69話 横山城決戦 決着
【近江国/織田軍 斎藤帰蝶隊】
義龍隊から急遽派遣された明智光秀が帰蝶隊に合流する頃には、北側の戦場は大勢を決しつつあった。
帰蝶も丹羽長秀も何とか戦線を維持して敵を跳ね返し、佐々成政は見事に完勝していた。
だが、近江侵攻作戦の全体を考えれば、今はまだ局地的に優勢なだけであって、城を奪ったりしたわけではない。
むしろ、今からが本番である。
この本番に向けて義龍からの指令が、横山城の決着がまだ着いていない状況で、小谷城も攻めると言う破天荒な策であった。
思いの外、手強い浅井軍を弱体化させる為の起死回生を狙う、義龍の首も絞めかねない諸刃の策である。
「今より佐々隊と明智隊を援護する為に、丹羽隊と私達で残存勢力を相手するわ！ 敵は押されているけど、我等も佐々隊が抜けるから予断は許さない！ 改めて気合を入れなおしなさい！」
【近江国/朝倉軍 朝倉宗滴隊】
「斎藤軍の兵が北に向かったか。分かりやすい戦をしよる。若いな。……だが思い切った見事な決断じゃ」
朝倉宗滴はそう呟き静かに立ち上がり、良からぬ雰囲気を察した雨森清貞が何事かと近づく。
「弥兵衛殿（雨森清貞）、やられました。義龍の打った手によって我等は決断を迫られました」
「決断？」
「左様。横山城、浅井殿と小谷城、斎藤義龍。我らはこの3つどれかを選択して対応しなければなりません」
宗滴は手短に今の状況を説明した。
北側は接戦。
斎藤軍が軍を分けて北に向かった事。
その軍は最悪、小谷城に向かう事。
小谷城は最低限以下の守備兵しか残していない故の、最悪の想定、すなわち小谷城の落城と浅井久政の討ち死について。
「……っ！！」
「これを打破するにしても、何を最優先にするかで対応が変わります。……最優先は小谷城と浅井殿を守る、これで宜しいですな？」
「も、もちろんじゃ！」
頼りない主君は容赦なく見捨てられる乱世において、浅井久政は家臣に恵まれていた様で、宗滴の念の為の確認に清貞は即答した。
「ならば、この横山城は諦めるしかありません。浅井殿と小谷城を守りつつ横山城を防衛するのは最早不可能」
宗滴は残酷な現実を断言した。
「その上で、斎藤軍を相手しつつ、今すぐ小谷城に引き返す殿戦を行うか、自ら兵を減らした義龍を全力で討つ。このどちらかを選ばねばなりません。しかし、殿戦は小谷城と浅井殿の救出に間に合わない可能性が高い上に、義龍に負けて全てを失う可能性があります」
「クッ！ 何たる事じゃ！」
「ただし、殿戦をせずに全力で義龍に当たれば斎藤軍の侵攻を止める事はできるかもしれません。浅井殿が討ち死にする前に決着が付けられれば間に合うかもしれませんが、これはかなり分の悪い賭けです。如何しますか？」
突如降って沸いた浅井家の運命を決定付ける選択を迫られた清貞は、可哀想な程に顔面蒼白になって、一つの決断を下した。
「もう一つ選択肢があります！ それは―――」
「……なる程。それも手ですな。その決断は尊重いたします。分かりました。この場はワシが全力で当たりましょう。弥兵衛殿はお急ぎを」
「宗滴殿！ 何から何まで本当に申し訳ない！ 御武運を！ では！」
清貞はそう言って、単騎単独で持ち場を離れて小谷城へ向かうのであった。
「さて、と。……難しい戦をする事になるな。伝令！ 各隊の指揮官と北の浅井軍に今の決定を伝えよ！ 我らは今より斎藤軍との戦いに全力を注ぐ！ そのつもりで各自槍働きに期待すると伝えよ！」
【斎藤軍 斎藤義龍隊】
「朝倉軍の動きが変わったか？ ……いや当たり前か」
前線から感じる気配の変化に、義龍は『それはそうだろう』と気にも留めなかった。
今の斎藤軍は明智光秀の手勢が抜けたので、当然その分の負担は増大する。
