フェイクニュース ◎
(絵は遥彼方さん作。「イラストから物語企画」)
「四月一日、記事はできたか」
一年生の女子部員に三年の小鳥遊が声をかけた。
「時事問題のコーナーだ。どんな内容か確認したい」
小鳥遊は月刊学校新聞部の部長で編集長だ。今月分の締め切りが三日後に迫っていた。
「それが原稿か。見せてみろ」
四月一日は視線を合わせずにためらっていたが、観念したように机から立ち上がって近付いてきた。
「ここへ出せ」
部長が机を指さすと、四月一日は紙を一枚、伏せて置いた。小鳥遊はそれをめくって彼女を見上げた。
「白紙だな」
「はい」
四月一日は認めた。
「どうした。なぜ書かない。……待て、責めているんじゃない」
四月一日がうつむいて目をぬぐったので、小鳥遊は慌ててなだめた。パソコンに向かっていた他の三人が注目したので、小鳥遊は作業に戻れと身振りで指示し、立ち上がった。
「ちょっとこっちに来てくれ」
部室を出て廊下を進み、校舎のはじにあるドアを開けた。外はコンクリートの非常階段の三階部分で、数歩下りた段に腰を下ろした。四月一日は大人しくついてきて隣に座った。
「ここで待ってろ」
小鳥遊はすぐに立ち上がり、階段を駆け下りて一階にある自動販売機で缶コーヒーを二本買ってきた。
「飲め」
一本を渡し、自分の缶のふたを開けた。四月一日は戸惑ったふうだったが、小鳥遊にならって一口すすった。
「冷たいのでよかったか」
「はい。もう五月ですから」
階段は東側にあって日陰だが、今週は最高気温が二十度を超える日ばかり続いていた。
二人はしばらく黙って缶コーヒーを飲んだ。グラウンドにサッカー部や陸上部のかけ声が響いている。二週間後に迫った体育祭の練習をする生徒もちらほらいて、校庭は普段よりにぎわっていた。
「落ち着いたか」
四月一日が頷いたので、小鳥遊は缶を横に置き、部室から持ってきた二枚の紙を開いた。
「テーマが難しかったか」
一枚目は四月一日の原稿だった。右はじに縦書きで『世界のニュース』と手書きの文字があり、あとは真っ白だ。
「例年は校内のニュースが中心だったが、俺たちは高校生だ。十八になれば選挙権もある。世の中の動きを知っておこうということで、国内と海外のニュースを高校生らしい切り口で取り上げることにした。四月にみんなで決めたよな。今月の君の担当は環境問題だったはずだ」
「分かっています。でも、書けないんです」
思いつめた様子の彼女の横顔を見つめ、小鳥遊は手に持っていたもう一枚の紙を渡した。
「これが見本だ。五百旗頭が書いたものだ」
四月一日はプリンターで印刷された文字を黙って目で追った。
『今年の新企画。世界の動きを知ろう!
今月は隣国の話題だ。
五十代後半の首相の記者会見で、ある記者が質問した。
「鉄道建設に関して与党に多額の賄賂がばらまかれたという疑惑が世間の関心を集めています。首相も受け取ったと報じられましたが、事実でしょうか」
「それはうそのニュースだ! 南のあの国は俺のような強い男が首相だと困るらしい。十日後の総選挙で野党を勝たせるためにデマを広めようとしているのだ。我が賢明な国民は正しい判断をすると信じている」
別な記者が挙手をした。
「三十歳下のあの美人女優と遂に結婚するというのは事実ですか」
「それは本当のニュースだ! 彼女は生ける女神のように美しいが、内面は純粋無垢なかわいい人だ。俺を心から愛し、共に選挙活動の前面に立ってくれた。明日大々的に式を挙げてテレビで中継させる予定だ。君たちもじゃんじゃん報道してくれ」
最初の記者が尋ねた。
「ですが昨日、彼女が南のあの国のスパイだと報じられました。首相や我が国の情報を工作員に手渡す様子が撮影されていますし、あの国の高官の愛人で子供が複数いるとか。これはうそですか、本当ですか」
事実と認めれば首相は大恥をかき、選挙に影響する。うそだと言い張ればスパイで子持ちと疑われている女と結婚することになる。
「どちらですか。単純に事実だけを述べてください」
首相は答えられなかったとさ。』
「五百旗頭先輩はさすがですね。上手です」
四月一日が返した原稿を、小鳥遊はとんとんとたたいた。
「君にもこういうのを書いてほしいんだ」
「無理です」
四月一日は首を振った。
「とてもできません」
「書き方が分からないのか」
「違います」
「資料が集まらなかったか」
「記事に必要は分はそろえました」
「なら、なぜだ。君も新聞部員だぞ」
四月一日はしばらく黙り、小さな声で告白した。
「人を攻撃するために文章を書きたくないんです」
申し訳なさそうに五百旗頭の原稿を見やった。
