伯耆國
・伯耆国
伯耆国の風俗都而半実半虚と可知也。
(伯耆国の人は誠実が半分、虚無が半分である)
三日善を勤めて、三日悪を習の風儀也。
(三日善行を勤め、三日悪行を習うようなことをする)
譬ば貴き人に交る則は、其気忽然として実に従い。
(例えば偉い人と交流する時は、忽然と誠実になる)
亦其人を離れて三日不親則は、本性に還而悪心を発して、心の趣く所に従て不道なりと知りながら而も行い、不義と見ても是に興し、一生迷闇の地に有て定る心終に無の風俗なり。
(また、その人を離れて三日親しくしなかったら、本性は元に戻り、悪心が湧き起り、道を外れていると知りながらも心の赴くままに物事を行い、義に背くと分かりながらも楽しみ、生涯闇の中を彷徨い、落ち着く心は終に起きない風俗である)
されば今世下劣の言葉に物の執行に進て怠り安き者を三日ぞうと云こと是国の風儀より始となり。
(そうであれば、今の世の下劣な言葉で、『物事を行うのにとしてもすぐに怠ける者』を三日僧というのはこの国の性格が始まりである)
知て不勤、勤而怠るは大に勇気の不足する所なり。
(知りながら勤めず、勤めを怠るのは大いに勇気が不足しているからである)
・超意訳
伯耆国の人は虚実入り混じっている。
三日善い事をしたら、三日悪行を尽くすようなことをする。
例えば、偉人に会ったら触発されて品行方正な善人になるが、三日も会わないと本性が戻り、良くないとは分かっていても自堕落で好き勝手を行い、自分を省みる事無くズルズルと続けてしまう性格である。
俗語に『何かを始めてもすぐに怠ける者』を三日坊主と言うが、この言葉はこの伯耆国が始まりである。
わかっちゃいるけどやりたくないのは、勇気が足らないからだ。
・私評
ウソかマコトか、三日坊主は伯耆国が由来らしい。
確かに勉強でも掃除でも仕事でも、『やらないといけないのはわかっているけど、やる気が起きない』という状況を脱却するには勇気が必要である。
・一言要約
三日坊主




