公平
「大変だ。安東と相馬が殴られた」
一組の教室に伊達が駆けこんできた。
「どういうことだ?」
佐竹が尋ねると、興奮した口調でクラス全員に聞かせるように話し出した。
「昨日の文化祭、一組はラーメン屋をやったろ。戸沢がどんぶりを二つ急ぎ足で運んでたら、五組の菊池さんに後ろからぶつかったんだ。彼女は転んで足をねんざして演劇の舞台に立てなかったんだが、主役だったんだよ。白い衣装もラーメンの汁でぐちゃぐちゃになり、洗ったけど大きなしみが残ったし、紙製の飾りは駄目になった。うちの学級委員の二人がさっき菊池さんに謝りにいったら、五組の連中に囲まれてなじられたんだ。ずっと練習してきたのに、うちの出し物を滅茶苦茶にしやがってってな」
「それで殴られたのか」
「いいや。あんまりぐちぐち言われるから腹が立って言い返したらしい。俺たちだってわざとやったわけじゃないって。そしたら向こうもかっときて、ひどい言い合いになって、つい安東が相手の胸ぐらをつかみ、つかみ返し、手が出て……って感じだ。向こうの方が人数が多いから袋叩きさ」
伊達は早口で説明すると、大声で呼びかけた。
「みんな、五組へ行こうぜ。やられっぱなしじゃ気がすまない。佐竹、お前も来い」
「ちょっと待てよ。殴り込む気か」
佐竹は驚いた。
「気持ちは分かるけど、落ち着けよ」
「仲間がやられたんだぞ。あの二人、中心になってラーメン屋を盛り上げてたじゃないか。いい場所に店を出せたのもあの二人が委員会でねばったおかげだぞ!」
「それは分かってる。でも、暴力は駄目だ」
佐竹はなだめようとした。
「そもそも喧嘩の原因を作ったのはこっちなんだ。先に手を出したのも一組だろ。俺たちの方により多く責められるべき事情があるのは明白だ。もう一度頭を下げて謝罪して、仲直りした方がいい」
「何だと?」
伊達は血相を変えた。
「謝れって言うのか? あんなやつらに?」
「あんなって、同じ学校の生徒だろ」
「クラスは違うじゃないか。あいつらは敵だ! うちのラーメンが金を取れる味じゃなかったって言いやがったんだぞ! あんなまずい料理のせいで芝居が台無しになった、儲けた金で弁償しろだとさ!」
「確かにひどい言い草だが、敵ってのはやめろよ。少し頭を冷やせ。けが人が出るぞ」
「もう出てるよ。安東は眼鏡を割られたんだ」
「むこうは?」
「何人か鼻血を出してる」
「ほら、やっぱりどっちもどっちじゃないか。これ以上こじれる前に和解しようよ」
伊達は他の男子たちと一緒に出ていこうとしていたが、くるりと向きを変えて佐竹に歩み寄った。
「お前、なんで五組の味方をするんだ」
「味方じゃない。客観的に見てるんだ」
佐竹はつとめておだやかな声で言った。
「ぶつかったのは戸沢が廊下の角を曲がる時に不注意だったせいだ。ラーメンを持ってたんだから、もっと慎重に歩くべきだった。こっちに非があると思い、迷惑をかけたから謝りにいったんだろ。先に手を出したのもこっちだ。まず俺たちから頭を下げて謝って、仲直りするべきだ。公平に見て、そうだろ?」
「何が公平だ!」
伊達は怒鳴った。
「お前は一組だろ! クラスの仲間が殴られて、何ヶ月も研究を重ねて完成させた自慢のラーメンを馬鹿にされたんだぞ! みんなで頑張って売り切ったんじゃないか。これからお祝いをするところだったんだ。それをこっちが悪いから謝れだと?」
そうだ、その通りだ、と教室の出口で待つ他の男子たちが同意の言葉を叫んだ。
「ラーメンが冷めないように早足で歩くのは当たり前だろ! 向こうだって主役で大事な体なら、怪我には気を付けるべきじゃないか。五組にも落ち度はあるんだ! 全部俺たちのせいにしやがって!」
