77話 北近江の雄 浅井家
【近江国/小谷城 浅井家】
「……覚悟を決めねばならぬ、そう言う事か?」
「このままでは一戦交える事もままならず、自壊して行く事になりましょう。残念ながら……」
「……そうか」
苦渋に満ちた家臣の報告に、更なる渋面を作った浅井久政が辛うじて答えた。
調子の良く物事が進む事を表す『順風満帆』と言う言葉がある。
船の帆に風を受けて快調に進む事が転じた言葉であるが、今の織田家や斎藤家は、まさに順風満帆で、その勢いを例えるに相応しい言葉である。
だが、そんな順風満帆な勢力に手痛い敗北を喫した浅井家は、斎藤家や織田家とは逆に逆風座礁(?)とも言える苦境に立たされていた。
浅井久政は前年の負けを大いに反省し、朝倉宗滴が見抜いた織田家躍進の原因を教えてもらい、残った少ない領地の人員を動員し、穀潰しや流人を動員し兵を増強し、負けて動揺する民を落ち着かせ斎藤家の侵攻に備える―――事が出来なかった。
その原因は明確で、領民が連戦連敗の浅井家を見限っただけである。
民の強弱を嗅ぎ分ける嗅覚は、ある意味残酷である。
民にとって領主の強さ、頼もしさは何よりも重要である。
絶対的な強さを持つ領主であれば、戦国の世でも身に降りかかる危険は少ない。
だが、弱い領主では戦に負けて侵略を受けた場合、略奪や人身売買と言った破滅的なレベルの身の危険が容赦なく降りかかる。
この時代、人身売買は何も人攫いや奴隷商人の専売特許ではない。
大名も侵略した領地から物資も人も奪うのである。
この戦国時代は小氷河期で食糧難の時代の上に、法も秩序も無いのである。
領民を食わす為には、非道な行いであろうとも実行せねばならない。
キレイ事で生きて行けるほど甘い時代ではないのである。
戦国時代と言うと日本が良くも悪くも一番輝いた時代で、数多の英雄を輩出した人気も高い時代である。
しかし武将や大名の華々しい活躍が煌びやかに目立つ一方、この様な負の情報は何故か学校でも歴史ドラマでも教えてもらえない。
例えば『義』の武将として今では神格化されている上杉謙信でさえ、略奪や人身売買に手を出している。
ただし、現代の善悪の価値観だけで、過去の時代を断罪するのは間違っているので御注意願いたい。
敵国の領民を減らすのは、確実なダメージに繋がる歴とした戦術の一つでもあるからだ。
話が逸れてしまったが、現斎藤家で旧浅井家の領地と、現浅井家の領地では、昨年の戦で略奪を恐れた領民が多数逃散してしまっていた。
旧浅井領では斎藤家の略奪を警戒して。
現浅井領では弱い領主を見限って。
もちろん両家とも逃げる民に対して対策を行うが、効果の程は歴然の差であった。
斎藤家は天下布武法度を前面に押し出し、不当な略奪の一切を禁じた。
すぐに効果が表れた訳では無いが、地道な領民の保護政策は噂が噂を呼ぶ形で浸透し、早い時期には落ち着きを取り戻し、7割強の領民は元の場所に戻っていった。
だが浅井家の領地からは領民の流出が止まらなかった。
これは、農民1人が消えたら兵1人も消える事となる浅井家にとっては、弱り目に祟り目とも言える問題であり、効果的な対策が打てなかった。
領民は浅井久政の領主としての弱さに不安感を覚え、敗北の補填を領民からの重税で対処する政策に反発した。
何より侵略してきた斎藤家が領民の手厚い保護の政策をしているので、座礁して沈没する泥船同然の浅井家と運命を共にするよりは、順風満帆の斎藤家に乗り換える者が多数存在したのである。
逃散領民の一部は斎藤家に逃げ込み、7割しか戻らなかった斎藤家の領民の残り3割を補填する形となった。
少ないながら浅井久政に対する恩義を感じて残る領民も居たが、領民のみならず家臣も出奔し始めた浅井家は沈没寸前の有様であった。
だからせっかく専門兵士の運用に気づいても、身軽な流人はさっさと逃げて斎藤家に行ってしまう。
また、武家の次男三男と言った穀潰しを集めるにも限界がある。
そもそも領地の規模に対して農民が足りていないので、兵を維持する兵糧もままならず、織田家の様に商業政策をとっていないので資金難でもあった。
信長が運用している専門兵士は、思いついたら即使える制度ではない。
兵を維持する兵糧も資金も豊富な尾張の地盤があってこその制度であるし、それなりの準備期間も必要である。
朝倉家でならば商業港があるので辛うじて運用可能であるが、浅井家単独では既に国の経営が成り立っておらず兵の増強など不可能で、弱体化に歯止めが掛からない状況であった。
だが久政は諦めなかった。
