星夜のサンタクロース ◇
「お嬢さん、こんな時間にあの公園かい」
タクシーの運転手がハンドルを握りながら話しかけてきた。
「星を見に行くんです」
「雪の日に、その格好で?」
クリスマスに浮かれる街の明かりが、おしゃれな赤いドレスと厚手のコートの上を滑っていく。
「イブは毎年そうしています。幼い私の前に現れた、星好きのサンタさんを忘れないために」
「何か事情がありそうだね」
私は首にかけていた古いお守りをドレスの中から取り出してじっと見つめた。
「少し長いですが、思い出話を聞いていただけますか」
運転手は頷いて、天気予報のラジオの音を低くした。
私は子供の頃、肌が弱かった。両親も私も気を付けていたのだが、小学校五年生の夏休み、うっかり外で長時間昼寝をしてしまい、左の頬に細かなしみやほくろのようなものがたくさんできてしまった。
それをクラスの男子が見付けてからかった。始めは変な顔と笑われるくらいだったが、雨の日のある男子の一言が事態を悪化させた。
「こいつの顔、カビが生えてるみたいだな」
彼はその表現が気に入ったらしく、くどいほど繰り返し、私の嫌がり傷付いた様子が多くのクラスメイトの心に暗い炎をともした。
「カビ! カビ! こっちにくんな!」
からかいは一気に激しさを増した。数日は耐えたが、風邪で寝込んで欠席したのをきっかけに、私は学校に行かなくなった。
父や母は驚き、なだめたりいろいろな専門家に相談したりして登校させようとしたが、担任の教師から事情を聞いたらしく、私がお腹が痛いとか頭痛がすると言うとそれ以上は説得しようとしなくなった。一ヶ月もすると、誰も「今日は学校に行けそう?」と尋ねることすらなくなった。
家族が何も言わなくなったことは私を楽にはしなかった。仮病を使って父や母や先生をだましているという罪悪感、家族が言いたいことを必死で我慢している様子、みんなの腫れ物に触るような態度が私を苦しめた。私を思ってそうしていると頭では理解していたが、結局誰も私の気持ちを分かってくれないという不満と悲しみと孤独感は増していくばかりだった。
そうして、秋が終わって師走に入っても、私は自分の部屋に閉じこもっていた。
終業式はクリスマス・イブだった。明日から冬休み、学校に行かなくてもとがめられないと少しだけほっとしていた私を、一人のクラスメイトが訪ねてきた。
「三田くん? 絶対に会いたくない」
私は布団の中で三毛猫を抱き締め、背中を向けたまま答えた。さっきまで床に座ってミケと遊んでいたが、母がドアをノックしたので慌てて一緒にベッドに飛び込んだのだ。ご褒美にあげていたかつお節の香りがまだ残っているのか、指をぺろぺろなめている。
「せっかく来てくれたのよ。ちょっとでいいから、顔だけでも見せてあげて」
母は背中を揺すった。なだめ懇願するような口ぶりにいらだち、振り向いて叫んだ。
「だから会いたくないって……!」
言いかけて、気が付いた。部屋のドアが開いていて、入口に彼が立っていたのだ。北斗七星が描かれた服を着た大人しそうな少年は、細い声で遠慮がちに言った。
「これ、冬休みのプリントです。来年は学校に来てください」
差し出された白い紙束の厚さが失った時間の長さに見え、かっと頭に血が上った。
「よくそんなこと言えるね! 助けてくれなかったくせに!」
「ごめんなさい!」
三田くんは勢いよく頭を下げた。
「みんなを止めなくて、本当にごめんなさい。僕、すごく後悔したんだ」
「うるさい!」
いかにも反省していますという低姿勢がかえって癇に障った。
「あんたに私の苦しさが分かるの! 黙って見ていたくせに!」
「違うよ! いや、違わないけど」
三田くんは顔をゆがめた。
