73話 復権への道
「ワ、ワシは何故こんな事を……!?」
「そ、それはワシの台詞ですぞ!?」
「何で誰も止めなかった!?」
「……なッ!? それは申し訳ありませぬ! しかし!? 少なくともワシは、お止め頂くよう言ったつもりでしたが……ッ!?」
「ヌグッ……!!」
大地に寝そべる足利義藤(義輝)と細川晴元。
京の文化と作法を経験した者とは思えない無作法を晒し、その横では、子供たちが帰蝶に蹴散らされてながらも、キャッキャと楽しみつつ剣を交えていた。
「尾張は平和だな……」
「……それは同意いたします―――」
義藤と晴元が子供たちを横目で見つつ、息を整え起き上がってポツリと呟き、尾張に到着し信長と面会した時の事を思い出した。
【尾張国/那古野城 織田家 数日前】
《足利義輝さんは足利将軍家13代征夷大将軍なんですが、中々激動の人生を送った人物として記録が残ってますね。敗戦に次ぐ敗戦、流浪に次ぐ流浪ですが、地に落ちた将軍の権威を何とか盛り返す事に成功するも、松永久秀による暗殺で最期を遂げる悲運の人物です。享年30歳なので、もう人生折り返してしまってますね。信長教では特にコレといった立場ではありません。野心的な人生に壮絶的な最期、短い人生ながら事欠かないエピソードで足利将軍家では人気を獲得している一人ですね。初代将軍足利尊氏、3代足利義満、6代足利義教、今から来る13代の足利義輝は特に人気が高いです》
《何というか、今までこうやって色々後世に伝わる人物を教えてもらっているが、義輝に関しては特に取り立てて言うべき事も気になる事も無いな。それでも強いて言うなら『勝てば正しく、負けたら悪い』をよく表した人生の見本みたいな奴じゃったとワシは思う》
《ところでアレは本当なんですか? 最後の時の大立ち回り》
《大立ち回り? 何だソレは?》
《襲撃された時に秘蔵の名刀を畳に突き刺し、取っ替え引っ替えしながら勇猛果敢に戦い最期を遂げた、と言うヤツです》
《あぁ、ソレか。ワシも聞いた事あるな。しかしワシも現場に居った訳では無いからな。風聞でしか知らぬ。だが、まぁ創作の類じゃろう。未来ではどうなのか知らぬが、死者への冒涜は忌避するのが普通じゃ。もっと言うなら、『あいつは良いやつだった』とか、死んだら美化して伝えるのが普通じゃ。『あっさり暗殺された』と言うよりは『せめて勇猛果敢な最期を遂げた』とな。怨霊にでもなられたら困るからな》
《お、怨霊……!?》
信長の口から出てくる言葉とは思えない『怨霊』との単語に、ファラージャは驚いた。
《ファラちゃん、例えば日本最強の大怨霊である崇徳天皇や、雷神怨霊の菅原道真の逸話を知らない? 平将門はどう?》
日本では古来、非業の死を遂げたり、無実の罪で死んだ人間は怨霊として蘇り災いをもたらす、とされるが、その中でも日本最強の怨霊と名高いのが何と天皇経験者に居り、明治天皇や昭和天皇が御霊を鎮撫した記録もある。
何度も言うようだが、宗教が現代の科学同然のレベルで信じられているのが、現代以前の常識である。
そもそも宗教自体が、跳梁跋扈する怨霊を何とかする為に導入された面がある位である。
だから非業の死を遂げた人には、怨霊にならない様に、民間でも対策を取り『あいつは良いやつだった』とか『せめて活躍していた事にして記録しよう』としておくのである。
その端的な例として、天皇の名前は存命の場合は今上天皇、死後は明治以降元号が充てられるが、明治より前は基本的には『この様な人物であった』と分かるような名前が付けられる。
分かりやすいのは『後〇〇天皇』で『〇〇天皇の様だったから後〇〇天皇』となったりする。
また、帰蝶の言った『最強怨霊・崇徳天皇』は『尊さ、気高さ』を表す『崇』と『立派な人、優れた人間性』を表す言葉の『徳』の字を使い、『崇徳』と名付けられた。
だが、実際の人生は親に嫌われ、名ばかりの天皇として生き、罪人として島流しにされ、どんなに懇願しても罪を許されなかった。
せめてもの謝罪として(一説には血で)書き上げたお経を送ったが突き返され、他にも悲惨極まりない逸話があり、『天皇家は絶対に呪って殺す!』と言って死んでいった。
崇徳天皇を本気で説明すると、本が一冊出来るほどエピソード満載なので、これ以上は書かないが、何が言いたいかと言うと、名前と人生が合っていないにも程が有り過ぎるのである。
