闇の祝福
暗い…… 何も見えない暗闇の中で一人、わたしは漂う。まるで真夜中の海に浮かんでいるような感覚。でも不思議と恐怖や不安はなく、心はとても穏やかで安心感に包まれている。
わたしはこの感覚を前にも味わった事がある。そう、兄様の魔力収納の中にいる時と同じ。初めて中に入って過ごしていた時、ここに住む者達に嫉妬を覚えるぐらいに、快適で心地が良かったのを覚えている。
暫くこの幸せを抱き締め、闇の波に揺蕩っていると、何処からかわたしを呼ぶ声が聞こえてくる。初めて聞くけれど、懐かしくもある声……
「……ェル、……レ…… ェル、……レイチェル」
誰? 今わたしはとても気分が良いの。もっとこの幸せな波に揺られていたいから、邪魔しないでくれるかしら?
「貴女がそれを望むのなら、存分に揺られるといい。しかし、更なる力を求めるのなら、この声に耳を傾けよ」
力…… ? 何故わたしが…… ? ―― っ! そうだ。わたしは敵の戦力を調べる為に山に向かって、それで…… そう、あのロック鳥の変異種であるスキュムに…… その後の記憶が無い。今わたしはどうなっているの?
「安心なさい。貴女の体は完全に治り、魔力も着実に回復している。そして今貴女の肉体は、あの新しき調停者の中で眠っている状態にある」
…… 調停者?
「そう、神が選んだ第三の調停者。貴女が兄と呼ぶ人間」
成る程、それで何処かで感じたような感覚だったのね。わたしは今、兄様の魔力収納の中にいるのか。
それで? 眠っているわたしに話し掛ける貴方た誰なの? いい加減に教えて貰えないかしら?
「私は世界の闇と魔物の管理を命じられた者。貴女達からは闇の属性神と呼ばれている者」
闇の属性神? そんな大物がわたしに何の用? 無様なわたしを笑いに来たの?
「あぁ、闇魔法スキルを授けた時から、私は何時も貴女を見ていたよ。無様な姿も、孤独の寂しさで一人泣いている姿も、あの調停者に狂喜し心酔する姿も、全部見ていた」
そう…… それで目的はなに?
「私はね、暇なのだよ。とても…… そう、とても暇なのだよ。だから昔から様々な干渉をこの世界にしてきた。勿論、直接的な介入は出来ないから、こうして特定の者と会話をしたり、向こうが望むのなら制約付きで力も貸していた。そうする事で私は世界を覗き見る事が出来る。しかし、私が直接干渉できるのは担当している闇と魔物だけ。それでは十分にこの世界を見る事は叶わない。闇を通じて世界を見ても、大抵は皆寝静まっているし、魔物を通しても知能が低くて私の話を理解出来ない者ばかり。だから、本来光の管理者が担当している人間に、こうして闇魔法スキルを通じて干渉しているのだよ」
その話が本当なら、人間は光の属性神が担当しているのよね? 何故干渉出来るの?
「どんなものにだって特例というのがある。前に一度人間に干渉したのは七百年ぐらい前だったか…… 一人の人間が私に対して強く力を与えよと願った。だから私はその人間の心に語り掛け、疲れも、老いも、寝食も必要ない体と力を与えた」
それで貴方に何の得があるというの? まさか単純に願われたからという訳ではないわよね?
「言っただろ? 私は暇なのだよ。だからこそ、都合よく私に強い祈りを捧げてきた人間に加護と力を与え、その者を通じて世界を見て楽しもうとした。しかし、楽しめたのは最初の百年だけ。後はずっと単調な暮らしで直ぐに飽きてしまった。だが、最近になって第三の調停者が現れた。それも人間の、だ。何やら楽しそうな事が起きる予感がした私は、その血縁者に魔法スキルを授けて調停者の様子を見ては楽しもうとしたのだが、そう上手くはいかず、半ば諦めていた。だけど一度離ればなれになっていたのが、今ではすぐ近くにいられるようになっている。これで貴女を通して存分に調停者を観察出来る。そしてそれを維持する為には、もっと貴女に強くなって貰わないと困るのだよ」
随分と勝手な言い分ね。わたしは貴方の暇潰しの為に生まれて来た訳ではないわ。正直に言って不愉快よ。
「それでも、調停者の為に力が欲しいのではないのか? 」
確かに、兄様の足を引っ張らず役に立てる力が欲しいのは間違いないわ。でも、属性神から力を授かる時、必ず何かしらの代償を払わなければならないと本に書いてあった。いったいどんな代償を払うの? それによっては答えも違ってくるわね。
「まぁそう警戒しなくとも良い。与える力の度合いによって代償も変わってくるのでね。それに関しても、私の方から勝手に与えるのは無理で、貴女が望んだものしか与えられない仕組みになっている。さぁ、試しに言ってみなさい。どんな力を望む? 」
それなら…… もっと自身の魔力量を増やし、闇魔法を使いこなしたい。
「それだけで良いのかね? 歳を取らない体も、特別な武具もいらないと? 」
後が怖いからそこまでは求めない。それで? この場合わたしはどんな代償を払わなければならないの?