「ひどいこと言うなって思ったけど、みんなが盛り上がってはやし立ててたから言い出せなくて。明日は止めようって思ってたら、真帆ちゃんが来なくなっちゃったんだ。だから謝ろうと思って」
「三田くんは真帆のことをずっと心配していたのよ。それでわざわざ来てくれたんですって。よかったわね」
彼の謝罪を聞けば私が立ち直るかも知れないと母は期待したのだろう。私は一層みじめな気分になった。
「なんであの時止めなかったの。いまさら謝っても遅いよ。どうせあんただって本当は私を不登校の問題児だって思ってるんでしょ! そうよ。私は悪い子よ。カビよ。病原菌よ。みんなの迷惑なのよ!」
三田くんの困った表情が不愉快でならず、この数ヶ月思っていた言葉が口からこぼれ出た。
「安心していいよ。私は絶対に学校へ行かないから。ううん、もう生きるのもいやになった。私は死ぬの。このままこの部屋でカビが生えて死ぬのよ!」
「真帆!」
母が顔色を変えた。
「やめなさい。何てこと言うの!」
三田くんもぎょっとしている。しまったと思ったが、いまさらあとには引けなかった。
「そうよ。死んでしまえばいいのよ。誰も気持ちを分かってくれない。責めるだけでかばってくれない。みんな私がいない方がせいせいするんでしょ!」
「いい加減にしなさい!」
母は叫ぶと目に涙を浮かべて私をひっぱたこうとした。私は布団をはがされまいと身を縮め、ミケが苦しげに悲鳴を上げた。
「本当にこの子は! 私たちがどんなに心配しているかも知らないで!」
母の怒声を三田くんがさえぎった。
「待って!」
母ははっとして手を止め、振り返った。三田くんは青い顔で私を見つめて尋ねた。
「僕にできることある? 何か欲しいものとか」
三田くんの気持ちを私は拒絶した。
「あんたにしてもらいたいことなんてない! どうせ何もできないくせに!」
彼はあからさまにがっかりした。
「三田くんなんて嫌い! お母さんも嫌い! みんな嫌い! 本当は私のこと嫌いなくせに、同情したふりしないで!」
私はやけになってわめき続けた。
「もう構わないで! 出ていって! 本当に死ぬよ!」
母はじっと私を見下ろし、諦めた顔で背を向けた。
「呆れた。もう、勝手になさい」
言ってから、ちらっと不安げに私を見て、部屋を出ていった。少年もすごすごと廊下を去っていき、腕からのがれたミケがその足元をついていく。私はベッドから降りるとドアを閉め、錠をかけた。再びベッドに飛び込み、かけ布団にくるまって泣いた。
「お母さんを怒らせちゃった」
気づかうような態度も我慢ならないが、はっきりと叱られ呆れられるとそれはそれで傷付いた。先程投げ付けた言葉が思い出され、涙がこぼれ落ちた。
「本当にそうだ。私なんて誰もいらないんだ。邪魔だから教室にいない方がいい。このままこの部屋で死ぬのよ」
これで本当に学校に行けなくなった。ご飯を食べるのをやめて死んでしまおう。
私は部屋から出ずに泣き続け、クリスマス・ケーキも食べずに眠ってしまった。
翌日、目が覚めるとカーテン越しの日差しが明るかった。長いこと寝ていたらしい。
「もうお昼かな」
そう思った途端、お腹が鳴った。随分と空腹だった。
「……ご飯食べよう」
昨日もう食べないと決意したのを思い出したが、次の食事からにすることにした。
ベッドから降りるとミケが寄ってきた。ドアの前で寝ていたらしい。
「出られなかったのね」
ドアノブを手前に引こうとして鍵がかかっていることに気が付いた。横にスライドさせるかんぬき錠が、壁の受け金具の穴に半分ほど入っている。
「そういえば、昨日鍵をかけたんだっけ」
かんぬきを右へ滑らせて穴から抜くと、私は廊下へ出て居間へ行った。
母はテレビを見ていた。昨日ひどいことを言ってしまったので怒っているかも知れないと思ったが、母はやさしく声をかけてきた。
「あら、起きたの?」
「うん」
