次期ヒルデリー子爵夫婦の事情②(クラウス視点)
本日二話更新。こちら二話目になりますのでご注意下さい。
妻であるイレーナとの婚約が決まったのは、クラウスが十歳になって直ぐのことだった。
男爵家の次男にとって、子爵家に婿養子に入るという事は破格の縁談だ。
父が義父となるヒルデリー子爵と懇意だった事から決まったこの婚約は、逃せば次がない事は子供心にも気付いていた。
「子爵家の婿養子なら、本来伯爵家の次男や三男が名乗りを挙げてもおかしくない縁談だ。自分が如何に幸運か分かるな、クラウス?」
「はい、父上。イレーナ嬢に気に入られるように頑張ります」
父の言葉を実感出来るようになったのは学院に入ってからだった。
下位貴族の次男以下である連中が結婚相手を必死で探す中、イレーナという婚約者がいるクラウスはのんびりと勉学に励むことも出来た。
その上イレーナは容姿・性格・知性共に何の問題もなく、彼女のような婚約者がいる事はクラウスの自慢でもあった。
ヒルデリー子爵夫妻も温厚で人当たりが良く、婿養子となっても幸せになれるだろうと当時のクラウスは疑いもしなかった。
だが、そんなクラウスを唯一不安にさせる存在があった。
彼女の妹であり、ヒルデリー子爵家の次女ヘレナだ。
夢見がちで、我が侭というほど性格は悪くなかったが思い込みが激しく、常に自分が世界の中心でいるような、恋に恋する少女だ。
そんな彼女にも当然婚約者はいた。それなりに裕福な家門の子爵令息だ。
だがそんな子爵令息との婚約を、容姿が気に入らないという理由だけでヘレナは解消したのだ。
「は?」
その話を聞いた時、思わず紳士にあるまじき声が出たほど驚愕した。
「どういう事だい?」
「言葉のままよ。どうしても嫌だと言って、お相手とは会おうともしないの」
学院に入学してからというもの、一度も婚約者と会おうとしないヘレナ。
理由を聞けば、どうしても男性の容姿が気に入らないと言う。
「その……、それほどに男性の容姿に問題が?」
「いいえ。平均より少々背は低いかもしれないけれど、私から見ても一般的なお顔立ちだと思うわ」
身長が低いと言っても当然ヘレナよりは高いし、特に目を背けるような外見をしている訳ではないそうだ。
「では何故?」
クラウスの問いに、イレーナは困ったように眉を寄せてため息を吐く。
「学院に入って見目麗しい殿方を見て、何故自分の婚約者は彼なのだろうかと思ったそうよ」
「それは余りにも……」
「そうね、余りにも失礼な話だわ」
そもそもヘレナの婚約相手は子爵家の嫡男で、彼女にとってはかなり破格の相手でもある。
「けれどヘレナがあそこまで拒絶している以上、婚姻は難しいと思うわ」
「ヒルデリー子爵はなんと?」
「お父様は婚約解消を申し出るつもりみたい」
「そうか……」
強引に婚約を継続させたところで、ヘレナがあの状態なら相手の婚約者に迷惑を掛けることになるだろう。
下手な醜聞になる前に手を打ちたいという義父の判断は正しいのかもしれない。
しかし………
「君はいいのかいイレーナ?」
「仕方ないわ……」
明らかにヘレナの我が侭による有責となれば、婚約解消に関する慰謝料はヒルデリー子爵側が負担することになる。
つまり、その慰謝料の負担はイレーナにも掛かってくるのだ。
「イレーナ、僕のカフス用の宝石を売ろう。そうすれば少しは慰謝料の足しになるだろ?なぁに、結婚式の新郎なんて花嫁の添え物だ。カフスの事なんて誰も気にしちゃいないさ」
「駄目よ。それは貴方のご家族からの贈り物でしょ。その宝石は大事にして」
「でも……」
「大丈夫よ。それこそドレスの裾の真珠の飾りなんて誰も気付かないわ」
「イレーナ……」
ヘレナの婚約破棄の慰謝料を補填するため、イレーナのウェディングドレスから真珠の飾りと豪華な刺繍が消え、パーティーのワインはランクの低い物に変更された。
子爵夫妻も式用の衣装は持っている物をリメイクする事にしたと聞く。
そこまでして慰謝料の費用を捻出したというのに、当のヘレナはパーティー用の新しいドレスを新調した。
「あの子の新しいお相手を見つける為でもあるのだし、仕方ないわ」
だが、ヘレナのドレスに真珠の飾りがあるのを見つけた時は、引き千切ってやりたい程に腹が立った。
ヒルデリー夫妻はヘレナに甘すぎる。
そして、それは婚約者であるイレーナもだ。
口ではしっかりして欲しいと文句を言うのに、彼女は最終的にはヘレナを許してしまう。
