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外伝12話 明智『裏話』光秀

 この外伝は3章天文16年(1547年)の尾張内乱が集結し、明智光秀が斎藤家より派遣され、熱田、津島商人に織田家の方針を話す前の話である。



【尾張国/那古野城下 織田家】


「誠に! 誠に申し訳ございません! しかし斎藤家に殿を騙そう等と言った思惑は無く、もちろん厄介払いと言った意図も無く、我等にも一体なぜこんな事になってしまったのか皆目見当つかず!!」


 懸命に『申し訳ございません』と言いつつ、『申し訳』を行い土下座して地面に頭を擦り付ける男と、呆気にとられて驚く男達がいた。


 土下座した男の名は明智光秀

 呆気にとられた男の名は織田信長。

 他にも、織田信秀、織田信広、森可成、柴田勝家が居たが同様に呆気に取られていた。


「ど、どうした十兵衛(明智光秀)!? いきなり何を……!?」


 信長には光秀が謝罪する理由が解らず、ただただ困惑するばかりであった。


「しかし、あの様な有様なのを事前に伝えなかったのは、斎藤家の落ち度と思われても当然の訳で……」


 一体何が起こってこうなったのか?

 それは、今日この日に光秀に対し親衛隊の訓練と、訓練で大暴れする帰蝶を見せた事が原因である。


 ただの訓練を見せるのに、何故織田家の主君と長男と売り出し中の若手武将二人も居るのか?

 それは、彼らも初めて帰蝶の武芸の腕前を見た時に、驚き戸惑い動揺し、呆け口を開け、固まったからだ。

 それと同時に早期に親衛隊と帰蝶の正体を知った者は、後から入隊する者の驚き戸惑う顔を見て優越感に浸る快感の味を覚えてしまい、こうして新規に入隊する者がいる時は、必ず同行する様になっていた。


 だから彼らは光秀が見学に行くと聞いた時は、政務を中断してまで同行してきた。

 むろんこれは陰湿なイジメと言ったモノではなく、ある種の洗礼(ドッキリ)であり歓迎の儀式でもあった。

 手っ取り早く打ち解けるには同じ秘密(?)を共有するのが一番である。


 しかし信長も含め彼らは忘れていた。

 光秀は斎藤家からの派遣であり、帰蝶の正体など知っていて当たり前である事に。


 なので光秀の視点からすれば、当然の如く捉え方が違う。


 婿の信長と織田家当主の信秀、長男の信広、新進気鋭の勝家と可成が周囲を固めて、帰蝶という超お転婆姫の正体と証拠を見せつけているのである。

 光秀の胸中は如何程のモノか想像に難くない。


『おい! これは一体どういう事か説明してもらおうか!? ふざけた答えを言ったら叩っ斬る!』


 光秀のリアクションを待ち望んでいる信秀達の無言の表情が、この様に無言の圧力を掛けていると勘違いされても致し方なかった。

 こうして光秀の冒頭の謝罪となったのである。


「実は……信じて貰えぬかもしれませんが、濃姫様は生まれつき体が弱く、年間通して伏せている事が圧倒的に多かったのです。我等、斎藤家の家臣の前に姿を見せる事など稀も稀、古参の重臣が1回でもお姿を見かければ良い方で、いつしか斎藤家では、出世の条件が濃姫様のお姿を見る幸運を持ち合わせる事、などと噂された程であります」


 光秀が史実通り(この小説)の病弱だった頃の帰蝶の話をし、その噂を聞いた事のある信秀はともかく、初耳の信広、可成、勝家は初めて帰蝶の武芸を見た衝撃から想像できない程のギャップに、改めて正体を初めて知った時と同じく驚き戸惑った。

 ドッキリを仕掛けて光秀の反応を楽しむはずが、逆にドッキリを返されてしまった形である。


「ところが、ある日、獣の咆哮の如く雄叫びが濃姫様の部屋より発せられました」


《これは……アレか? ひょっとしてワシより半年ほど前に転生した時の話か?》


《その通りです》


 信長がファラージャに確認をとる。

 一億年先の未来から時間樹を使って戦国時代の信長元服時に戻った時、何故か帰蝶は半年ずれて飛んでしまっていた。

 ファラージャが、その絶大な科学の力を持ってして(ようや)く開発できた時間逆行転生の技術であるが、初期不良と言うべき課題も残っており、それが原因では無いかと推測されている。


「病で臥せっていた濃姫様の部屋に、賊が侵入したと判断された山城守様(斎藤道三)が救出しようとして、逆に返り討ちにされてしまいました。その返り討ちにした者こそが、奇跡の回復を果たした濃姫様だったのです」