顔を見るのが恥ずかしかったが頷いた。
「ご飯食べる? ケーキをもあるわよ」
「食べる」
私はテーブルの自分の椅子に座った。
「今日はクリスマスよ。サンタクロースはプレゼントをくれたの?」
「あっ、そういえばそうだった! あったっけ?」
「えっ、気付かなかったの?」
母はがっかりした顔をした。私も呆れた。クリスマスを忘れるなんて、とてもお腹が空いていたにしてもひどすぎる。
「見てくる」
私は走って部屋に戻った。
「あった!」
勉強机の上に、赤い長靴に入ったいろいろなお菓子と前から欲しかったスマートフォンと可愛い靴が置いてあった。
「サンタさん、来たんだ」
数ヶ月ぶりに心の底からうれしさを感じた。やっぱりサンタさんはすごい。私の気持ちを分かってくれる。
「でも、なんで靴? ずっと家にいるから使わないのに」
家から出るのはまだちょっと気が重い。でも、靴は可愛くて気に入った。
「家の中で履いてみようかな」
そう思って持ち上げると、小さな紙が舞い落ちた。
拾ってみると、手紙だった。
『ぼくはサンタクロースです。死んだらバチが当たります。学校に来たらおかしをあげます。』
明らかに子供の字だった。下手だし、漢字だけ大きいし、長くて入らなかったのか、最後の方は字が小さくなっている。余白に星のマークがたくさん書いてあった。
「これ、サンタさんじゃない。誰だろう」
考えたが、可能性があるのは一人しか思い付かなかった。
「三田くんだ。お母さんが部屋に入れたのかな」
勝手に女の子の部屋に入るなんて。しかも寝ている間に。
腹が立ったが、ドアを見て気が付いた。
「あれ? でも、さっき鍵がかかってたよね?」
部屋から出る時、開錠したのを覚えている。
「どうやって鍵をかけたんだろう」
部屋に入るのは簡単だ。木のドアに小さな穴があいていて、かんぬきの棒のつまみに結んだ赤い毛糸が外に伸びているからだ。小学校に上がる前、うっかり鍵をかけてしまって出られなくなり、二時間も泣きわめいて大騒ぎになったことがあって、父が外から開けられるようにしたのだ。
しかし、毛糸のひもではかんぬきを抜くことはできても差し込むことはできない。ドアの内側で誰かがつまみを押して壁側の受け金具に入れなくてはいけない。
「ミケ、もしかして、あんたがやったの?」
一緒に付いてきた猫は返事をせず、脇腹を後ろ足でかいている。
「まさかね」
私は首を振ったが、ふと気が付いた。
「あれ、昨日ミケはお母さんたちと一緒に部屋を出ていったよね。なんで中にいたんだろう」
三田くんが来た時に部屋に入って閉じ込められたに違いない。
「これは大きな謎ね。サンタさんはともかく、三田くんは出られたはずがないもの」
施錠しても入ってこられたサンタさんはさすがだけれど、三田くんにそのまねができるとは思えない。サンタさんが三田くんの手紙を預かった可能性もあるが、本物がにせものの手伝いはしないだろうと思った。
「何かしかけがあるのかな」
かんぬき錠をよく眺めると、つまみにセロハンテープが付いていた。
「こんなのあったっけ?」
それに、部屋の隅にあった本棚がドアの横、受け金具の下に移動している。本棚はちょうどかんぬきと同じくらいの高さだ。本棚の横には中から抜いた星座や植物の大きな図鑑が、本棚の半分の高さに重ねてあった。
「やっぱり三田くんが何かしたんだ!」
犯人は他に考えられない。
確かめたい。会いたくないが、気になった。
少し考えて、返事を書いた。
『星のサンタさんへ。おかしを先にくれたら考えます。』
紙を靴の中に入れて、居間へ戻った。
「プレゼント、あった?」
もらったお菓子とスマートフォンと靴を母に自慢した後、星のサンタさんの手紙のことを話した。
「返事を書いたけど、届くかな」
「きっと届くわよ」
母はうれしそうだった。
