三百年生きた鬼は、初恋で永遠を手放す
深い山奥の社に、紅月という鬼は住んでいた。
三百年を超える年月を重ねながら、いまだ青年のような姿を保つ彼が、初めて心を奪われたのは、山里で出会ったひとりの幼い少女だった。
透き通るような瞳。
儚げな頬。
短い人生の中で、精一杯に世界を見つめる姿——それが紅月の心を、永遠に焼き付けた。
「君を手放したくない」
そう決めた時から、紅月の長い計略が始まった。
『計略』とは言え、それは彼女を傷つけないための、卑怯なほど遠回りな手段に他ならない。
鬼は一生に一度だけ、自分の角の一部を人間に食べさせることができる。
そうすれば、その人間も長い寿命を手に入れることができるのだ。
それを求めて争いが起きるほど。
けれど、彼女はそれを拒んだ。
紅月は何年もかけて、あの手この手で、彼女の口へ角を含ませようとした。
十の夏。
水汲みに出た彼女に、澄んだ湯を贈った。
「これを飲むといい。身体が丈夫になる」
彼女は香りに気づいて、微笑した。
「このお湯、鬼様の角の香りがしますね……これを欲しがる人がいるのも、知っています」
十五の秋。
紅月は作った団子を持ってきた。
「月見には団子が必要だろう」
彼女は一目見てクスクス笑い出す。
「優しいお気遣い。ですが、色が鬼様の美しい紅の眼そっくり」
二十の冬。
冬が過ぎ、雪解けの匂いが山に戻ったころ。
頼み込んだ。膝をついて、両手を合わせた。
「お願いだ。永遠に一緒にいよう。君を失うことだけが、この長い人生で耐えられない苦しみなんだ」
彼女は静かに首を振った。
「紅月様。何度言わせるのですか。私は、有限の命だから、ここにいるのです」
翌年の春。
二人が初めて出会った山里の社で、大人になった彼女が立っていた。
かつてと変わらずに透き通った瞳。
彼女は微笑んだ。
「紅月様。もう、無理に角を口にさせようとするのはやめてください」
「どうしてなんだ」
紅月は問いかけた。その声には、三百年の時間の重さがあった。
「どうして、君は僕と一緒に永遠を歩もうとしないんだ」
彼女はゆっくりと、社の中を見渡した。
障子を通して差し込む光。
その光に踊る塵。
社の片隅で咲く山桜。
季節ごとに色を変える庭の木々。
「有限の命だからこそ、この世界は、こんなにも美しく見えるのです」
彼女は静かに話し続ける。
「毎年春が来るたびに、桜はもう二度と同じ花を咲かせません。夏の夜空の星も、私たちの時間も、すべてが一度きりだから——」
その言葉は、紅月の心に深く沈んだ。
紅月は答えることができなかった。
その代わりに、彼女に手を伸ばした。
彼女は優しくそれを握り、そしてその手を自分の腹へと導いた。
「大丈夫。あなたとのお腹の子が大きくなるまで、ちゃんとおそばにいますよ」
そして、静かに、優しく、三百年の時を重ねた鬼を抱きしめた。
社の障子に夕焼けが映った。
その光は、もう二度と同じ色では射さないだろう。
だからこそ、それは美しかった。
紅月は喉を詰まらせ、角の疼きを感じながらも、初めて理解した。
紅月は、言葉の代わりに息を吐いた。
夕焼けの色が障子に滲み、彼女の指が、腹の上で小さく笑った。
——失う痛みごと抱いて、それでも今が愛おしい。
それが、永遠に一番近いのだと。
彼女の髪を撫でながら、紅月は静かに目を閉じた。
春の社で、初めて出会った日のことを思い出しながら。
そして、有限の時間の中で、彼女の腹の奥の小さな温もりとともに、無限の愛を感じていた。
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