光秀の離脱は朝倉軍からも見えているはずなので、ここが勝機とばかりに攻めてくるのは予想の範疇である。
義龍はその様に判断し激を飛ばす。
「持ちこたえよ！ ここが近江侵攻の正念場……っ！？」
だが義龍は若干の思い違いをしていた。
確かに兵数が減った分の負担は大きい。
しかし、朝倉軍の戦いの質は、今までの様な相手に合わせた戦法では無く、明らかに『力』を主体とした殲滅に重きを置く戦いにシフトチェンジしていた。
その戦いの質の変化は朝倉宗滴の、近江戦線で初めて見せる本気の姿であった。
無論、今迄手を抜いてきた訳ではない。
浅井家が『主』故に、出しゃばった行動を控えてきただけである。
それが今、雨森清貞の一大決心を受けて、全ての制限を外して暴れだしたのである。
その猛烈な竜巻の様な気配を、本陣にいながら義龍はわずかに感じ取った。
「……これは……違う！ 何じゃ！？ 今までは遊びだったとでも言うつもりか！？ ……クッ！ まずい防御を固めよ！」
思い違いはしても油断をしていた訳ではない義龍は、何とか遅ればせながら戦場の変化を感じ取った。
もし気が付かず漠然と指揮していたら、あるいは意固地になって事実を認めなかったら致命傷を被ったかもしれない好判断である。
転生した信長、あるいは経験豊かな朝倉宗滴本人ならば遠くにいても即座に感じ取った戦場の変化も、残念ながら義龍はまだその域に達していない。
だがしかし、義龍は誰もが通過できる訳ではない、名将への道を通過し、その変化を感じた域に向けて確かな一歩を踏み出した。
「三人衆に伝令！ 指示があるまで絶対に防御を崩すな！ どれだけ隙があったとしても迂闊な攻勢を禁ずる！ 次！ 治兵衛（仙石久盛）は馬周衆を集めてワシの指示を待て！」
義龍は即座に指示を飛ばす。
中途半端な指示や戦法は百戦錬磨の朝倉宗滴には通じないと判断し、思い切った徹底防戦の構えを取る。
「ここで朝倉宗滴を倒せばワシも信長や義元、親父殿と肩を並べられる！ だが焦るな！ 逸るな！ 見逃すな！ 勝機は必ずある！」
自分に言い聞かせるように義龍は叫び腕組みをして戦況を見守るのであった。
【朝倉軍 朝倉宗滴隊】
暴風雨の様な朝倉軍の攻撃とは裏腹に、朝倉宗滴は床机にどっしりと腰を下ろし静かに戦場を見渡している。
自分の前方に居る兵は、全て左右に退けさせて視界を阻むものは無い。
「……右翼に力の綻びが見える。50騎ほど行って場をかき乱してまいれ！」
今、宗滴は全神経を集中して、戦場の全てを感じ取る事に全力を注いでいる。
兵士の発する声は当然、殺気、熱、喚声、悲鳴、血の臭いから、風が戦場から運ぶ空気の味。
何より肌に感じる『力の流れ』。
目で見える情報よりも、むしろ他の感覚からの情報を脳で処理し的確な指示を与える、名声に違わぬ神懸かった采配をしていた。
（いつ見ても信じられぬ采配振りよ！）
この戦に従軍してきた山崎吉家が、宗滴の余りの神業振りに口の中がカラカラに干からびる様な感覚に陥る。
宗滴の操る部隊は、宗滴自ら創設した朝倉家専門兵士1000と朝倉領の半農兵500、雨森清貞が残していった浅井の半農兵1500の混成部隊である。
この、ともすれば連携が上手く行かず瓦解する恐れのある、しかも他家の兵士を含めた軍を、宗滴は手足の様に操って義龍を翻弄した。
一体どの様にこの混成軍を操っているのか？
超人的な采配は当然ながら、宗滴は軍を朝倉家と浅井家の二つを一緒にせず、分割したまま操っていた。
メインとなるのは浅井家の半農兵で、その半農兵が戦いやすい環境を、朝倉軍の親衛隊が機先を制し弓で怯ませ作り出していた。
先程の指示の様に、過剰に兵を突っ込ませるような雑な戦はせずに、適材適所をその場その場で瞬時に判断し、有利な環境を作り出すのが宗滴の役目である。
