64話 朝倉宗滴
【近江国/斎藤軍 斎藤義龍本陣】
美濃国の大垣城を出立した斎藤家5000の軍勢は、上平寺城と近隣の弥高寺を目指し進軍していた。
「殿、弥高寺ですが、やはり上平寺城の支城として要塞化されております。攻め落としますか?」
美濃三人衆の一人、氏家直元が主君の斎藤義龍に訪ねた。
「落とす。ただし、兵の数と抵抗の意思がある場合に限るがな」
斎藤軍が寺を攻撃目標としているのは理由がある。
この時代、僧は武装し寺も要塞化しているのが普通だからである。
寺自体が他宗派からの防衛で自主的に要塞化するか、または領主が砦として利用するために要塞化させるかの違いはあれど、全くの無防備の寺は僻地の小規模の寺か、強力な領主の庇護にある寺でしか存在しない。
「一応、寺ですからな。十中八九抵抗するでしょうが……」
「いや、そうとも言えぬぞ? 殿、もう間もなく浅井領ですが、斥候から浅井軍集結の報告はありませぬ」
直元の話を遮って話すのは、氏家直元と同じく美濃三人衆の一人に数えられる安藤守就だ。
「確かに。浅井が我等と同じ様に、兵農分離を行ったと言う情報もありませぬ。織田殿の伊勢攻略時と同様に、浅井には録な兵力が集まっておらぬのでは?」
守就に同意するのは三人衆最後の1人である稲葉良通である。
「その可能性は高いと思うが、まだ断定できん。よし、とりあえず全軍停止し休め。主だった者を集めて軍義を開きつつ上平寺城へ向かった斥候を待つ」
斎藤軍は、軍議にて当面の可能性と攻略担当を決めていると、斥候が戻ってきたとの知らせが入った。
だが、その知らせは誰もが予想していなかった報告であった。
「申し上げます! 上平寺城と弥高寺ですが、既に落ちております!」
「なんじゃと!?」
斥候の報告に全員が床几から立ち上がって驚く。
「我等以外に浅井を攻めた軍が居るのか!?」
「詳細は解りかねますが、城を目視出来る場所まで到着した時に城は既に炎上し、弥高寺も同様に城としての機能は失われ丸裸の寺があるのみでした……!」
斥候も自分で見てきた物が信じられないのか、不安になりつつ、それでも懸命に思い出しつつ、間違いないと確信して報告をする。
「炎上している、と言う事は、どこぞの軍が占拠している訳ではないのですね? 兄上」
「そうじゃな……」
兄上と呼んだ女武将が、眉間に皺を寄せながら考える。
織田の援軍として送られた帰蝶である。
史実にない斎藤家の浅井、朝倉攻めの事の顛末を信長に報告する為に、織田家から援軍として派遣されたのである。
織田も内政に人員を多数割いているので大軍は送る事が出来なかった。
従って、帰蝶を大将に佐々成政と、斎藤家と関係を持っていた丹羽長秀が2000人の親衛隊を率いて織田家からの援軍とした。
斎藤家の5000人を合わせて、総勢7000人がこの侵攻の全戦力である。
「考えられる可能性が有るとすれば浅井と争っていた京極ですが、もし本当に京極なら、勢力挽回の為に我ら斎藤家に援助を求める為に接触してきても良さそうです。しかし、今の所それは無さそうですし、何より折角落とした城やこの地域を抑える軍が居ないのは解せませぬ」
明智光秀が不可解な状況に何とか理由を付けようとしているが、アチラが立てばコチラが立たずで理由を断定する事ができない。
「仕方ない。全軍警戒しつつ進軍すると共に、親衛隊の斥候を近隣の村に派遣して住民を調べよ。農民を徴兵しているかどうかだけでも最低限確定させる。我等は上平寺城と弥高寺へ向かい、この目で確認する」
義龍はそう言って進軍する事を決定したが、この不可解な状況と周囲に軍が潜める場所も有るので警戒しつつの進軍となり、行軍スピードが大幅に落ちた。
これこそが浅井の作戦である事に気づかないまま―――いや、ただ一人違和感に心当たりがある武将がいた。
帰蝶である。
《ファラちゃん、朝倉宗滴について教えて?》
帰蝶は信長から、万が一朝倉宗滴が出てきたら、最大限の注意と警戒をしろと言われていたのである。
この不可解な状況に、朝倉宗滴の存在が臭ったが故の帰蝶の質問であった。
【近江国/小谷城 浅井軍】
一方、斎藤軍が上平寺城の落城を知る前、浅井家一同が上平寺城の破壊工作を完了したとの報告を受けていた。
「左兵衛殿(浅井久政)。これで当面の刻は稼げましょう。良くぞ決断なさいましたな」
そう言ったのは、朝倉家からの援軍を率いてきた朝倉宗滴である。
帰蝶の直感通りに、宗滴が浅井の援軍に来ていたのである。
この朝倉宗滴とはどんな人物か?
