22 大海を知る
俺たちはシーブルムから部屋を奪い取り、船の旅を一等客室で過ごした。
シーブルムはパーティメンバーとは別に自分の部屋を取っていたらしく、その部屋と交換した形になる。
ちなみに部屋代は船賃とは別で、それだけで一月は遊んで暮らせる程の大金とのこと。
……そう聞くと、モーモンも俺を騙したというほどでもないか。
それにしてもシーブルムは家が燃えたっていうのに、よくそんな大金を支払えるもんだ。
そんなこんなでティターンニック号が出航して三日目の朝。
それまで持って来た道具で薬の調合なんかをしていた俺は、腕相撲対決で勝利したデルドアに新大陸のことを聞いていた。
「港の周囲は、比較的、安全だ。だが、油断すれば、死ぬ」
甲板で潮風に吹かれながら、デルドアはそう忠告した。
「まずは、慣れた方が、いい。でも近場で、死ぬ者もいる。弱そうに見せたり、人間に化けたり、モンスターも、食うのに必死」
「港町の周囲でも気を抜くなって事な」
「そう。港町の、中でも、食うに困らないぐらい、仕事はある」
デルドアのような恵まれた身体能力を持つ者でも、決して無理をしてはいけないと感じるぐらいには恐ろしい場所ということだろう。
俺は彼の忠告を心に刻んだ。
デルドアは言葉を続ける。
「港町には、人型の、魔物も住む。こっそり、な」
「仲良く共存してる……ってことか?」
「ともだち、ではない。利用しあう、関係。町には、強い魔物が、いる。だから弱い魔物は、手を出せない。縄張りを破れば、報復される」
オーリンズの町自体が、上位種モンスターたちの縄張りになっているということか。
強い魔物たちがオーリンズに利用価値があると思っているから、襲撃されたりはしない。
つまりそれぐらい魔物たちと港街の生活が密接に関わっているということだろう。
……ギルドからは治安維持の仕事を依頼されると聞いたが、思ったよりも大変かもしれないなコレ。
俺が港街のことを考えて少しだけ怖じ気づきそうになっていると、デルドアは笑った。
「人型の魔物は、強い。だがわざわざオーリンズに住むヤツらは、気の良いヤツが、多い。町の中で会う魔物は、怖がらなくていい。遠い地で出会ったら、逃げろ」
「……了解。わかりやすくていい」
俺の言葉にデルドアは頷く。
「町の魔物たちは、仲良く、しとけ。中には、サキュバスなんかも、いる」
「ほう!? サキュバスとな!?」
サキュバス。
それは夢魔種のモンスターの事で、人々に快楽を与える替わりに生気を吸い取るという魔物のことだ。
ちなみに美しい女性の姿をしているらしい。
勢いよく聞き返した俺に、デルドアは笑った。
「いくつか、サキュバスの、店もある。場所、知りたいか?」
「……これは決して興味があるとかそういうわけじゃないんだが、参考までに教えてもらってもいいか? いやあくまでも気を付けるだけで、実際に行ったりするわけではないんだが、危険というものは深く知らなければ警戒することもできない。な? そう思うだろ?」
「グァハハ、おもしろ」
デルドアにこの条件を突きつけたのは、思った以上に正解だった――はっ!?
俺はあることに気付き、周囲を見回した。
「ミユサは……いないか」
俺は彼女が周りにいないことを確認し、ホッと胸をなで下ろす。
こんな話を聞かれては、嫉妬深いミユサのことだから必要以上に警戒されてしまうかもしれない。
……いや俺がサキュバスの店に行こうが行くまいが、それは俺の自由なんだが。
ともかく俺は周囲の安全を確認した後、デルドアに視線を戻す。
すると耳元から声が聞こえた。
「旦那様、お呼びになりましたですか?」
「ひっ……!?」
なんだ!?
俺はとっさに後ろを振り返るも、そこにミユサの姿はない。
「い、いったいどこから……」
「こちらです、こちらです」
みれば、俺の肩の上には一枚の紙が乗っていた。
羊皮紙とは違う薄い紙で、星型……というよりは、簡易的な人型に切り抜かれた手のひら程度の紙である。
「ミ、ミユサ……!? こんなに薄っぺらくなって……!?」
「これは式礼です。何かあったときの為に旦那様の背中に忍ばせておいたのです。これを使って多少離れたところでも会話ができるのです」
「そっかぁ、心配してもらっているのは嬉しいんだけど、プライバシーって知ってるか?」
「ぷらいばしー……? たしか、わたしと旦那様を阻む障害だったような?」
「違うよ! プライバシーっていう概念は俺という個人の尊厳を守ってくれる為の防具だよ!」
「ちょっと何言ってるかわかんないです」
そういうとその紙は、まるで首を傾げるようにぐにょりと曲がった。
とぼけているつもりらしい。
……これは気軽にサキュバスのお店なんて行けそうにはないな?
俺がそんなことを考えていると、甲板の上で船員たちの動きが騒がしくなるのが見えた。
「……なんだ?」
「おお、今回は……当たり」
その様子にデルドアがそう言った。
俺が事態を把握できないでいると、船長が声をあげる。
「――災害級モンスターだ! 帆を張れ! 魔導推進力全開!」
船長の言葉にデルドアが楽しげに笑う。
「……見ろ。十回に一回は、出会う。大陸近海の、巨大モンスターだ」
俺はデルドアが指をさした方に目を向ける。
「…………でっか」
思わず声が漏れる。
それは最初、氷山か何かかと思った。
だが海の青さを取り込んだかのような半透明のそれは、触手のように太い触手を船に向かって伸ばしている。
俺も見たことがある魔法生物……だが、そのサイズだけは規格外だ。
「スライム、だな。……とびきり、大きな」
それは船より一回り大きく、今にもこの船を飲み込もうとしていた。
俺はそれを見上げて、自身の血の気が引いていくのを感じた。