簡単に言ってしまえば、究極的に効率良く戦っているのである。
お陰で只単に力任せで攻撃するよりも、遥かに威力の高い攻撃を仕掛けていた。
しかし、言うは易し、行うは難し。
そんな戦の神に愛されたかの様な采配を採れる武将は、今の時代に10人居るかどうか？
長き日ノ本の歴史を紐解いても、限られた人数しか居ないだろう。
「今より四半刻後以内に中央が崩れる！ 100騎準備して乗り崩して参れ！」
「へ？ えぇ！？ は、はっ！」
（なんじゃその狂った御下知は！ 予知か！？ 予言か！？ いつも凄いが、今日は特に冴えわたっておる！！）
常軌を逸しすぎる下知に側近は素っ頓狂な返事をして、宗滴の実力を知る吉家でさえ驚愕の表情で目を見開く事しか出来ない。
宗滴の下知通りキッチリ四半刻で斎藤軍の中央が崩れ始め、これ以上無い効果的で完璧なタイミングで騎馬が斎藤軍をかき乱す。
これは『馬鹿な』と言うべきなのか、『当然』と言うべきなのか？
「……馬鹿なっ！！」
吉家は『馬鹿な』と言ってしまった。
言うしかなかった。
味方が優勢な展開なのに、思わず否定的な感情が声に出てしまったが、周りの側近も同じように思っていたので咎める事はしない、と言うよりは誰も吉家の言葉に耳を傾ける余裕は無い。
超常的な下知がいつ飛んでくるかわからないので、宗滴の一挙手一投足に全神経を注いでいて『それどころではない』というのが今の朝倉軍側近の共通感情であった。
そんな訳で、気候的には暖かさを感じる時期なのに、寒気すら感じる宗滴の冴え渡る指揮に、吉家は冬の越前を思い起こして身震いをせずにはいられなかった。
（神だ！ 軍神だ！ 源義経公、楠木正成公の生まれ変わりだ！）
吉家は古の英雄に準えて宗滴を称えるが、しかし、当の宗滴はこんな事を考えていた。
（いまいちパッとせん不細工な戦じゃて。この状況になる前に、いや、そもそも当初から全軍で上平寺城に布陣していれば……！ この年にもなってワシは進歩が無い！）
「弓隊！ 敵の気配が前方に向いておる！ 頭上から矢を馳走せよ！」
斎藤軍は懸命に防御を固めつつ応戦しているが、必死の対応も虚しく手玉に取られ続けるのであった。
【斎藤軍 斎藤義龍隊】
完全に予測が外れてしまった義龍は、とにかく防御に専念して機会を待った。
（クソッ！ 奴等は小谷城が大事ではないのか！？）
決して有利ではない自軍の兵を裂いて小谷城に向かわせたのに、相手はその兵を一切無視して攻撃の手を緩める所か激しくなる一方である。
本拠地に攻撃を仕掛けて救援に向かわない事態は、流石に誰も予想が出来ない。
お陰で斎藤軍は、自ら首を絞めるハメになってしまった。
（朝倉宗滴！ ここまでやっても上回る事が出来ぬか！？ 何を間違えた！？ ワシが小谷城へ向かうべきだったのか！？ ……反省は後じゃ！ 今はこの窮地を脱する術を考えて機会を待たねば！）
義龍は充血した目を更に見開いて、朝倉軍の隙を見定めようと必死になって戦場を凝視する。
まだまだ未熟な義龍にとっては、見える情報が全てである。
勿論、歓声や悲鳴が上がれば注意は向けるし、血の臭いを察知すれば危機感を募らせる。
だが目に見える情報以上に確実な物があるとは思いもよらないし、まさか五感の全てを総動員して敵が指揮している等とは夢にも思わない。
ハッキリ言ってしまえば経験の差である。
義龍には間違いなく才能がある。
度胸も腕力も知性も感性も、かつて父の道三が『武田晴信や今川義元に匹敵する』と認めた秘めたる才能が高いレベルで眠っている。（62話参照）
だが、その才能は花開いている訳ではなく、残念ながら今はまだ眠っているのである。
だがこれは、ある意味どうしようもなく、この苦境は誰もが経験し通過する道である。
誰もが汗と泥と血と屈辱に塗れて、才能を磨いていくのである。
