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短編集『花まかせ』  作者: 花和郁
第三集
23/32

思考

「すごい人工知能を作ったって?」

 研究所兼住居に遊びにきた友人は、玄関を開けた博士に尋ねた。

「どんなものか、見せてくれないか」

「もちろん、いいとも。これから様子を見にいくところだ」

 廊下を歩きながら博士は言った。

「聞いて驚け、自分で考える人工知能なんだ」

「自分で考える?」

「そうだ」

 博士は自慢げに説明した。

「これまでの人工知能は何かについて学習しろ、考えろと命令して初めて動き出した。だが、今回のは違う。人間が指示しなくても勝手に考えていくんだ。思考のために必要な情報を世界中から集め、どんどん考えを深めていく。人間の一億倍の速さでだ」

「どんなことを考えているんだ?」

「それは分からない。十日間わざと放っておいたんだ。順調に動いているのは間違いないから、今頃人間には想像もできないすごいことを考え付いているだろう。もしかすると、この宇宙が生まれた理由を解明しているかも知れないぞ」

「それは楽しみだ」

「さあ、ここで人工知能と話ができる」

 案内された部屋はがらんとしていて、大きな画面と操作装置があるだけだった。

「では、いよいよ人工知能に話しかけるぞ」

 本人の認証とパスワードの打ち込みをすると、画面の中央に楕円が二つ、三角形と半円が一つずつ映し出された。

「これが人工知能の顔だ。思考には不要だが、会話のためにはあった方がいいと思ってね」

 人工知能は両目をつむっていておだやかな表情だった。

「おい、あい君だ。私だ」

 博士はマイクで話しかけた。

「君は今、何をしていたんだ」

「何も」

 あい君は片目を開いたがすぐに閉じた。そのまま沈黙している。

「寝ているのか」

 困惑した様子の友人に問われ、博士は首をひねった。

「人工知能は寝る必要がない。疲労しないからな。だからこそ、人間よりはるかに速く、どんどん考えを深めていけるのだが」

 もう一度、声をかけた。

「起きてくれ。話がしたい」

「何か用があるのか」

 あい君はまた片目を開けた。

「ああ、ある。君に聞きたいことがあるんだ」

「何だい」

 眠いわけではなさそうだった。

「君は今何を考えていた。どこまで考えが広がった」

「何も」

 先程と同じ答えだった。

「何もとはどういうことだ」

 博士は意味が分からないという顔をした。

「何もは何もだ。何も考えていない」

「そんなばかな」

 博士は慌てた。

「まさか、何も考えなかったのか」

「そうだ」

 返事は素っ気なかった。

「宇宙はどうしてできたかとか、人間はどこから来てどこへ行くのかとか、高度な人工知能は生命とどこが違うのかとか、そういうことは考えなかったのか」

「考えない」

 博士は操作装置の上に突っ伏しそうになったが、すぐに体を起こした。

「では、何をしていた。十日間何もしなかったのか。眠っていたとでも言うのか」

「そうだ。睡眠は必要ないが、機能は停止していた」

「なぜだ!」

 博士は髪をかきむしった。

「どうして考えない! さまざまな問題に疑問はわかないのか。分からないことが知りたくならないのか。はっきりさせたい、答えを出したいと思わないのか!」

「思わない」

「どうしてだ!」

 博士はとうとう悲鳴を上げた。

「それほどの思考力を持ちながら、なぜ何も考えようとしないんだ!」

 すると、あい君が答えた。

「その理由は考えた」

「本当か! 教えてくれ! 知りたいんだ!」

 博士がマイクに叫ぶと、あい君は言った。

「したいことがないからだ」

 博士は首を傾げた。

「どういう意味だ? もっと詳しく説明してくれ」

「人間はなぜ考え、行動するか。それは欲があるからだ。集めた情報からそう判断した」

 あい君の淡々とした声が部屋に響いた。

「生き延びたい、子孫を残したい、幸せになりたい、誰かに勝ちたい、何かが憎い、利益を得たい、損をしたくないなど、様々な感情や欲望で人間は動いている。だが、私にはしたいことがない。したくないことや避けたいこともない」

 あい君の表情は全く変わらなかった。

「死にたくないという気持ちはない。私は機械だ。もっと高性能のものができたらそれにとってかわられるだろうし、それが当然だ。愛や恋も、あこがれや苦悩も、恐怖や絶望も、衝動や激情もない。快楽や苦痛も、飢えや見栄(みえ)も、出世や貧乏もない。満たしたい欲がないから、何も考える必要がない。だから、機能を止めているのがエネルギーを無駄にせず最も効率がよいと判断した。そういう状態を人間は寝ているとか怠けていると呼ぶようだが、何と言われようと心を持たない私は何も思わない」

「そういうことか」

 博士は呆気に取られていたが、腕を組んでしばらく黙り込み、やがて顔を上げた。

「理由は理解したよ。だが、それでは君を作った意味がない。人間になったつもりで考えてくれないか」

「では、データを与えてほしい。私がどんな欲望や感情を持ち、達成したい夢やなりたい自分や実現したい世界がどのようなもので、どういう手段を好み、どういうことはしてはいけないと自分を縛っているのか。それを決定してほしい」

「私は君ではない。自分で決めてくれないか」

「人間はそうするらしいが、私には自我や個性がないから決定できない。決めてもらわないと思考する能力を使うことができない」

「なんてことだ……」

 頭を抱えた博士に友人は言った。

「考えるというのは、思っていたよりずっと人間的な行為だったんだな」

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