出雲國
・出雲国
出雲国の風俗万事なす処の業実儀に勤る事百人にして六七十人如此。
(出雲国の風俗は何事においても、その仕事ぶりは百人に六十~七十人は誠実である)
然ども明闇の詮議疎にして、其の道理を不弁して、善悪邪正ともに仏神に祈願をして、祈れば必ず成就すると思うの風儀也。
(しかしながら物事の明暗をはっきりとさせず、道理を弁えず、善も悪も邪も正も仏神に祈願し、祈れば必ず成就すると思っている風がある)
愚蒙の意地なり。
(実に愚かで道理を知らない)
されば「謀計雖為眼前の利潤、必当神明罰。正直雖非一旦の依怙、終蒙日月の憐」とある託宣を不知。
(それは「目の前の利益の為に謀を企てると、必ず神罰が下る。一時の依怙贔屓を行わず正直に有れば、最後には神々の憐れみ得られるだろう」という託宣を知らない)
また「神者不受非礼、舎正直首」といえば、吾心悪意を盡して仏神を祈りたいとも何ぞ加護あらん哉。
(また「神は非礼を受けず、正直者の首に宿る」といえば、自分の悪意を尽くして仏神に祈ったとしても何の加護があるだろうか)
古今神明を重んずること和朝の例たれども、於此国に中々上下ともに如斯にして神明を不知也。
(昔から神明を重んじるのは、我が国のならわしであるが、この国においてはどうにも、上も下もこのような具合で神明を知っていない)
・超意訳
出雲の国の人の仕事ぶりはまぁまぁ実直。
でも何かあれば良し悪し道理とか関係なく、取り敢えず神様に祈っておけば良いと考えている風である。
実に愚かだ。
『欲に囚われて悪巧みすると神罰が下る。正直に生きれば最後には良いことがある。』という託宣を知らんらしい。
また、『無礼者の願いなど神様は聞き入れない、正直者は守られる』というものであるから、自分の欲望ばかり祈ったところで聞き入れてくれるわけがない。
昔から我が国は神様を重んじているが、この国はどいつもこいつも神様という物を理解してないのではなかろうか。
・私評
出雲大社を有する出雲国に対し、実に人国記らしい痛烈な批評である。
しかしその中身は、なかなか耳が痛い。
自分の願望ばかり神様に願うのではなく、日ごろの感謝を忘れず正直に生きろというわけか。
※「謀計雖為眼前の利潤、必当神明罰。正直雖非一旦の依怙、終蒙日月の憐」
三社託宣の一つで伊勢神宮(天照大神)の託宣
・一言要約
神明を知らぬ国