程度の差はあれど、例外は一人を除いて無い。
勿論、その一人とは信長である。
信長は、前世でその経験を済ませてしまっているので、この世界の住人からすれば、信長はすべての過程をすっ飛ばした超人の様に見えてしまう。
だからこそ道三は信長を『化け物』と評したのである。
義龍の不幸は、見た目は年下で10代なのに、中身は50代の信長を意識してしまった事。
更なる不幸は、当面の比較すべき相手たる朝倉宗滴も、信長に匹敵する戦の才能を有していたのである。
「殿！ ここは退却も止む無しかと！」
義龍の側近も、事ここに至っては挽回不可能と判断し、主君に退却を願い出る。
「……」
「殿！」
「……退却は……無いッ！」
義龍も考えに考え、どうにもならないと半ば悟ってはいる。
しかし、どうしてもその決断が許されない事情があった。
「今引いてしまったら我々斎藤は二度と朝倉に勝てぬ！ 再起は叶わぬ！ それに北では織田が妹が敵を相手しておる！ 今退いたら織田家を、何より帰蝶を見捨てる事になる！ 例え負けたとしても次に繋がる道は残さねばならぬ！ それにはこの場から一歩も引かぬ事が何よりも重要なのだ！」
義龍は自ら大身槍を手に取り、配下を叱咤激励した。
「それは一体……」
「説明している時間は無い！ 待たせたな治兵衛！ 出るぞ！！」
配下には、義龍が何に希望を見出しているのか理解ができなかった。
ならば、せめて理由を聞こうとした所で、義龍も馬回衆を率いて前線に繰り出してしまい、大慌てで付き従うしか無かった。
義龍は今できる最後の手段。
大将の突貫を敢行したのである。
この判断が吉と出るか凶と出るか。
戦場の変化に最初に気が付いたのは、やはり朝倉宗滴であった。
【朝倉軍 朝倉宗滴隊】
「……！！」
宗滴は、その戦場の空気の移り変わりを誰よりも早く、鋭敏に察知した。
「中央に義龍が見えるな……」
宗滴がそう呟くと、配下たちに緊張感が走った。
総大将の登場である。
この戦の勝敗を決定させるチャンスである。
ただ、宗滴が『見える』と言った義龍の姿は、配下達には全く見えない。
乱戦になっており見分けがつかなくなっていたのである。
それでも『見える』と断言した宗滴が異常なだけである。
「……」
「……？ どうしますか！？ 打って出ますか！？」
当然すぐに何らかの下知があるはずと身構えた山崎吉家が、一向に反応のない宗滴を訝し気に見る。
「……親衛隊全員に弓を準備させろ」
「……？ はっ！」
先程までの神技とも言える采配から、打って変わって妙な間を開けて考え込んだ宗滴。
吉家が疑問を感じたが、親衛隊全員への指示を聞き、総攻撃が始まると察した。
宗滴は集まった親衛隊に対して下知を出す。
「今より中央奥にいる斎藤義龍に向かって弓兵全員で一撃を与える。それと同時に後退の鐘を鳴らして浅井の農兵を退かせろ。撤退先は雨森城。新左衛門（山崎吉家）お主が先導せよ」
「……えっ？」
「親衛隊は農兵の後退を援護し、同じく雨森城に向かう」
吉家は、思っていた事と全く違う下知に、思わずもう一度確認を取った。
「も、申し訳ありません、下知を聞き間違えました。後退すると……」
「聞き間違いではない。残念ながら時間切れじゃ。この戦は、これ以上この場に居ては朝倉家として許容できない損害を被る事になる」
今まで敵を圧倒した神懸った采配を見せていた宗滴。
このまま押し続ければ必ず勝てるはずである。
「説明しよう。北の織田の一軍が必ずこちらに来る」
「北の織田軍！？」
眼前の戦場だけでなく、遠くの織田軍の情勢まで察知している宗滴の判断に吉家は驚愕を隠せなかった。
