61話 船と養蚕と硝石と治安
水と鉄と木がそれぞれ動いた所で、別の内政作業も動き始めた。
つづいては船である。
この造船は九鬼一族の手で進められた。
陸路以外にも海路開拓も重要で、更に伊勢志摩尾張、また、コッソリではあるが三河や駿河にも流通で必要な為、船の数が需要に追い付いていない。
軍船も今以上に拡充する必要があったが、これらに関しては周辺海域を制圧しているので緊急性は薄かった。
精々、航行訓練と将来に備え安宅船、関船、小早が多少増産されるに留まった。
ただ、それよりも信長は九鬼に対し2つの難題を出した。
1つは燃えない頑丈な船の建造である。
「燃えない船ときたか……」
九鬼定隆と浄隆、光隆、嘉隆の親子は命令書を見てうんうん唸った。
信長の言わんとしている事は理解できる。
海上の戦は、遠距離は弓矢で、接近したら乗り移っての白兵戦が基本である。
その中でも困るのが弓矢による攻撃で、火矢は天敵の部類にあたる。
船は木造だから燃える。
当然である。
小早程度の小舟なら周囲に幾らでもある海水で対処は可能だが、安宅船の様な大型船となるとそうは行かない。
勿論、対処は出来るように水桶は常に準備してあるが、大量の火矢には対処は不可能である。
帆に燃え移ったら手の施しようがない最悪の事態になるが、そこまで考えた所で三男の嘉隆が疑問を口にした。
「父上、船はそんなに簡単に炎上して沈没しますか?」
「何故そう思う?」
「木が燃えるのは解るのですけど、火矢が当たったら即座に炎上して沈没しますか? そんな事は無いと思います。ならば何とか船を持たせる事もできるのでは?」
「まあ……な。多少ならどうとでも出来るが、集中的に狙われるか、油と併用すれば沈没もあり得るだろうが……」
親子の会話はイマイチ弾むものが無かった。
それもそのはずで、火矢による炎上沈没の可能性は有るには有るのだが、この近海で無敵の存在である自分達の船が、一方的に攻撃を受ける場面が想像できず、また高価な油を大量に投入できる勢力も思い当たる節がない。
むしろ手間隙かけて炎上対策するよりも、海戦の戦法を研究するべきと思っており、信長の要求は過剰な品質要求と九鬼親子は思っている。
「それでも殿の目的を果たすだけなら手はあります」
黙っていた次男の光隆が口を開く。
「ほう。それは何じゃ?」
「戦の始まる前に、船を水で濡らしてしまうのです。これで火矢も油にもかなりの効果が見込めるのでは?」
水の染み込んだ木材が燃えにくい事など、説明するまでも無い事である。
「そうじゃな。船内が濡れて滑って危ないが、ずいぶんマシになるであろうな」
手段と弊害はどうあれ、これで簡単に燃える事は無い。
だが、長男の浄隆が別の疑問を口にする。
「燃えない船もそうですが……。それに付随する能力として頑丈な船とはどういう事でしょう? しかも安宅船より頑丈となると、殿は一体何と戦うつもりですかね? 鯨と戦でもするつもりでしょうか?」
「鯨は火を噴かんが、そういう規模の相手を想定しておるのかのう?」
「そんな大勢力は三好ぐらい、大内や尼子は遠すぎますな」
「もし大内や尼子を想定しとるとすると、殿は何年先まで見据えておるのじゃ……? まさか、南蛮も相手にするのか? だから南蛮船を作れと言うのか?」
九鬼親子達はかつて海賊として活動していた時に南蛮船と遭遇している。
何本もの帆柱と大量の帆による快速運航、豪華絢爛な外装と、よく分からない大穴(大砲)。
とにかく規格外の巨体と、長期間の外洋の荒波に耐える頑強性。
九鬼海賊衆は即座に『絶対に喧嘩を売ってはいけない相手』だと判断した。
だが、信長の要求を満たした相手を考えると南蛮諸国しか思い浮かばない。
「それに、殿は『燃えない頑丈な船』と『南蛮船』の二種類を要求していたな。決して『燃えない頑丈な南蛮船』ではない」
「つまり、想定する相手も2つ有るはず、という事ですか」
九鬼親子はそう結論付けた。
では信長の想定する相手とは誰か?
その1つが、将来確実に敵対するであろう石山本願寺に合力する、毛利家の水軍である村上水軍である。
それに対応する『燃えない頑丈な船』とは、即ち『鉄甲船』である。
史実では村上水軍の焙烙玉に九鬼水軍は大打撃を受けて敗れてしまった。
鉄甲船―――
この日本史どころか世界史で見ても珍しい、時代を超越した発想の『鉄甲船』。
竜骨(船の背骨)を用いた頑丈で外洋に出られる船を造れなかった日本人が考えたとは思えず、誰かタイムスリップして知恵を貸したんじゃないかと疑ってしまう程の発想と実行力で作り上げた船である。
建造を命令された九鬼嘉隆が悩みに悩んでヤケクソで提案し、信長が目的に沿うと判断し採用した、世界でも思い付く者は居たとしても実行するものが皆無の船である。
では、何故思い付いたとしても、誰も作らなかったのか?
