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なんだ? オークキングの魔力の流れが変わった。もしかして魔術も使えるのか?
〈お前らの動きは大体分かった。もういい…… 〉
オークキングはゆっくりと右足を上げ、片足立ちの姿勢をとる。
〈奴め。何をする気は知らんが、それまで大人しく待っている道理はない! 〉
〈待て! インセクトキング! 迂闊な行動は危険だ!! 〉
クレスの制止も聞かずに一人オークキングへと突っ込んでいくインセクトキング。慌ててギル達も後を追うが、俺にはオークキングの上げた右足に魔力が貯まっていくのをしっかりと確認出来ていた。
〈確か、人間の雌はこれをこう呼んでいたな。“アースクエイク” と…… 〉
っ!? 奴から離れろ! そう魔力念話で伝える前に、オークキングの右足が地面へ踏み下ろした瞬間、その足から地面へ魔力の波紋がこの空洞内全体に拡がるのを視た。
インセクトキングも流石に異変を感じ取り、足を止めて身構える。
だがもう遅い、魔術は既に発動してしまった。オークキングの魔力が空洞内の地面に拡がりきり、一拍置いた後に激しい揺れが俺達を襲う。
先ずは縦揺れの地震で此方の体勢を崩した後に、横揺れへと変わり地割れを引き起こす。地面に刻まれる亀裂は壁から天井にまで届き、今にもこの空洞が崩落してしまいそうだ。
『どうなってんだよ、相棒! 俺様はどうすりゃいいんだ? 』
『ぐらぐら! ゆれまくりで、きぶん、わるくなる』
「うおっ!? オークキング! 私まで殺そうと言うのか!? やはり魔物なんて信用出来ない。カーミラ嬢は何をお考えなのだ! 」
地面を走る亀裂に足を取られたレオポルドがよろめき、ムウナから手を放してしまう。
『ムウナ、今がチャンスだ! 』
俺の呼び掛けと同時に、ムウナはレオポルドを押さえていた龍の腕で一気に地面へと倒し、この揺れている中で何度も執拗にレオポルドを叩き付ける。
魔術で強化されたレオポルドの巨体は、テオドアに魔力を吸われて維持が出来なくなり、ムウナに叩かれる度に崩れていく。
「おのれ…… 魔力が…… 持たない」
レオポルドの限界が近付いた頃、地面の揺れは一層激しく、地割れが大きく拡がり、俺達を飲み込まんと大口を開ける。
インセクトキングとギル、ゲイリッヒ、タブリスは飛んで回避し、クレスは光魔法でリリィとレイシアを両脇に抱えて、安全な場所へ光速で移動する。
俺はエレミアに担がれて難を逃れ、レイチェルは闇魔法で造った狼の背に乗ってエレミアの後を追う。
ムウナとテオドア、アンネも大丈夫そうだが、神官騎士達は地割れを避ける術がなく、虫の魔物達と暗い地の底へと飲み込まれてしまう。
「う、うわぁぁあぁぁ!! 」
「ラ、ライル様ぁぁ! お逃げくださぁぁ…… 」
「神よぉぉ…… 」
落ちて行く神官騎士達の叫びが空洞内で木霊するのを聞き、不意に彼等と交わした話を思い出した。
半ば家出同然で故郷を出て、運良く神官騎士になった後、国にいる家族が気掛かりで、今度手紙と一緒にお金も送ろうと決心をした者。
昨年生まれたばかりの娘がいて、初めて抱いた赤ん坊に生命の神秘を感じ、この子は絶対に美人になると確信したとか、照れながらも自慢してくる者。
ここへ来る前に軽く恋人と揉めてしまい、どうやって仲直りしたらいいかと真剣に悩み、年下の俺にまで相談を持ち掛けてきた者。
彼等は多くいる神官騎士の一人にすぎないが、自分の人生を生きている主役でもある。そんな彼等の生をこんな所で終わらせていいのか?
