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宿屋に戻ると、アマンダは厨房で夕食の仕込みをしていて、酒場として使用している場所にはテーブルを拭くサーシャの姿があった。どうやら気分を持ち直したようだ。
「おや? 戻ってきたのかい? 暇なら手伝ってくれるとうれしいね」
俺達を確認したアマンダは手伝いを要求し、エレミアがそれに応えて厨房へと消えていった。料理に関してはエレミアがいれば事足りるだろう。そう思っていると強い視線を横から感じる。
チラリと横目で様子を伺うと、サーシャが此方を睨み付けていた――目付きが鋭いからそう見えるだけかもしれないが。
「あんた、よそ者だよね。 なんでこの町に?」
「初めまして、ライルと言います。 ここへは商工ギルドに登録しようと町を探していた所、偶然見付けまして寄らせて頂きました」
サーシャは俺の頭の上からつま先まで、ジロジロと見廻すと満足したのかフンスと鼻を鳴らした。
「私はサーシャよ。この町の生まれだけど今は別の町で暮らしているわ」
この後、サーシャから「暇なら手伝って!」と言われ、掃除の手伝いをさせられた。 用意された雑巾を木の桶に入っている水で濡らしてから床を拭いていく。 雑巾がけなんて久しぶりだな、小学生の時以来だ。あの時と違って今は魔力で操っているから腰を曲げることなく拭けるので楽である。
腕を使わない事に疑問を感じたサーシャに自分の体を説明すると、何とも言えない表情で「ごめんね」と謝ってきたので、俺は何時もの事だから気にしなくていいという旨を伝え、掃除を再開した。
掃除も終わり、テーブルの席に着いて休んでいると厨房から芳ばしい匂いが漂ってくる。今日の夕食も期待出来そうだと胸を膨らませていると、サーシャがおもむろに口を開いた。
「ねぇ、あんたから見てさ、ここの人達はどう見える?」
「…… そうですね、凄いと思います。 十年も諦めずにミスリルを追い求めるその姿勢と覚悟は尊敬すら出来ます」
ひとつの事に全てを賭ける。己の命まで…… これぞ男の生き様!って感じで憧れる。俺なんか何時こんな会社辞めてやろうかってばかり考えていた。でもそんな根性も無く、ズルズルと流され続けて気づいたら八年も経っていたな。
サーシャは眉間のしわを深くして口をとがらすと、不満をあらわにした。
「馬鹿馬鹿しい、男ってみんなそうだよね。夢ばっか追いかけてさ、覚悟は決まってる? 命を賭けてる? そんなのどうでもいいよ! 何で目の前にある大切なものを見ようとしないのよ…… 知ってる? ここの連中の大半は家族に愛想を尽かされて出ていかれた人ばかりなのよ。それでも夢を追うのを止めない、理解出来ないわ」
「夢を追うのはいけない事だと?」
「ううん、違うわ。 家族を犠牲にしてまで追う価値はあるの?ってことよ」
そう言うとサーシャはアマンダの手伝いに厨房へと向かって行った。
夢の犠牲か、難しいな…… 価値観なんて人其々だし、きっと答えなんか見つからないと思う。サーシャや町から出ていった人達が正しいのか、町に残っている人達が正しいのかなんて分かる筈がないのに…… 世界には正解の無い問題が多すぎて、自分を見失いそうだよ。
夕焼けが人影のない町を赤く染め始めた頃、坑夫達は手ぶらでここに戻っては飯を食べる。こんな生活をもう十年も続けているのか、サーシャには悪いけどやっぱり俺はこの人達を否定することは出来ない。仕事を終えて酒を呑み交わしている男達を見ながら、そんな事を考えていた。
「うぅ~…… だからさ~、ミスリルなんか無いって、言ってりゅでしょ! なんで、わかんにゃいのよ!」
「おい、サーシャ。 飲み過ぎだぞ、この酒いくらしたと思ってんだ。 俺だってまだそんなに飲んでいないのに」
ブランデーを飲んで酔っ払ったサーシャがグラントに絡んでいる、そんな光景を横目に唐揚げを口に入れる。衣は小麦粉をまぶしただけだが、二度揚げしているのか外はカリッと中はジューシー、下味には醤油を使っているみたいで、芳ばしい匂いが部屋中に漂い、俺の胃を刺激してくる。
唐揚げを食べてエールを飲む! かぁー! たまんないね! やっぱり揚げ物にはビールが合うね。これはエールだけど…… 少し物足りないんだよな~、せめてホップが欲しい。何処かに自生してないかな?