《何をやっとるんじゃ、あ奴は……》


《自分だって、元服の場で混乱して天下布武宣言をしていたじゃないですかー?》


《うぬっ!》


 ファラージャの言う通り、信長は転生した直後、眼前にいる面々に驚き、ついうっかり織田家の主君の前で天下布武を宣言し、下手すればそのまま叛意有りと見なされても文句の言えない失態を演じていたのであった。


「その後、濃姫様の快気祝いがあったのですが、その席で……その……色々ありまして……」


「色々?」


 織田家の面々には当然だが、信長も初耳であったらしく、思わず反応して聞き返す。


「その……何と言うか……。当時はまだ織田と斎藤は争っておりましたのに、濃姫様が自ら織田家に嫁いで婚姻同盟を行うと宣言し……えー……あの……反対派がやはり()()おりまして……」


 信長は自身の風聞により斎藤家が割れたと判断した。

 だから光秀の言葉の歯切れが悪いのだと察する。


「まぁ、それは仕方の無い事だ。ワシは日ノ本屈指の『うつけ』じゃからな。反対意見が出ても不思議では無い、と言うより反対意見が出ない方がおかしいじゃろうて。気にするな」


 しかしそれは正解の半分である。

 まず、反対派は少数ではない。

 反対派は帰蝶以外の全員で、織田に嫁ぐより自分の妻か、息子の嫁に欲しかったり、あるいは道三や義龍の様に可愛さの余り手放したくないのが真実であった。


 光秀も、まさかそのまま正直に伝える訳にもいかず、少々の歴史改変(?)を行った。

 事実、後世に残る斎藤家の資料にもその様に記されている。


「それで……その……濃姫様は次の日から反対派の家臣達を自ら説得し始めるのですが……何故か弁舌の才能も開花し、反対派の家臣達を次々に説き伏せてしまいました。困った反対派の者達は……その……理屈で敵わぬなら……腕力で反対しようとしたのです」


「わ、腕力!?」


「も、もちろん、つい先日まで病身の濃姫様の体調を心配されての事です。もう少し体力を回復させてからでも遅くないと言う配慮からです」


 これは光秀も知らぬ事であったが、万策尽き果てた斎藤家首脳陣が苦肉の策を弄して仕掛けた作戦であった。


「そ、そうか……それも仕方ないな」


 光秀は苦しいにも程がある申し訳をしているが、信長は光秀の必死の申し訳に同情しつつ理解を示した。

 しかしどこの世界に、快気したとは言え元病身の少女を腕力で説き伏せる手段を考え付く者、あるいは、それを理解する者が居ようか?


「そうですな……。あの濃姫様の姿を見せられては、致し方ありますまい」


 そう勝家が呟き、全員がうなずいた。

 理解する者はここに居たのである。

 眼下の広場では、帰蝶が親衛隊員を薙ぎ倒していた。


「私も……その手段は如何な物かと思ったのですが、どうやら御主君や新九郎様(斎藤義龍)も同意されまして……その……稲葉殿がお相手をする事になりました」


「稲葉殿って……稲葉一鉄、いや稲葉良通か!?」


「そ、そうです」


 稲葉一鉄の名は未来の名前なので信長は言い直したが、その名前には一同も驚いた。

 美濃三人衆の一人、稲葉良通。

 斎藤家の重臣中の重臣で、斎藤家の強さを象徴する名前である。

 斎藤家と同盟する前は、全員が戦で稲葉良通の指揮する部隊に苦しめられた記憶がある。


「まさか……於濃は稲葉殿を倒したのか!?」


「いえ。流石に倒す事は叶いませんでした」


 まさかそんな武人を倒す程の腕前なのかと一同が心配する中、光秀はそれを否定した為、胸を撫でおろす。

 勝家たちも、今の帰蝶を見て弱いとは決して思っておらず、自分と互角に近い武力を持っている信じ難い事実は理解している。

 だが、帰蝶が稲葉良通を倒す程の実力が有るとすると、状況次第では自分も負けるかも知れないと、唾を飲み込んで戦慄したが、倒せていないならまだ安心である。


 しかし―――


「ほとんど互角の激闘を繰り広げただけです」


 光秀は『だけです』などと冷静に言うが、ソレはソレで衝撃の事実である。


「何ですとッ!!」


 当然、一同は驚愕している。

 光秀の無意識に安心させて突き落とすかの様な話術は、勝家らの心胆を寒からしめる。


 自分達でさえ勝てる自信の無い稲葉一鉄と互角と言う衝撃の事実。

 これは全く油断できない所かまだ、成長の余地が多大に残ると同義である。

 まだ幼さの残る帰蝶の実力は、ぼんやりしていると、あっという間に自分たちを追い抜きそうな確信に近い予感を感じさせた。

 信長は信長で、史実で自分の配下の武将として稲葉良通がどれ程の活躍をしたのか把握しているので、そんな稲葉良通に肉薄する実力が信じられず、眼下で暴れる帰蝶を改めて見てみた。


