75話 人地の衝撃と巣立ち
【駿河国/駿府城 今川家】
駿府城では、松平元康(徳川家康)が織田家の方針を持ち帰り、今川義元と雪斎に報告していた。
「―――そう言った訳で、尾張の殿は茜様、葵様、直子様の3人を側室に迎えました」
「ほうほう。さすが若者。お盛んじゃな。ハッハッハ!」
信長が側室を3人も迎えた事に対する義元の反応は、ますます勢いを増すであろう信長の将来を楽しみに思う笑いであった。
「は、はぁ……? あと、那古野城と那古野と呼ばれる地域を『人地』と改めるそうです」
義元が笑った意味がイマイチわからず困惑しつつ、最後の報告として那古野の『人地』改名の件をサラッと伝えたのだが―――
「ハッハ……ブホッ!! なんじゃと!? それは本当か!? 何故それを先に言わん!」
「え!? も、申し訳ございません??? ですが確かに……そう仰ってましたが……」
義元は態度を一変し、元康は叱責を受けてしまった。
元康にとっては報告の優先順位を付けた上での順番だった。
地名の変更は織田家の方針や戦略の観点からして、重要度が低いと判断したが故に最後に回した報告であったので、一体何が悪かったのか理解できず、訳も解らぬまま謝罪した。
「殿。それは無理からぬ事かと」
雪斎が目配せと共に義元を窘めた。
「ムッ……。それもそうか。すまなかったな元康。ご苦労であった。下がって良いぞ」
「は、はい……? では失礼致します……?」
元康は言われるがまま退室したが、その顔は疑問に歪んでいた。
元康退出後、義元と雪斎が周囲に気を配りつつ話し始めた。
「聞いたか和尚。しかし『人地』か……。信長も思い切った事を……いや、とんでも無い事をしよる……。『尾張のうつけ』健在と言った所か? 少々健在過ぎる気もするが」
「真に。これは我等も対応を誤れば、織田家と道連れで滅ぶ可能性もあります。いかがしますか?」
「……とりあえずは今の関係を維持する。恐らく『人地』に込められた真の意味を理解する者は、敵味方中立全て含めてもそうは居るまい。騒ぎになる事もないじゃろう。このまま様子を見る」
「解りました。間違いなく今は歴史の転換期。今後、こう言った事は当たり前になるやも知れませぬな。良くも悪くも……」
「そうだな。それよりも当面は武田の信濃攻めに協力せねば三国同盟の維持も危ぶまれる。織田に敵対したフリをしつつ臣従し、武田にも北条にもバレずに三国同盟を維持する。……何と面倒な事よ」
全てを理解した義元と雪斎はその後も、織田家の方針を受けた上での今川家の方針を協議するのであった。
【近江国/横山城 斎藤家】
すっかり傷の癒えた義龍は、横山城で斎藤家の主だった家臣を集め織田家の方針を踏まえた今年の方針を協議していた。
斎藤道三や織田家の新年の挨拶に行っていた斎藤龍重、斎藤龍定と、美濃三人衆といった重臣も勢揃いしている。
基本方針としては今年も浅井の残りの領地を攻め取る事が決定され、農繁期に入るまで準備に集中する事となった。
そんな中でも『人地』改名の件は話題となった。
「『人地』の件は了承した。なる程。義弟は面白い事をしよるな。ワシも真似してみようかのう?」
信長の発想に感銘を受けた義龍は自分も真似をしようとして考え始めたが、それは道三も同様で、ソワソワしている。
本当は自分も変えてみたいのだが、そこは堪えて現当主の義龍の考えを聞いた。
「ほ、ほう。じゃがどこを変える?」
「……そうですな。美濃や我らの本拠地である稲葉山を変えるよりも、新たに支配者が変わった事を周知させる意味でも、近江のこの辺りを変えるのが良いと思いますが如何でしょう?」
「成程。婿殿の狙いもそれか! 斯波家から織田家に支配者が変わったしな。まったく新しい発想じゃな」
世界の歴史を紐解くと、支配者が変わった時に地名が変わる事は良くあるのだが、実は日本においてはそう言った例がほぼ皆無である。
「うーむ……。この今浜が琵琶湖も近く発展度合いも高いので、斎藤家を喧伝する意味でも、この今浜を変えるべきかと」
「ふむ。悪くない候補地じゃな。ならばどんな名前にする?」
「今浜……今浜……。今なんとか……なんとか浜……。むっ! 我が斎藤家の通字となる『龍』をつけて…… 『今龍』はどうでしょう!?」
通字とは先祖代々一族が名前(諱)に使う漢字である。
織田家なら信秀、信長、信忠と『信』の字を。