確かにヘレナに悪意はないのだろう。
だが許されるという事を知っているヘレナは反省をしない。
常に自分が望む方へ人生が進むと思っている。
そのヘレナの人生の影で、どれだけイレーナが我慢を強いられているのか知ろうともしない。
「ヘレナ、君はいい加減自分の立場を知るべきだ……」
人生が自分の思い通りに進まないことをヘレナは学ばなければいけない。
それを教えるのは本来家族だ。
けれど、それを誰も出来ないと言うのなら自分がやろう。
クラウスはそう決意した。
「エルヴィン・カークランド……ね」
「はい。将来有望な男爵家の次男です」
「ヘレナには勿体ない……」
どうやってヘレナに物事を分からせるか悩んでいる時、彼女が今付き合っている男の情報が入ってきた。
情報を持ってきたのはイレーナ付きの侍女で、クラウス同様ヘレナに対して憤っていた人物だ。
侍女の名前はテレーゼ。クラウスの協力者だ。
「どうやって別れさせようかな…」
別に彼に恨みはない。
調べたところによると彼はかなり優秀な人物で、管財人になるのは確実とされている。
ヘレナの御眼鏡に適うほどに見目も良い。
だが、実家の男爵家が余り裕福でないため、ヘレナはそれが不満のようだった。
贅沢な女だ……と、クラウスは益々ヘレナの事が嫌いになった。
そしてそんな時、彼女の元に一通の手紙がやってきた。
ヘレナの馬鹿な浮かれ具合には辟易したが、これは使えるかもしれないと一計を案じる。
『ヘレナ、今日カンザナイト商会に行った時、さりげなくエルグランド殿から君の事を聞かれたよ』
『先ほど屋敷の前でエルグランド殿を見掛けた。もしかしたら君を一目見たかったのかもしれないね』
わざとヘレナが勘違いするような情報を口にすれば、それだけで彼女は舞い上がって勝手な想像を膨らませる。
そうなれば後は簡単で、ヘレナが完全にエルグランドに気持ちが傾いたのを確認してエルヴィンからの手紙を止めた。
送られてきた手紙を侍女であるテレーゼに隠させたのだ。
『もしかして、君が別の男と付き合っているのを知ったんじゃないかな?』
不安を煽るようにそう言えば、ヘレナは直ぐに付き合っているエルヴィンに別れを切り出した。傲慢とも言える態度で彼を振ったという。
エルヴィンには悪いが、将来有望な彼はヘレナに勿体ない。今は落ち込んでも、何れは別れて良かったと思ってくれるはずだ。
「クラウス様、今後どうします?」
「そうだな…」
今のままではヘレナには何の痛手もない。
手紙が来ないようになればエルグランドの事を想って泣くだろうが、ただそれだけだ。
暫くすれば、また学院で男を作って今まで通りだろう。
「エルグランド・カンザナイトか……」
ヘレナからE・Kについて聞かれた時、イレーナが真っ先に挙げた男の名前。
豪商カンザナイト家の次男。
平民でありながら、下位貴族よりも結婚相手として望まれる男。
「……クソっ…」
どうしてイレーナがあの時エルグランドの名前を呟いたのかクラウスは知っていた。
イレーナ自身ですら気付いていない彼女の想いは、イレーナをずっと見ていたクラウスだけは気付いた。
彼女はエルグランドの事が好きなのだ。
平民なんて…と否定的な事を口にする癖に、彼女の視線はいつもエルグランドを追っていた。
多分、イレーナのそれは無意識だ。
周りの友人も家族も侍女も、イレーナ本人でさえも気付いていない彼女の想い。
ずっとイレーナを見ていたクラウスしか気付かないほどの些細な表情の変化。
気のせいだと言い聞かせていたクラウスだったが、それをこんな事で暴かれるなんて思いもしなかった。
E・Kの名を持つ知り合いが何人いるのか、彼女は知っているのだろうか。
学院のクラスメイトにはエルグランド以外にもう一人いたし、取引のあった商人もそのイニシャルを持っている。
それなのに、真っ先に彼女が思い浮かべたのがエルグランドの名前だったのだ。
「………テレーゼ、エルヴィン・カークランドの筆跡を真似る事は可能かい?」
「可能です」
「ならば、彼の筆跡でエルグランドの振りをして手紙を定期的に出し続けてくれ」
「了解しました。しかしヘレナお嬢様の事です。恐らく近いうちにカンザナイト殿に接触しようとするのではないでしょうか?」
「その可能性は大いにあるな」
事実、この会話をした直後に、我慢のきかないヘレナが会いたいと手紙を書いてくるようになった。