答えは簡単で鉄は錆びるのである。
鉄素材を交換の容易い武具ならともかく、海の上で大量の鉄を使うなど論外である。
錆びない鉄、則ちステンレスの鉄が無い時代で船を鉄で覆うのは、考えるまでもない大暴挙であった。
しかし、信長はその大暴挙を本当に行った。
船が燃えなければ絶対勝てると判断したからである。
信長が居なければ決して世に出る事は無かったであろう、完成した鉄甲船の防御力と戦闘能力は凄まじかった。
鉄甲船6隻で当時の村上水軍600隻を蹴散らす実績を挙げ、本願寺を締め上げるのに成功したのであった。
実に大うつけ信長らしいダイナミックな勝利である。
その『鉄甲船』を今回も作ろうとしているが、答えを知っている信長が敢えて九鬼に考えさせるのは、成長の機会を奪わない為である。
もちろん、数々の歴史改編で誰かの成長の機会を奪う事は多々あったし、これからも避けられない。
だが、可能な限りは史実に沿わせ無いと、史実よりも出来の悪い人間に育っても困るので、積極的に困難を与えるのが信長の方針であった。
だからこその二つ目の指令として、南蛮船の建造である。
南蛮船に関しては、少なくとも信長が生きていた時代に完成させた実績は無い。
だから出来るかどうかは不明であるが、とりあえず最初から指令を与えておいて、四六時中考えさせるつもりである。
運良く南蛮船が手に入れば楽に構造が研究できるが、そんな運は期待せず、失敗の中からもノウハウを蓄積させるつもりである。
そんな訳で、『南蛮船』は天下布武後の完成後でも問題無しとし、その代わり『燃えない頑丈な船』は5年で案を出す様に命じた。
従って、『南蛮船』の想定する相手は、強いて言えば世界であるが、明確な相手も目的も定めていない。
相手が決まるとすれば、その時の時流で決まるハズで、いざ必要になった時に慌てない為である。
こうして九鬼一族は、世界初の鉄甲船へと辿り着く斬新な発想を捻り出す作業に取り掛かり、さらに史実より相当に早い南蛮船の建造研究に取り掛かるのであった。
一方、別の場所では火薬の原料である硝石が生産されている場所があった。
これこそが転生のアドバンテージとして、元服直後から取り掛かっていた物である。
天然の硝石は日本では産出されないので、買うとなるとメチャクチャ高額なのである。
その高額になる原因の一旦は、日本の技術力の高さが原因でもあった。
初めて鉄砲が伝来して数年の内に、日本の職人は鉄砲を殆ど完全にコピーしてしまったのである。
完全ではなく『殆ど』なのは、ネジの概念だけがどうしても解らず、ある職人が娘を売って技術を入手した経緯があるのだが、それ以外は完全完璧コピーである。
南蛮の商人は困り果てた。
高く売り付けようとした物がアッという間にコピーされ、しかも日本の独自技術と改良は本家を凌ぐ性能を発揮しつつある。
だから南蛮商人は、もうどこにでも有る物を苦労して運んで、お願いして買って貰うよりは、日本では手に入らない硝石をバカ高い設定にしたのである。
鉄砲だけでは宝の持ち腐れなので、仕方ない価格である。
信長は史実で堺を占拠し硝石の安定供給に成功したが、今回は最初から自前で揃えて無駄な出費を極力減らすつもりである。
しかし必要な物を何故『無駄な出費』と表現するかと言うと、硝石の購入ルートは色々有るのだが、その中の一つに寺院があるのだ。
例えば信長が最後を迎えた本能寺は明智光秀(と、この物語では羽柴秀吉)に襲撃され、信長の遺体は骨も残らなかったと言われている。
その理由は、本能寺は『炎上して焼け落ちた』のではなく『木っ端微塵に爆散した』からである。
すなわち本能寺には大量の火薬が存在していたのである。
その火薬は織田軍が持ち込んだのではなく、本能寺が信長に提供する為の火薬である。
つまり、火薬の入手経路は寺院のルートもあるのだ。
今回の信長は、兵農分離ならぬ兵僧分離も徹底的にやるので、宗教勢力に銭を払わなくても済むように、転生直後からの自前生産に踏み切ったのである。
無論、完全自前供給は難しいので、可能な限り自前でと言うのが目標である。
だが、それには現状では人手が足らなかった。
その信長肝入りの硝石生産場には、先日帰蝶が捕らえてきた堕落僧侶が連行されてきた。
「さぁ、この場所が貴方達が死ぬまで働く場所よ」
その場所に近付くにつれて、人気が少なく感じる場所に到着した帰蝶が僧侶達に宣告した。
この場所こそが信長秘蔵の硝石生産場にして極秘性が高い為、人手が足りないからこそ法度にある『死罪に匹敵する刑罰』の一つとなった場所である。
