はどうなっているんだか……。
そんなことを思っているとシャロンが立ち上がった。
「……ふふ。お優しいですね。――ですが」
シャロンは笑う。
「契約魔術は人間向けに作られたもの……吸血鬼相手に、満足に効果が発するとお思いですか?」
そう言うと彼女の背中から黒い翼が広がった。
彼女は地面を蹴ると、その爪をミユサへと向ける。
「――ミユサ!」
俺はミユサを庇うようにして、その前へと割って入った。
――しかし、シャロンの動きが止まる。
その爪が俺の顔に刺さる前に、ピタリと停止した。
「……は?」
その声を漏らしたのは、当のシャロン本人だった。
彼女は自身の手を見ながら困惑したような表情を浮かべている。
俺の後ろで、ミユサの声がした。
「……旦那様。彼女に何か命令してあげてくださいです」
ミユサの言葉を受けて、俺はなんとなしに言葉を口にした。
「お座り」
言うが早いか、シャロンは爪を向ける姿勢を崩してその場にしゃがみ込む。
それは吸血鬼の全力スピードにて繰り出される『お座り』だった。
「……え?」
またしても困惑の声をあげたのはシャロン自身だ。
彼女はその額にだらだらと冷や汗を流しつつも、座り続けている。
「お手」
俺が手を差し出す。
するとシャロンは優しく俺の手に自身の手を重ねた。
「よーしいい子だ。しばらく犬の真似をしておいてくれ」
「ワン!」
シャロンはそう犬の鳴き真似をしながらも、視線で射殺しかねないような形相をして俺を見つめている。
そんな俺たちの様子を見て、唖然としたキュエリが口を開いた。
「……なにあれ。何がどうなってるの……?」
「これが純然たる呪術です」
キュエリの問いかけに、ミユサが答える。
「半端な契約の呪いを扱っていたせいで、呪術がどれほど強固な物かをわかっていなかったんだと思うです。……たとえばですが、旦那様が命じれば彼女は自分の名前を忘れることすら簡単にできる。呪術とは本来、吸血鬼だとか人間だとかに関わらず、命を賭けても抗えないほどに重いものなのです」
「ひえ……」
恐怖に顔をひきつらせるキュエリとは対象的に、ミユサは満足げな笑みを浮かべる。
「呪術を悪用する者にはキツイお仕置きが必要ですから」
怖……。
というか、ミユサは出会ったとき俺に婚姻の呪いか何かをかけようとしていたような……?
……慌てて止めてよかった。
俺が内心胸をなで下ろしていると、ミユサは改めて俺に向かって笑う。
「……あの、旦那様。庇ってくれて、ありがとうございます、です……」
「ん? あ、ああ」
シャロンの攻撃から庇ったことを言っているのだろう。
俺はなんだか照れくさくて、頬を掻く。
……まあとっさのことなので、考える暇もなかっただけだが……。
「やはり旦那様はわたしの運命の方……」
「……ハハハ。それはもうちょっと考え直した方がいいような気がするが」
「どうでしょう? この機会に婚姻の儀も執り行うなどは」
「いや呪われそうなのでやめておく……」
俺がそう丁重にお断りしていると、キュエリが痩せ細った女性たちに駆け寄っていくのが見えた。
どうやら再会を喜んで抱き合っているらしい。
……キュエリに俺がされた仕打ちを忘れたわけじゃないが、とはいえ仲間の二人には罪はないしな。
これで一件落着と言っていいだろう。
俺はそう考え、引き続き全力で犬の真似をしている吸血鬼に「待て」と命令をするのだった。