そんな手紙を秘密裏に回収し、会えない理由を二人で考えてはヘレナを騙していく。
ヘレナが疑いそうになれば、エルグランドが店にいるのを確認して軽く接触させて満足させた。
そうして出来るだけヘレナを焦らしながら、クラウス達は彼女が一番傷つく効果的な機会を窺った。
「クラウス様、どうやらカンザナイト家が来春叙爵するようです」
「そのようだな」
「如何なさいますか?」
クラウスもテレーゼもそろそろ潮時だと思っていた。
いい加減ヘレナの婚姻先を見つけなければ、今度はクラウス達夫婦が彼女を養う羽目になってくる。
それだけは絶対に避けたいし、何とか数人ヘレナと釣り合いそうな男の目星も付けてある。
「カンザナイト家へ嫁に来るように手紙を書いてくれ。平民の風習に則って押し掛け女房をしろとでも書けばいいだろう」
「そうなるとカンザナイト家に迷惑が掛かりますが……」
「もちろん迷惑料は払う。だが、あの家は誠心誠意謝罪すればそれ以上は求めないはずだ」
「了解しました」
「これで終わりにしようテレーゼ。長い間、君には手間を掛けさせた。ありがとう」
「いいえ、クラウス様。これは私の意志でもあります。イレーナお嬢様をどうぞ宜しくお願い致します」
そう言って最後の手紙を書き上げたテレーゼは、翌日侍女を辞めて田舎へと帰って行った。幼馴染みと結婚するためだ。
そんな彼女には個人的に少し多めの結婚祝いを渡し、クラウスもイレーナを伴って領地へとやってきた。ヘレナが起こすであろう騒動に巻き込まれない為の用心だ。
最後の手紙は、王都を出る間際に出した。
今頃ヒルデリー子爵家は大騒ぎになっているだろう。
怪しんだ義父が止めるならそれでもいいし、カンザナイト家に問い合わせて発覚してもいい。
どちらにせよ、ヘレナが懲りればそれでいいのだ。
「エルグランド殿には悪いが、これ以降迷惑を掛けるつもりはないから許して欲しいな……」
クラウスにとってはどう転んでも構わない騒動の切っ掛けが、自分の醜い嫉妬だという事にはとうに気が付いていた。
イレーナのためと言いつつも、結局は彼女の心を奪ったエルグランドに対する意趣返しが多分に含まれていた。
「イレーナに知られたら嫌われるかもしれないな」
自嘲気味に笑いつつ、結局騒動となる手紙を出したのはクラウス自身だ。
しかし、何事にも誤算というものはある。
エルグランドがアリューシャ・ベルクルトと婚約していたことが、この計画の何よりの誤算だったと気付いたのは、彼女からクラウスへと手紙がやってきてからだった。
「失敗したな……」
王都にいる義父から追加で来た手紙には、エルヴィン・カークランドがヒルデリー子爵邸にやってきたことが書かれていた。
どうやら彼は自分の出した手紙がエルグランドと勘違いされていたことに別れてから気付いたようだ。
今回の騒動で管財人を巻き込んだことからエルヴィンが騒動を知る事となり、ヒルデリー子爵だけでなく、エルグランドの元にも事情説明に訪れたそうである。
そしてその二日後、クラウスの元へアリューシャ・ベルクルトから手紙がやってきた。
余り大事にする気のなかったエルグランドと違い、どうやら彼女は人を使って徹底的に今回の件を調べたようだ。
さすがは王女とも懇意にある高位の伯爵家である。
「まさか彼がベルクルト嬢と婚約するとは……」
事前に知っていたら、絶対にあんな事は仕出かさなかったのに…。
そう後悔しても後の祭りで、アリューシャから届いた手紙には、事件の真相に近いことが書かれていた。
クラウスはこれで終わらせる予定だったが、アリューシャからすれば未来の婿が巻き込まれた騒動を放置する訳にはいかなかったのだろう。
このままでは田舎で幸せに暮らしている元侍女のテレーゼにも迷惑を掛けてしまう。
「クラウス、アリューシャ様からの手紙には何が書かれていたの?」
親交のなかったアリューシャからの手紙に驚いたのはクラウスだけでなくイレーナも同じだった。
読むにしたがって眉間に皺を寄せていくクラウスを、彼女は心配そうに見つめている。
「やっぱりヘレナがご迷惑を掛けた件よね?」
「そうだよ………」
迷惑を掛けたのはヘレナではなくクラウスだったが、返事を聞いたイレーナが青い顔をしてギュッと手を握り締めた。
「やはりお父様だけの謝罪では不十分だったんだわ。直ぐに私も謝罪に行った方が…っ」
「待ってイレーナ。謝罪なら僕が行くから」