答えは、逸話のどこを切り取っても『名将と言うしか無い』と断言できる伝説的武将であるが、『あの朝倉家にそんな名将が?」と思われる方がいるかもしれない。
史実における朝倉家は足利義昭を盟主とした織田包囲網の一翼として動いたが、浅井と組んで織田に抵抗したものの、数々の失策を重ねて機を逸し、朝倉義景は暗愚な主君として名を馳せた。
これが後世に響いて朝倉全体の名声を地に落としているが、これは言うなれば桶狭間で義元が討ち取られ、氏真がそれに引っ張られて名声を落とし、家全体を不当に貶められた今川家の様な現象に近い。
義元と違うのは、確かに義景には失点も多いが、朝倉家は伊勢の北畠氏と同様に乱世における文化大国として大いに栄えており、その一点だけを見ても決して侮れる家ではない。
そんな朝倉家が輩出した朝倉宗滴は、古今無双の武将と言うべき名将で、軍事に政治に外交に八面六臂の活躍を果たすのは当然で、何と鷹の人工繁殖を手掛けたりで、全てにおいて活躍した才能の塊の様な武将である。
さらに、晩年の臨終間際には、『命が惜しい訳では無いが、あと三年生きて信長の将来を見たかった』と言い残しているが、これは俄には信じられない程の恐ろしい話で、真実なら宗滴の眼力の尋常ならざる事を示す驚異的な言葉である。
何故かと言えば、史実における宗滴は天文24年(1555年)に亡くなっているが、この時期、信長はやっと尾張を統一したばかりの桶狭間を経験していない、ポッと出たばかりの一大名である。
単なる興味本位なのか、真に信長の実力を見抜いたのかは分からない。
いくら下克上で尾張を統一したとは言え、『うつけ』の風聞も抜けきっていない信長の将来を、遠く離れた越前で臨終間際に望む事があろうか?
あるいは後世の創作かもしれない。
事実は分からないが『望んでも不思議ではない』と思わせる程に朝倉宗滴とは優れた武将であった。
そんな稀代の名将である宗滴が、難しい顔をしている浅井久政に作戦を伝える。
「斎藤もまさか、守るべき城を自ら破城し火にかけたとは思いますまい」
上平寺城と弥高寺の陥落は、他の誰でもない浅井軍が自らが行った行為である。
ただ、久政にとっては理解はできても納得するのは難しい行為。
作戦が決定した時から渋い顔をし続けていた。
「斎藤軍の規模は、織田の援軍と合わせて少なく見ても5000以上。この農繁期に自殺行為としか思えない行動であるのは左兵衛殿もご理解して頂けたはず」
「まぁ、な……」
言葉とは裏腹な返事を隠しもしない久政であった。
そんな久政を、見て見ぬふりをしつつ宗滴は今後の展望を語る。
「しかし斎藤軍の士気は決して低くありませぬ。これは恐らく略奪前提の進軍なのでしょう。対して我らには数は互角にできても兵は農地を気にして戦に集中できませぬ。細々とした城に兵を分散し配置した所で各個撃破されるのがオチでしょう。北勢四十八家の二の舞になるのは必然。ならば一撃。たった一回の決戦で斎藤軍を撃破せねば浅井に未来はありますまい。城の破棄は斎藤に拠点を与えず休息をさせず、余計な警戒をさせて進軍速度を遅らせます」
宗滴は『略奪前提の軍』と言ったが、本当は斎藤家の軍が専門兵士である事を見抜いている。
弱腰な久政を奮い立たせる為に敢えて言った言葉である。
宗滴は、信長が成し遂げた伊勢攻略と、北伊勢50城抜きを研究し、織田の勝因と伊勢の敗因を分析していた。
もし農繁期に攻め寄せる暴挙が、暴挙でないとしたら?
