とある管財人の事情
ある男性視点。
前回の答え合わせを半分だけ…
貧乏男爵の次男だった俺は、何故か昔からキラキラと光り輝く物が好きだった。
綺麗な布、宝石やガラス細工。
それらを見る度に心奪われ、魅了されていく。
けれど俺の家は非常に貧乏で、普通の貴族であれば持っているような宝飾品など何一つなく、俺の唯一の楽しみは美術館に行くことだけだった。
毎月一日だけ無料で開放されるその日を楽しみに待ち、当日は朝一番から美術館に赴いては閉館されるまで展示される品々を見て回った。
大きなエメラルドの付いたネックレスに、緻密な図柄が描かれた皿や壷。もちろん絵画も大好きで、それを見ているだけで幸福だった。
そんな俺が宝飾品の鑑定眼を得られたのは、ある意味自然な事だった。
風景画・静物画などの鑑定眼は絵画関連だけで四つ。貴金属関連は宝石と金属の二つ。その他にも陶磁器関連で三つの鑑定眼を取得した俺は、学園の入学時で既に九つの鑑定眼を有していた。
そうなってくると、将来の展望も自ずと見えてくる。
管財人。
五つ以上の鑑定眼を保有し、なおかつ高難易度の試験に合格した者だけが名乗れる上級の国家資格だ。
得意分野の鑑定眼を持っているだけではなれない。
全ての価値ある資産を把握する能力が必要なのだ。
継ぐ家のない俺にとって高給取りである憧れの資格であったが、毎年試験に受かるのは三十名程度という難易度に尻込みしているのも事実だった。
しかも管財人となれば興味のない不動産や骨董品の勉強もしなければならず、美しい物にしか興味のない俺にとってはそれも苦痛だった。
それでも、試験に受かれば将来は安泰。その上、普通ではお目に掛かれない品々に触れる機会があるとなれば、死ぬ気で頑張るより他になかった。
「……え?別れたいってどういうこと?」
「ごめんなさい、他に好きな人が出来たの」
最年少で試験に受かった翌日、俺は付き合っていた恋人に別れを告げられた。
先日までそんな素振りもなかったのに、いきなり切り出された別れに呆然とする。
財産のない男爵家次男の俺は、これでやっと彼女に婚約の申し込みが出来ると思って喜んでいた。
けれど、浮かれる俺に浴びせ掛けられたのは、彼女の容赦ない一言だった。
「やっぱり私、貧乏は嫌なの」
「……で、でも…、だから、管財人に…っ」
「もういいわよ。どうせ貴方は受かりっこないでしょ」
受かったという前に、まるで見下すように告げられた言葉は、棘となって俺に突き刺さる。
『貴方なら絶対に受かるわ』
そう励ましてくれていた胸の内ではそんな事を考えていたのか。
「貴方は見目もいいし恋人なら良かったんだけどね、やっぱり将来を考えるならもっと裕福な人に嫁ぎたいの。だからごめんなさい、もう貴方とは付き合えないわ」
言いたいことだけ言い切った彼女は、もう話は終わったとばかりにこの場を立ち去ろうとする。
「待ってくれ!」
慌てて踵を返す彼女の腕を取る。
管財人試験に受かったことを言えば、彼女は考え直してくれると思ったのだ。
「離して!」
「頼む、俺の話を聞いてくれ!」
「もう貴方とは終わったの!」
「ヘレナ!」
「あぁ、もしかしてこれを返せばいいの?そうね、貴方にとってはこんな物でも高価だったわよね」
言いながら指から小さな指輪を引き抜いた彼女は、それを俺の手に押し付けた。
呆然と手の中の指輪を見つめる俺に、彼女は満足げな笑みを浮かべる。
「これでわたくしと貴方は無関係よ。好きな人に誤解されたくないから、もう話し掛けないでね。それじゃあ」
衣擦れの音と共に遠ざかっていく足音を聞きながら、俺はじっとその場に立ち尽くしていた。
そして、手の中の指輪を見つめる。
小さな青い石の付いた指輪。
亡き父の形見だったタイピンの石を外し、彼女の為に作り直した指輪。
俺が唯一持っていたキラキラした宝物。