言いながら、アリューシャから送られてきた手紙をイレーナへと差し出した。
「僕が行かなきゃ行けないんだ」
「クラウス……?」
アリューシャからの手紙には、『内部の人間に協力者がいる事』『先日辞めた侍女が怪しい事』『彼女の単独犯とは思えない理由』などが書かれてあり、確証はないが、現時点でクラウスが一番怪しいとも書かれていた。
「………そんな、まさか…っ…?!」
否定して欲しそうな彼女の瞳を見つめながら、クラウスはハッキリと肯定を口にした。
「テレーゼは僕に言われて協力しただけだ。責めないであげて欲しい」
「……で、では…ここに書かれてることは……」
「本当のことだ」
「ど、どうしてクラウス?どうしてこんな事を……」
「イレーナ……」
「…私との結婚はそんなに嫌だったの…?」
「違うよイレーナ。むしろ僕は君と結婚出来て幸せだよ」
「でも!だったらどうしてこんな……っ」
確かにクラウスのやった事は、ヒルデリー子爵家の評判を落とすことに他ならない。
疑われても仕方ないのは分かっているが、イレーナにだけは誤解をして欲しくなかった。
「愛してるんだイレーナ……」
「うそよ!だったらどうしてこんな事をしたの?!」
「ヘレナが!…君を傷付けるヘレナがずっと嫌いだったんだ!」
「クラウス……」
「君は幼少からずっと子爵位を継ぐために努力していたのに、その横で遊び回る彼女が大嫌いだった!彼女の婚約破棄のせいで君のウェディングドレスが質素になったっていうのに、彼女は無駄に装飾品を買ってばかり!彼女がピアノを習いたいというから豪華なピアノを買ったのに、弾いたのは最初の三ヶ月だけだった!そのピアノを買うためにイレーナや僕がどれだけ苦労したと思ってるんだ!折角来て貰ったピアノ教師に謝罪したのも君だった!」
ヘレナを嫌いな理由を次々と挙げていく。
幼少からずっと傍にいただけに、彼女に掛けられた迷惑は枚挙にキリが無い。
「テレーゼと二人で何度もこんな事は止めようと話し合ったんだ。でも出来なかった……っ!手紙を止めようと思うたびに、ヘレナは君に迷惑を掛け続けていく。自領で取れた野菜を嫌いと茶会で言い、危うく出荷を止められそうになった事もあった。ある令嬢の戯言を真に受けて、婚約者のいる男性へ橋渡しをしたのは先月のことだったよね?」
「……それは…」
「彼女に悪気がないのは分かってるよ。でもどうしてもっと周りを見て物を考えないんだい?婚約者のいる男性に女性を紹介して、周りが何と思う?自領の野菜が嫌いなんて発言をすれば、領主でさえ食べない不味い作物だと疑われたって仕方ないじゃないか。……彼女はただその野菜が嫌いなだけだったのは知ってるよ。男性に女性を紹介したのだって、恋物語のようで素敵だと思っただけだったしね。でもね、そのせいで君がどれだけ迷惑を受けた?野菜の出荷価格は落ちたし、男性の婚約者からは抗議の手紙が来た」
もうクラウスにとっては我慢の限界だったのだ。
ヘレナが傷つけばいいと、それだけを願ってしまった。
「君もご両親も、反省しているからと言って全く怒らない。怒っても最初だけで甘いから、ヘレナは何度も同じような間違いを繰り返す。悪気がなければいいのかい?違うだろ?」
「ごめんなさい…っ、貴方にそんなに迷惑を掛けていたなんて……」
「違うんだイレーナ!僕に掛かる迷惑なんてどれほどでも構わない。でも、でも…、君がヘレナの為に謝る姿をもう見たくないんだ……、もう彼女の為に君が傷付くのを見たくないんだ……」
結局はこうしてイレーナを傷付けたクラウスも同罪だ。ヘレナの事を罵る資格はない。
けれど誰かがここまでしないとヒルデリー子爵家は誰も気付かない。
可愛い妹としっかり者の姉。
その実体は、夢見がちで他者を慮ることをしない妹と、妹を諌めずに尻拭いに奔走する姉だ。
ヘレナだけが悪い訳じゃない。ヘレナを甘やかした両親とイレーナにも問題があった。
「ねぇ…、愛って何だい?甘やかすことだけが愛かい?出来上がったウェディングドレスを見て、夜中にこっそりと泣いていた君の我慢は本当に必要だった?僕がヘレナを憎むのはそんなに悪い事かい?」
「クラウス………」
あの時イレーナが怒れば、子爵夫妻が怒れば、クラウスだってこんな馬鹿な事はしなかった。
でも、誰も怒らなかった。
愛のない結婚なんて続かないから…と、政略結婚であるクラウスとイレーナの前で彼らは言った。
だったらイレーナもクラウスも続かないのか?