「どんなお菓子が好きなの?」
「いもけんぴがいい! むらさきいものやつ!」
「もらえるといいわね」
母は笑っていた。
私はずっと部屋に閉じ込められていたミケのご飯を用意し、好物のかつお節を削ってかけてやった。母が料理好きで人間用もかたまりを使っているので、猫のもかんなで削っている。
ミケがおかかご飯をむさぼり始めると、私も遅い朝食にした。デザートにケーキを食べ、長靴の中のお菓子をほおばりながら、早く夜にならないかなと思った。星のサンタさんがまた現れたら、鍵をかけた秘密を暴いてやるつもりだった。
夕方、帰ってきた父にサンタさんのプレゼントを見せ、食事をしてお風呂に入ると、私はさっさと布団にもぐりこんだ。手紙を入れた靴は勉強机の上に置き、ドアの鍵はしっかりとかけた。このまま寝ずに起きていようと、もらったばかりのスマートフォンをいじり始めた。
「あれ? 夜?」
つぶやいてはっとした。首を向けて枕もとの時計を見ると十時だ。部屋は常夜灯一つで薄暗かった。いつの間にか眠ってしまったらしい。
そうだ。手紙を置いたんだった。
思い出し、起きようとして気配に気が付いた。ベッドの布団の上にミケがのっている。寝る時は部屋にいなかったはずなのに。
来たんだ。
そう思って勉強机の方を見ると、誰かがいた。大人ではない。子供だ。
やっぱり三田くんだったんだ。
声をかけようとして、思いとどまった。入れるのは当たり前で、問題はどうやって鍵をかけたかだった。それを見届けなくてはいけない。
彼は勉強机の上で手紙に返事を書いているようだった。私は目をつむって寝ているふりをした。
やがて人が動く気配がして、三田くんが近付いてきた。私が寝ているか確認したらしい。彼が離れていくと、ミケが布団から飛び降りてついていった。
三田くんはドアの前に行って、鍵をカチャカチャいじり出した。何かをしかけている。
「手伝おうか」
父の声がした。
「大丈夫です」
三田くんは答えた。
お父さんもグルだったんだ。星のサンタさんの手紙を見せたら驚いていたくせに。
腹が立ったが、今出ていったらしかけが完成しない。我慢して目をつむっていた。
「じゃあね、ミケ」
三田くんが言うのが聞こえた。薄眼を開けると、三田くんがベッドの方を確認して、慎重にドアから出ていくのが見えた。なぜか背中から後ろ向きに出ていった。
ドアが静かに閉まった。
すると、ミケがドアをがりがりとひっかき出した。何度も飛び上がっている。何かに手を伸ばしているのだ。届かないと知ると、積まれた図鑑を踏み台にして、ドアの横の本棚の上に飛び乗った。
すぐにかんぬきがかかる音がした。私は飛び起きてドアに走った。
「ミケ、それは何?」
リモコンで電気をつけると、本棚から飛び降りたミケが何かをくわえている。
「あっ! これ、かつお節だ。厚く長く削ったのを数枚重ねてひもにしてある!」
しかけは単純だった。かんぬきの棒のつまみにかつお節のひもをひっかけてセロハンテープで軽く止め、ひもをドアの隙間をまたいで本棚の上に渡すように置いて外へ出る。すると、かつお節を食べたいミケが本棚の上に飛び乗ってひものはしを引っ張り、かんぬきがかかるのだ。
ミケはあっという間にかつお節を食べつくしてしまった。これでひもは跡形もなく消え去り、ひもがすぐにはずれないように固定していたセロハンテープだけがつまみに残った。
「すごい!」
私は感心した。現場を押さえて文句を言ってやるつもりだったが、その気は失せていた。
勉強机へ行くと、靴から私が書いた手紙がなくなり、返事が入っていた。いもけんぴも置いてあった。
私は星マークの散りばめられた手紙を読むと、ドアを開けて居間へ向かった。
「三田くん」
