11 翳る太陽
夜、ロウソクの明かりを頼りにすり鉢でフンを混ぜ合わせていると、複数の人間が登ってくるような足音がした。
以前にも耳を聾された、いちばん聞きたくない音だ。
「やっと見つけましたわ、悪の本拠地を」
輿に乗ったバンシーだった。いままでは看守さんたちに担がせていたのに、今日は宮殿の兵士さんたちに担がせている。
輿のかたわらには、ひとりだけ看守さんが同行していた。看守さんの中でも、最年少の子が。
バンシーは高みからわたしを見下ろしながら、ちょうだい、と手を出してくる。
「もう、言葉はいりませんわよね。観念して、ソレをよこすのですわ」
「お断りします」
「あら、そう」
バンシーはあっさりそう言って、手にしている杖を掲げた。
杖は先端にガイコツの手がデザインされているんだけど、その手が見えないなにかを掴むように指をクッと閉じる。
その瞬間、同行させられていた看守さんが見えない手に首をつかまれたように吊り上げられた。
看守さんは首吊り状態になり、血も凍りついたような表情でジタバタともがきはじめる。
バンシー、いやトワネット家に伝わる魔法『エターナル・チョーク・ブリザード』だ。
「や……やめて」
「なら、それをよこすのですわ」
「わかった。あげるから、その子を離して」
そう言ってようやく、バンシーは吊り下げる手を緩めてくれた。しかし完全には下ろしてくれなくて、看守さんはつま先立ちのまま苦しそうにむせている。
「ふふ、相変わらずクソバカですのね。こんな奴隷のクソガキを守ろうとするなんて。でも、いいものを見つけましたわ。コレがあれば、お前はまたあたくしのもの……!」
バンシーの顔が、ふたつのオモチャを手に入れた子供のようにほころんだ。
「それに、お前を生かしておく理由もできましたわねぇ。これからずっと、ソレを作り続けるのですわ。あたくしのために……!」
「それはお断りします」
「はぁ!? いま、なんと!?」
「慌てないでください、それでは効率が悪いと言っているのです」
わたしは一枚の紙片を取り出す。
「ここにレシピがあります。これがあれば、効率的な生産ができるでしょう」
「生産……!?」と色めきたつバンシー。
「なら工場を作って、大規模な量産を……!」
「それはご自由に。ただし、レシピを渡すには条件があります」
「ふん、お前があたくしに条件を出すなんて、天と地がカエルになってもありえませんわ!」
「そうですか、なら、この話は無かったことに……」
紙片をロウソクの火に近づけるだけで、バンシーは面白いように慌てた。
「ま……待つのですわ! いちおう、その条件とやらをほざく権利を差し上げましょう!」
いまのわたしの願いはただひとつ。
「看守さんたちを、自由に……。奴隷から解放して、家族の元に帰してあげてください」
その交換条件に、バンシーは「へ?」と虚を突かれたような声をあげる。
「なんでそんなことを? 自分じゃなくて、クソガキを自由にするんですの?」
「はい、約束してください。看守さんたちを全員、自由にするって」
「いいでしょう。まずはこれが手付けですわ」
バンシーは両手を上げてみせる。
すると真綿で首を絞め続けられていたような看守さんは解放される。彼はひどい飼い主から逃げ出す犬のように、一目散に階段を駆け下りていった。
約束どおりレシピを渡すと、バンシーは数え切れないほどのオモチャを手に入れたかのように大興奮。
「さぁて、これから忙しくなりますわよぉ! まずは美容液をジャクヒン派のメス犬どもにバラ撒く! そのあとは美容液をあたくしのブランドとして売り出し、大儲けしつつエアストル派を駆除! そして、そのあとは……!」
大はしゃぎだったその顔が、月の裏側のように豹変する。
「クソガキども全員、処刑するっ……! 」
「えっ? 約束が……」