伊達家なら晴宗、輝宗、政宗と『宗』の字を。
真田家なら幸隆、昌幸、信幸と『幸』の字を。
北条家なら氏綱、氏康、氏政と『氏』の字を。
と言った具合で代々継承されていく。
しかし―――
「い、いまたつ……? 通字の『龍』を使うのは良い案じゃと思うが……何と言うか、どうせなら『龍浜』の方が語感的にも良いと思うのじゃが……?」
道三が『今龍』の余りの語感の悪さに思わず苦言を呈した。
家督を譲って今まで一切、義龍の打ち出す方針に対して口出しをする事の無かった、あの道三がである。
余程、しっくりこない何かがあったのだと家臣たちも推察できたし、正直に言えば家臣たちも『今龍』はどうかと思ってしまった。
しかし自信満々で考えた義龍には納得できるものではなく、マムシの後継者に相応しい威圧感を出して道三に躙り寄る。
「ほ、ほう……!? 父上……どうやら老いたようですな?」
「……新九郎? 『今龍』と言った時の家臣達の微妙な顔を見た上での発言か……? のう源太郎(氏家直元)もそう思わんか?」
「えッ!? それは、そ、その何と言うか……」
負けじと道三も初代マムシに相応しい、最近、幼い子供たちと触れ合う内にすっかり鳴りを潜めた猛毒の威圧感を醸し出す。
突如話を振られた氏家直元にはいい迷惑である。
「ま、まぁまぁ! 北近江の完全支配はまだまだ先になりましょう! 今急いで決める必要もありますまい!?」
安藤守就が慌てて嗜める。
帰蝶の婚姻に際してすっかり和解した2人が、戦場以外で見せる事の無かった毒蛇の気配を撒き散らし始めた。
こんなバカバカしい理由で仲違いしてもらっては困るので、家臣も慌てて仲裁に入る。
なお、史実で近江の今浜は、秀吉が浅井家に代わって支配する事になった時、信長への忠誠と感謝を込めて、信長の『長』を取って『長浜』と変更した経緯がある。
この切っ掛けは間違い無く信長の『岐阜』が皮切で、信長の弟子や後継者と言える者達が各地で真似をするのである。
秀吉以外にも、黒田長政の『博多から福岡』、蒲生氏郷の『黒川から会津若松』、加藤清正の『隈本から熊本』など、信長が前例を作り、当たり前になっていったのである。
ただし、信長だけが『ある理由と条件』で日本史上初にして、誰も後には続かなかった。
「そ、そうですな。それに、この琵琶湖には龍神伝説があると地元民が言っていました! 『龍』の字を入れる事はワシ等家臣一同賛成ですぞ!?」
稲葉良通が慌てて同意した。
偶然であるが、琵琶湖には(琵琶湖に限った話ではないが)龍神伝説も存在する。
名称の変更に『龍』の字を使うのは、馴染みのある字や存在として史実の『長浜』よりも最適と言えるかもしれない。
後は『今龍派』と『龍浜派』のどちらの派閥が優勢になるかの問題である。
現状は義龍の大劣勢であるが。
「ハハハ! 分かっておるわ。少々ムキになってしまったが、仲違いと勘違いするんじゃないわ!」
「そうじゃぞ。こんな下らない事で御家分裂とか後世の笑いものぞ。ハッハッハ!」
そう言って義龍と道三は笑った。
しかし―――目は笑っていなかった。
「よし。『今龍』実現の為にも、今年で浅井家は完全に追い払うつもりで諸将は準備を怠らないように!」
「……!? うむ。皆で協力して北近江を平定し、今浜を『龍浜』にしようぞ!」
「……!!」
引き続き笑いながらもにらみ合う二人であった。
「……お、おぉ~……」
こうして今年の斎藤家の滑り出しは最悪の雰囲気で幕を開けた。
後世に残る資料には『今浜』の名称変更を含めて、年賀の挨拶は平穏無事に行われたと記載されている。
【尾張国/人地城 織田家】
新年の方針が固まり通常の日常に入った織田家では、寒い中でも通常運転で活動を行っていた。
そんな中、信長や義龍の幼い兄弟は積もった雪の上で雪合戦を行って、遊びながら戦術を学んでいた。
雪玉を投石に見立て、親衛隊の大人相手に陣取り合戦である。
ルールは相手の陣地最奥にある旗印を奪うか全滅させたら勝ちで、あとはお互い盾を構え、体のどこかに被弾したら戦死扱いである。
盾の裏側には雪玉を収納できるポケットがつけられており、予め10発ほど持って移動する事が可能である。
玉の補給は本陣で行うか、危険を冒してその場で作るか、その判断は個々に任されている。
また、大人同士なら同数であるが、大人と子供が同数では子供に勝ち目がないので、ハンデ戦として大人6人に対し、子供11人と親衛隊指揮官1人の12人で、ただし子供軍に属する大人は攻撃参加が禁止である。