「それはとてもよい記事だと思います。でも、皮肉や非難が込められています。私は読んだ人が明るい気持ちになるものを書きたいんです。人を楽しませ、笑顔にさせたいんです」
彼女はコンクリートの床に目を落とした。
「人を非難しなくてはならないのは悲しいことだと思います。相手に失敗や欠点やあやまちや、とにかくよくない点があったということですから。人を非難せず、ほめたり、感心したり、大好きだと言ったりするだけで生きていけたら幸せだと思うんです」
部長は口を開きかけたが、何も言わなかった。
「もちろん、分かっています。不正やあやまちを糾弾するのは必要なことです。それが新聞の役割です。それでも、手が動きません。頭を絞り、苦労して文章を書くのは、人を喜ばせるためだけにしたいんです。新聞部員失格ですね」
「君は小説家になりたいんだったな」
「そんな才能はありませんけど、詩や小説を読むのも書くのも好きです」
四月一日は大きな溜め息を吐いた。
「本当は文芸部に入りたかったんです。去年廃部になったそうですね。先輩にこっちに誘ってもらえた時はうれしかったです。でも、風刺記事みたいなものは肌に合いません」
「そうか……」
「小説にも人間の美しくない部分を浮き彫りにする作品はありますが、特定の誰かを標的にして書いてはいないと思うんです」
「新聞もそういうものではないはずだけどな」
小鳥遊部長はつぶやいて缶コーヒーを手に取った。四月一日も黙り込んだ。
グラウンドの向こうに雪の残る高い山が連なっている。演劇部の発声練習や吹奏楽部の演奏が初夏らしいもくもくした白い雲へ吸い込まれていく。その光景をぼんやりと眺めている四月一日の横で、小鳥遊は五百旗頭の原稿を見つめて考え込んでいたが、急に立ち上がって叫んだ。
「そうだ、それで行こう!」
「えっ?」
顔を向けた四月一日に、部長は大きく頷いた。
「君は批判記事を書きたくないんだろう? だったらフェイクニュースだ! フェイクニュースを書け!」
「どういうことですか」
彼女は首を傾げた。
「君の書きたい記事を書けばいいんだ。本当でなくても、こうあってほしいという望む世界や起きたらいいなと思う出来事を創作すればいい。ニュースは必ず真実でなければならないわけじゃない。うそのニュースだってあっていいはずだ」
「でも……」
反論しようとした四月一日を部長は手で制した。
「分かっている。新聞は考える材料を提供するものだ。うそでだますのは読者を裏切る行為だ。そうではなく、誰が読んでもうそだと分かるニュースを書くんだ。読んだ人が笑顔になるような楽しいうそのニュースを。たとえば……」
言葉に詰まった部長に、四月一日が言った。
「再来週の体育祭で雪合戦をするとかですか」
「そうそう、そういうのだよ。あの山の雪渓から運んできて、グラウンドにまくんだ」
「全校が紅白に分かれて大合戦、校門までの長い坂でそり滑り競争をし、雪だるまの大きさや雪像の芸術点を競います。終わった後はきれいな雪をかき氷にしてみんなで食べるんです。勝ったチームは練乳やシロップを先に使えます」
「他にも思い付かないか」
「ええと、学校で勉強する科目に新しく『人の喜ばせ方』が加わった、とかどうですか」
「いいね。贈り物の選び方の講習や手料理を作る実習、人をほめたりおだてたり笑わせたりする練習をするんだろう。大学入試は小論文のかわりに恋文作成だ。採点官がどきどきしたら合格、吹き出したら補欠、いらいらしたら不合格だ」
「じゃあ、必死で書く練習をしないと駄目ですね」
「みんな次々に書いて先生やまわりの人に読んでもらうんだ。もちろん、意中の人に見せてもいい。最優秀の恋文は大学の入学式で学長が朗読する。数千人の前でね」
「部長もなかなかやりますね」
四月一日は微笑んだが、すぐに自信なさそうに言った。
「みんな、そんなあからさまなうそを喜ぶでしょうか」
「喜ぶさ。いや、喜ばせるんだよ。それが創作、フィクションだろ。作り話と分かっているけど楽しいんだ。小説とはそういうものじゃないか」
「確かにそうですね」
四月一日の声が明るくなった。
「うちの新聞には漫画がない。描けるやつがいないから仕方ないが、気になっていたんだ。そのかわりとして、新聞の最後に幸せな気持ちになるうそのニュースをのせる。題して『四月一日のびっくりニュースコーナー』だ。きっと人気になるぞ」
彼女は立ち上がって手を伸ばした。
「分かりました。やってみます」
小鳥遊は彼女に原稿の紙を渡した。
「頑張れ。期待している」
「記事を書くのがこんなにわくわくするのは初めてです」
微笑み合うと、二人は階段を上がり、廊下を早足で部室に戻っていった。




