外伝13話 森『内政官』可成
この外伝は4章 天文17年(1548年)の北勢四十八家を撃破し、森可成と柴田勝家が尾張に帰還する頃の話である。
【伊勢国/長野城 織田家】
「本当に、本っ当~に、尾張に帰還するかね?」
「そりゃあ、殿の命令ですし、尾張での役目も仰せ付けられておりますし……。それとも命令に反して伊勢に残りますか?」
「ぬぅ……!」
二人の屈強な武将が、馬に揺られて伊勢の地を北上し尾張に向かっている。
尾張に帰還するのを渋っているのが森可成。
素直に命令に従おうとしているのが柴田勝家。
伊勢攻略の作戦で北伊勢を制圧し、親衛隊の訓練や成果確認の都合上、そこでお役御免となり帰還の途上にあった。
だが、森可成は不満を隠そうともせず、何とか理由を付けて引き換えそうとしては柴田勝家に窘められていた。
可成は信長の才能に惚れ込んで、半ば押し掛け気味に信長の配下になったので、四六時中信長と共に戦いたいのが本音であった。
そうでなくても戦場から離されては功の立て様がない。
それに北勢四十八家は最後の長野家以外は弱すぎた。
もちろん、相手が弱いのは理由があって、農繁期に大軍で攻め寄せれば小豪族の北勢四十八家はまともに兵など揃えられず、勝負にすらならず、まさに鎧袖一触で信長の作戦勝ちと言えた。
当初、可成は作戦と『専門兵士の計』に驚き、無人の荒野を突き進むかの様な圧勝劇に快感を覚えたが、途中から勝ちに飽きた。
誰もほとんど戦ってくれないので力を示す場が無かった。
上級武将になる程、甲冑は意匠を凝らした豪華絢爛な物になるのを見てわかる通り、彼らは目立ちたがりの承認欲求の塊なのである。
だから目立てないのはとても困る。
『目立った上で大活躍して勝つ』
これが一般的な武将の共通欲望であり、森可成も例外ではないのだ。
もしも例外が居れば本当に極めて少数であろうし、例えば内政だけに生き甲斐を感じる様な武将は、功績が地味過ぎて後世に名が残り難いし人気もない。
だが支配者からすれば、そんな縁の下の力持ちこそが必要な存在なのは明らかで、同時に武官と文官の出世バランスは、支配者も四苦八苦するのが歴史の常でもあった。
本当はもっと文官を評価したいのだが、武官が納得しないのは良くある話であるが、無論、武官が不要と言う訳では無い。
何事もバランスである。
支配者にとって理想の配下は『文武両道』。
これに尽きるのである。
さて、森可成はどうか?
史実の森可成は信長の右腕として戦に、政治に、外交に活躍した支配者にとって理想の『文武両道』であり、無くてはならない存在であった。
そんな可成が戦死したと聞いた時は、信長は大いに嘆き悲しんだと言う。
可成に対してその様な高い評価をしていた信長は、転生の奇跡で十数年ぶりに可成と再会し喜びつつ思った。
(……うん? 可成はこんな奴であったか?)
久し振りに再会した可成は『武』こそが全てであるかの様な振る舞いである。
(どちらかと言うと、それは勝家の役目ではないか?)
などと失礼な事を思っているが、それも致し方ない理由があった。
勝家は尾張内乱での失態が原因で、史実に比べて非常に謙虚な性格になり、逆に可成は尾張内乱での信長の鮮烈な活躍から『武』に重きを置く様に性格が変わっていた。
《ファラ、コレは一体どうしたことじゃ?》
《やはり少しでも何かが変化すれば、必ずどこかに影響がでるみたいですねー。尾張内乱なんて史実に無い事が起これば、その影響は計り知れません》
この様に、転生による歴史改編は、信長の意図せぬ所でも確実に変化をもたらしていた。
《それは……仕方ない部分もあるが、可成がこのままでは困るぞ? 何とか方法は無いか?》
《史実で出来た事は素質があるのは間違い無いので、代わりとなる経験をさせるしかありませんねー》
悩んだ信長が考えたのが、伊勢攻略作戦での途中帰還である。
戦から強制的に切り離して内政に携わらせるつもりで、その為の指令と作戦も勝家には伝えてあった。
「三左衛門殿(森可成)、気持ちは解りますが、新規親衛隊の訓練は大事な任務ですぞ」
「それは……まぁ……理解はしとるが……」
まさに『頭では理解しても心では理解できていない』状態の良い見本である森可成であった。
そんな二人が歩む脇道では、米の収穫が終わった農民が豊作を祝っていたのであった。
【尾張国/末森城 織田家】
「大殿、ただいま伊勢より帰還致しました。北勢四十八家は全て滅ぼし、当初の予定を上回る速度で伊勢の攻略は進んでおります」
「うむ、二人とも良くやった。三郎(信長)からの書状でも確認しておるが……。全くもって信じられん程の手際の良さよ」
信長の『専門兵士の計』の破壊力は、現場の武将も驚いていたが、尾張で戦況を見守る留守番武将も次々に舞い込む戦勝報告のペースの速さに、自分の常識が破壊される感覚に陥っていた。
『1年かからずに約50もの城を落城させる』
織田家の留守番達は常識外れにも程がある戦果に、誰に話しても到底信じて貰えぬであろう戦果に、奇跡の実績を称賛する為に例えるべき言葉が思い付ない戦果に、全員が困り果てるのだった。
城を思い浮かべる時に、現代に現存する様な大規模の城を想像してしまうと『50城抜き』は無茶に聞こえるかもしれないが、この城はせいぜい砦規模の物が大多数である。