 また親衛隊員が帰蝶に倒されて転がっていた。


「わ、我等も少々……あ、汗を流すとするか……」


「そ、そうですな」


 途端に自分の立場とプライドと実力に危機感を感じた信長達は、訓練に参加しようと床几から立ち上がった。


「え!? あの、それで、決して濃姫様の事を隠した訳ではなく……」


 光秀はまだ謝罪と申し訳が終わっていないので、慌てて話をまとめようとする。


 しかし―――


「あぁ、その事は別に気にしておらんし謝罪も必要ない。むしろ我等にとっても良い刺激になっておる。少々の事は目をつぶる。それに斎藤家は良い姫を育てたと思うぞ。それよりも十兵衛、おぬしも来い。これから『専門兵士の計』について話しつつ親衛隊の役割も説明する」


 思いの外どころでは無い寛容な織田家の面々に、光秀は心の底から安堵した。

 下手したら帰蝶との婚姻が解消され、また織田家と争う事になるのは困るからだ。


 それに、せっかく自分が担当し熱を入れている濃尾街道と通商計画が台無しになるのも困る。

 光秀は信長の構想に夢を抱き、期待を寄せてくれる織田と斎藤に感謝していたし、関わる人間全てが夢を抱いていた。

 婚姻同盟の破棄は光秀にとって、いや、誰にとっても幸せになれない最悪の展開であった。


(……。いや、ソレはソレで喜ぶかもしれぬ。特に新九郎様が……)


 光秀も正徳寺の会見に参加していたので、義龍の失態は目の当たりにしている。

 公には義龍の暴走は斎藤家の余興となっているが、真意に気付いた者は墓場まで持っていくのが暗黙の了解であった。


 そんな訳で、光秀の懸念は杞憂に終わった―――かに見えた。


 ところが、親衛隊御披露目から数日も経たない内に『帰蝶がやらかした』との報告が光秀の元に飛び込んできた。



【那古野城下 明智光秀屋敷】


「も、もう一度頼む」


 光秀は伝令の報告を一度で理解できなかった。

 聡明な光秀らしからぬ失態である。


「は、はい、実は濃姫様が―――」


 伝令も困惑する内容故に、自分の報告が本当に正しいか確かめるかの様に、もう一度言葉を噛み締めながら報告する。

 それは要約すると『寺院がとある街道に設けた関所を、帰蝶が親衛隊と共に襲撃し、僧侶を討ち取り破壊の限りを尽くした』との理解に苦しむ内容であった。


(こ、このまま泡を吹いて倒れたい……! 強靭な自分の精神が憎い……!! 寺院の施設を襲撃って帰蝶様は、悪鬼羅刹が取り憑いて居るのではないか!?)


