償い(エリック視点)
「結婚?!シュバルツ公爵が?!」
「ええ…、それならギルレイドに帰らなくてもいいでしょうと仰って…」
夜、どうしても姉が気になって部屋を訪れたエリックだったが、目当ての姉は不在で居らず、客室付きのメイドに聞けば散歩してくると言って中庭に向かったという話だった。
だが、暫く待っても中々帰ってこない姉に焦れて部屋を飛び出したところで、何故か姉はシュバルツ公爵と共に帰ってきた。
たまたま会っただけという話は本当だろうが、その後部屋で詳細を聞いたエリックは、余りに突拍子もない公爵の提案に息を飲んだ。
「確かにそれなら王家も煩く言わないと思いますが……」
あの公爵なら軽く撥ね除けてくれるだろう。
だが、それは余りにもこちらに都合が良すぎる。
何か裏があるのだと考えるのが普通だ。
「そもそも、公爵は未婚なのですか?」
男のエリックから見てもシュバルツ公爵はかなりの男前だ。
少々線が細いとは思うがひ弱な感じはしないし、それこそ世の女性が放っておかないだろう。
「もしかして側室?」
「……たぶん、公爵様は振られて自棄になってるんだと思うわ」
「振られて…?」
ベルベットが言うには、公爵はつい先ほど振られたばかりだそうである。
しかも平民に……。
「た、確かにカンザナイト家は豪商ですが……、それにしても……」
「結局は身分差を理由に断られたそうよ」
「でしょうね……」
しかし、何故そこから姉と結婚するという話が出るのかがエリックには分からなかった。
「それで、どうして公爵は姉さんと結婚などという事を?」
「恐らく同情でしょうね……。あと、ヴァルテンベルクにとってわたくし達姉弟を確保したいという思いも少なからずあると思うわ」
「なるほど……。それで姉さんはこの話をどう思ってるんだ?」
「出来れば受けたいと思ってるわ……」
言いながら、姉は微かに俯く。
「言ったの…、わたくしは穢れてるからって………、でも公爵様は気にしないって……、それどころか、わたくしを家族想いの優しい女性だと………」
「姉さん……」
「…嬉しかったの……」
同情でもいい、裏があってもいい…とベルベットは語った。
その口調は恋をする女性そのもので、数時間前まで悲壮な顔をしていた姉はもういなかった。
「それに公爵様はエリックも共に来て良いと仰って下さったわ」
「俺もですか?」
「ええ。多分、貴方の微妙な立場も分かって下さっているのだと思うわ」
「……分かりました。では、折角お時間を空けて貰っているようだし、明日の朝詳しいお話を伺いましょう」
「そうね」
その後直ぐに侍女へと訪問の伝言を預ければ、朝食を共に取ろうという返事が返ってきた。
こうしてエリックはシュバルツ公爵との話し合いのために、早朝彼の客室を訪れた。
結果、話し合いは実に円滑に進んだ。
それは、何故か途中で参加したエメラルド殿下の功績が大きい。
『私が言うのも何だが、ミハエルはお薦めだぞ。前の奥方は私でさえもどうかと思うほどに公爵夫人としては微妙でな……』
『では何故そんな方とご結婚を?』
『最初の婚約者が亡くなったので、その妹と結婚したんだコイツ。いくら新しい婚約者を探すのが面倒だからと、あれはないんじゃないか?正直、よく七年も持ったと思う』
殿下がそう嘆くほどにシュバルツ公爵の前夫人の評判は悪かったようだ。
『ルビー嬢に振られて自棄になっているなら止めようと思ったが、書類を見る限りちゃんとベルベット嬢のことを考えているようだし、もし婚姻を結ぶなら私も協力しよう』
そう断言したエメラルド殿下は、そのまま来た時と同様にあっと言う間に去っていった。
その間シュバルツ公爵は呆れたように闖入者である殿下を見るだけで、特に反論もしなかった。
後でその話が本当かどうかは調べようと思っているが、多分殿下が言ったことは本当なのだろう。
そして殿下が言う通り、シュバルツ公爵から提案された内容は、こちらが恐縮するほど良い条件だった。
しかもきちんと書類に書き起こしてくれているのだ。
「本当に俺も一緒にご厄介になっても構わないのですか?」
「もちろん。君ほどの腕前なら安心して護衛を任せられるし、ベルベット嬢だって一人異国の地に来るよりは、弟である君と一緒の方が良いだろ?」
婚約期間は三ヶ月とし、その間もシュバルツ邸で面倒を見てくれるという話だった。
