44話 長福寺会談
【尾張国/長福寺 織田家】
「今川治部大輔義元である。此度の会談を受けてくれた事、改めて礼を言おう」
「織田三郎信長です。お初にお目に掛かり誠に光栄の極み」
天文19年4月1日。
義元はこの会談を心待ちにしていた。
会談を希望してこの日を指定された時は遅すぎると感じ、尾張に乗り込もうかと真剣に考えたほどだ。
何せ隣国にまで轟く『稀代のうつけ』にして『天下統一』の意思をハッキリと示した、この乱世初の人物である。
今までの政策や戦の実績と、噂から推測される功績は、どんなに厳しい目で評価しても『稀代のうつけ』だと判断できる要素は無い。
そんな武田晴信や北条氏康とは違った未知の実力を示す信長に、恋焦がれていたとも言ってよかった。
一方、信長もこの会談を心待ちにしていた。
今川家から打診があった時は、心の中で雄たけびを上げたモノである。
何せ前々世からの宿敵にして、信長の師とも言える人物であった。
ただ、前々世で実際に対面した時は、桶狭間で討ち取られて首だけになった後であった。
当時は万が一の勝機に掛けて死に物狂いであった織田軍にとって、義元を捕縛するなどと言う選択肢は無く、討ち取るしか道が無かったが今は違う。
今川家に肉薄する実力をつけ、歴史を変えた織田家を敵として認めてくれて、こうして同じ場所に相対してくれている。
師に認められた弟子とでも言うべきか、信長にとってこれほど嬉しい事は無かったのである。
今回の会談に際して帯刀は勿論不可で軍勢も遠巻きに配置する。
それ以外は同意さえあれば何でもアリの状態であった。
今川からは義元と太原雪斎、朝比奈泰能、岡部元信、松井宗信、龍王丸(今川氏真)、竹千代(徳川家康)が参加。
織田からは信長と帰蝶、森可成、柴田勝家、毛利良勝、服部一忠、茜、葵が参加した。
「さて今回の会談の前に、少々馳走を致したいと思っております」
信長はそう言って茶を点て始めた。
いわゆる『茶道』と言われる千利休が確立した『わび茶』は未来の成果なので、利休の功績を横取りしない様に作法は一切無視している。
それでも信長の体に染みついた茶の技術は、一種の美を醸し出し見る者を惹きつけるに充分であった。
「どうぞ」
「ほう、頂こう」
信長は義元の他にも全員に茶を点てて、ランダムに碗を取ってもらった。
毒が入っていない事を証明する為である。
(……! うまい!)
(ほう……これは中々いける)
(おごっ! 苦い! なんじゃこりゃあ!?)
(やっぱりマズイ!)
《帰蝶さん、以前から茶が全くだめですねー》
様々な感想が場を駆け巡る中、義元は信長の点てた茶を心行くまで味わった。
「ふむ、こういう場合は何と言うべきかな? 『結構なお点前』とでも言うべきか? うむ、実にうまい。もう一杯貰えるか?」
「喜んで。他に希望があれば如何ですか?」
信長が同席する歴戦の武将たち(一部除く)に確認を取った。
「ならば拙僧も」
「某も頂けますかな」
「わ、私は、ゴフッ……だ、大丈夫……です」
8人がおかわりを希望し、若い者は全員辞退した。
辞退者は龍王丸、竹千代、帰蝶、良勝、一忠、茜、葵。
若い者の舌に茶の渋みと苦みは猛毒の如く口内を暴れまわった様であった。
「うむ。美味い」
おかわりを飲んだ者が信長の茶を絶賛し、飲まなかった者が、劇物の如くマズイ茶を飲み干す面々を信じられない思いで見ていた。
全員が飲み終わったのを見計らって、義元が口を開いた。
「さて喉も潤った所で、今日の目的は果たしてしまったな」
「そうですな」
「えっ!?」
《えっ!?》
義元の宣言に信長も同意してしまった。
これにて長福寺会談が終了した―――とはならず全員が驚きの声をあげた。
これでは何の為にこの会談を開いたのか意味が分からない。
表面上は取り繕っているが、将来は絶対に敵同士になる者の会談は2度とあり得ない。
ならば根掘り葉掘り聞いて、可能な限り話をしておくに越したことはない。
「と、殿、こんな機会は2度とありますまい。本当によろしいのですか?」
雪斎が思わず義元に尋ねてしまった。
甲相駿の三国同盟でもお互い話すことが無くて困っていた。
ただ、あれは長年の宿敵同士なので『顔を見れば分かる』と言うのも分からないでは無い。
だが、初対面で信長とは本格的に争った事が無いのに、もう話す事が無くなったとは幾ら何でも人知を超えた理解力である。
しかも年若い信長まで同意している。
「そう言われてもなぁ。三郎殿の天下への野心は揺るぎない事が分かったし、天下を取った後の方策が、過去の失敗から学んだ物である事は最初から予測済み。知りたかったのは……強いて言うならばお互いの覚悟かな? そうじゃろう?」
「仰る通りです」
信長は同意した。
「単なる私欲ではない。私戦でもない。天下万民を導く覚悟があるかどうかじゃ。我らにはその覚悟がある。そう言う事よ」
(お互い? 我ら? ……武田と北条と話し合ったあの時点で、新しい天下にたどり着いていなかった殿が、今は方策があると!?)