それを踏まえた上で『〇徳天皇』と名付けられた人は何人か居るのだが、実は殆ど碌な人生を送っていなかったり、非業の死を遂げたり、とても『徳』と付けられる人生ではなかった。
それでも『徳』と付けられる背景は怨霊化を恐れての事であり、さらに『崇』まで付けられて、それでも尚『怨霊化』した崇徳天皇は最強怨霊として君臨するのである。
ちなみに『崇』の字をつけられた天皇も悲惨な人生だった人が多い。
両方つけられた崇徳天皇は、それだけ恐ろしい存在だったのだと十分察せられる。
実際に崇徳天皇の死後、色々な怪現象や不幸がたくさん起こり、実害レベルでも最強怨霊として君臨しているので、当時の人々や、特に崇徳天皇を迫害した当事者達は恐れ慄くのである。
余談が続いたが、さらに余談で『祟』は『崇』に似ているようで違う字で、『祟』の読み方は『たたり』である。
意味は言わずもがな。
昔の人は洒落が効いて居るというか効き過ぎと言うか、意外と恐れ知らずなのだろうか?
余談に雑談が入って大脱線してしまったが、信長は義輝の死を上記の理由もあって『脚色したのでは?』と言いたかったのである。
《まぁ今の時代、自分の正当性や力を誇示する為に、相手を貶める事も無くは無いがな。そう言えば魂は存在するのだったな。ならば霊は存在すると言う事か?》
《う、うーん、説明が難しいのですが、便宜上『魂』と言ってますが、実際には『意識』の方がニュアンスとして正しいです。ただし、意識が超常的な悪さをする事はありません。意識が怨霊化する事もありません。何か不可解で意味が有りそうな事や天変地異が起こっても、それは全くの偶然です》
《偶然か。今なら理解できる、と言いたいが、今川義元の扱いを何とかしたかったワシも、無神論者と言いつつ無意識では怨霊を恐れているのかのう?》
《そうかもしれませんが、人としての魅力は完全無神論者よりは良いんじゃないですかね? 仮に幾ら憎いとは言え、しつこく粘着質に他人を貶め続けるのは人としてどうかと思いますし。私も信仰心はほぼゼロですけど、完全ゼロは難しいですよ》
帰蝶はそう言って一人納得した。
《まぁそうじゃな。いくら憎くても死んだらそれまでじゃ。ワシも気を付けるとしよう。それで足利義輝、今は義藤か。奴をどうすべきか? 前々世と今は明らかにワシの立場が違う。足利将軍家を否定するワシが将軍と会って何をすべきか? 前は何とかしてみようかと思った事もあるが(10話参照)、あの時とも立場が違う。会って見極めるしかないか》
結局信長は結論の出ないまま、足利義藤と面会する事となった。
【とある寺】
(こ、こいつは本当に17歳の小僧なのか!?)
細川晴元の率直な感想であった。
まだ面会して一言も発していない。
挨拶すら交わしていない。
人に対する自己紹介としては『人に聞く前に、まず自分から』と言うのがある。
上下関係や身分の差がハッキリしていれば、先に格下の者が名乗るのが礼儀である。
この場で言うなら、落ちぶれたと言えど、日本の支配者たる義藤と晴元が格上の人間であるので、信長から名乗るのが正しい。
無位無官の信長が後から名乗るなどあり得ない。
あり得ないのだが―――
義藤と晴元は、思わず自分達から名乗ろうとしてしまった。
そうするのが作法として正しいと、思わず思ってしまった。
『お初にお目にかかります。織田三郎信長、元の守護である斯波氏に代わり尾張を管理しております』
そう二人が葛藤する内に、信長は先に名乗った。
別に特に時間を置いて名乗った訳でも、信長が分かってて意地悪をした訳でも無い。
普通に先に名乗っただけである。
ただ義藤と晴元は信長の雰囲気に圧倒され、時間の経過が異様に遅く感じてしまい戸惑っただけであった。
『う、うむ、ワシは細川右京大夫晴元、こちらにおわすお方は足利尊氏公に連なる13代征夷大将軍、足利、さ、左近衛中将様である』
『さ、左近衛中将義藤である』
斎藤義龍と面会した時の様に名乗るが、二人には名乗った官位が異様に薄っぺらい物に感じ、官位を授かっている事に思わず後悔して、しかし頭を振って考え直した。
(別に何も間違っておらん! そうだな? 右京!?(細川晴元))
(も、もちろんです!)