「奴らが到着した後では撤退どころか挽回不可能な手痛い敗北を喫する事になる。そうなれば浅井どころか朝倉までも共倒れする可能性が高い。じゃから最後に斎藤に打撃を与えて素早く撤退する。完全とはいかないが、これで奴らは挽回に時を要するであろう。終始不利な展開であったこの戦はココが落し所よ」
「な、なるほど……」
「今撤退するのが最高の損害を与えつつ、最小の損害で済む最後の機会。横山城、更に小谷城も放棄する事になるが、これ以上の損害は斎藤家に対抗する力さえ失う事になる。説明はこれで終いじゃ！ 弓隊準備を急げ！」
「は、はっ！！」
宗滴はその神懸った采配と読みで、織田家の援軍到着を予測した。
その予測は、当たり前の予測、と言うより、もはや予知であった。
北側で浅井軍と相対していた帰蝶が、丹羽長秀にその場を任せて、今度は自分が小隊を率いて義龍の援護に向かったのである。
帰蝶隊が到着したら二手に分かれて対応せねばならない。
今は押しているとは言え、兵の質では斎藤軍が上なので、切欠さえあれば、あっと言う間に形勢を逆転される恐れがある。
宗滴は最後の射撃で斎藤義龍を射殺できればそれで良しとして、駄目でも混乱の隙に撤退するつもりであった。
撤退先に雨森城を選んだのは、雨森清貞の決断を受けての判断である。
宗滴は清貞との会話を頭の中で反芻する。
『もう一つ選択肢があります！ それは殿の命を最優先で守る事。宗滴殿の策は斎藤軍に勝つかもしれません。……しかし、殿が死ぬ可能性がある以上、家臣である某には選ぶ事ができません。ならば殿を小谷城から脱出させ某の有する雨森城に落ち延びます！ 宗滴殿も後で合流してください！』
『……なる程。それも手ですな。その決断は尊重いたします。分かりました。この場はワシが全力で当たりましょう。弥兵衛殿はお急ぎを』
（浅井はこれから強くなるじゃろう。……遅きに失したとしても）
「弓隊放て！ 撤退の鐘を鳴らせ！！！！」
宗滴の号令の下に矢が放たれ、朝倉浅井連合軍は撤退を開始した。
【近江国/小谷城 浅井家】
単騎故に戦場の誰よりも早く小谷城に到着した雨森清貞は、大急ぎで山を駆け上っていった。
「こういう時、山城は不便極まりない！」
敵ではないので正規ルートで小谷城のある山の頂を目指すが、それでも相当の体力を奪われての登頂であった。
息も絶え絶えの清貞は、酸素不足で朦朧とした頭を何とか気合で働かせ、朝倉宗滴の判断と自分の決断を手短に伝えた。
清貞が判断した『二兎追う者は一兎も得ず』の如く、浅井久政の命を最優先にした、横山城と小谷城を捨ててでも落ち延びる判断の根拠を。
「……分かった。戦場で実際に戦ってきた宗滴殿とお主の判断じゃ。間違いあるまい。……城に火を放て。奴らに拠点としてタダでくれてやる訳にはいかぬ！ 兵に伝えよ！ 可能な限り城を破壊して後は斎藤軍に投降せよ。逃げるのも自由じゃ！」
ほぼ全兵力を戦場に送った小谷城は、如何に難攻不落と言えど防衛する人手が足りなかった。
斎藤と織田の別動隊が迫っている為に、安全に脱出するには今を置いて他にないとは言え、信長、信秀の織田親子の様に、本拠地に特別執着が無い異端者とは違い、久政には小谷城を簡単に諦めきれるものではない。
しかし、今はその未練の全てを断ち切って小谷城の破城を命じた。
「此度の不始末の原因はワシにある……！ 斎藤には必ず一矢報いようぞ！」
久政はそう決意し、横山城の戦いは決着がついた。
横山城の戦いの結末は、朝倉宗滴の最後の一撃で総大将の斎藤義龍が負傷し、それに加えて兵も大打撃を受けたので、斎藤軍に退却する朝倉軍を追撃する余力は無かった。
斎藤軍の近江侵攻作戦は、結果から言えば、大した城攻めをする事なく小谷城周辺地域を支配下に納める事に成功した。
しかしその代償は大きく、朝倉軍から受けた損害の回復の為に、大きく刻を費やす事となったのである。