◇
「よいしょっと…… すまないな、面倒を掛けて」
グラントは酔い潰れたサーシャを二階の部屋へ運び、ベッドに寝かせた。 俺達も食事は済んだので二階に行くついでに手伝ったという訳だ。
「こいつはな、たまにこの町に来ては俺達に諦めろって言いに来んだよ。 そんな説得に応じる筈がないのを知っている癖に、飽きもせずよくやるよ…… 誰に似たんだか」
ベットに横たわるサーシャの頭を優しい手つきで撫でると、グラントはポツリ、ポツリと語りだした。
「俺達は三人家族だった。 俺と、サーシャと、妻のファミルの三人で暮らしていたんだ。 あいつは体が弱くてな、サーシャを身籠った時は産むのは難しいと、母親か子供のどちらかの命を諦めるしかないと医者から言われていたが、あいつは諦めなかった。絶対に産んで、自分の手で育てるんだと…… そしてその言葉通り、無事にサーシャを産んじまった。ほんとに大した女だよ。 それから三人での暮らしが始り、大変だが楽しい日々だった。 ミスリルが採れなくなるまではな…… 町の奴等が出ていくなか、俺も迷っていた。 このまま坑夫を続けるか、こいつらの為に町を出て別の仕事に就くか。 だけどあいつは俺にこう言ったんだ。 ミスリルは絶対にあるから諦めないで――てな。あいつがあると言ってるんだ、だから俺は町に残って掘り続ける事にした。 だが、あいつの体は日に日に弱くなっていき、終には一人で立ち上がることも出来なくなってしまった。医者はとっくに町から出ていっちまったんで、近くの町から呼んで貰ったんだが、回復する見込みがないと、設備が整っている場所で治療をすれば少しは長く生きられるかもと言われてな。俺が残り、あいつとサーシャを別の町に移そうとしたんだ。でもあいつは町から頑なに出ようとしねぇ、最期までこの町に居たいと言い出しやがった。言い出したら聞かねぇからな。 それから程なくして、あいつは死んじまった…… あいつは最期まで信じていた、だから俺も信じて掘り続けるだけだ」
そうか、グラントは妻の為に掘り続けていたのか。昔も、今も、そしてこれからも妻を信じて掘り続ける。だから絶対にミスリルがあると疑わないんだな。
「…… 父さん」
いつの間にかサーシャの目が開いていて、此方に顔を向けていた。
「起きてたのか……」
サーシャはゆっくりと上体を起こして、ベッドに座り直した。
「知らなかった。 父さんが今も山を掘り続けてるのは母さんが言ったからなんだね。 母さんは最期まで信じていたのに、私は出来なかった。私から母さんを奪ったこの町が、父さんが嫌いだった…… いや、嫌いになろうとしてた。でも出来なかったよ、母さんが好きだった町を、父さんを嫌いになんかなれないよ。ごめんね、私は、父さんを、母さんを、信じられなかった…… だから叔母さん達とこの町を出たの。 でも、やっぱり寂しいよ、父さん…… 」
両目から流れる涙は止まる気配はなく、彼女の顔とシーツを濡らしていく。
「俺の方こそすまねぇ、本当ならお前らと一緒に町を出ていけば良かったんだ。 でもな、俺はこれしかやった事がねぇから、これしか知らねぇから…… 自信が無かったんだ。別の町で他の仕事に就き、お前らを養っていける自信が…… すまねぇ…… あいつは俺を信じてくれていたのに、俺はあいつを、この町に留まる為の言い訳にしていたんだ……」
グラントは膝をつき、サーシャの手を握る。二人はただ、涙を流し続けていた。
俺とエレミアはそっと部屋から出て、誰にも気づかれないよう外に出る。
「ねぇ、ライル。 早くミスリルを見つけよう」
採掘場へ向かうため暗い夜道を歩いていると、エレミアがそう呟いた。
「ああ、そうだな」
もう十分に苦労した、もう十分に苦しんだ、だからもう終わりにしよう――今度はずっと笑えるように。