 率直な感想である。


 寺院の悪辣さは光秀も理解している。

 しかし、ソレはソレ、コレはコレ。


 自身も神仏を信奉する身としては、寺院に逆らう事など出来ようはずが無い。

 色々理由はあるが、例えば自分が死んだりした時には僧侶に念仏を唱えてもらい、寺院で弔ってもらわねば困るからだ。

 怨霊になど絶対になりたくない。

 確実に現世に迷う事無く極楽冥土に送ってもらいたいのだ。


 光秀のこの思想、信仰心は絶対に馬鹿にしてはいけない。

 これが当たり前の時代なのである。


 何度も言うようだが、この時代の宗教は現代の科学と同等レベルの真実である。

 現代でさえ怪しい壺を高額で買う人間が居るのである。

 自分の信じる宗教の為にテロを起こす集団も居るのである。

 ほんの少し前まで『神風』を信じて戦う国もあるのだ。

 現代でさえこの有り様であるならば、戦国時代ならば言うまでもない。

 光秀の思想と信仰心は、光秀に限らず当たり前の事なのである。

 信長を含めたほんの少数を除いて、誰もその思想を教える宗教団体に逆らう事は出来ない。

 例えどんなに忌々しく思っていたとしても。


 史実では、比叡山延暦寺の焼き討ちを提案したのは光秀と言われている。

 しかし、今の光秀は史実と違い、諸国を極貧放浪を経験していない斎藤家のエリート武将であり、成長途中の若武者である。


 帰蝶の行動が理解できないのは当然であった。


 それに、『斎藤家では一体どの様な教育をしているのか!?』と言われたら釈明のしようが無い。

 光秀は慌てて信長の元に謝罪に向かうのであった。


 しかし―――


「委細問題なし。と言うより指示したのはワシじゃ」


「……は?」


 信じられない信長の言に、光秀は自分の常識が崩れ落ちるのを感じずには居られなかった。


「り、理由を伺っても?」


「そうじゃな。色々あるが……。判っているのは奴等は僧侶の名を騙る偽者よ」


「に、偽者!?」


「考えてもみよ。仏の教えに関所を設けたり、高利貸しを行う事、利権を貪る事を推奨する教えがあるか? 少なくともワシは聞いた事が無い。お主はあるか?」


「あ、ありませぬ……」


「じゃろう? そんな偽者を放置しては、真面目に修業する真の僧侶達が余りにも可哀想では無いか?」


 そう言って信長は邪悪な顔で笑った、いや嗤った。


「冗談はさておき、本当の理由もある」


(冗談!?)


「濃尾街道と通商を手掛けるに辺り、近々商人達とも話をするが、織田と斎藤の支配地域では、楽市楽座、関所完全撤廃、牛馬の利用自由化、水運強化を行うつもりでおる。当然、民の生活、我等の発展を邪魔する輩は全て武力で排除する」


「ッ!!」


 信長のその決意は神仏への挑戦とも言える程に決意に満ちており、その為に地獄に堕ちようとも構わない―――

 光秀にはその様に思えた。


「何故……何故そこまで……」


 光秀は先程崩れた自分の常識の残骸が、風化していく様な感覚に陥った。


「誤解の無い様に言うが、ワシは別に宗教思想を全否定するつもりは無い」


 信長はそこで一旦区切って光秀を見る。


(かつて比叡山を焼き払う提案をした光秀じゃ。ワシの話を理解する資質はあるはず!)


 意を決して信長は話始める。


「十兵衛、少し話は変わるが……お主は人の遥か昔の祖先はどんな存在だったと思う? 初代天皇の神武天皇よりも遥かに昔、それこそ仏教が生まれるよりも遥か昔の人々じゃ」


 光秀は問われて言葉に詰まった。

 人類の歴史など知らぬ光秀には、そこまで昔となると想像もつかない。

 もちろん、信長も人類史など知らないが、それでも以前から考えて辿り着いた予測を話し始めた。


「ワシの考えはこうじゃ。秩序も無く、法も無く、ただ力がある者が己の欲望のままに生きていたのではないかと思う。善悪の概念すら無かったかも知れん。しかし、人も徐々に成長し気付くものが現れる。『これで良いのか?』と悩みに悩み思い至る。人に危害を加えたり欲望のままに生きては駄目なのではないかと。しかし、だからと言って抑止力にはなれない。力のある者にとっては、欲望のままに生きても何も不都合は無いのだから」


「……」


 光秀は信長の話に惹かれて、いつの間にか姿勢を正して、呼吸も忘れる程に聞き入っている。


「そこで、ある種の天才が考え出したのだろう。神仏の存在と地獄極楽の存在、魂の存在を。『死んだら生前の行いによって魂が悲惨な目に会うぞ?』と。『極楽に行きたくないのか?』と。『清く正しく生きれば、今が辛くとも死後に救われる』と。また時に、偶然起きる災害を神罰と称して利用したのではないか? こうして善悪の行動が定められていき、人は1段階上の存在となれたのでは無いかとワシは思う」


 神仏が誰かの考えの元に産み出された、などとは光秀には到底信じられないが、しかし、信長の話は異様に説得力があった。

 光秀は常識が破壊され、信仰心すら崩れ落ちそうな感覚になり、自分が立っているのか座っているのか分からない程に、思考が定まらなくなってしまった。


「そういう意味でも宗教は、人が人として生きるのに必要不可欠な存在となったのだろう。もちろん仏教に限らず、南蛮人が信仰する基督教とやらの原点も似たような物であろう。罪は何故罪なのか? 誰が決めた? 我らが定める法の真の大元は何じゃ? 最終的に辿り着くのは最初の天才が考えた思想なのではないか?」


