49話 2度目の桶狭間 今川陣営
【尾張国/桶狭間・今川軍】
「信長の本陣は……ここからでは良くわからぬな」
三河を横断した義元の率いる27000の軍勢は、沓掛城までもう少しの地点で停止した。
信長軍が待ち構えていると情報が入った為である。
「ふむ……。あれが桶狭間山か? まぁ十中八九、本陣はあの山じゃろう」
史実にて、自身が本陣を構えた辺りを指差し義元は考える。
前方にうっすら見える背の低い山々の中でも、一番三河方面に面した高い山である桶狭間。
侵略者を見下ろし、全体を眺めるには最適の山であった。
「さて和尚、ここから先は鎌倉街道はあるものの、山や森で視界が悪い。逆に織田軍が潜むには最適じゃな?」
義元が雪斎に問いかける。
これは、この主従が行う、戦におけるルーティンワークの様な物で、戦における最終確認を兼ねて、齟齬や思い違いと言った物が無い様に行っている。
しかし義元がまだ未熟だった頃には、行き違いもあったりしたが、義元が成長した今は、半ば分かり切った事でも行う景気付けや願掛けの意味合いが強い。
「そうですな……。ただし織田が尾張一国の兵力ならば、と限定されますが。現在の織田領地規模を考えたら、我らに匹敵する兵を持っていても何ら不思議ではありません。いくら視界不良とは言え兵を伏せさせるのにも限界がありましょう」
「うむ、ならばこの先には信長が兵が展開して待ち構え、この桶狭間山手前が決戦の地となろう。此度の遠征の最終目標を考えれば、この一戦で勝てば、尾張を手に入れたも同然となろうな。さてどうしたものか」
「やはり計画通り沓掛城を落とし、尾張に楔を打ち込むのが定石かと」
「よし……。ワシは遠巻きに控えて桶狭間の部隊に対処する。和尚には10000預ける故、沓掛城近隣にちょっかいを掛けて参れ。城から出る部隊は迎撃し……」
「城から出る部隊は、迎撃し力で粉砕せず引き付けて囲む、ですな? フフフ。殿に戦を仕込んだのは拙僧ですぞ?」
「ハハハ! そうであったな! 沓掛城については全て任せる! ワシは信長と遊んで参るか!」
「後は、お互いが適度に補助を行えば良いでしょう」
今回もつつがなく問答が終わった。
それは最終的に今川が勝つ、と言う事を意味する。
まさに阿吽の呼吸と言うべきか?
義元と雪斎の戦に対する考えは殆ど同じであり、最初の方針さえ決まってしまえば、お互いの動きを予測し高度な連携を可能としている。
「ち、父上、出来れば解説をして欲しいのですが」
氏真が問答に付いていけず、置き去りにされたと感じ、元康(徳川家康)も頷く。
「何も特別な事ではない。最初は言ってしまえば様子見よ。刺激して相手がどの様に動くか? コレを見極める為よ。考えてもみよ。織田軍は桶狭間の山と沓掛城で連携しておると予測される。そんな場所にお主ら飛び込みたいか?」
「い、いえ……」
「もちろん、飛び込む必要がある時もある。しかし、今回はそんな急ぐ状況ではない。ならば様子見が定石じゃな。もし、桶狭間と沓掛城のお互いが、戦力の逐次投入による相互救援なら儲けもの。順次殲滅して相手の力を削ぐ。展開次第じゃが雪斎とワシで挟んで殲滅もできる。その時……」
「殿。そこまでに」
雪斎に窘められて、義元は氏真と元康をみると、話の展開について行けず困惑していた。
「フフフ! ワシとした事が、織田との決戦に高ぶっておるわ。うむ。これ以上推測で語って対処できる相手では無い。まずはワシが信長の軍と睨み合っている隙に、和尚が沓掛城を落とすのが最良の展開じゃな。解説は戦後にたっぷり語って聞かせる故に、二人は戦況をよく記憶しておけ。今はそれで充分じゃ」
そこまで語って義元は、従軍する主な将を呼び寄せる事にした。
先ほど偵察も戻り、織田の大まかな陣容も見えてきたので、それを受けての配置と攻略個所の割り当てである。
「皆の者! ついに我らが尾張を手にする時が来た! この戦で尾張を制し、今川が名実共に東海道の覇者となり『海道一の弓取り』として、ワシが天下を制する土台となる国を作る! 此度の戦は京を、天下を伺う前哨戦となろう! 各々そのつもりで奮戦せよ! 和尚!」
義元が本陣で居並ぶ諸将に向かって口を開き、軍師の雪斎に説明を促した。
「はっ! では只今より、殿と拙僧で考えた、織田攻略の布陣と策を申し上げます」
陣の中央には、桶狭間周辺の地図がおかれており、諸将が覗き込む。