姉の為に結婚式もしてくれると言うし、正直、これ以上は贅沢かもしれないとさえ思う条件が書面に書かれている。
「本当に、本当にわたくしのようなものが妻でも宜しいのでしょうか…?」
「ベルベット嬢、何度も言いますがそうやって自分を卑下するのはお止め下さい」
「しかし……」
「まぁ、気にするなと言っても貴女は気にするでしょうが、僕としても貴女に嫁いで貰えるのはありがたいのです。貴女なら煩い親戚も何も言わないでしょうし、家の事も任せられる」
「ミハエル様……」
いつからミハエルと呼ぶようになったのか、姉はもう完全にシュバルツ公爵に夢中だった。
それも仕方ない。
修道院に入って余生を過ごすつもりだったのが、一転して公爵との婚姻だ。
これが幸運と言わずして何と言うのだろう。
死にそうな顔で俯いていた姉が元気になったのだ。騙されていても良いとさえ、エリックは思っている。
「ただ、僕は昨日振られたばかりで、恐らく気の利いた愛の言葉は口に出来ないと思います」
「はい、承知しております」
「しかし、夫婦となったからには貴女を蔑ろにするつもりはありません。ましてや浮気もしませんので、その点はご安心下さい」
「……少々ならわたくしは見ない振りを致しますわ」
「いえいえ、見ない振りはせずに怒って下さい。それに正直に言えば、僕はそちらの方面は淡白な方で、とても愛人を囲うような気力はありません」
疲れたように苦笑を漏らす公爵を、エリックは微妙な気持ちで見つめる。
これだけの美男子なら女性なんて選び放題だろうに何故わざわざ姉なのかと思ったが、彼は恐らく親戚など外野が煩くないなら誰でもいいのかもしれない。
エメラルド殿下の話から、何となく女性運が無さそうな雰囲気のある公爵。
だが、公爵のそういう態度が女性を面倒臭い女に変えていっている気がする。
恐らく無自覚で女性を翻弄するタイプだ。
女をダメにする男とは、もしかしてこういう人物かもしれない。
そんな彼が平民であるカンザナイト家の令嬢に婚姻を申し込んだのはある意味正解だろう。ルビー嬢は間違ってもダメになるような性格ではない。
それならば姉であるベルベットはどうだろう。
自分の姉を褒めるのも何だが、聡明で芯の強い女性だと思う。
幾ら惚れた男の為とはいえダメな物はダメと言うから、婚約者であるダリウス・カザンに疎まれたとエリックは思っている。
外では夫を立てつつ、家では完全に男を尻に敷く部類だ。
今回の事件のせいで死にそうな程沈んでいるベルベットだが、本来の性格はそれなりに強かだった。
先ほどは少々の浮気は認めると殊勝な事を言っていたが、影では絶対に排除に向かうだろう。
姉はそういう女性である。
うん、ある意味お似合いかもしれない………。
「公爵様のお心遣いに感謝致します。しかし、何分婚姻は家に関係するものですので、国にいる家族とも相談させて下さい」
「もちろんその方が良いでしょう。ただ、手紙を送る際は気をつけた方がいいかもしれません」
「そうですね…」
恐らく自分達姉弟はギルレイドに監視されている。
手紙のやり取りも慎重にする必要があるだろう。
「もし、昼までに手紙を書けるなら、カンザナイト商会に預けるといい。彼らの手紙と共に送れば、向こうも手出しし難いだろう。彼らには僕から話しておこう」
「助かります……」
直接彼らと話した事はないが、目の前の公爵やエメラルド殿下の言葉の端々から、カンザナイト商会を信用しているのが窺える。
それならば、彼らの助けを借りて国の両親たちに連絡を取る方が安全かもしれない。
「……話は変わるのですが公爵、一つ質問しても宜しいでしょうか?」
「何だい?」
「俺が巻き込んでしまったミレーユ嬢はどうなったのでしょうか?」
エリックが助け出された時には、既に彼女は捕まった後だった。
酷い扱いは受けていないと聞いているが、今も彼女はこの屋敷の地下牢に入れられたままだと聞いている。
「ミレーユ嬢は俺が騙して連れてきたようなものです。悪いのは全部俺です…」
「しかし、彼女は替え玉になることを承知で君に付いて行っている」
「それはそうなんですが……」
それでも、あんなに追い詰められた状況で無ければ、彼女は決してエリックの手を取ったりはしなかっただろう。