声をかけるとテーブルに座っていた少年と父と母はびっくりして振り返った。南十字星の服を着た三田くんはクリスマス用ではないケーキを食べていた。やっぱり三人の共謀だったのだ。
「どうしてこんなことを書いたの」
私は手紙を父と母に見せた。
『ぼくはサンタクロースです。おかしをあげるから死んではだめです。他にほしいものがあったら言ってください。』
「三田くんの字だよね」
彼は否定しようとしたが、諦めて頷いた。
「どうしてこんなことをしたの? 私を驚かせたかったの?」
三田くんは首を振った。
「じゃあ何で? サンタさんのまねなんかして、私をだまして面白がってたってこと?」
「違うよ。死んでほしくなかったんだ」
「私が死んだって、あんたには関係ないじゃん!」
「真帆、なんてことを言うんだ!」
父が怒った声を出したが、母が手で制止した。
「理由はね……」
三田くんはためらって、顔を赤くした。
「実は、僕、真帆ちゃんが好きなんだ」
「えっ?」
私は呆気にとられた。
「それって、つまり……」
「うん」
三田くんは恥ずかしそうに言った。
「だから、学校に来てほしい。いないと寂しいから……」
私も顔が熱くなってきて、思わず両方のこぶしをぎゅっと握った。すると、三田くんは慌てて言い訳を始めた。
「あの時、僕は止めたかったんだ。でも、あいつらが怖くて言い出せなかった。すごく悔しかった。だから……」
「もういい!」
私は叫んだ。両親の驚いた顔をまともに見られなかった。私も小五だから、そういう気持ちをどう呼ぶかを知っている。照れ隠しにわめいた。
「つまり、自分のためじゃん! わがままじゃん!」
「そうだけど、でも、学校に来てほしいんだ」
「そういうのを余計なおせっかいって言うの! ほっといて!」
私が怒ると、父がさえぎった。
「それは違うぞ、真帆」
父は初めて見る真剣な表情をしていた。
「三田くんは真帆を大切に思っているんだ。真帆に元気になってほしいんだよ。好きってそういうことだ。だから、頭をしぼって手紙やドアの閉め方を考えた。それは少しも恥ずかしいことではない!」
「そうよ。私たちもあなたを大切に思っているから、笑顔でいてほしいのよ。だから、昨日三田くんに頼まれた時、部屋に入れて、かつお節を用意したのよ。いもけんぴだって、お父さんがスーパーを五軒も回って買ってきたのよ!」
考えてみれば、かつお節を提供したのは父と母以外にあり得ない。いもけんぴが欲しいことは母しか知らないはずだ。
「でも……」
「三田くんに感謝しなさい。私たちが頼んだら、わざわざこんな時間に来てくれたんだぞ。お父さんは何回でも頭を下げたい気分だ」
「私、頼んでない!」
「真帆!」
「真帆ちゃん、分かってちょうだい。私たちの気持ちを」
私が首を振ると、両親は深い溜め息を吐いた。
「一つ、聞いていい?」
黙っていた三田くんが言った。
「今度の手紙には、何て返事を書くつもりだったの? 欲しいものは何?」
私は彼を見て、少し考えて、小声で言った。
「友達。友達がいれば学校に行けたと思うから」
三田くんは目を輝かせた。
「じゃあ、僕が……」
「駄目」
「僕じゃ駄目なの?」
「うん」
三田くんはひどくがっかりした顔をした。この人は本当に私を好きなのだ。そう思ったら、少しだけ心が軽くなった。学校に来てほしいのも本当なのだ。すると、意地悪が言いたくなった。
「だって、私のこと、カビって思ってるんでしょ?」
両親が顔色を変えたが、三田くんは首を振った。
「思ってないよ」
「でも、このほくろ、気持ち悪いと思うよね」
治療は続けていたが、まだ左の頬にはっきりと残っていた。
「思わない」
「じゃあ、どう思うの?」
三田くんは私の顔をじっと見て言った。
「星みたいだなって思う」
「星?」
私は驚いた。
「うん。すばる。プレアデス星団って言うんだけど、図鑑で見て、真帆ちゃんを思い出した」