「……ッ」


 もはや光秀は口から言葉が出なくなっていた。


「最初の話に戻るが、ワシは宗教思想を全否定するつもりは無い。ソレを否定したら善悪の基準も無くなってしまう。ソレは困る。しかし、宗教の呪縛から人はそろそろ開放されても良いと思うのじゃ。人が更に1段階上に登る為にな。善悪の概念は人に染み付いておる。こんな話をしたワシでさえ、その概念を忘れる事など出来ぬ。であるならば宗教はもうその役目の殆ど終えたと言っても過言では無かろう」


 信長は、また話を一旦切った。

 その一呼吸置かれた間に、ここからが重要なポイントであると光秀も察した。


「さて、そこでじゃ。人が宗教を信奉する理由は何じゃ? それは極楽に行きたいからじゃろう。地獄に落ちたくないからじゃろう。ならば、もう一段階深く考えてみようか。では極楽に行きたい理由はなんじゃ? 答えは簡単じゃ」


「救われたい、いや、今が辛いから、報われないから……ですか?」


 光秀が今迄の話から答えを導きだした。


「そう。現世で辛くて報われないなら、せめて死んだ後くらいは楽になりたいのじゃろう。来世こそは幸せになりたいからじゃろう。その為に宗教を信じるのじゃ」


 信長の話は熱を帯びて光秀の信仰心を溶かしていく。


「これは、民にそう思わせてしまうのは支配者の責任じゃ! この世に極楽を示せないのは我等の力が足りぬからじゃ! とは言え、そう簡単に出来ぬのも事実で、一足跳びに出来る物では無い。だが! その第一歩は、このワシが踏んで我等が子孫達に方向性を示す! そこで先の濃尾街道と通商じゃ。それとは別に農業改革にも着手しておるが、全ての理由は民の幸せを追求し、過剰に宗教に頼らずとも生きていける世を創るのじゃ! その為には真に民を思って修業する僧侶以外、心の弱き民を真に救済する僧侶以外は全て殺すことも厭わん! しかし、宗教思想を弾圧するのではない! 誰が何を信じようとそれは自由じゃ! 我らは悪質な己の欲望を優先する宗教団体こそを全て破壊するのだ!」


 信長は言い切った。

 一方、光秀は信仰心を失い、涙を流して打ち震え平伏した。

 信長が1度、いや2度も死んで知り得た『魂は存在するが地獄極楽は存在しない』と言う事実を知るが故に出来る断言であり、説得力は半端なものでは無かったのだ。


「この明智十兵衛光秀、殿の話を聞き心の目が開いたかの如く目が覚めました! 全身全霊を持って殿に仕え、その偉業の手助けをさせて頂きます!」


 光秀には信仰心を失う後悔や喪失感は微塵も無かった。

 史実における極貧放浪をする可能性は無くなり、諸国を巡って学ぶ機会は失われたが、その代わりとなる信長の話により、史実とそう大差無い思考の明智十兵衛光秀が誕生したのである。


(後悔は無い。神仏など不要だ。頼るべき人、信ずるべき人は私の目の前にいるのだから。しかし―――)


 信仰心を失った光秀は思った。


(殿が宗教を開いたら無条件で帰依してしまいそうだ。殿の宗教か。『信長教』とでも呼ぶべきかな)


 光秀は、信長と帰蝶の転生者やファラージャに心を読まれたら仰天されそうな宗教名を作りつつ、生涯を掛けて信長と民の為に生きる事を決意したのであった。


 一方、信長は信長で、自分で語っておきながら光秀の変化に驚き、こんな心より心服しているとしか思えない光秀が、将来自分を討ち取る可能性がある事に信じられない思いであった。


《ファラよ、この光秀も将来は歴史の修正力が働いて裏切ると思うか? と言うより、前々世であっても本当に光秀が裏切ったのか? 今思い返しても光秀が裏切る理由が全く思い付かんのだが……》


《う、うーん……。そう言われましても、どの資料にもそう記されてますし……》


《資料は当てにならん!》


《い、いや、流石に理由はともかく光秀さんが犯人では無いとなると、日本の歴史学会や研究者は大混乱に陥りますよ!?》


《知らん! 知った事か!》


 信長とファラージャは、歴史学会や研究者が全員職を失いそうな話をしつつ、光秀の将来について議論をした。


 果たしてこの光秀は本能寺を襲撃するのか?

 全ては天正10年6月2日の審判の日に判明する事である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 明智さん本格的に登場しましたね、かくいう私も本能寺の変の首謀者は光秀ではない(要は嵌められた)と密かに考えております(^b^) 本願寺の件でも信長は『棲み分け』に重きを置いていて、革新的…
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