「僕が調べた限り、ミレーユ嬢は自分から君の甘言に乗っている。はっきり言えば、彼女が断りさえすればこの件はここまで面倒な事態にならなかった可能性もある」
けれどエリックさえ近付かなければ、彼女は今でも普通の生活を送れていただろう。彼女だってあんな浮気のような事は仕出かさなかった筈だ。
「君はどうやらかなりの罪悪感を感じているようだが、僕は全て彼女の責任だと思うよ。端から見ても、君が彼女に接触しなくても彼らの関係は破綻寸前だった。そもそも略奪愛なんて双方の努力がなければ続かない。だと言うのに、努力していたのは夫であるアルビオン氏だけで、彼女は現状を嘆くだけで自分からは何もしなかった」
「それは…」
「そして初めて彼女が起こした行動が君との関係だ。頭が悪いにもほどがある。どうせ君が何もしなくても彼女はまた違う誰かに同じことをしたんじゃないのかな…」
子どもの件を真っ先にアルビオンに相談してさえいれば、彼女の未来は相当変わったことだろう。
そう言って公爵はため息を吐いた。
「だが、同情の余地はある。君からの嘆願については殿下も了承しているので、極刑は免れるだろう」
「そうですか…」
公爵ははっきりと断言しなかったが、おそらく修道院にて数年過ごす事になりそうだという話だった。
王族を謀った罪の割りには比較的軽い処罰だとは思う。
しかし……
「俺も彼女と同じ罪に問われるべきだと思ってます。俺への罰が軽すぎるかと……」
「しかし君はベルベット嬢の身柄を盾に脅されていた。だが、ミレーユ嬢は君に脅されていない。それが今回の罰の差だと思って欲しい」
エリックの罰は、騎士位の返上だ。
一から出直せば再び騎士となる事は可能だろうが、ギルレイドでは難しいだろう。
それに、脅されたとはいえこのような不名誉な事件に巻き込まれた。今後騎士を名乗ることが許されるとは思えない。
「でも彼女を追い詰めたのは俺なんです…」
「そうだね。だからこその減刑処置だ。でもあの日、君と食事をしてそのまま別れる選択肢が彼女には有った。実際に君もそれを望んでいた」
「はい……」
王女の命令とはいえ、やはり彼女を巻き込むのは嫌だった。
しかしファーミングの手駒がエリックを監視しているため、姉の為にもミレーユを篭絡する振りをしなければいけなかった。
だから、王女が国を出発するギリギリまで粘り、やはりダメだと報告する予定だったのだ。
「君は脅してまでミレーユ嬢を巻き込むつもりはなかった。しかし彼女は自分から君の方へと堕ちてきた。君にはもう彼女を連れて行く選択肢しかなくなっていた」
連日緊張を強いられる中、気付けば酒が進んでいた。
今日でやっと彼女との関係を終わらせられると思って油断していたのは事実だ。
そして、気付けば怒鳴り声と共にエリックは部屋を追い出されていた。
その瞬間、今まで傍観を決め込んでいたファーミングの監視が接触してきた。
この時点でもうミレーユを巻き込む選択しかエリックには残されていなかったのだ。
「ファーミングはファーミングで君が裏切ってヴァルテンベルクに密告しないか気が気じゃなかったようだし、本当にあの王女様は面倒なことを仕出かしてくれたよ……」
後から聞いた話だが、協力者であるファーミング商会でさえステラ王女に巻き込まれて後がない状態だったようだ。
上手く話を持って行けばファーミングと協力出来たかもしれないと思うと悔やまれる。
「その……、ミレーユ嬢と話をする事は可能でしょうか?」
「見張りをつけても構わないなら…」
「それで結構です」
何とか公爵の許可を取り、エリックはミレーユと会うことになった。
「……ミレーユさん……」
「エリックさん…?」
子爵邸の地下牢で、ミレーユがぼんやりとした表情でベッドに腰掛けていた。
不当な扱いは受けていないようで特に拘束されている様子はなく、暴力を振るわれた跡や衣服の汚れも特に見当たらなかった。
その事に小さく安堵の息を吐き、エリックは鉄格子へと近付いた。
顔を見た瞬間怒鳴られることも覚悟していたが、ミレーユは視線を向けただけで何も言わなかった。
「ミレーユさん……、すまなかった………」
膝を突き、鉄格子越しに謝罪の言葉を口にした。
これは完全にエリックの自己満足だと分かっていたが、それでも彼女にはずっと謝りたかった。