『……? 遠い田舎の尾張に良くぞおいで下さった。此度の訪問の件は斎藤殿よりも聞いております。中将様が納得致すまでどうぞご滞在ください。我らは将軍家の認めた斯波氏を追い出した身であり、天下布武法度も公表しておりますが、かと言って、今、中将様を弑するつもりは御座いません。今はあえて敵対する事もありません。尋ねたい事等あれば可能な限りお答えいたしますぞ』
(……!!)
二人は先の挨拶の場での格の差を、雰囲気、言葉からも明確に感じ取った。
信長の意思を。
将軍家の認めた斯波氏を公然と追い払った事を告げる神経、天下布武法度に対する遠慮の無さ。
何かしらオブラート的に誤魔化す表現を一切せず、剛速球で投げ込む信長に衝撃を受ける。
そんな二人の心の機微を信長も感じ取った。
『今、敵意が無いのは本心からそう思っております。しかし我等は将軍家を明確に蔑ろにしています。……だから、何と言ったら良いのか、将軍家を傀儡として操ろうとした三好家の者よりは、心情的には味方ですぞ?』
信長は馬鹿にした心積もりで言った訳ではなく、本当に本心をさらけ出している。
そもそも信長からすれば、明確に将軍家に逆らう事を表明した織田家の尾張に来る、足利義藤のクソ度胸の方が常軌を逸しているとさえ思って、心意気に敬意を表しただけである。
『もう、何か色々悟ったわ。右京。もはや笑うしかないな。『尾張のうつけ』に偽り無し、否、偽りだらけじゃ。ハッハッハ……!』
『そうですな……!』
乾いた笑いと溜め息しか出ない二人であった。
『今日訪ねたのは他でもない。ワシは苦境に立たされておる。何とか挽回をしようともがいて尾張までたどり着いた訳じゃ。この際、悪鬼羅刹でも構わぬから、何か復活に向けての糸口や力を求めておる。仮に織田殿がワシの立場ならどうする?』
『(色々ぶっちゃけおる。若いな……)そうですな。当たり前の事ですが、地盤が無くては何もできません。しかしながら中将様には地盤が無い』
将軍家の領地は今現在畳の一畳すら無いが『京を追われたから無い』と言う事では無い。
強いて言うなら『日本全国隅々まで将軍家の物であり、そうでも無い』のが戦国時代なのである。
だから足利将軍家は兵を揃えようにも、意のままになる自前の兵は存在せず、兵は全て味方となる家臣の兵なのである。
自分の物の様で、自分の物では無い。
それが今の将軍家の実情で、信長の言う『地盤が無い』は残酷な宣言でもあった。
『ならばどうするか? 一般人であれば誰か権力者に仕えて出世して力を得るのが最短でありましょうが、中将様が誰かに仕えると言うのは本末転倒でしょう。つまり中将様は日ノ本の誰よりも高い地位に居ながら誰よりも不利な立場なのです。それこそ只の農民よりも。残酷な様ですが』
『……ッ!!』
義藤は信長の言葉に衝撃を受けた。
義藤も何となくは自分の立場の不安定さを認識してはいたが、こうも言葉でハッキリ伝えられると、自分自身の存在意義やアイデンティティが崩壊していくのを感じずには居られなかった。
『ぶ、無礼であろう!?』
晴元が叫ぶのも無理のない事である。
『い、いや良い……。誰も言ってくれなかったが、ワシもその現実は何となく察しておったし、目を逸らし続けた。だが織田殿の言う事は正しい……だが……!』
義藤は何か言いかけ、しかし言葉が続かなかった。