違うだろ?
最初が政略でも、相手を尊重すれば、親愛は愛情に変わるはずだ。
事実、変わるように、共に人生を歩んで行けるようにクラウスは努力してきた。
けれど彼らは、ヒルデリー子爵家はそれを否定する。
愛を育もうとする努力を否定する。
「……離婚しようイレーナ。ベルクルト嬢やエルグランド殿には僕だけが謝罪に行く」
「待ってクラウス!お願いよ、離婚なんて言わないで!」
「最初から決めていた。君が、君たち家族が変わってくれないなら、最初から離婚するつもりだった」
「どうして!怒ってないわ!怒ってないからそんな事言わないで」
「…あぁ……、また君はそうやって甘やかすんだね」
「ち、ちが…っ、これは違うの!」
「うん、分かってるよ………」
イレーナは優しいんじゃない。
嫌われるのが怖いのだ。
ヘレナを責めて両親に嫌われるのが怖かったのだ。
今だって、クラウスが離れていくのを止めようと、必死でこんな事を仕出かしたクラウスを許そうとしている。
何て、甘いイレーナ………
「君はどうしたい?」
「…わ、私はクラウスと離婚したくないわ……」
「うん…」
「へ、ヘレナとはもう会わない……」
「ホント?」
「手紙が来ても無視するわ……、ねぇだからクラウス、お願いだから離婚するなんて言わないで…」
ギュッと、必死でしがみ付いてくるイレーナ。
そんな彼女の背を抱きしめ、クラウスは小さく笑う。
イレーナは弱い人じゃない。
けれど、愛に飢えている。
両親から満足に貰えなかった愛を注いだクラウスに、イレーナは依存しかけている。
「ごめんね、イレーナ。僕が悪いのに色々と言い過ぎた」
「私の方こそごめんなさい。ヘレナのことを貴方がそこまで嫌ってるなんて思わなくて…。いいえ、そこまで嫌わせたのは私達家族ね。本当にごめんなさい」
「もう謝らないでイレーナ。今回の件は全面的に僕が悪いし、やり過ぎたとも思っている。でも後悔はしてないよ」
「クラウス……」
「だけど、ベルクルト嬢とエルグランド殿には謝罪に行かなければいけない。それに、お義父さん達にも説明が必要だしね…」
「待ってクラウス。お父様達には言う必要はないわ」
「しかし…」
「貴方の言う通り、今回の件でヘレナは酷く落ち込んでいると聞いたわ。漸く自分の何が悪かったのか考えているの。………そ、それに…、もしお父様が知ったら離婚しろと言われるに決まってるわ……」
「……それは仕方ないよ」
「駄目よ!」
「イレーナ……」
「お願いよ、お父様達には言わないで」
「分かったよ。僕からは何も言わない。言うか言わないかは君に任せるよ」
そうは言っても、いずれ義父母は事の顛末を知ることになるだろう。
その時彼らはクラウスを責めるだろうか?それとも悲しむだろうか?
どちらにせよ、もうこの時点でイレーナがクラウスを選んでくれるなら、どれだけ彼らに嫌われたとところで痛くも痒くもない。
それに、子爵位はもう直ぐイレーナが受け継ぐ。
当主であるイレーナさえクラウスのものであれば、もう彼らは必要ないのだ。
「イレーナ、誰よりも愛しているよ」
「クラウス……私も愛してるわ……」
抱きしめた妻の髪を撫で、クラウスは今回の騒動の結末に満足した。
アリューシャ・ベルクルトを巻き込んだのは失敗だったが、どれもある意味上手く利用出来たとは思う。
これで、イレーナを家族から引き離せる。
やっと彼女はクラウスだけのものになるのだ………。