雪斎は改めて二人を見た。
(なるほど。そう気づいた状態で見れば、二人に覚悟があるのがハッキリわかる!)
雪斎もその名を轟かせる人物なれば、そうと分かれば理解する事も出来た。
「わかりました。ならば目的は果たしたと言う事で引き揚げますかな?」
「何を言う! こんな機会は2度と無いと言ったのは和尚じゃぞ? 天下とか戦略とかはもう良いが、ワシは三郎殿に聞きたい事が山ほどあるわ」
「そう言う訳じゃ。於濃よ。ワシは治部大輔殿と雑談する故、竹千代とでも話してくるがよい」
「フッ。お互い家臣に相手を見定めさせるのも終わったしな。そうじゃ龍王丸。噂の濃姫殿に武芸を見てもらえ」
「えっ!?」
思わぬ飛び火に龍王丸が驚きの声をあげる。
武芸にソコソコの腕を見せる竹千代が、散々に帰蝶を『悪鬼羅刹の化身』と表現するので、真に受けた龍王丸が帰蝶を恐れるのは当然であった。
「と、殿、幾らなんでもそれは……万が一があっては織田殿にも迷惑が……」
家臣の一人が、他国の、しかも姫に稽古を担当させる事に難色を示す。
「安心せい。大怪我さえしなければよい。と言うかそんな事は織田殿も承知よ」
「勿論です《絶対大怪我させるなよ!?》」
「《分かってますよ!》治部大輔様お任せ下さい! 竹千代ちゃんも久しぶりに私と遊ぼうか!」
「ヒィッ!?」
今回の会談の目的は義元と信長が実際に会う以外に、お互いの家臣が相手の『人となり』を見極め誰を相手にするか覚悟させる事である。
だが、それは茶を飲んだ時点で達成されてしまった。
それに義元や信長ほどでは無いが、家臣達も相手の主君を見て只者では無い事は充分理解した。
「わ、わかりました。では我等は外に出て、龍王丸様と竹千代殿の稽古を見させて頂きます」
そう言って家臣の大半は退出した。
殺気や怒気とは違うただならぬプレッシャーに、無意識の内に参ってしまっていたのだ。
残ったのは義元、信長、雪斎である。
「さて、何から聞こうかのう? ……三郎殿は食い物の好みは何かあるのかな?」
こうして本当に雑談が始まった。
こうなると最早、ただの仲の良い友人とでも言うべき間柄に見えてしまう。
「そうですなぁ。昔食べた干し柿は絶品でしたぞ。治部大輔殿は何が好みですか?」
「そうじゃのう……。駿河の海で取れた魚が特に美味い。今度、尾張に行く時には馳走してしんぜよう」
「ハハハ! それには及びませぬぞ? むしろ某が駿河に行く時に頂く事にしましょう。(わかる! わかるぞ! あの時は万策尽きてヤケクソで挑んだ義元の事を理解できる!)」
そんな雑談の節々には、言外に含ませる不穏な言葉が多数あった。
だが、信長はそんな言葉すら心底楽しんでいた。
仮に外見年齢相当の、つまりTake1の信長がこの場に臨んだ場合、義元の意図を察する事は出来ても慌てふためいたり、不要な殺気を放ったりしただろう。
もはや格が違いすぎて、小物感溢れる行動しか出来なかったであろうと信長は実感していた。
転生を含めた長年の経験が、義元と互角に会話をする事を可能にしていたのだった。
「それにしても……ん? 昔? 思わず納得しかけたが……あぁ、幼少の時と言う事か。失礼した。」
「そ、そそうです、幼い時に初めて食べた時のあの味は忘れられませぬ!」
信長の年齢に不釣合いの風格に『昔』を若い時と勘違いし納得しかけて、やっぱり違うと思い直した義元と、転生者故のミスをして焦って誤魔化す信長であった。