「貴女の魔力総量を今より増やすのは容易いが、魔法に関してはすぐという訳にはいかない。それを考慮すれば、代償はほぼ無いに等しい。強いて言えば、魔術が使えなくなり、四六時中私の監視が入るので出来るだけ彼の調停者の傍で観測を続ける事ぐらいか」
どれも問題ない範疇だけど、兄様を観測する意味は?
「単純に興味があるからだよ。あの御方が何故今になって新たな調停者を用意したのか…… それは私だけではなく、他の管理者も気にしている。いったいあの世界にどんな影響を及ぼしてくれるのか楽しみでね。だからこその観測だ。これは力を与えるのに最低限の条件だよ」
そう、分かったわ。その条件を飲みましょう。
「話が早くて助かる。前の人間はあれこれと注文や文句が多かったから面倒だったよ。では、魔力を増やし魔法の知識を深める為に、私からスキルを一つ授けよう。まぁ祝福のようなものだと思ってくれ」
そのスキルがあれば、わたしはあのスキュムと渡り合える?
「それは貴女の努力次第。今から授けるスキルあくまで魔力を増やし闇魔法に関する知識を深めるだけ。分かっているとは思うが、知識だけ深めても直ぐに魔法を極められる訳ではない。経験を積み、闇魔法を扱う感覚を養う必要がある」
それじゃ、早くスキルを頂戴。
「まぁそう慌てるな。幸いにして貴女の肉体は彼の調停者の中。魔力は文字通り掃いて捨てる程にある。これを利用しない手はない。私と共に暫くここでスキルによる知識で色々と試して見てはどうだ? 」
ここで貴方と? もしかしてわたしを指導してくれるの?
「私以上に闇に詳しい者はいない。無理強いはしないが、損な話ではない筈だが? 」
それもそうね。属性神から直接指導してもらえる機会なんて普通じゃあり得ない。
「決まりだな。では早速スキルを授けよう」
闇の属性神がそう言った瞬間、わたしの中に何かが入り込んでくる感覚が襲い、頭の中で “闇の加護” という文字が浮かぶ。
「さぁ、これで貴女は闇への知識を引き出す資格を得て、魔力総量も増えた。後は訓練して闇魔法を自分の物とするのだ。取り敢えずの目標は呼吸の如く自然に魔法が発動出来るようになって貰う」
最低限それぐらいの実力を付けないと、兄様についていけなくなるという訳ね。良いじゃない…… でもその前に、先の会話で気になる事があったのだけど、詳しく説明して貰ってもいいかしら? とても聞き逃せるものではないわ。
「うん? そんな重要な事は言っていないつもりだが…… 」
いえ、とても重要な事よ。貴方は彼の調停者を観察する為に、その血縁者に闇魔法スキルを授けたと、確かにそう言ったわ。調停者というのは兄様の事で間違いないのよね? では闇魔法を授かったわたしは兄様の血縁者って事になるわ。だとしたら、兄様はわたしと血の繋がった実の兄なの?
「そうだ。彼の調停者はハロトライン家の長男で、貴女の兄になる。しかし、生まれながれにしてあの姿であった為、母から拒絶され、父から処分されそうになった所を、とある使用人の女性が庇い育てる事になった」
その使用人とはクラリスの事ね。あぁ、兄様がわたしの本当の兄様だったなんて…… 今まで生きてきてこんなに素晴らしい事はないわ。なんて素敵な事実。そうと分かれば兄様の為に徹底的に鍛えるしかないわ。
フフフ、今から目覚めるのが楽しみだわ…… 兄様はわたしが実の妹だと知っているのかしら? クラリスもいるんだし、きっと知っているわよね? 本当に待ち遠しいわ。