「顔を上げて下さい、エリックさん」
微かに聞こえた声に顔を上げると、ベッドから離れたミレーユが鉄格子の直ぐ傍で小さな苦笑を浮かべている。
「貴方のことは恨んでいません…」
「ミレーユさん…」
「だって、アルビオンを裏切ったのは私自身なんだもの……」
目を伏せ、顔を手で覆った彼女はそのまましゃがみ込む。
そして泣きながら、途切れ途切れに心情を吐き出した。
「あの時、貴方と食事をしてそのまま別れれば良かったんです……、ううん…っ、ちゃんと子どもが出来ていないとアビィに言っていれば良かったんです…っ」
全ては自分が選んだ結果だとミレーユは言った。
「羨ましかったんです、ルビーさんがっ…、何でも持っているルビーさんが羨ましかったんですっ…。でも、彼女は全然遊んでいるだけのお嬢さんじゃありませんでした…、質素な服を着て仕事をしている彼女を見て、私は一体何を見てたのかなって……っ」
魔術学院に入るだけでも相当な勉強量が必要だと知っていた。
更に上位クラスに入り維持するための努力も聞いていたのに、恵まれた彼女の環境にずっと嫉妬していたのだと言う。
「アビィが私を選んでくれて凄く嬉しかったんです…、でも私はその幸運に努力することを、誠実であることを忘れてしまったんです……、だから自業自得なんです……っ」
「ミレーユさん……」
「エリックさんはずっとアビィに話した方がいいと言ってくれていました……、そんな貴方の気持ちを裏切って、安易な考えであんな事を……っ」
「そうなるように誘導したのは俺です…」
「……でもあの日、貴方は最後まで私に何かを強要することはありませんでした…、だから何もかも私自身の責任です……」
ハラハラと泣きながら、懺悔を繰り返すミレーユ。
「どこで間違えたのか、ここに来てからずっと考えていました……」
最初はルビーを恨んだ。
そして次はアルビオンを恨んだ。
最後にエリックと王女を恨んだ……。
けれど、誰よりも恨まなければいけないのは、安易に楽な方へと流された自分自身だと、最後の最後でミレーユは気づいた。
「私が、私が馬鹿だったんです……」
乱暴に涙を拭い、ミレーユがゆっくりと立ち上がる。
「私は、最初から間違えていたんです…」
はっきりと彼女は言った。
最初に間違えたからこそ、今があるのだと。
「アビィの隣に立ちたいなら、彼といる為なら、最初にきちんと筋を通さなければいけなかったんです」
最初の間違いを正すために、また間違いを犯す。
それを繰り返した結果が今なのだと彼女は言う。
「だからエリックさん、もう謝らないでください。これは私が間違い続けた結果です…、何の努力もせず、嫉妬して嘆くことしかしなかった私が選んだ結果です……」
そう言って彼女は小さく笑った。
「最後に貴方とお話が出来て良かった…」
そう言葉を吐き出した彼女の瞳は穏やかに凪いでいた。
静かに、全てを受け入れた目で、彼女はエリックを見つめる。
「ミレーユさん……」
何を言えばいいのか分からず、エリックはそんなミレーユを見つめた。
そんなエリックの視線の先で、彼女は小さく目を伏せた。
「さようなら……」
小さな声と共に、彼女はそのまま背を向けた。
これ以上の会話を拒むように向けられたその小さな背中に彼女の覚悟を感じる。
罪と向き合う覚悟。
それを邪魔する権利はエリックには無かった。
「ミレーユさんお元気で……、さようなら……」
何も言わない背中に、最後にもう一度だけ腰を折り無言で謝罪した。
そしてエリックは地下牢を後にする。
「今度は俺が罪に向き合う番だな……」
国の両親は姉の結婚に反対しないだろう。むしろ家を挙げて喜ぶはずだ。
だからおそらくエリックもこのまま姉と共にこの国に残ることになるだろう。
それはつまり、輝ける騎士としての未来はもう無いということだ。
騎士団に入団し、ギルレイド王家を守ると誓ったのを遠い昔のように感じる。
あの時の誓いはもう、剣と共に折れてしまった。
公爵はそれがエリックへの罰だと言った。
それでも、エリックにとっては剣は自分の生涯を捧げるものだと思っている。
ならば、また一から頑張るだけだ。
しかし他国の人間であるエリックが騎士として名を挙げるのは容易ではないだろう。
だが、願わくば、この剣を捧げる相手に今度こそ出会いたいと思った。