恋人からのプレゼントが羨ましいと言った彼女の為に、無理をして作ったものだった。
「………なんでだよ…」
ポタポタと無意識に涙が落ちる。
金が無いなりに、出来るだけの事はしてきた。
手紙だって出来るだけ送ったし、家の庭には彼女に贈るための花だって植えた。
試験に受かってやっと堂々と彼女に求婚出来ると思ったのに、どうしてこうなったんだろう。
「……あぁそうか……、俺はただの飾りだったんだな…」
顔がいいから、恋人にするにはちょうど良かったと彼女は言った。
管財人になりたいと言った俺を励ましてくれた彼女は、口では俺を励ましながらも不可能だとずっと思っていたのだろう。
「……好きな人か……」
俺と違って金を持っている男だとヘレナは言った。
大抵の貴族は俺より金持ちだろうし、平民でもカンザナイトのような豪商なら貴族の令嬢を娶る事も可能だ。
要するに、俺よりも金を持っている人間はそこら中にいるという事だった。
「兄さんに何て言おうかな……」
試験に受かった祝いをしてくれると言っていた兄には、ヘレナのことも話していた。
今日彼女が頷いてくれるなら、ヒルデリー子爵家に当主である兄が婚約の申し込みをしてくれる予定だったのだ。
両親を亡くしてからずっと俺を気に掛けてくれていた兄に、失恋の報告をするのは非常に辛かった。
「兄さん、ゴメン……」
暗い顔で帰った俺を、今度は兄が泣きながら慰めてくれた。
裕福ではない事を必死で謝ってくれる兄だが、兄が借金を返してくれたお蔭で何の憂いもなく学園に通うことが出来たのだ。
管財人の試験も兄の協力があったからこそ受かったと思っている。
「ヘレナの事は残念だったけど、暫くは管財人の仕事を頑張るよ」
在学中に受かった俺は、実際その日から多忙の日々を送ることになった。
卒業するまでにある程度の仕事の流れを覚えられるように、放課後は士業ギルドに通う事になったからだ。
そうして日々気が付けば、俺の中でヘレナのことを思い出す日は減っていった。
これでその内彼女との事は学院時代の思い出の一つになるだろう。
そう思っていた俺を嘲笑うように、突如思い掛けない話を聞くことになった。
「ヘレナ様、元気をお出しになって」
「そうですわ。お相手の方は何か事情がお有りなのでしょう」
「けれど、今まで十日に一度は御手紙を下さっていたのに、もう一月以上……」
「お忙しいのではないでしょうか?確かお相手は年上の方でしたわよね?」
「ええ。大きな商会をされている方です…」
「身分違いの恋ですわね。恐らくお相手の方は、ヘレナ様に釣り合うように頑張っていらっしゃるのでは?」
「………ところで、お相手はどなたなの?」
「ここだけの秘密にして下さいませ…」
そう言ってヘレナが小さく呟いたのは、我が国の豪商の一つであるカンザナイト家次男、エルグランドの名前だった。
裏庭の隅でたまたま休憩していた俺の耳に届いたヘレナの言葉。
カンザナイト家の次男が相手では俺が振られるのも仕方ないと、彼女達に見つからないようにこっそりと裏庭を後にする。
しかしまさかヘレナの相手がカンザナイト家の次男とは驚きだ。
一体いつ知り合ったのだろう。
「いや、待てよ。確か兄は今外国に買い付けに行っているとルビー嬢は言ってなかったか?」
二ヶ月前から外国に買い付けに行っている兄が、明日漸く帰ってくると教室で話していたように思う。
俺が別れを切り出されたのが一ヶ月程前。
外国からそんなに頻繁に手紙を送れるとは思えないので、恐らく二人の関係は二ヶ月前より続いているという事だ。
つまり、俺は二股を掛けられていた事になる。
「彼は、ヘレナが俺と二股を掛けていたことを知ってるんだろうか……?」
ルビー嬢の話す兄の一面しか知らないが、とても恋人の居る女性に手を出すような男性には思えない。
二股を掛けられていたと知れば、彼はヘレナと別れるんじゃないだろうか?
