空想
「この絵……」
花を題材にした絵画の展覧会を見て回っていた男女が、一枚の前で足を止めた。
「お気に召しましたか」
二人に四十がらみの男性が話しかけた。振り返った老人は相手の全身を眺めて尋ねた。
「もしかして、君がこの絵を描いたのか」
「はい。そうです」
おしゃれなスーツを着た画家はにこやかに頷いた。
「なるほど」
老人は少し黙り、絵と画家を見比べていたが、口を開いた。
「素晴らしい技術だ。四種類の花がそれぞれ美しい。実に鮮やかで生き生きしている。わしは園芸が趣味だが、よく描けていると思う」
「ありがとうございます」
大きな絵には小屋のような場所で花の手入れをする妙齢の美女が描かれていた。頭に紫の藤の花で作った冠、両手に白い百合を一本と鉄のはさみ、机の上に満開の桜の枝、足元に黄色い菊を数本差した陶製の花瓶が置かれている。
「どれも見事な咲きぶりだ。色とりどりの花が美しさを競い合い、大変華やかで迫力がある」
「おほめいただき光栄です」
画家は優雅な仕草で一礼した。
「だがな」
老人の口調が急に厳しくなった。
「この絵はありえない。おかしい」
「ちょっと、お父さん」
連れの若い女性が驚いて袖を引いた。
「やめなよ」
「いいや、これは黙ってはいられない」
老人は娘の手を振り払い、視線で黙らせた。
「お尋ねするが、この絵の季節はいつだ」
花を一つ一つ指さした。
「桜は春、藤は初夏、百合は夏、菊は秋、全部違う時期に咲く花だ。四つが咲きそろうことはありえない」
画家はおだやかに答えた。
「美しいものを集めてみたのですが、お気に召しませんか」
「好き嫌い以前の問題だ。この絵は非常識だ。一つ一つの花はよく描けているが、現実には決してない光景だ。わしはそれが気になる」
老人は呆れたように強い息を吐き出した。
「この絵はうそだ。正しいことをきちんと正確に描くのが画家として最低限のマナーではないか」
老人は会場を見渡した。
「この展覧会には子供も来るな」
「ええ、美術の授業の団体客もおります」
「子供たちがこの絵を見たらどう思うか。こんな光景があると思い込んでしまったら。こんなでたらめを描いても許されると考えてしまったら。教育上非常によくない」
画家は首を傾げた。
「子供たちは楽しんでくれていると思いますが」
「それは知識がないからだ。常識を備えた者が見たら絶対におかしいと思うはずだ。それとも、わしの知識と経験を否定するかね」
老人は自信があるようだった。
「とにかく、こんなうそを描くべきではないし、そんな絵には価値がない。展示するなどもってのほかだ。あなたの常識と品性が疑われる。この絵はすぐに撤去するべきだと思う」
では、失礼する、と言い捨てて、老人は次の部屋に歩いていった。
「お父さん、ちょっと待って」
女性は呼び止めようとしたが、老人が角を曲がって見えなくなると、画家を振り返って深く頭を下げた。
「申し訳ありません。父が失礼なことを」
「いいんですよ」
画家は首を振った。
「ああいう意見があることは知っています」
女性はほっとしたように微笑み、絵を眺めた。
「素敵な絵ですね。これ、空想の世界ですよね」
画家は頷いた。
「実際に目で見たのではなく、想像して描いた絵です。その意味ではうそです。でも、私はこの四つを組み合わせたら美しいだろうと思ったのです」
「分かります。私はこの絵、とても好きです。こういう光景を実際に見てみたいです。花は実物を見て描いたのですか」
「ええ。それぞれの花が最も美しい時期に山や公園へ行って写生しました。そういう準備をしていることに気が付けば、自然ではありえない絵だと私が分かっていたことを想像できたと思いますが」
女性は困ったように笑った。
「父は芸術には興味がないんです。だからあんな感想になったのだと思います。知識や経験がある分、それに反することが我慢できなかったみたいです。花の絵なら見るかなと思ったのですが……」
「お気になさらないで下さい」
画家はにこやかに答えた。
「この絵がおかしいと指摘されたお客様は、あなたのお父様で今日五人目なのです。ここに気付かない方が多くて」
床にはめられた木製の札には、墨で小さく『造花を作る乙女』と題名が書かれていた。