だから条件さえ整えば誰でもやれる可能性はあるが、その条件を整えるどころか思いついた発想力こそが、信長の真骨頂と言えた。
「何はともあれ、ご苦労であった。休息の後に通常の政務に戻るがよい」
「はっ」
こうして親衛隊の帰還部隊は解散となった―――かに思われたが、『そうは問屋が卸さない』とばかりに可成と勝家は家臣たちに捕まった。
二人は『専門兵士の計』や、50もの城をどの様に攻略したのか質問攻めにあったのである。
「く、詳しく説明すると――――(27話参照)――――と言う訳です!」
いつの間にか『休め』と言った信秀までが混ざっている。
朝からの報告で可成と勝家が解放されたのは昼を過ぎた頃であった。
「や、やっと終わった」
「そ、そうですな。帰りますか……」
説明に疲れた二人が帰る道にある農村では、伊勢でも見掛けた様な米の豊作を祝う祭りが繰り広げられていた。
それは信長と帰蝶が米の実験を行っている村であった。
【休息後のある日】
久々の新規親衛隊の訓練を行う可成と勝家の元に、伝令が駆け込んできた。
「大変です! 殿と濃姫様が米の実験を行っている村に、野盗が向かっているとの事!」
「なんじゃと~! すぐに急行する! あの実験を邪魔させるわけにはいかん! 選抜する刻も惜しい故に、今動ける100名全員で行く! 良いですな、三左衛門殿!?」
「え!? あ、あぁ……?」
大慌てで指示を出す勝家と、歯切れの悪い可成。
もちろん可成も野盗討伐の重要性は認識している。
可成が驚いたのは『信長と帰蝶の米実験』及び『勝家の指示』である。
内政にそこまで興味の無い可成は、それでも信長が何かやっているのは何となく把握はしている。
当主なのだから内政に無頓着ではないのも解る。
だが、自分と同じ武辺者だと思っていた、帰蝶まで携わっているのは初耳であったし、勝家がその重要性を理解したかの様に、大慌てでいるのも驚き、可成は帰蝶も勝家も自分と同じタイプと思っていたのに、何か裏切られたかの様な気持ちになった。
村に駆け付ける最中、可成は勝家にそれとなく聞いてみた(つもりであった)。
「権六殿……。その、内政、と言う物に興味がおありかな?」
「……え? それは勿論です! 民の喜ぶ顔を見れば自然と気合も入ると言うもの! その手助けをするのが我々の役目と心得ております!」
目を輝かせながらそう語る勝家に可成は面食らってしまう。
「そ、そうよな! 民あってこその我ら故にな!(その体格と顔で、全く似合わぬ言葉を平然と吐きおる! なんじゃその目は! 以前のお主はそんな殊勝な心掛けは無かったであろうに! 一体何があったのじゃ権六!)」
同類だと思っていた勝家の変化に、可成は急に自分だけが取り残される感覚に陥ってしまい、その後の野盗討伐は殆ど上の空であったが、少数の野盗に100人で襲い掛かるのであるから可成がボンヤリしていても何の問題も無かった。
それに野盗達は可成が駆け付けた頃には、恐れをなして逃げていたのである。
「柴田様~! 助かりました!」
「おう! 皆無事であるか? 済まなかった。我らの治安が甘かったせいで余計な手間をかけさせてしまった」
村長と勝家がそんな会話をしていると、可成が恐る恐る尋ねてきた。
「権六殿、そちらは?」
勝家と村長。
可成の目には、何の接点も見つけられない異色の組み合わせである。
「あぁこちらは、米の実験を行っているこの村の村長です。ワシも暇を見つけては様子を見に来たり手伝っておりますので……」
「(ッ!! 手伝う!?)そ、そうですか……」
可成にとっては衝撃の事実である。
あの織田家で武断派筆頭とも言えた勝家が熊みたいな体格を萎めて、いじらしくも米と格闘する姿を、事実を知っても想像できなかった。
「ご、権六、いや柴田殿、某も次から参加させてもらってもよろしいか?」
途端に勝家が自分より格上の見え始めた可成は、つい『柴田殿』と遜って許可を求めてしまったのである。
その後もこの村での信長や帰蝶の働きを知って、可成は絶句し通しであった。
特に信長も帰蝶も泥と格闘しながら、米と向き合って、本気で農業改革を成し遂げようと懸命に動いている事実を知った可成は、自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、無意識に地面を掘り返してしまっていた。
まさに『穴があったら入りたい』故の行動であった。
【可成の屋敷】
(殿や権六、果ては濃姫様までが民の為に懸命に働いておる。ワシは……ワシは……)
その夜、屋敷で可成は悩みに悩んだ。
親衛隊は農作業から解放された専門兵士である。
であるならば、自分たちの役割は『武』にこそあるはずである……と思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、上級武将の勝家どころか、国家君主やその妻が泥にまみれている。
これでは何の為の親衛隊なのかわからない。
信長の行動は矛盾しているのである。
(しかし仮に矛盾しておらぬとしたら……どう考えるべきなのだ?……まさか! 単なる一兵士なら『武』のみで構わない! しかし上に立つ者を目指すのであれば、それだけではダメ、そう言う事なのか!?……上に立つ?)