伊達は、だん、と机をこぶしで強くたたき、佐竹をにらみ付けた。
「お前はどっちの味方だ! あいつらの肩を持つならこのクラスから出ていけ! 五組へ行っちまえばいいんだ! 仲間のために体を張って戦うのが男だろ! お前がそんなやつとは思わなかった。失望したぞ!」
伊達は足音高く教室を出ていった。男子の多くが続いた。佐竹は横を通ろうとした女子を呼び止めた。
「二階堂さんも行くつもりなのか」
「もちろんよ。安東は家が近所の幼馴染、あたしはあの子の姉みたいなものよ。殴られたって聞いて黙ってはいられない。保護者としてあの子を守らなきゃ」
数人の女子を誘って廊下へ向かった。その後ろを背の高い男子がついていく。
「最上、なぜお前が行くんだ。伊達とは仲良くないだろ」
「五組の学級委員の島津の野郎には前からむかついてたんだ。いい機会だから思い切り殴ってやるぜ」
「それは私怨だぞ」
最上は片思いしていた五組の女子をデートに誘ったが、相談された島津は断るように勧め、そのあと彼女と付き合い始めたのだ。最上はあとで知って激怒していた。
「いや、一組のためだ。正義のこぶしだよ」
最上はにやりとして追いかけていった。それを見て、迷っていたらしい男子四人が席を立った。
「葦名、小野寺、大宝寺、葛西、お前たちまでか。喧嘩は嫌いだと思っていたんだが」
声をかけると、四人はうるさそうに振り返った。
「伊達には借りがあるんだ。行くしかない」
「伊達に頼みたいことがあってね。行かなかったら断られるかも知れないだろ」
「伊達はクラスの男子の中心だ。敵に回したくない」
「みんな行くんだ。一人だけ参加しないわけには行かないよ」
佐竹は忠告した。
「すぐに先生が駆け付けるぞ。叱られるからやめておけ」
四人は顔を見合わせた。
「これだけの大人数だ。重い罰を受けるのは中心になった数人さ」
「俺たちは大丈夫だろうよ。やりすぎないように気を付ければな」
「説教を少し我慢すればいいだけなら、伊達との関係を優先するよ」
「クラスで浮く方が怖いよ。絶対行かないという強い信念があるわけじゃないから」
四人も去っていった。
「参ったな」
佐竹はそばにいた女子三人に尋ねた。
「どっちが正しいと思う?」
二組の朝倉さんは少し考えて首を振った。
「どっちにも味方せずに静観する。私は別なクラスだし、正直あんまり興味ないのよ。関わると巻き込まれそうだし」
三組の一色さんも困惑していた。
「菊池さんと友達だし、安東君は同じ部活だから、この問題には触れたくないなあ」
「あんたたちはまだましよ」
四組の三好さんは肩をすくめた。
「あたしは伊達君の彼女だもん。どっちに味方するか決まってるよ。五組が正しいなんて言ったら嫌われちゃう」
期待していたらしく、佐竹はがっかりした顔をした。
「三好さんでも駄目か」
仕方ないという様子で立ち上がった。
「止めに行くよ。嫌われるかも知れないけど、放ってはおけない。もうけが人が出てるんだから」
朝倉さんが提案した。
「文化祭実行委員長を呼んできて、仲裁してもらったらどうかな」
一色さんも励ましてくれた。
「生徒会長や先生方にも都合はあると思うけど、喧嘩はしてほしくないと思っているはずだから、佐竹君の味方になってくれると思うよ。頑張って」
「味方が欲しいんじゃなくて、公平な立場から見てくれる人を求めているんだけどな」
佐竹は溜め息を吐いた。
「結局、公平な見方をしているのは僕だけか」
「あら、それはどうかなあ」
三好さんが言った。
「佐竹君はあの時ラーメンを運ぶ戸沢君と一緒に歩いていたから、これ以上大事になって自分に火の粉が降りかかるのを避けたいんでしょう?」