「だからと言って、簡単に北近江を明け渡す訳にはいかぬ!」
「はい! このままでは、浅井家の始祖とも言える大殿(浅井亮政)に顔向けできません!」
かつて似た様な状況に陥った北畠家は、織田家との力の差を感じて屈辱の臣従の道を選んだ。(39話参照)
それは信長の力を正確に見抜いた北畠具教の眼力と、誇りを捨ててでも名家北畠を潰えさせるリスクを回避したのである。
翻って浅井家は、浅井亮政が京極家から独立した新興勢力であり、守るべき名誉は既に地に落ちており、家の歴史も北畠家に比ぶべくもない。
それ故に、みっともなくとも生き残りを図るよりも、例え散る事になろうとも徹底抵抗を選んだのである。
「朝倉家にも救援を頼むが、此度は浅井の持てる全ての戦力を動員する。老若男女も問わない。手や足が動かずとも、目が見えずとも、何かの役に立てる者は全て動員する!」
斎藤家からの侵攻を受ける前よりの、数々の失態と弱腰戦略のツケが祟った浅井家は、悲壮な覚悟で防衛の準備をするのであった。
この決断は斎藤家が再侵攻を決める前、まだ雪も残り北寒風吹きすさぶ頃で、寒さも合わさって悲壮感が5割増しした浅井家であった。
【近江国/斎藤家 小谷城】
「あれが雨森城か。さすがに以前よりも防御は強化されているか」
「……え? 以前?」
「あ、いや、言葉を間違えただけ! じゃ!」
遠目に見える雨森城を信長は見据えた。
平地に作られた城で、信長は前々世にて近江侵攻時に見た事がある城であった。
以前の歴史では、雨森城はそれなりの防御を備えていたが、本拠地の山に備わる小谷城が浅井家の最後の砦として機能していた事もあり、そこまで重要な拠点ではなかった。
戦いの為の城、と言うよりは、統治の為に作られた意味合いの強い城である。
しかし今回の歴史では、斎藤家の領地に面する最南端の城である。
平地の平城とは言え、去年同様の防備でいる訳にはいかないので、大改修が施されていた。
「とは言え、あの程度の城に手子摺る訳にはいかん。目標は今回の一戦で相手の魂を圧し折る事なのだからな」
そう言って信長は軍議を思い起こした。
光秀が無事に鉄砲の才能を開花させ、織田家の援軍が到着し侵攻準備が整った頃、最終確認としての軍議が開かれた。
織田家からは織田信長、森可成、柴田勝家、北畠具教が軍議に加わり、斎藤家からは、当主の斎藤義龍、安藤守就、氏家直元、明智光秀、斎藤利三の5人で、稲葉良通は六角氏への押さえとして今回の戦には参加しない。
その代わりとして、頭角を表してきた不破光治が参陣する事となった。
不破光治は史実にて美濃三人衆に加えて四人衆にも数えられた人物である。
織田家の配下になった後は、浅井長政と於市の婚姻同盟をまとめ、佐々成政、前田利家と並び府中三人衆と称される活躍をした実績がある。
今回の歴史では、親衛隊の訓練を優秀な成績で突破し、内政でも治安に開発に成果を挙げて、史実よりもパワーアップして成長していた。
この様に規模は小さいが、今川義元と戦った桶狭間にも匹敵する錚々たるメンバーが集まった。
それだけ今回で、浅井家との決着をつける意気込みが、両家とも強かったのである。
「浅井軍の動員数は1500。多く見積もっても2000には届かぬ見込みです。領民の逃散、兵糧の不足、将兵の離脱。もはや死に体に等しき惨状と言えるでしょう。我等の流言がかなり効いた模様です」
浅井家は弱体化による領民や家臣の逃散が後を絶たなかったのであるが、その影には親衛隊の間者による念入りな流言が、真綿で首を絞めるかの如く浅井家の力を奪っていった。
浅井家は、斎藤家の諜報活動の事実を把握出来ない程に、弱体化していたのだ。
「兵は我が斎藤家の領地に面する雨森城と、現在の本拠地である田部山城に集中している模様です。雨森城は平城故に昨年から緊急で改修を施した様ですが、人員も資金も上手く集まらず、何もしないよりはマシと言える程度の改修しか施されておりません」
田部山城は雨森城の北の山に位置する山城である。
「また田部山城も、小谷城に比べれば防御能力は劣ると言わざるを得ません。敵の兵に関してですが、我らを模倣して専門兵士を作ろうとした様ですが人も集まらず、弓が引ける者、槍が持てる者等、老若男女問わず、しかも本来なら戦力に成り得ない者も集めている模様ですが、その結果、そんな者達に少ない兵糧を裂く為に士気も低く、陰鬱な雰囲気が城全体を覆っています」
氏家直元が調べ上げた事を報告する。
それはもう、これから攻め込む側の斎藤、織田陣営でさえ聞いているだけで辛くなるかの様な悲惨な現状であった。