コントロールと俊敏な動きで攻める大人が勝つか、数に物を言わせた子供と力を貸す指揮官が上手く作戦を立てるかが見どころで、見学の親衛隊や村人が応援したり賭けをしたりで盛り上がっていた。
【子供軍陣営 総大将 川元晴乃介】
「良いか。親衛隊の大人は体が大きい分、的も大きくなり不利となる。盾があるが足元までは隠せ切れない。だから移動中の相手の足元を狙う。それでだ。ここからがこの作戦の肝じゃ。攻撃は必ず2人1組、または3人1組で1人を狙え。盾で1つの雪玉は防げても2つ同時に捌く事は難しい。だから成るべく息を合わせて同時に投げる。そうすれば大人だろうと必ず倒せる。良いな?」
そう言って細川晴元こと川元晴乃介が子供たちに作戦を伝えた。
子供たちの年齢の幅が5~11歳と広いので、難しすぎず、簡単すぎず、子供たちにも理解できるであろう最低限のラインを狙った良くできた作戦であり、戦における基本戦術とも言えた。
1対1では無く、常に自分たちが有利な立場になるように考えて戦うのが名将の条件である。
「相手が最後の1人となったら、一斉に襲い掛かれば必ず倒せる。相手大将の足立藤次郎は一見手強いが、しょせん力任せの猪武者に過ぎん。恐れるな」
「はい!」
【大人陣営 総大将 足立藤次郎】
「よし。相手は数が多いとは言え、しょせんは子供。力と素早さに勝る大人に勝てる道理は無い! 一気に押しつぶすぞ!」
足立藤次郎こと足利義藤(足利義輝)は一切の作戦を立てず、力で押しつぶす事を選択した。
力攻めと言うと無策で挑む愚かな武将とイメージするかもしれないが、それは時と場合によりけりである。
力攻めも歴とした策である。
今が攻め時なのに、下手に策を打って自滅する、なんて事は良くある話である。
要はジャンケンの様な物で相性次第なのである。
ただ、もちろん策、あるいは力攻めが、頑張り次第で『グーがパーに勝つ』と言う事も十分あり得るのが戦である。
こうして始まった、史実に残らぬ将軍と管領の歴史的戦いは、将軍の勝ちで終わった。
やはり、子供達の年齢の差が大きすぎて連携や動きに齟齬が出て、策が上手く機能しなかったのが原因である。
大人になってからの6歳の差は大した差ではないが、5歳と11歳ではさすがに成長の差がハッキリと表れてしまった。
ただ、子供たちもやられっぱなし、と言った訳ではなく半数は討ち取る事に成功している。
まずまずの戦果であった。
それに子供達は降り積もった雪にテンションが跳ね上がり、模擬戦では連戦連敗であったが、継戦能力は寒さに弱い大人に比べて格段に上回り、体力の勝る大人がへばってしまう程であった。
いつの時代も子供は風の子元気な子である。
こうして大人も子供も、策や力業の重要性を学び成長していくのであった。
そんな乱世とは思えない平和な訓練の日々と冬が終わり、春の気配が感じられる頃になると、とうとう歴史的快挙が起こった。
義藤が帰蝶から、一本奪取する事に成功したのである。
「おぉっ!」
見学していた晴元や子供達から歓声があがり、義藤も天を仰いで拳を突き上げて喜びを噛み締める。
しかし―――
「や、やった!? ……グハッ!?」
喜んだのも束の間。
帰蝶が喜んで隙だらけの義藤の胴を、払って逆に打倒してしまった。
「一本奪取はお見事です。しかし、その後が宜しく無いですね。完全に相手が死んだか分からないのに、目線を外すとは何事ですか? 私が一度でも藤次郎殿から一本奪った後に油断した事がありましたか?」
これは決して帰蝶の負け惜しみなどではない。
卑怯でもない。
命のやり取りをする者として、当然の行動である。
武道には『残心』と言う言葉がある。
例え技が決まって相手が倒れたとしても、それは擬態である可能性もある。
だから油断せずに、心を残しておくのである。
ラウンドが終わって即座に目線を切る。
ガッツポーズで隙を晒す。
一本の宣告後に喜んで背を向ける。
これらは武道の性質上、本来なら論外の行動である。
これがスポーツ格闘技と武道の明確な差で、武道の試合では厳しい所であると、残心が無いと見なされれば一本が取り消される事もある。
当然、真剣勝負の戦場であるならば尚更である。
戦場の一本とは、完全に相手の命を奪う事である。
