総括
巻末に記載された総括的な物
本文は非常に分かりにくいので、さっさと意訳を読むのをお勧めします。
(意訳するの大変でした。正しいかどうかは不明です。)
最後まで読むと作者の自慢したい感が分かる。
夫天地の道理を察するに、渾沌而未分の霊溟滓妙然たり。
時に其霊動て、清濁升降す。
於是天地全く生す。
此霊周而万物を生す。
故に在天則元気と云、在万物則霊と云、在人則心と云。
蓋し人倫は天理の性を具足して出生する所なれば、虚霊不昧のものなり。
天は広大なるを以て、万里に無所不該也。
人者全体を稟得たれば、万里不備と云所なし。
天者万里を該る故に万物を生じ、人は万里を備るを以て万事に応る。
於此是を見るに、其性情の不同事気質の稟る処不等は也。
所以者正通・偏塞・美悪・清濁の替りあり。
気者陰陽の気なり。
質者形也。
天の気を受て人の形となるに、正通の気を受て人となり、偏塞の気を稟れば、鳥・獣・魚・虫・草・木となる。
人となる中にも聖賢・智者となり、或は愚不肖となるは正通の気の中にも美悪・清濁ある故乎。
正なる気にして、美なるを受たるは賢人となり、悪なるを受たるは愚不肖となる。
通なる気にして、清なるを受たるは善人となり、濁気を受たるは悪人となる。
是実に正通の気を得て人となれども、賢愚・善悪分れたる所也。
偏塞の気を受たる中にも鳥獣には聊、心あり。
虎狼も吾か子を愛し、黄鳥の丘隅に止るも智あり。
草木者一向の無心也といえども、夫たにも大小・長短の替り有り。
是亦偏塞の気に美悪・清濁ある故也。
人としても容㒵美くして心邪なるもあり。
容㒵醜くして心邪僻なるも有り。
是皆気質の不均に因也。
されば其土地水土に因て其風儀の分る事於是可知之。
然とも其国人をして善悪邪正道理を常に不怠して、儒仏神の三道を以て其機に応じて教の者何ぞ其風儀の奸き事素直ざならん哉。
松柏の框れるも是を作れば直なり、亦直を作れば框るか如くなり。
其気質の善を教え、邪僻を示さば、日を追、何ぞ風儀不正と云うことあらん哉。
去れば上み一人能き人有則は、その風儀日々に新なるべし。
夫一人をして十人にならばしめ、十人をして百人、百人をして千人、千人をして万人、万人をして億兆にしらしむとは太公が言也。
然ども国風湿土に因て風儀の違る事あればなり。
吾案の人の機気を観察する事己闇うして是を知る事難成と可知。
雖然窺之に伝あり。
誰か是を知る事有ん乎。
委く生栄死枯の巻に人気乱の根本有之。
後代の亀鑑とすべき者也。
・意訳
天地とは何か?と考えると、目に見えない色んな物が混ざりながらも安定しているのだろう。
それらが時に動き出すと、升からこぼれるように、天地や万物を生み出すのだろう。
だから、天の元は気であるというし、万物には霊があるといい、人には心があるという。
思うに人は生まれながらに道徳的感性が備わっており、人の心は欲に曇らず澄み切っている。
天は広く、天が無い場所などは無い。
これに対して人間にはあらゆる備えがある。
天は何処にでもあるから、様々なものを産み出し、人は万端の備えで何事にも応じる。
そう考えると、人の性格が違うのは気質が等しくないからだろう。
つまり、正通・偏塞・美悪・清濁が違って来るのだろう。
気さくさは陰陽の気による。
また何を受けるかによって形が決まる。
天の気を受けて形になるが、正通の気を受ければ人となり、偏塞の気を受ければ鳥・獣・魚・虫・草・木となる。
人になる中にも聖賢・智者となったり、あるいは愚不肖(愚かで出来が悪い)となるのは正通の気の中にも美悪・清濁があるからである。
正と美を受けると賢人となり、正と悪を受けると愚不肖となる。
通と清を受けると善人となり、通と濁を受けると悪人となる。
これはつまり、正通の気を受けて人となったが、賢愚・善悪に分かれた場合である。
偏塞の気を受けた中にも、鳥獣には恥や心がある。
虎や狼が我が子を愛し、ウグイスが丘の隅に止まるのも知恵があるからである。
木や草には心が無いと言っても、それにも大きい小さい、長い短いがある。
これもまた偏塞の気に美悪・清濁があるからである。
偏の中の美と塞の中の清を受けると鳥獣となる。
偏の中の悪と塞の中の濁を受けると草木となる。
人には容姿美しくても心が醜い者が居る。
また容姿醜くても心が美しい者が居る。
これらは皆、気質に差がある事による。
それならば、その土地の水や土によって風儀を測り知ることが出来よう。
しかしながら、その国の人であっても善悪正邪を見定め、道理を忘れぬよう常に怠らず、儒教・仏法・神道の教えを以て、臨機応変なる者は風儀の悪い所も糺すことができよう。
松柏が捻くれていても真っ直ぐに加工でき、また真っ直ぐにしても怠れば捻るかのような物である。
その気質の善い所を教え、悪い所を示し、時間をかければ、風儀を正すことが出来ないなどと、なぜ言えようか。
そうであるならば、上に一人でも有能な人が居れば、風儀という物は日々改まる。
その一人を十人に、十人を百人に、百人を千人に、千人を万人に、万人を億兆人にせよとは太公望の言葉である。
しかしそれは、その国の風土に因って風儀が異なる場合である。
私の考案した、人がどのような時に何をするかは、自分の知らないことを知ろうとする事であり、難しいと言える。
でも、これを読めば伝えられる。
誰かこれを読まないかな
栄枯盛衰の世間に身を委ねる、そこに人心が乱れる原因があるんだよ。
これは後世の手本にすべき書物だ。
・私評
まずは
>>偏の中の美と塞の中の清を受けると鳥獣となる。
>>偏の中の悪と塞の中の濁を受けると草木となる。
ならば、『偏の中の美と塞の中の濁』と『偏の中の悪と塞の中の清』を受けた場合はどうなるのだろうか?
おそらく魚か虫なのだろう
そして文末…自画自賛とはこのことを言うのだろうな
自分で自分の書物を『手本にするように』なんて言ってら
終った終った…
一年と四ヶ月、お付き合い戴きありがとうございました。