「……ルビー嬢に話してみよう」
これは一種の八つ当たりだった。
けれど、これくらいで別れるなら、元々その程度の軽い関係だったのだと自分に言い聞かせる。
だが、ルビー嬢にそれとなく話題を振った数日後、彼女から思いも寄らぬ回答が返ってきた。
「兄に聞いてみたけど、今お付き合いしている女性はいないみたいよ」
「そうなのかい?」
「たまにいるのよね、勝手に恋人とか婚約者とか名乗る人。貴方も気をつけてね。投資話や借金の申込みが出ると要注意よ」
「あはは…、分かったよルビー嬢。ありがとう」
ルビー嬢の忠告に礼を言い、俺は一人小さく首を傾げた。
カンザナイト家の次男が嘘を吐いていないなら、ヘレナが嘘を吐いているという事になる。
しかし手紙が来ないことにヘレナが落ち込んでいるのは事実のようで、とても彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。
「このハンカチお前の?」
ルビー嬢の言葉について考え込んでいた俺の目の前で、級友達が青い色のハンカチを振る。
どうやら黒板の前に落ちていたらしい。
「それはアンダーソンのやつじゃないか?」
ハンカチの隅に入れられた刺繍に見覚えがあった。
「確か、婚約者に貰ったイニシャル入りのやつだったと思うぞ」
「……アイツ、そんな大切な物を落とすなよな……」
ちょっと不貞腐れながら、綺麗にイニシャルが刺繍されたハンカチを見る。
家紋の上にイニシャルが入った緻密な刺繍だ。
婚約者と上手くいっているようで羨ましい。
俺もイニシャル入りのハンカチをプレゼントしてくれるような恋人が欲しいものだ。
「ん、イニシャル………」
呟いた瞬間、先日ヘレナが話していたことを思い出した。
エルグランドからの手紙が来ないと嘆いていたヘレナ。
彼が外国に出ているならそれも当然だと思ったが、そもそもそれ以前、外国から十日ごとに手紙を送っていたことがおかしいのだ。
しかも、肝心の相手であるエルグランドに恋人はいないとルビー嬢は言った。
この矛盾は一体なんだ?
それに、手紙が途絶えた時期と俺が彼女と別れた時期が一致する。
「いや、まさかな……」
口では否定しながらも、一度思い付いたことを何故か否定出来ない自分がいた。
ドクドクと心臓が痛み、無意識に手が震えた。
「まさか……、まさか……」
ブツブツと呟きながら、その日のクラス討論会は欠席して慌てて自宅へと帰った。
震える指を必死で押さえ込んで急いで手紙を書きあげ、それをヘレナの家へと送る。
そうして予感が外れて欲しいと思いながら、祈るような気持ちで彼女が手紙を受け取る時間を待った。
「そんな…っ…」
数時間後、こっそりとヒルデリー子爵の家の前を通り過ぎれば、見慣れた部屋の窓枠に黄色のハンカチが揺れていた。
別れたはずの俺からの手紙に返事を返す彼女。
嫌な予想が見事に当たってしまったのだ。
「やっぱり俺の手紙だったのか……」
恋人であるヘレナに宛てた手紙。
『少しでもこの手紙が貴女の心に残るなら、黄色のハンカチを窓に吊るして欲しい』
それは、恋物語の好きな彼女に気に入られるように始めた遊びだった。
彼女なら直ぐに手紙が『白薔薇屋敷の黄布』を模した物だと分かってるくれるだろう。
だから、彼女への愛を書き連ねた手紙の末尾には、毎回自分のイニシャルだけを入れた。
エルヴィン・カークランド。イニシャルはE・K。
名前を書かなかった俺が悪いとはいえ、まさかヘレナが付き合っている男のイニシャルを別人と勘違いするなんて思うはずもなかったのだ。