「とは言え、今のは戒めでもありますので、これで二度と油断はしないでしょう。一本奪取お見事です。藤次郎殿」
「い、今、藤次郎殿と?」
「はい。『ちゃん』は卒業です。お見事でした!」
実際、義藤は最初の頃に比べて格段に武芸の腕が上がった。
未来における、死の運命からの生還の可能性を高める為の帰蝶の心遣いで、とりわけ厳しい訓練を課されており、親衛隊の中でも語り草になる程の過酷な猛稽古であった。
実際帰蝶から一本取った事のある者も、義藤との稽古に臨む帰蝶から一本取れるかは自信が無いと弱気な発言をする位であった。
その猛特訓を義藤はクリアしたのである。
そんな偉業を成し遂げた義藤の目から涙が溢れたが、すぐに誤魔化す様に竹筒の水を頭から被った。
「えー? 藤次郎兄ちゃんは何で水を被ったの?」
「フフフ。それが解ればお主は一人前になれるさ」
晴元は年の離れた子供たちの頭を叩きながら笑って、主君の成長を喜ぶのであった。
こうして春が過ぎ初夏の季節となったころ、剣や槍、弓に馬、戦術に至るまで一定の成果を修めた義藤が、織田家から出ていく事が決まった。
「織田殿、濃姫殿、今までの恩は絶対に忘れん。感謝してもしきれん。この恩に報いる為にも、ワシは必ず京に舞い戻って将軍の権威を回復する! ―――だから、いつか戦場で出会ったら全力でお相手する事を約束しよう」
「フッ。やはり『人地』に込められた意味に気づいておったな?」
義藤は織田家の方針が、将軍家とは絶対に相容れない事を察しており、いつか敵対する事を確信して戦になる事を宣言した。
「うむ。日ノ本でこの重大性に気付いた者は、武家でも10人もおるまい。公家でもどうじゃろうな? こんな事を考え付いて実行する事が異端すぎる思考じゃ。殆どの者がその意味に気付かんじゃろう。正直ワシは恐ろしいとさえ思う」
「分かる奴にワシの信念が本気だと解って貰えれば良い。ワシも戦場でお主と出会えば全力で叩き潰してやろう」
「その時は、私も今より腕を磨いて出陣しますので、宜しくお願いしますね!」
「い、今より!? それは……その、頑張ります……」
そう義藤がトーンダウンした所で一同が笑いあった。
「さて右京様(足利義藤)、そろそろ参りましょうか」
「うむ。……そうじゃ。一つ頼みたい事がある」
晴元が退出を促すと、意を決したように義藤が話し始めた。
今までも真剣であった眼差しが更に強い輝きを放つ。
その覚悟を感じ取った信長も、姿勢を正して応える。
「何なりと」
「いつかお互い戦場で出会って勝敗が決着しその時、お互い生き残っておれば勝った方に力を貸す。どうじゃ? ワシはお主を何としても家臣に迎え入れたいのじゃ。織田家としてもワシを倒せん程度では天下布武など無理じゃろう? 自分で言うのも何じゃが、ワシは敗れたとしても将軍じゃ。利用価値はあろう?」
「ほう。仮にワシが敗れても能力は買ってくれるのですな? 良いでしょう。お互いこの程度で躓いては目的の達成など夢のまた夢。ならばその提案は願ってもない事。俄然やる気が出てきましたぞ」
「よし……確かに約束したぞ? では世話になった。さらばじゃ!」
こうして将来の再開と戦いの意思を確認した後、足利義藤と細川晴元は尾張を発った。
【その日の夜の『人地城』の信長私室】
《何か凄い約束をしましたが、大丈夫ですか?》
ファラージャが心配になって信長に尋ねた。
《大丈夫かどうか分からんな。しかし、大きな歴史の変化ができる可能性を作ったのは大きい。あ奴には必ず勝たねばならんな。順当に行けば負けるとは思わんが、必ず叩き潰してくれよう。……まぁ、その前に奴が他の勢力に負けて暗殺される未来の可能性もあるがな》
《あれだけ鍛えたんですから、あっさり暗殺されたら師匠の私の面目丸潰れです! そんな事は絶対にありません!》
帰蝶はそう太鼓判を押すが、一対多数ではどうにもならない現実があるのも事実である。
《今の義輝が史実より強いのか弱いのか解らんが、まぁ前々世で大した関わりの無かった義輝と、これだけ濃密に関わったのじゃ。歴史の流れに影響が無い訳が無い、と信じたい所じゃな》
史実で信長は上洛した時、義輝と会ったが、それっきり関わる事は無く義輝は暗殺された。
それを思えば、今の状況は雲泥の差である。
《さぁそろそろ、斎藤家が進軍する時期に入ろう。援軍を編成せねばな》
そういって信長は、誰を派遣するか考えるのであった。