「どんな星?」
「真帆の部屋に図鑑があるぞ。取ってくる!」
父が涙をぬぐいながら立ち上がって走っていって、走って戻ってきた。
それは無数の輝く星の集まりだった。神話では美しい乙女とされているらしい。
「私がこれに見えるの?」
「うん。きれいな星でしょう?」
三田くんは大真面目に答えて、顔を赤くした。
「この星にはたくさん伝説があってね」
三田くんは星が好きらしく、いろいろなお話を知っていて、楽しそうに語ってくれた。
私は星の写真をよく見た。この人には私がこんな風に見えるんだと思うと何だかうれしくて、じっと聞き入った。今までほとんど話したことがなかったけれど、面白い人だなと思った。
三十分くらい星の話を聞いた頃、母が言い出した。
「お話し中、申し訳ないけれど、そろそろ帰らないとご両親が心配しますよ」
時計を見ると、十一時を回っていた。子供はとっくに寝ている時間だった。
「続きは明日にしましょう。真帆、明日も来てもらっていいわよね」
母の期待と不安の入りまじった表情を見て、少し迷ったけれど頷いた。他の人はまだ駄目だけれど、三田くんだけは許せる気がしていた。
母はあからさまにほっとした顔をした。
「よかった。三田くん、明日もお願いできるかしら」
「はい」
「本当にありがとう。車で送っていくよ」
父は三田くんの手をしっかりと握ると、玄関から出ていった。
「真帆ちゃん、また明日」
「うん。また明日」
私はミケを抱いて家の前で見送った。
三田くんはやや疲れた様子だったが笑顔で帰っていった。
それから三田くんは毎日家に来た。私は最初のうちは「また来たの?」と文句を言ったが、すぐに彼が来るのを心待ちにするようになった。
いもけんぴやケーキを一緒に食べ、ミケと遊び、冬休みの宿題をした。初詣も三田くんの両親と一緒に行ったし、プラネタリウムや科学館にも行った。
冬休みの最後の日、三田くんは明日学校に来てほしいと言った。神社で買ってきてくれた星マークの模様のお守りを受け取って私は頷いた。教室に三田くんがいるなら大丈夫と思えた。三田くんをいつの間にかすごく好きになっていた。
翌朝、父と母に見送られて私は学校に向かった。久しぶりに背負うランドセルは思ったより軽かった。
母に言われた通り職員室に行って担任の先生に挨拶し、一緒に教室へ行った。
入っていくとみんなが一斉に私を見た。三田くんはまだ来ていなかった。何人かの口がカビと動きかけたが、先生がいるので声に出した人はいなかった。
いつの間にか席がえされていた。私は自分の場所だと聞いた机に行って椅子に座り、じっとしていた。まわりの目が気になったけれど、星のサンタさんの手紙を入れたお守りを握り締めてうつむいて、三田くんを待った。
ところが、三田くんは来なかった。始業式も、教室での宿題の回収の時もいなかった。
どうしたんだろう。まさか、私を裏切ったの?
そんなはずはない。学校でも一緒だよって約束したのに。
大掃除が終わり、教室の隅を一人で掃いていた私は自分の席に戻った。先生がいなくなったので、好奇の目が露骨に向けられ、数人の男子がすぐそばの席に集まって、私の方を見ながらこそこそ話していた。中心にいたのは私をカビと言った子だった。体格や成績はそれほどでもないけれど、ずるくて男子に一目置かれているいじめっ子だ。
「カビが来たぜ」
「もう来ないと思った」
「ずうずうしいよな。カビのくせに」
家に帰りたかった。教室は暖かいのに、体の芯がひどく冷えて身震いが止まらず、歯ががたがた鳴りそうだった。三田くんとの約束がなければ、今すぐ耳を塞いでこの部屋を出ていきたかった。
「ずっと休んでたんだから、そのまま来なければいいのにさ」
「いない方がみんなうれしいよな」
誰のせいで学校に来られなくなったと思ってるの!