そこで『上に立つ』という意味を考えて可成は考えが止まった。
(上に……立つ……? 何の上に立つのだ? 決まっておる兵士の上……いや民の上? 領地の上? いや……まさか……国の上……ま、まさか……な)
元々の織田家は斯波氏の家臣の家臣の家柄で、可成はさらにその家臣である。
だから、信秀や信長が実力で奪い取った国の上に立つならまだ理解できるが、自分が国の上に立つなど想像の範囲外である。
もちろん知行地はそれなりに貰っており、管理も任されているが、内政方針は信秀や信長の方針をそのまま実行するだけである。
特に考えて何かする事など殆ど無いし、何よりそんな手間暇かかる広大な領地を任されて居る訳では無い。
しかし今、北伊勢を制圧し、恐らくは南伊勢も制圧するであろう織田家の国の管理はどの様な体制になっていくのであろうか?
(どう考えても人手が足りぬ……。人材不足にも程がある。その時必要になるのは誰だ? 決まっておる権六の様に貪欲に『武』以外も吸収しようとする向上心を持つ者だ! それは即ち……即ち大名になる事……なのか?)
可成はそう結論付けたが、いまいち自信が持て無い。
しかし、兵の上に立ち、民の上に立ち、領地の上に立ち、それらすべてを管理する立場になり、国の上に立つ。
それは即ち、どう考えても大名になる事に他ならない。
(斯波氏の家臣の家臣の家臣のワシが……大名を……目指す……?)
余りにも大それた考えに、思わず頭を振ってその思考を振り落とそうとするが、たどり着いた答えが鮮烈過ぎてで逆に頭にこびりついて離れなかった。
可成は眠れぬ夜をすごして考えを巡らせた翌日、勝家の元に向かって行き、思い切って尋ねた。
「権六殿。実はな。ワシは昨日、頭をブン殴られるかの様な衝撃を受けた。……お主が、殿が、濃姫様が農業改革に携わっていると知ってな。そこで色々考えて思い至った事があった。それをお主に尋ねて確認したい。……権六殿、お主は……お主は大名を目指すか? もちろん、殿を裏切るとかでは無く、殿の家臣のままでじゃ」
「!!」
「あ!? いや! すまぬ! 馬鹿な事を聞いたな! 忘れてくれ!」
やはり愚かな事を聞いてしまったと思い大慌てで訂正する可成。
しかし勝家はそんな可成の答えを待っていたかの様に口を開いた。
「……某は……目指します!」
勝家は力を込めて断言した。
「(やはり!)成程……。柴田殿。ワシも、ワシも目指すぞ! そこでじゃ。早速先日の村に連れて行ってくれんか!? 学ばねばならぬ事が山ほどある!」
「もちろんですぞ! 」
功績は戦場だけではない。
可成は夜通し考えて、あらゆる所に可能性があると知り、特に内政方面には可能性が無限に広がると考えるに至ったのだ。
(殿! やりましたぞ!)
勝家は心の中で信長に報告した。
実は、先日の野盗襲撃は親衛隊と村の演技であった。
よくよく考えれば、信長にとって最重要地域とも言える米の実験村が、野盗に襲われる様な場所や警備態勢であるはずがない。
可成の成長を促すために信長が勝家に指示し、自分達が汗を流して改革を行う場所を見せて、常識を破壊し意識改革させる為である。
可成の資質を知る信長にとっては、気が付きさえすれば可成は変わると確信していた故の演技であった。
問題があるとすれば、勝家が平手政秀と同等レベルの演技力だったらどうしようかと信長は悩んだが、比較にするのが失礼な程、勝家の演技は上手かった。
米の実験村に行った可成は、積極的に内政を学びその実力を開花させていく事になる、のはもう少し先の話で、今は懸命に見て学ぶ段階である。
「これは何をしているのです?」
「今は―――」
こうして米の実験村に限らず内政を行う現場には、可成の姿が頻繁に目撃される様になり、歴史の改変を改変しなおした信長は一安心するのであった。
そんな可成が内政で一つの手柄を立てるのは少し先の話である。