『ですが手段はあります。どんな立場になったとしても将軍は将軍です。それを利用しない手はありません。かならず靡いたり力添えをする者は居ましょう。特に地方に行けばそれは顕著のはず。ただ、これも諸刃の剣。利用すると言う事は、利用される覚悟もせねばなりません。その結果たどり着くのは傀儡政権の誕生です。家臣は全く意のままにならず、家臣の案を追認するだけの存在となり果てましょう。正に前門の虎、後門の狼と言った所ですかな? しかしこれなら、従順である限り生きて行く事はできます』
かつて足利義昭を傀儡として最後に追放した信長の言葉である。
説得力が段違いである。
『ワシは何の為に生まれてきたのじゃ……!』
残酷極まりない信長の言葉に、義藤は足場が崩れる様な錯覚に陥った。
義藤の目標は傀儡に収まる事ではない。
将軍家の権威を取り戻す事である。
『ですが、こんな尾張まで来て打開策を求める中将様が、その様な扱いに納得するはずもありますまい。それなら最初から三好に担がれておけば良いだけですしな』
『……その通りじゃ』
『中将様。此度の訪問は急ぎの旅と言う訳でもありますまい? しばらく尾張に滞在してみては? 第三の答えが見つかるかもしれません、と言うより某なりの答えはあります。しかしそれは某の口から申しては意味がない。己で気づいてもらわねばなりません。その為の手助けは致しましょう。如何でしょうか?』
『……』
『但し、滞在中はお二人の身分を偽って頂きます。これは一度身分の外から世を見る為に、中将様の今後の為に必要だと思う故の提案です。その為に城ではなく、寺での会談としてお二人の存在を隠したのです。これは将軍家を蔑ろにする織田家の精一杯の誠意でもあります』
本当は何が起きるのか分からないので寺での会談としたのだが、信長は丁度良いと思ったので提案の内である事にした。
『……分かった。急ぐ旅でもない。管理する土地もない。ワシが行方不明となった所で三好は気にもすまい。良いだろう。何をすればいい?』
『某が組織する親衛隊に入ってもらいましょう。基本的な行動は某と共にしつつ訓練や生活を通して学んでいってもらいたい所存』
『分かった。右京も良いな?』
『そうですな。ワシも京から追われた身。しばしの骨休みとしますか』
『では二人の偽名を考えねばなりませんな』
こうして答えを見つける為に身分を偽って親衛隊に入隊した足利義藤改め足立藤次郎、細川晴元改め川元晴乃介となった二人は、予想と想像を絶する洗礼を受けて冒頭に至る。
【尾張国/親衛隊訓練所】
「尾張は平和だな……」
「……それは同意いたします……とんだ骨休みになりましたが……」
二人は野山を駆け回り武術の鍛錬から道の舗装まで、本当に親衛隊が行う全ての業務を体験した。
親衛隊も、まさか将軍と管領がいるとは夢にも思わないので全く遠慮がない。
おかげで獣肉にも慣れたし、汚れも気にしなくなったし、身分の低い者にイラつく事も無くなった。
「しかし、身分を偽って分かったが、野心を持つのは大変な事なのだな」
帰蝶に散々やられて擦り傷だらけの義藤は、体を起こしながら呟いた。
もちろん帰蝶からは『藤次郎ちゃん』呼ばわりである。
「右きょ……晴乃介。ふと思ったのじゃが、かつて失墜した権威を完全に取り戻した者はいるのか? 目指した人間は何人も知っておるが」
「心当たりも無くは無いですが、それは己の家や小さな規模の一勢力ならば」
「大きい勢力は?」
「ううむ……」
晴元は言葉に詰まった。
言われて気づいたのだが、全く心当たりがない。
日本史において失墜した最高権力の座や権威を取り戻し、過去の栄光を復活させた例は果たしてあるのだろうか?