―― この世界は非情で残酷である――
それがどうした? だから今目の前で命が消えていくのは仕方ない事だと? ふざけるな! そんなのは何もしようとしない奴の言い訳だ。いくら甘いと言われようとも、偽善と罵られようとも、理不尽で道理がなっていなくても、俺は人が死ぬ所なんて見たくはないんだよ! こうして異世界で生まれ変わったとしても、俺の心は呆れる程に平和ボケした日本人のままだ。
クレスのように勇者になって人々を救いたい訳じゃない。この数日で仲良くなった神官騎士達に死んでほしくないだけ。自分勝手な感情…… でも、どうしようもない怒りがこみ上げて抑えられない。これは我が儘な自分に対してなのか、こんな惨状を引き起こしたオークキングに対してなのかは分からないけど、心がざわめいて仕方ないんだ。
―― 俺の目が届く所で死なせはしない! ――
俺の中で何かが弾け、自分の全魔力を放出していた。空洞全体に充満するその魔力で落ちて行く神官騎士達を包み、纏めて魔力収納へ強引に入れる。自分でも驚く程の集中力で魔力の操作はスムーズになり、一人残らず神官騎士を救い出す事が出来た。
魔力収納内でお互いの無事を確認して喜びむせび泣いている神官騎士達を見てホッと一息ついた後、急に脱力感が体中を襲い、その場で倒れ込んでしまう。
うぉ…… なんだこれ? 全然力が入らない。
「ライル! いったい何が? 」
「恐らく、大量の魔力を一気に使った反動かも…… あんな出鱈目な魔力、初めてだわ…… 」
そうか、大量の魔力を一気に使用するとこんな副作用があるのか。
「危険なの? ライルはちゃんと元に戻るのよね? 」
「わたしが知る中で前例が無い事だから断言は出来ないけど…… 今の兄様を見た限りでは、命に別状はないと思う…… 魔力の使いすぎで死んだなんて話もないし…… 」
お? 良かった。取り合えず死ぬなんて事はないようだ。
エレミアも安心したみたいで、幾分か表情が和らぐ。しかしすぐに目を細めて俺を軽く睨んできた。
う~ん、これはまたお説教タイムかな? まいったなぁ…… でも個人的には満足だよ。彼等の命を救うことが出来たんだから。
正直、人が死ぬ所なんて見たくない。勿論、殺したくもない。サンドレアでヴァンパイアと戦った時も、アンデッドキングの時も、思い返せば何時も誰かに任せていた。きっと無意識に人間と人間に似ている者を殺めるのを忌避していたのだろう。
十才の時、馭者に殺されそうになり、直接ではなくフォレストウルフを利用して間接的に馭者の命を奪ってしまった。それが俺の初めての殺人だ。
殺されそうだったのだから仕方のない事。
ああするしか助かる方法はなかった。
向こうは殺す気できたんだから、殺される覚悟もあった筈だ。
…… 本当に? それを言い訳にして自分自身を正当化してはいないか?
原型が無くなった馭者だったものを前にした俺は、心の奥底に小さな痼のようなモヤモヤが残った。だけど先程の言い訳を理由に無理矢理目を背けて来たんだ。誰かに人殺しと責められるのを恐れ、ずっと見ない振りをしてきた。
だけど、アンネやエレミアと出会い、旅をしていく中で多くの人達の考えと生き方に触れ、少しずつ俺の中にある痼と向き合えるようになり始める。
そして同じ元日本人であるシャロットとの出会いは衝撃的だった。彼女は頑なに人を殺そうとはしない。例えそれが自分の家が治める領地に住む民を殺してきた野盗であっても法の裁きを望み、尽力叶わず死んでしまった者達を哀れみ祈りを捧げるその姿に、どこか懐かしさを感じた。
あぁ、何処まで行っても俺は俺なんだと…… 焼かれていく野盗の死体に祈るシャロットの隣で黙祷を捧げながら深く実感したよ。生まれ変わったとしても前世の記憶がある限り、地味で平凡、退屈な日々を嘆きながらも変化を恐れて何もしない、そんな何処にでもいる冴えないオッサン…… それが俺なんだ。
だから人殺しを肯定せずに、この心に残る痼と一生付き合っていくよ。これから先、きっと己自信で誰かを殺さなければならない時が来るかも知れない。その時は、新たに残る痼を抱いて後悔しながら生きていこう。
そしてそんな後悔に押し潰されないよう、目の前で理不尽に消え行く人の命を助けるんだ。後で神様に弁明出来るように……
魔力収納の中を、少年のように目を輝かせているオルトンと神官騎士達、そして彼等に自慢気に説明しているアグネーゼを見ながら、俺はこの世界での生き方に自分なりの答えを出す事が出来たような気がした。
ふと気付けば揺れは収まり、広範囲に裂けた地面と今もなお崩れていく天井の下で、オークキングとインセクトキングが睨み合う。そして別の所では、レオポルドの巨体がムウナによって粉々にされていた。
いよいよ戦いは佳境に入る。どんな結末を迎えるか、誰も予想出来ない。悪いけど、俺はもう動けそうにもないよ…… だから、後は頼んだ。