「この地には要衝の桶狭間の山々と、鎌倉街道に面する沓掛城が存在します。この二点、どちらも攻略する必要があります故に、軍を二手に分けます」
雪斎が指揮棒を手に説明を始めた。
「まず、沓掛城攻略軍ですが、僭越ながら拙僧が指揮を行います。先鋒に由比正信殿1500、第二陣に長谷川元長殿1500、第三陣に浅井政敏殿1500、第四陣に久野元宗1500、第五陣に馬場信春殿2000、最終陣に拙僧2000が入り、総勢10000で沓掛城を攻略します。なお、こちらは敵の配置がまだ判別しないのと、基本的には城攻め故に長蛇陣で行軍します」
僭越と謙遜しているが、当然誰も文句などあろうはずがない。
雪斎はそれほど義元の信任もあつく、なおかつ、それにふさわしい実績もあげており、仮に義元が病で臥せっていても、今川家に太原雪斎がいれば何の問題も無い事は、近隣諸国に知れ渡っていた。
「必然的に、残りの諸将が桶狭間の織田軍と相対する事になります。殿を中央総大将3000とし、左翼副将に岡部元信殿2000、右翼朝比奈泰能殿2000。この三将で鶴翼陣の形を取ります」
「次にそれぞれの大将、副将の下に残りの諸将を配置し、偃月陣を作ります。具体的には左翼偃月陣には関口親永殿を先鋒に、松井宗信殿、内藤正成殿、瀬名氏俊殿、最後尾に副将岡部元信殿で合計6000」
「右翼偃月陣には鵜殿長照殿を先鋒とし、酒井忠次殿、井伊直盛殿、飯尾乗連殿、最後尾に副将朝比奈泰能殿でこちらも合計6000」
「中央偃月陣には三浦義就殿を先鋒とし蒲原氏徳殿、朝比奈元長殿、北条綱成殿、総大将の殿で合計7000。この布陣で桶狭間の敵の様子見をしつつ相対して頂きます。なお最後尾には今川氏真様と松平元康殿が入りますが、この2名に関しては100名ずつで戦力としては数えませぬ。むしろ彼ら二人が戦場に出る様な事になれば、それは絶体絶命の危機以外ありえませぬので、そう心得て頂きたい」
そう言って雪斎は、義元の背後に控える氏真と元康をみやる。
二人は頭を下げて『勉強させて頂く』との姿勢を示した。
「まぁ、要は教育じゃ。こ奴らに後ろから見学させるが、笑われる様な戦いはするなよ?」
「そ、そんな笑うだなんて……」
氏真も元康も、緊張からか表情が硬い。
初陣が誰でも激戦と予測可能な戦なのだから、仕方ないと言えば、仕方ないだろう。
「さて、偵察の情報と和尚の説明を基に我らを地図に配置すると、この様な状態になる」
「見ての通り織田は魚鱗陣、対して我らは偃月陣と鶴翼陣の合成。織田が勝つには陣形を生かした正面突破、我らが勝つには敵攻撃を防ぎつつ挟み込む事と、信長を引っ張り出しての撃破にある。正面への攻撃力を残しつつ中央に気を配れば、自ずと結果はついてこよう。副将の2人は戦況をよく見極め……って言うまでもないか」
「勿論です!」
「我らの意地にかけて、役目を果たしましょうぞ!」
副将の朝比奈泰能と岡部元信が、気合に満ちた返事をする。
「殿、一つ宜しいか? 先程和尚様が『策』についても話しておられましたが? その策に関してはどのような物で?」
松井宗信が、義元に気に掛かっていた事を尋ねた。
「策か……。あるにはあるが、それは言ってしまえば―――。と言う事じゃ。しかしこの策はあまり信頼が置けん。策の実行は和尚かワシが見極めて使う故、お主らは気にせずに普段通り働いてくれれば良い。むしろ、そうする事で『策』も成る確率が上がると言うものよ」
義元はあえて策の詳細は濁した。
成功すれば劇的に有利になるが、かと言って策頼りで油断を産んでも困るし、策が不発の可能性もある。
全幅の信頼を寄せられても困るのだ。
その懸念がある故の判断である。
「よし! では皆の者、配置につけ! 次に集まる時は戦勝報告時ぞ!」
義元の号令のもと、諸将は自分の軍に戻り、桶狭間山担当と、沓掛城担当にわかれて進軍を開始する。
(さぁ! 待たせたな信長よ! 思えば『うつけ』の噂を聞いた時から、こうなる事が確定しておったかの様な気分じゃ。織田を継いだと思ったら、あっと言う間に勢力を広げた手腕は見事と言う他無い。しかしそれもこれまで! お主を倒し、お主の育てた尾張を吸収し、お主の意思を継いでワシは天下を統一する!)
馬上で桶狭間を睨む義元は、間違いなく天下を手中に収める―――。
周囲の家臣たちは、義元の何かを超越しているかの様な雰囲気に、今川の隆盛を確信し自然と歩く足に力が籠って行った。
桶狭間決戦まで、あと数刻―――