(それにしても、これが10代半ばの小僧が出す雰囲気か? 時折、和尚と同年代の男と話していると錯覚してしまうわ)
義元は腑に落ちない点があったものの、信長との会話を楽しんでいた。
【長福寺/庭先】
一方、寺の庭に出た者達は龍王丸と帰蝶の稽古を見学していた。
龍王丸は12歳で帰蝶より年下だが、背丈は互角で男、しかも、今川家次期当主としての訓練も積んでいる。
なれば、最低でも引き分けだろうと今川家家臣達は睨んでいた。
ところが、無造作にスッと構えた帰蝶の姿を見て今川家臣は驚いた。
まったく隙が見当たらないのである。
竹千代からの情報で帰蝶の御転婆振りは聞いていたが、話半分以下で聞いていた。
当然といえば当然だが、荒唐無稽すぎて全く信じられなかったのである。
だが帰蝶はこの場にいる全員の虚を突いて、一瞬で龍王丸の懐に飛び込むと、竹刀の鍔ギリギリの刃の根元から切っ先まで、刃の全てを使って龍王丸の胴を滑らせながら払う。
真剣だったら、今頃、龍王丸の胴は真っ二つに斬り飛ばされていたであろう事は、想像に難くなかった。
「どうかしら? 胴を滑らせただけだから痛くは無いと思うけど……」
「は、はい……大丈夫です……」
龍王丸は払われた胴を手でさすりながら、流血が無い事を確認している。
斬られたと勘違いする程までに、鋭く鮮やかな胴払いと帰蝶の殺気であった。
「でも、さすがは今川家の秘蔵っ子ですね。ちゃんと私の殺気を感じ取ってくれました! 将来が楽しみです!」
これは帰蝶の今川家や、龍王丸に対する面目を保つ為のフォローではない。
龍王丸は確かに痛みを感じず惨敗したが、それよりも感受性豊かな少年は、死のイメージを明確に受け取り戦慄していたのだった。
帰蝶は殺気を受け取れる資質を秘める龍王丸の才能を高く評価したのである。
そんな龍王丸と帰蝶をみて竹千代は気を失いかけた。
帰蝶の腕前は、織田を離れた時よりも比較にならない位に上達しており、そんな帰蝶が『次は竹千代ちゃんよ?』と言わんばかりに自分を見ているのだ。
しかし膝を突いていた龍王丸が竹千代の前に進み出て帰蝶に願いでた。
「ま、まて竹千代。濃姫殿、もう一本お願いします!」
今川家での訓練は主君の息子と言う事もあり、いかに激しい訓練であっても殺気までぶつける様な訓練はしない。
しかし今、明確な殺意と共に手加減されて打ち込まれた斬撃に、龍王丸は感動し、竹千代にとっては断る理由も無いので『どうぞどうぞ』と言わんばかりに順番を譲ったのだった。
こうして帰蝶と龍王丸の熱の入った稽古が始まったのであるが、今川家臣の朝比奈泰能が柴田勝家に訪ねた。
「柴田殿、お尋ねしたいのだが……濃姫殿は……その……」
「はい。いつもあんな感じですな」
勝家は頷いて肯定した。
さらに隣では、申し訳なさそうな表情で織田家の若手武将が控えており、そんな姿を見た今川家臣は帰蝶が平常運転である事を察した。
龍王丸と帰蝶の稽古がしばらく続き、竹千代は龍王丸の勇気に己の未熟さを恥じて、茜と葵に弓の稽古をつけてもらっていると、話が終った信長たちが寺から出てきた。
「ほう、あれが噂の帰蝶殿の真の姿と自慢の女兵士であるか」
「そうです。駿河殿に勝つ為に揃えた秘策の一部です」
(あれ程の猛者だとは! 織田は本当に油断できない勢力に成長している!)