秘中の秘とも言える硝石生産場は、少々時代を先取りした施設であるので、働き手が入れ替わり立ち替わりでは困る。
だから信長は『死刑に匹敵する刑罰』として利用する事にしたのである。
罪人なら遠慮は要らないし、耐えかねて死んでも秘密を守って死ねばいい。
「こ、こんなところで何を……!!」
これから織田家の為に3K労働の仕事をする者に対して『秘密を守って死ねとは酷い』と思ってはいけない。
現代と昔では人権の概念は違うし、この僧侶達はここに連れてこられるに相応しい罪を犯したのである。
「お、おい!」
しかし、これから何をされるか分からない僧は、たまらず大きな声をあげる。
「それは、先輩達に聞きなさい」
「せ、先輩?」
僧侶達が知るよしも無いが、先輩とは織田領内で暴れていた野盗で、治安維持と親衛隊訓練で捕縛された者達であった。
何年も前に信秀に対する親衛隊御披露目で捕らえた者も働いている。
一生娑婆に出る事は出来ず徹底的に、秘匿された環境で働く彼らの目は極めて虚ろである。
そんな働く罪人を見て、僧侶は真面目に修行しなかった己を悔いたが後の祭りであった。
帰蝶もそんな僧侶達を憐れに思い、元気付ける為に優しく声をかける。
「飢え死にしない程度には毎日食べ物はでるし、技術が上達すれば多少は優遇されるわ。出られないけどね」
死罪でない事に喜び、飢えが無いならまだマシかと僧侶達は希望を感じる程度に混乱していた。
こんな所に連れてきた張本人の帰蝶の優しさに感謝するが、よくよく考えれば極めて緩やかな処刑とも言える事に気づき、悟りを開きそうな位に悩み後悔する事になるのは先の話である。
ところで、何故信長は硝石を作る方法を知っていたのか?
それは前々世で、鉄砲傭兵雑賀衆及び根来衆と争い情報を入手したのである。
信長はその卓越した頭脳で、開発元の南蛮諸国でさえ思い付かなかった、世界初の鉄砲集団連射射撃を行ったとされる程の発想力を持っているが、鉄砲の効果的運用方法が信長に分があるなら、個々の射手が鉄砲の扱いに長けて、鉄砲の全てに精通しているのが雑賀衆と根来衆であった。
では何故彼らは硝石の作り方を知っていたのかは推測の域を出ないが、独自の通商ルートから硝石を手に入れ、作り方まで少ない情報から編み出したのだと思われる。
その理由は、もしも鉄砲をコピーされた南蛮人が硝石の作り方を伝授した場合、売るものが無くなり本末転倒にも程があるからだ。
ただ、真似するのが得意な日本人は何とか答にたどり着いたが、大量生産は流石に出来ず、輸入ルートも潰れる事は無かった。
そんな訳で、いかに信長でも、その製法は直ぐには信じられず騙されているかと思ったが、しかし捕虜を使って実際に作らせた所、本当に出来てしまった。
雑賀孫一を配下にした時にも確認の意味で聞き出したが、得られた情報は以前から仕入れていた『古土法』であった。
もう一つ、『培養法』という方法がある。
戦国時代の加賀や飛騨で行われていた方法で、主に蚕の糞や特定の草等を混ぜ合わせた製造方法で『古土法』よりも生産効率が良かった。
織田家が加賀を版図に加えた時に吸収した技術であった。
だが、雑賀孫一の情報にしても加賀の技術にしても、その後まもなく本能寺を迎える信長にとっては効果を実感する時間はあまりなかった。
それを転生のアドバンテージとして利用し、生駒家宗を通じて養蚕業を始めた。
名目上は絹糸の生産であるが、真の目的は蚕の糞の確保である。
絹糸の生産だけならば秘匿する必要はないが、硝石作りとなれば軍事機密にもなるので、絹糸生産者から糞を集めて罪人収容所に持ち込み作業させた。
一生出る事のない罪人ならば技術の秘密が漏れる事はないので、信長にとって罪人も必要な存在となり『死罪』を廃し、硝石作りを『死罪に匹敵する罪』への罰として利用する事にしたのである。
しかし犯罪被害者の感情としては、最初は不満だらけであった。
村を襲撃した野盗や、散々仏の名を語った堕落偽物僧侶を生かしておく理由が見当たらないのである。
だがら、信長は被害者に(硝石生産は極秘なので肥料研究の場と偽り)その労働環境を見せた。
その扱いの雑さと劣悪な環境を見た被害者は即座に満足し、さらに真面目に生きようと決意したのである。
「絶対に……絶っっっ対に、ああはなりたくない!」
死罪を廃止する戦国時代にあるまじき罰の緩い天下布武法度は、治安向上に大いに役立ったのである。
雑賀衆が古土法を知っていた事については、あくまで予測で松岡説です。
事実が判明次第随時修正していきます。




