アルラウネとアラクネ、其々の希望
「うん。今日もみんな異常無しね。これだけのマナと魔力に溢れた土なら、植物が病気になる事はないから楽なものだわ」
私はすくすくと育つ野菜達に満足して一人呟いた。
ライル様の魔力収納で暮らし始めてもうすぐ一年になる。ここには命を奪う敵もいないし、水も綺麗で実に理想的な環境。
私達アルラウネを受け入れて下さったばかりか、子供を増やす許可も頂き、感謝だけが募っていく。
ライル様は調停者で在らせられるので、ギルディエンテ様とアンネ様同様、寿命は無いに等しい。それは私達が永遠にこの楽園で穏やかに暮らせる事を意味する。
しかし、ここで一つの懸念事項が生まれた。それは新しく移住してきたアラクネの存在。
確かに私達からライル様へ、人間との戦いを望まない魔物がいたなら可能であれば救って欲しいと言ったけど…… まさかアラクネが来るとは思わなかった。
私の知っているアラクネとは、プライドが高く気性も荒い。縄張りに入った者は、魔物だろうが人間だろうが関係なく襲っては食料にするような魔物であり、決してあのように殊勝な態度を人間に向けるとは考えられない。
アラクネは賢くて狡猾な魔物、私はアルラウネの未来とライル様の安全の為、彼女達の真意を問うべく、ライル様が寝静まった頃を見計らい一人でアラクネの住む森へと足を運んだ。
私達とアラクネの住み処を隔てるマナの大樹に一人のアラクネが、その巨木を見上げていた。時刻は深夜、皆が寝ているであろう時に一人で何を? まぁそれは私もだけど……
私は警戒しつつ慎重に近付く。この魔力収納内で下手な事は出来ないとは思うが、用心はしておいた方が良いわ。
「…… あら? 誰かと思ったらアルラウネじゃない。こんな夜更けに、私達の縄張りに何かご用かしら? 」
私に気付き、にこやかに声を掛けるアラクネに、更に警戒を強める。
「回りくどいのは苦手なので、単刀直入に聞きます。あの様な演技をしてまでライル様に取り入って何を企んでいるのですか? 」
私の言葉にアラクネはキョトンとした顔をしたが、すぐに口が愉悦に歪んだ。
「フフ…… 取り入るなんて人聞きが悪いわね。別に私達は何も企んでなんかいないわ」
「それを私が信用するとでも? もし、ライル様の害となるのなら…… 容赦しませんよ」
「プッ、アハハハハハ!! あんた達なんかに何が出来るっていうの? …… 少しばかりライル様に気に入られてるからって調子に乗るんじゃないわよ! 」
彼女は一頻り嗤うと、私に殺気をぶつけてきた。そう、この姿こそ私の知るアラクネだ。
「確かに、私達では貴女達をどうこうする事は出来ません。しかし、ここには貴女よりもずっと強い者達がいます」
例え何を企んでいようとも、あの方達の前では全てが無駄となる。そう警告する私から顔を背けたアラクネは、再びマナの大樹を見上げる。
「…… 私達は、世界維持の為の舞台装置。魔王と勇者の争いを盛り上げる要素の一つに過ぎない」
「っ!? それは、五百年前の…… 」
「あら? 貴女もあのクソみたいな魔王様のご高説を聞いたの? ねぇ、あれを聞いてどう思った? 私はこの世界に絶望したわ。人間と争う為だけに生まれたなんて聞かされれば、誰だって未来に希望なんて抱かないわよ。だから魔王が勇者に討たれてから五百年、私達は必死に抗ったわ。人間から遠く距離を置き、ひっそりと生きる事で神の意思とやらに逆らってきた。だけど、どんなに離れたとしても、何処からともなく人間がやって来ては争いになる。その都度沢山の人間を殺してきた。その事に関しては微塵も罪悪感は無いけど、神の掌で踊らせれているような気がして最悪な気分だったわ。そしてまた新しい魔王に支配されて言い様に使われる日々…… 私はね、もう疲れたのよ。だから、あの時ライル様に自分の命を差し出したのは嘘偽り無い本当の気持ち。人間達への贖罪なんてこれっぽっちも考えてはいないけど、この最悪な記憶を消して何も知らない魔物に戻りたかっただけ」
五百年前、突然魔王が私達魔物を集めては、世界の真理というものについて話し出した。それは私達には残酷な真実で、信じ難いものだった。
私達魔物は神の世で大罪を犯した者達で、その罪が赦されるまで魔物に転生し人間と争い続ける。それが、神から与えられた私達への罰。
例え勇者に勝ったとしても、魔王がいる限り支配されている私達に自由はない。勇者が勝利を収めても、これまでと同じで魔物は狩られる対象のまま。どのみち、戦争に勝とうが負けようが大して変わらないと分かり、私も世界に失望した。なので、今のアラクネの気持ちは理解出来なくもない。
「でもさ、あのバルドゥインという怪物を従わせる人間の調停者なら、私達のこんな救いようの無い一生を変えてくれるんじゃないかと思ってね。ぶっちゃけ、どっちでも良かったの。死にたいと思ったのも本当だから。ライル様が言った人間の為に何かしようなんて本気で考えてはいないけど、あのどうしようもない程に空虚な争いを避けられるのなら、忠誠を誓ってここで暮らしていくのも悪くないって思ったのよ」
貴女もそうでしょ? と、マナの大樹から私に振り向いたアラクネが言う。
…… 認めたくはないけど、そうなのかもしれない。私達もまた、運命というものに抗ってみたいと思った。だから千年ぐらい前、まだ何も知らなかった私達が、森を開拓している人間達に協力して共に暮らす事を選んだ。まぁそれも徐々に人が減っていって百年も続かなかったけど。
とにかく、アラクネは魔物の運命を必死に否定してきたけど、もう疲れ果ててしまったのね。
「貴女の気持ちは、理解出来なくもありません。しかし、それを全て信じるかはまた別の話です。私達はこれからも貴女達を見張り、少しでも疑わしい真似をしたら…… 」
「したら、なに? 」
「ライル様に言い付けます」
「フフ…… それは困るわね」
悔しいけど、私達の力ではどうやってもアラクネには勝てない。なら、この魔力収納を支配するライル様に言って対処して貰う他ない。それが私達の出来る最善だと信じている。
「貴女も覚悟しておく事ね。私達よりも少しだけ早くここにいるだけであまり偉そうにしないで。すぐに私達の方がアルラウネよりも役に立つと証明してみせるわ」
確かアラクネ達は、ライル様に頼まれてある特殊な糸を作ろうとしている。恐らくそれを完成させて自らの有能性を示したら、私達より優位に立てるとでも考えていのかしら? だとすれば甘過ぎるわね。魔力収納内の食料事情の殆どを担っている私達に勝てるとでも?
「それは恐ろしいですね。まぁライル様の為に頑張って下さい」
本当に生意気ね―― そう言ってアラクネは渋い顔して森へと歩いて行った。
まだ完全に信用はしていないけど、私達は似た者同士でもある。この監獄のような世界で出会った人間に縋り、神から与えられた運命という強制力から逃れ、何時の日か解放される事を夢見てる。
長きに渡る逃亡と争いの日々で疲れきった私達の前に現れた希望。ライル様への忠誠も、ライル様からの信頼も、ここへ来たばかりのアラクネなんかに負けてなるものですか。
明日から気合いを入れ直してもっと美味しい野菜や果物を育て献上しなければ…… そう気持ちを改めて、私はマナの大樹から離れて皆の下へと帰った。