雪斎は改めて織田に対する評価を改めた。
無論、雪斎だけではない。
所詮は成り上がりの織田、と馬鹿にしていた家臣達も信長の風格と、家臣達の腕前を見て己の認識の浅はかさを恥じた。
当然、織田家臣も義元に感じる風格と歴戦の家臣達に対する威圧感、あまつさえ、何度も帰蝶に立ち向かう龍王丸の次期当主としての胆力を感じ、連戦連勝で緩んだ自分達を戒めたのだった。
「さぁ三郎殿。次に相見える時は戦場であるな。どちらが勝っても敗者の意志を継ぎ、天下万民を率いる事となろう。今日この日は歴史の転換期。結果次第では、どちらかがこの寺に葬られる事になろう」
「……そうですな。今日ここに集まった人間は間違い無く戦場で戦う運命の相手。誰がここに葬られてもおかしくはありますまい」
「運命か。何故かワシもそう感じるわ。ハハハ!」
史実では長福寺に義元を葬った信長としては、何とも言えない不思議な感覚であった。
両陣営から集まった人は、その殆どが桶狭間の戦いに参加している。
織田陣営は信長が意図的に集めたが、今川陣営まで桶狭間に関連した人間が揃うとは思っておらず、そんな思いが先程の『運命』と言う言葉に表れたのであった。
歴史が変わっている以上、桶狭間か、あるいはそれに準じる戦いで信長自身が敗死する可能性もある。
信長も改めて己に課せられた運命とこの先の戦いに対し覚悟を決めた。
「よし、では引き上げるとするか! 織田の方々。次は戦場で言葉を交わすとしようぞ!」
義元の宣言をもって長福寺の会談は終わりを告げた。
【駿河への帰りの道中にて】
「どうだ皆の者、次の標的の信長を見た感想は?」
「はっ。武田や北条程の強大な圧力は感じません。ただし、只者ではない事は充分察せられます。……それに、何と言うか……まるで殿と話しているような風格を感じます」
残りの家臣も概ね似た様な感想を持った様であった。
「確かにな。あれが十代半ばの小僧とは信じられぬ。仮にワシが負けたら、対抗できる大名は数える程しかおらんだろう。龍王丸!」
「は!」
「お主はどう感じる?」
「今の私では手も足も出ず滅ぶでしょう。織田殿は私と4しか歳が変わらぬのに、あと4年で私があの風格を出せと言われたら困り果てるでしょう。一体、何を経験したらあの様な人間が出来るのか見当がつきませぬ。それに濃姫殿の若くしてあの武芸。二人とも輪廻転生でもしなければ不可能じゃないかとさえ思いまする」
子供らしい柔軟な発想は、信長と帰蝶の秘密を偶然にも言い当てた。
「ハハハ! 輪廻転生か。……うむ。案外当たっているやも知れぬな。どう思う和尚?」
仏の教えを実践する雪斎は、しばらく考えて口を開いた。
「その可能性は、織田が我等に勝てばありうるかと。ただ輪廻転生は次の世代以降への魂の循環。同じ肉体に戻ると言うのは聞いた事がありませぬが……」
魂の存在が宗教以外で証明されない戦国時代や現代では、1億年先の未来から来たとは読めるはずも無かった。
「まぁ良い。天がどちらを選ぶか今から楽しみじゃ!」
義元は来る決戦を楽しみにするのであった。
【那古野へ向かう道中にて】
《どうですか信長さん? 義元さんには勝てそうですか?》
ファラージャが今日の成果を信長に尋ねた。
《……分からん。これだけ力を蓄え事前準備しても全く安心できぬ。よくもまぁ前々世のワシは勝ったモノよ》
《何か心なしか皆さん意気消沈してませんか?》
一人だけ汗をかいてスッキリしている帰蝶が、顔の曇った一同を見て感想を洩らした
《うむ。これはマズイかも知れぬな……》
そう思った信長が声を張り上げた。
「皆聞け。今川義元に対して恐怖を感じたものも居ろう。しかしソレを隠す必要は無い。正直言うならワシも平気とはいえぬ。だが『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』と言う言葉がある。何も知らずに戦おうものなら勝つ可能性は神仏に縋らねばならぬほど低い! しかし今、我等は敵を知った。ならば己の不足する部分も見えたであろう! その日が来るまで各自精進して備えよ! それが我らが勝つ唯一の手段である! 良いな!」
「はっ」
返事は力が無かった。
だが、先程よりは表情は明るい。
覚悟を無理にでも決めたようであった。
「(もう一押しか……)それに勝つ為の策も進めておる。とは言え、それはお主らの奮戦次第だ。織田家一丸となって今川を倒すぞ!」
「はっ!」
先程よりも力の入った声である。
信長が信頼に足る大将でなければこうはならない。
前々世では信頼も足りず、殆ど側近のみで突撃しなければならなかった事に比べれば、格段に現状は良い方向にある。
信長の歴史改変が決して無駄ではなかった証拠である。
(今はこれで良い。後のやるべき事は国の発展。それだけよ。決戦までにどれだけ力を蓄えられるかが勝負じゃ!)
敵を明確にし、ある意味退路を封じ背水の陣となった信長と織田家は、来る日に備えて、それぞれの役目を果たしていく事になるのであった。