叫びたいのを必死でこらえ、目をぎゅっとつむっていたが、もう限界だった。
「あいつ、太ったよな?」
「家でゴロゴロしてたんだぜ、きっと」
「いいよなあ。テストも宿題もさぼってさ」
やっぱり学校は無理だった。来なければよかった。
私はとうとうランドセルに手を伸ばした。握っていたお守りをポケットにしまおうとして三田くんの悲しむ顔が目に浮かび、ためらった時、先生が教室に入ってきた。
私はやむなくランドセルから手を放し、椅子に座り直した。そして、先生の言葉に耳を疑った。
「みんな、落ち着いて聞いてください。三田くんが今朝、登校の途中、車にはねられました。救急車で運ばれたそうです」
クラスメイトたちから驚きの声が上がった。先生はそれを黙らせて、登下校時はまわりに気を配り、信号はきちんと守るようにと注意点を話し始めたが、私の耳には入らなかった。
三田くんが来られなくなった。死んじゃったかも知れない。
胸の内側から冷気がどっとあふれ出して、全身を包んでいくようだった。
この二週間、毎日三田くんと一緒だった。やさしくて甘えさせてくれて、父や母には言えないこと、分かってもらえないことも聞いてくれた。ようやく取り戻したと思っていた自信が、三田くんがいてこそのものだったと思い知らされて、みるみる心の中から希望が消えていくような気がした。
三田くんが心配で、今すぐ家に走って帰りたいのに、動けなかった。
絶望に打ちひしがれている時、あの男子の声が聞こえた。
「三田のやつ、いい気味じゃねえの。弱いくせにカビのことで俺たちに文句言ってきやがったもんな。バチが当たったんだぜ」
その瞬間、かっと頭に血が上った。激しい感情で体が爆発しそうだった。私は立ち上がってその男子に駆け寄り、思い切り腕を振り下ろして頬をひっぱたいていた。
彼はびっくりした顔で私を見上げ、頬を手で押さえて文句を言った。
「てめえ、何すんだよ!」
「三田くんを悪く言わないで!」
私は涙を浮かべて叫んだ。
「三田くんはいい人だもん!」
「何言ってんだこいつ。カビのくせに!」
怒鳴った男子以上の声で、私はわめいた。
「私はカビじゃない!」
体が震えるほど絶叫した。
「私は負けない! あんたみたいな子には、絶対に負けないんだから!」
言うなり大声で泣きじゃくった。
隣の席の女の子が驚いて泣き出した。他の女子もつられて泣き出し、クラスの半分を巻き込んだ大合唱になった。
それ以後、私は学校を休んでいない。
気が付くと、公園はもう目の前だった。
タクシーは道を折れて門をくぐり、降車場で止まった。
握っていたお守りをドレスの中にしまい、お金を渡そうとすると、運転手が尋ねた。
「三田くんはどうなったんだい? 死んだのかい?」
私は目をぬぐって窓の外を指さした。雪の中、上等なスーツを着て花束を持った青年が近付いてくる。
「幸い軽傷だったんです。車のスピードがそんなに出ていなかったみたいで。念のため三日入院しましたけど」
彼の胸にはプラネタリウムの職員の星型のバッジが止められている。
「あれからイブは必ずここに来ています。今日は同僚に頼んで貸し切りにしたそうなので、こんな時間になりました。二人で星を見ながら伝えたいことがあるからって」
「そうかい。それはおめでとう」
運転手は笑ってドアを開けてくれた。
「メリー・クリスマス。お幸せに」
「ありがとうございます」
外に出ると、私だけのサンタさんが赤いバラを差し出した。その花びらの上で、舞い落ちた白い雪が星のようにきらめいていた。