「そう言えば、嫡男の猿夜叉丸も誘拐しておったのだったな。何か申し訳ない気持ちになって来たな……」
「では謝罪して進軍は中止しますか? 義兄上?」
「いやいや勿論冗談じゃ。謝るぐらいなら最初から侵略などせんわい」
自分達が仕掛けた戦いで、しかも勝っておいて謝るのは意味不明である。
他の大名と違って明確な目的がある両家にとって、どれだけ非難を浴びようとも立ち止まる訳にはいかないのである。
「まぁコレだけ弱体化させた上に人質までおるのじゃ。万が一にも負けたら後世に轟く笑い者となろう。だが厄介な事にその可能性が無くも無い。その可能性は今回も恐らく来るであろう朝倉家の援軍である朝倉宗滴じゃな。奴の存在だけが唯一の懸念と言っても良いじゃろう」
昨年の戦いで斎藤軍を手玉にとって猛威を振るって来た伝説の老将である。
一応撃退に成功しているが、完勝したかと言えば全くもってそんな事は無く、辛勝も辛勝で、義龍などは運良く生き残っているに過ぎない。
「本当に奴には酷い目に合わされたわ。まったく! あのジジイ早く死なんかなぁ!?」
「ううむ……。いやぁ、それは無理ですな。死んでる姿が全く想像できませぬ……」
宗滴の弓隊によるピンポイント射撃により、義龍は全身を矢に射られ、生きているのが不思議な程の重傷を負っていた。
数々の伝説を裏付けるかの様な活躍は、斎藤家にとってトラウマになっており、『さっさと死んでくれ』と呪うしか対策が打てなかった。
「仕方ない! 今度こそあのクソジジイと決着を付けてくれる!」
「そうですな。恐らく敵の動きは篭城する浅井に朝倉が援軍として駆けつけ、その時、宗滴が縦横無尽に駆け巡って我等を翻弄する策しかありますまい。兵の質に問題がある浅井家が野戦を挑むとは思えませぬ。後は―――」
義龍の決意に安藤守就が答え、不破光治が引き継いで答えた。
「どちらを先に潰すかですな。浅井に対しては刻を掛ければ兵糧が尽きて勝手に自滅していくでしょうが、それを許す朝倉宗滴では無いでしょう」
光治の考えを受け、明智光秀が万が一の可能性も考慮する。
「そうですな。それに浅井が篭城をすると決め付けるのも危険。朝倉に構っている隙をついて決死の突撃もあるやも知れませぬ」
そこまでの話しを総合して義龍が方針を定める。
「そうじゃな。昨年同様、両方相手にするしかあるまい。あとはどちらにどれ程の比率でもって相手をするかじゃな。……所で義弟よ、今回鉄砲隊は攻城戦で使いたいとの事であったな?」
「はい。どれだけ弱体化したと言えど、浅井を倒せば北近江は我等に落ちるはず。逆に言えば、浅井が諦めなければ手に入りませぬ。その為には鉄砲が効果を発揮するはずでしょう。その為に、まず彦右衛門(滝川一益)と十兵衛(明智光秀)の二人に鉄砲隊150ずつと弓部隊として権六(柴田勝家)と侍従(北畠具教)2000ずつを与えて雨森城攻略に当たらせたいと思っております。残りの我等は雨森城を囲みますが、城は相手にせず朝倉宗滴の来襲を待ちます。後は宗滴との争いとなりましょう」
雨森城攻略には織田から連れて来た戦力の全戦力を投入する事となった。
残った信長と森可成は美濃の親衛隊を借りて待機となるが、その数は供に500である。
斎藤家側の布陣は義龍、守就、直元、光秀が1000、利三、光治が500ずつの兵を率いる事となる。
「よし。宗滴のジジイ相手に戦略通り戦が推移するとは絶対に思うな! 何かあると常に考えて行動せよ! ワシからの伝令や合図には特に注意せよ! では出立する!」
義龍の号令で軍議と大まかな戦略は終わり、各々の持ち場に付いて進軍する連合軍であった。
「おっと、忘れておった。義弟よ、帰ちょ―――」
「殿!」
義龍の病気を察知した守就が素早く制止する。
「……妻は尾張での任務故に今回は不参加です。何かしらの結果を出せば美濃や近江にも向かわせましょう」
「よぉし! これでワシは戦える! いくぞ!」
「……」
こうして決まった方針とヤル気で、まず雨森城攻略戦が始まる。
「よし! 彦右衛門と十兵衛に合図を送れ!」
信長が合図を出した。
すると、4000人の火矢部隊が一斉に雨森城にむけて攻撃を開始した。
こうして浅井家の滅亡を掛けた攻防戦が開始されたのである。
【???/朝倉宗滴】
「さて。いくかのう。出発!」
散々、朝倉宗滴を警戒して始まったこの戦い。
信長や義龍の心配を裏切る事無く、朝倉宗滴は準備万端で二人の期待に答えるべく進軍を開始したのであった。