もし暴挙でないなら、農民はどこにいるのか?
なぜ兵糧が尽きていないのか?
戦う兵はどこから現れたのか?
『……ッ!? ま、まさか、戦う専門の兵士が居るとでもいうか……ッ!? しかし一体どこにそんな暇な人間がいると……!? いや……居る!!』
宗滴は専門兵士の真実―――
即ち『穀潰し』の存在に辿りつき驚愕した。
70年生きてついに気が付かなかった『専門兵士』の有用性に気づき、10代半ばで専門兵士を組織して、織田の快進撃を支える信長の才を恐れた。
『ワシも朝倉でその人ありと言われたが、奴に比べれば赤子同然! 70年ワシは何をしておったのじゃ……!』
宗滴は己の才覚の無さに打ちのめされつつ信長を認め、己の領内でありったけの穀潰しや流人を動員し、信長を真似て専門兵士を組織した。
ただ、いかに宗滴と言えど専門兵士に気づいて1年と少しでは、越前全域で人員を集める事は叶わず、訓練の済んだ専門兵士1000と無理して集めた農兵500が限界であった。
朝倉全体で農兵を徴兵すれば10000に届く軍を揃えられるが、浅井と違い延景(この時期は『義景』ではなく『延景』と名乗っている)は米を諦められなかった。
だが、これは延景が弱腰だった訳では無く、宗滴の考えを踏まえたもので、可能な限り越前侵攻を遅らせて、専門兵士を育成しつつ斎藤を迎え撃つつもりである。
それに隣国の加賀一向一揆も警戒しなくてはならない為、朝倉としての援軍は1500が限界である。
その代わり、宗滴がその智謀を駆使して斎藤軍を一撃で仕留める策を考えており、その一つが不要な城の破城である。
斎藤軍に拠点として使われても困るし、城は敵を追い払った後に再建すればいい。
浅井久政の能力も考慮して、アレもコレも目標に定めて全て台無しになるよりは、最大の目的『斎藤家を一戦で撃破する』事に定めた策である。
所詮は同盟国の領地問題だから提案出来た、と言うのもあるが、目的の為なら躊躇わないのは、宗滴が名将たる所以でもあった。
「あとは北近江で一番堅牢な小谷城に誘い込み、背後に回った我らと六角殿の奇襲で斎藤を蹴散らす、これで北近江は防衛叶いましょう」
斎藤家に拠点を奪わせず、浅井が籠る城に攻め寄せる斎藤軍を背後から朝倉と六角が攻め寄せる。
しかし作戦としては理に適っているが、浅井家として容認出来ない事があった。
「……宗滴殿。上平寺城は美濃にも近い故に破城も同意したが、小谷城に至るまで幾つの城があるかご存知か? その全てを破城しろと言うつもりではあるまいな?」
久政が領主として納得できないのは、近隣の民の安全である。
城を破城してしまえば、地域を守護する者がいなくなってしまう。
戦に勝っても結局辿る道は破滅しかないと、暗に久政は言っているのだ。
「絶対に勝つならば、これしかありません。勝つ可能性を下げても良いのであれば同じ作戦を南の横山城で行う事になります」
横山城は小谷城の南方に位置するが、標高300m程の山城で規模も防御力も小谷城と比べて格段に低い。
「野戦では無理か?」
「無理です。斎藤軍の士気は高く率いる将も並ではありません。我らの将の質が劣るとは申しませぬが、兵の質は明らかに劣ります。野戦でまともに対峙しては鎧袖一触に蹴散らされる事でしょう」
久政の問いに宗滴は断言した。
宗滴程の者であれば戦い方はあるが、弱腰で有名な久政の退路を断つ為にあえて断言したのである。