天皇家も藤原一族に寄生され権力を失った。
だが、その藤原一族も平氏に蹴落とされた。
しかし蹴落とした平氏も源氏に敗れ都落ちした後は抵抗むなしく滅亡した。
その源頼朝が打ち立てた鎌倉武家政権も後醍醐天皇に倒され建武の新政がはじまったのだが、結局不評の嵐で、足利尊氏に引っ繰り返され足利武家政権が成立し今に至るが、その足利将軍家も風前の灯である。
未来の史実の話になれば、足利将軍家は織田信長に滅ぼされ、信長の織田政権も本能寺の変で頓挫し、その後は豊臣政権に簒奪され、豊臣政権も大坂夏の陣で徳川家康に滅ぼされた。
織田の子孫も豊臣の子孫も二度と最高権力の座に返り咲く事は無かった。
天皇家は大政奉還によって一時的に取り戻した、と言えなくもないが、紆余曲折あって現代において単なる象徴に過ぎないのは知っての通りである。
まさに『歴史は繰り返すかの如く』なのである。
一度失った権威を取り戻すのは、並大抵の努力と苦労では済まない。
「そうか。ワシは前例が無い事を目標に掲げておったのじゃな。信長があえて答えを伏せたのはコレを解っておったのじゃな」
「そうなのでしょうな。つくづく恐ろしい男ですな」
「じゃが、決して『手段が無い』とも言っていない。信長には『こうする』と言うのがあるのは分かっておる。じゃから親衛隊にワシらを放り込んだ。じゃからどこかに答えがある筈なのじゃ!」
信長は二人を親衛隊に入れたが、辞めるのは本人の意思で決めて良いとした。
つまり何か掴めば出て行っていいのである。
また、訓練に堪えかねて出て行くのも自由である。
冒頭で義藤が不満を漏らしているが、別に本気でそう思っている訳では無い。
あえて理由を付けるならばストレス発散と、己の数奇な運命を感じての事である。
「藤次郎ちゃーん、そろそろやりましょうかー?」
遠くから帰蝶が声を掛け、手招きしているのが見えた。
さながら悪鬼羅刹が手招きしているかの様に二人の目には映った。
「あの娘は化け物か! ……今、参ります!」
ヨロヨロと立ち上がった足利義藤改め足立藤次郎は、駆け足で帰蝶の下に向かっていった。
史実で足利義輝は、塚原卜伝から指導を受け奥義『一之太刀』を伝授されたという伝説があり『剣豪将軍』とも呼ばれている。
ただ『実力の高さ故に正式に授けられたか?』と言われると懐疑的で、儀礼的に授けられたとも、そもそも、そんな事実も無いとも言われる。
真実の程は不明である。
ただ、今回の足利義輝は帰蝶の計らいで、剣豪将軍伝説を真実にさせるべく徹底的にしごかれている。
「ほらほら! 足元がお留守よ! 足はすべての基本! ここを負傷したら戦えないと覚悟しなさい!」
「は、はい!!」
11人の子供たちは態度の豹変する帰蝶に恐怖し、そんな風景を見る信長にファラージャが話しかける。
《やっぱり信長さんは義輝さんを助けたいんですか?》
今までの行動からファラージャはそう判断した。
《いや別に? 最終的に滅ぼす勢力なのは確定しておるしな》
《なら何で手助けするんです? 歴史改変の為ですか?》
《そうじゃ。それに今の京の情勢は複雑怪奇でな。今は余り近づきたくないのが本音じゃ。それに史実通り進むなら入れ代わり立ち代わり京を支配する人間が変わる。最終的にはワシが貰う事に変わりは無いが、義輝が奮闘すれば結果はともかく経緯が変わる。即ち歴史も変わる。以前も言ったであろう? 歴史改変はワシらだけが頑張らずとも、同時多発的に起こすとな》(45話参照)
《そうでしたね》
《勿論、結局暗殺されてしまうかもしれんが》
《その割には、かなり好意的に見えるのですけど……》
《ワシも暗殺された身じゃからな。2度も。そう言った意味では同情する面もある。……それに落ちた権力を取り戻す事は無理じゃ。それは歴史が証明して居る。元に戻る事は決して無い》
信長は断言したが、1億年先に生きるファラージャもそれは十分理解している。
《それに奴との会談で仄めかした『復権へのもう一つの手段』を理解させる為に親衛隊に放り込んだが、それは果てしなく厳しい道。仮にそれに気づいても、諦めてくれるのがワシにとって最良の結果。苦難の道から奇跡的に復権を果たし、ワシを倒す程に成長してしまえば最悪の結果》
《えっ。でも信長さんは、そうなる可能性も開いてしまいましたよ?》
《分かっとる。じゃが苦難の道と元に戻らん事を理解した時に……まぁこれ以上仮定の話をしても仕方あるまい》
《えーーーッ!!》
ファラージャが頬を膨らませて抗議したが、信長は『いずれ分かる』と答えなかった。
一方、義藤こと足立藤次郎が滅多打ちに合って吹き飛ばさていた。
結局、義藤と晴元は年を越しても親衛隊に在籍する事になったのである。
7章 天文20年(1551年) 完
8章 天文21年へと続く