「あらぁ、看守を自由にする約束はしましたけど、囚人を自由にするとは言ってませんわよねぇ? ここの看守は全員、魔女に取り込まれた罪として収監することになったんですのよぉ!」
バンシーがパチンと指を鳴らすと、階段の下から数珠繋ぎに縛られた看守さんたちが兵士に引っ張られてくる。
その中には、さっき逃げた看守さんの姿もあった。
「そ、そんな……」
「そう、そうそう! その顔が見たかったのですわ! 親も住むところも失って、雨にずぶ濡れになりながらさまよう幼子のような、その顔を……! お前には、その顔がお似合いなのですわっ!」
わたしが動揺しているのが嬉しくてたまらないのか、バンシーは手を叩いて大爆笑。
「おほっ! おほっ! おほほほっ! 処刑の執行日は、あたくしがヒマになった時……! それまでみんなでガタガタと震え、眠れぬ日々を過ごすといいですわ! おーっほっほっほっほーっ!」
「ま……待って。お願い、なんでもするから。看守さんたちだけは……」
しかしその願いもむなしく、看守さんたちはわたしと同じ牢に入れられる。
なおもすがるわたしたちをよそに、バンシーは嘲笑だけを残して去っていく。
「バンシー……あなたは……いつだってそう……。わたしとの約束は、いちどだって守ったことがない……」
わたしは鉄格子につかまって、いつまでもうなだれていた。
幼い頃、物置で絶望していた時のように……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数々の不祥事で劣勢に立たされていたバンシー。
しかし美容液のレシピを手に入れたことで、神風が吹いた炎のように一気呵成の攻勢に転じる。
大宮殿において、美容液はエアストル派の令嬢の間でのみ流通していた。
ジャクヒン派の令嬢たちはみな喉から手が出るほど欲しがっていたのだが、それをもたらしたバンシーは失いかけていた派閥での存在感を取り戻していく。
彼女はそれだけでは飽き足らず、城下町に工場を作らせた。
かつて一夜にして牢屋にキッチンを作らせたように、お抱えの作業員たちにムチ打って、わずか一日で工場稼働にまでこぎつける。
次の日にはフルピッチでの量産をさせ、さらに次の日には城下町で売り出せる体制を整えてしまった。
その名も『王妃の美容液』。パッケージには王妃の姿をしたバンシーの肖像画が使われた。
「これで……宮殿での地位も、民からの人気も不動のものとなる……! あたくしがこの国の女王になるのも、夢ではありませんわっ!」
できたての美容液を顔に塗りたくりながら、バンシーは完全勝利の高笑いをしていた。
「明日は『王妃の美容液』の発売日! 新聞のトップは、あたくしの美肌で決まりですわっ! おーっほっほっほっほーっ!!」
かくして朝刊には、バンシーが一面を飾る。
しかしその顔は美肌とは程遠く、まるで火あぶりにあったかのように醜くただれていた。
『太陽の王女バンシー様、翳る! ジャクヒン派のご令嬢たちも緊急搬送! 原因は、王妃の美容液!』
その頃フェアリーの牢獄では、大掃除が行なわれていた。
すっかり同居人となった少年たちとたまった汚れを落としていたのだが、鉄格子のサビを取ろうとしている少年がいたので、フェアリーはすり鉢に入った溶液を差し出す。
「これを使って磨くといいですよ」
「え? それって肌に塗る美容液なんじゃ?」
「見た目は似てますけど、違います。これは、テガミバトのフンを使ったサビ落としです」
「サビ落とし?」
「ええ。テガミバトのフンは強い酸性で、サビ落としに使えるんです。あ、使うときはかならず手袋をしてくださいね」
「しないと、どうなるんですか?」
「少しくらいなら大丈夫ですが、長いあいだ肌に付けておくと焼けただれたみたいになります。しかもそれが原因で、感染症を引き起こすことがあります。顔に塗ったりなんかしたら大変で、全身がまだら模様になって……ひと月は入院することになるでしょうね」