「とは言え、ここは浅井殿の領地。某に決定権はありませぬ。提示できるのは案のみ」
そう言って、宗滴は敢えて突き放す行動に出た。
浅井家の領地で、浅井家の城で同盟国とは言え、宗滴が好き放題作戦を命令するのは本来あり得ない。
ただ、異常なまでの宗滴の名声がそれを可能にしており、浅井家にしても無下にできずにいた。
「わかった。横山城で迎え撃つ。宗滴殿、奇襲の件よろしく頼みましたぞ」
久政はそう言って方針を固めた。
「分かりました。それでは某は配置に付きます故に、これにて失礼いたす」
宗滴が退城し、残された浅井軍も準備始めた頃、側近が宗滴に尋ねた。
「殿、策はあれで良かったのですか?」
「良くは無いが仕方ない。本気で勝つなら小谷城で籠城しかない。が、ここは浅井領じゃ。あまり無茶も言えん。野戦を回避出来ただけでも上出来とせねばなるまい」
本当に勝つなら、宗滴の言う様に小谷城で迎え撃つのが最適なのだが、それを久政が選択できないのも実は分かっていた。
最悪の選択は野戦を選ぶ事だったので、あえて無茶な要求として小谷城籠城を提案し、却下された時に、次の案である横山城籠城を通しやすくしたのであった。
この辺りも、老練な宗滴ならではの手腕と言えた。
ただ、横山城での迎撃を宗滴は『勝つ可能性が低い』と言ったが、これは本当に可能性が低いと見ており、難しい戦いを強いられると感じていた。
(浅井殿の武勇は当てにできん。六角殿との慣れない連携でどこまで義龍に迫る事ができるか……)
そう思った宗滴は専門兵士と農兵の折衷軍を見た。
(専門兵士はともかく、農兵の士気は低いか。ここで浅井が破れたら孫次郎(朝倉延景)に迷惑をかける。最悪浅井が負けても、斎藤の進軍をそこで止める程の損害を与えねばならぬ!)
宗滴はそう決意し、横山城南方の軍を隠せる地に向かうのであった。
【近江国/斎藤軍 斎藤帰蝶隊】
《――――と言った具合で、朝倉宗滴は未来にも名を轟かす名将ですね。信長教では破壊神の使徒として位置づけられています》
数々の武勇と逸話を聞かせたファラージャは、帰蝶が怯んでしまったかと心配し様子を確認した。
《もう70過ぎているのよね? そんな化け物みたいな名将を相手にするなんて……腕が鳴るわ!》
しかし、性格的に気落ちから一番遠い位置にいる帰蝶は武者震いをして激突を楽しみにしていた。
《今回、初めて信長さんが関わらない戦になりますが、そこは心配じゃないですか?》
《そうね。心配していないかと言うと嘘になるけど。ただ、いくら朝倉宗滴が名将だとしても、浅井に援軍に来たとしても、まともな兵が揃ってなければ、どうとでも料理できるわ。……ただ、問題は兵が揃っていた場合よね。農兵だから士気は低いハズだけど、敵も必死でしょうから油断はしない様に頑張るわ!》
そう言って帰蝶は道三から貰った太刀の柄を叩いて気合を入れなおした。
背中には義龍から貰った薙刀が背負われている。
一方その頃、義龍が上平寺城が城としての機能が完全に無くなっているのを確認し、近隣の村から戦える者が殆ど徴兵されている報告も受けた。
「仕方あるまい、上平寺城は浅井を倒した後に再建する。今は次の横山城に向かうが、浅井軍は準備万端とみてよかろう。どこから敵が襲撃してくるか分からぬ。各軍警戒しつつ進軍せよ」
斎藤軍は見事に宗滴の策に嵌り、休息拠点を失い、横山城までの道中を神経を擦り減らしながら行軍する事になった。




