41話 伊勢侵攻後始末
信長の天下布武が宣言された翌日、広くなった所領の管理の為、各地に城代が割り振られていった。
今川家に対する備えとして信長が那古野城に引き続き収まるが、美濃との通商をスムーズにする為に、尾張と美濃の中間地点にある犬山城に平手政秀と丹羽長秀及び、明智光秀と斎藤利三が入った。
伊勢北部には兄の織田信広が入り、本願寺系の願証寺の監視と折衝を担う事となり、北畠の抑えとして柴田勝家と森可成が伊勢南部に配置された。
志摩には九鬼定隆がそのまま配置され伊勢湾周辺に睨みを利かせる事となり、九鬼との繋がりを強化する為、河尻秀隆が知多半島南端に築いた拠点に配置され、海戦を学びつつ連携をとる事となった。
伊賀の近くには飯尾尚清と塙直政が配置され、伊賀忍者との繋がりと近江方面の備えとなった。
【尾張国/犬山城 平手政秀、明智光秀、丹羽長秀、斎藤利三】
犬山城では平手政秀と明智光秀が顔を突き合わせて計画を練っている横で、丹羽長秀と斎藤利三が睨みあっていた。
斎藤利三は人手不足を感じた光秀が主君の斎藤道三に頼み派遣してもらった若手であり、年も長秀と近く仲良く切磋琢磨して貰えればと思った配慮であったが、とにかく何かにつけて張り合っており、なまじ二人とも能力が高いので光秀は気苦労が絶えなかった。
そんな二人を政秀はニコニコしながら見ており、光秀にも『若い者は元気が一番よ』と気にも留めていない。
かつての信長の振る舞いを知る政秀にとっては、二人の争いなど子供の喧嘩同然であると心配していなかった。
二人の出会いは最悪だったのは、また別の話である。
【伊勢国北部/猪飼城 織田信広】
伊勢北部の猪飼城に配置された織田信広は信長との話を思い返していた。
『兄上の行く伊勢北部は、本願寺系列の願証寺が幅を利かせており、緻密な対応が求められる難しい地域です』
願証寺は現在着々と寺を武装要塞化をしており、近辺の実力者も取り込んで長島の事実上の領主と化していた。
なお『寺院の武装化』は別に願証寺だけが特別ではない。
現代の人間の感覚からすると信じられないかもしれない。
戦国時代の僧侶は本願寺でも比叡山でも法華宗でも寺社は武装し、自前の兵を持ち、街道に勝手に関所を配置し税を徴収し、政治に口を出し、教えによって民を支配する領主同然の無視できない勢力であった。
彼らが何故武装するのか?
虐げられる民を救う為、と言うのも無くは無いが、目的の九割は自分達と主張が違う宗派への攻撃と防御の為である。
これがエスカレートして支配者層にまで牙を剥いたりしていた。
天文法華の乱と言う争いが1536年の宗教問答を切っ掛けに起こっているが、要約すれば日蓮宗に延暦寺の僧侶が論破された仕返しに、日蓮宗二十一本山悉く焼き払い、結果、かの応仁の乱を上回る人的被害を出している。
こうなると単なる宗派同士の小競り合いではなく完全に戦である。
天文法華の乱は特別被害の大きい戦であるが、これが例外と言う訳ではなく、日本各地で宗教戦争が起こっていたのが戦国時代なのである。
現代で『イスラム原理主義』と言われる主義の下で凄惨な争いが繰り広げられているが、日本でも『仏教原理主義』とでも言うべき考えの下、血で血を洗う時代があったのだ。
宗教戦争の性質が悪いのは、その地を支配する領主が苦情を言い難い土壌があり、文句を言おう物なら『異端者』とされ攻撃対象になってしまう。
現代とは違い、宗教が科学同然の絶対真実として君臨する戦国時代では、仏の教えに逆らえる人間は民は当然、支配者層でも難しい。
領地の安寧を願うなら、結局泣き寝入りするしかないのが現実だ。
史実で信長が比叡山延暦寺を焼き払い、本願寺と10年に渡り戦争をしたのも、何の生産性も無く政治の邪魔をする勢力を自由にさせておく訳にはいかないので、やむを得ない話であった。
信長は『政教分離』、即ち政治と宗教は切り離さなければならないと理解していたのである。
無論、こんな時代でも真摯に修行に励む、ごく僅かな善良な僧侶が居る事も付け加えておく。
『任せておけ。こう言う綱渡り的外交は嫌いではない。付かず離れず上手くやって見せるさ』
そんな難しい対応を求められる地域への赴任に、信広はそう言って北伊勢に赴いた。
歴史通りなら、願証寺は必ず織田に攻撃を仕掛けるのは間違いないが、それでも今は可能な限り大人しくして貰わねば困る。
そんな難しい外交は信広以外には適任者が居なかった。
『よろしくお願いします。仮に権六を配置しようものなら、一瞬で関係が悪化してしまう故、願証寺への牽制は兎にも角にも、領内の発展で寺の教えより織田の方が良いと思わせる事が肝要です。あと藤吉郎を派遣します故こき使ってやって下され。必ず役に立つ事でしょう』
柴田勝家を失礼な例にしつつ、信長は信広に念を押したのであった。
藤吉郎の派遣は、対応の難しい寺社勢力には、身分の近い藤吉郎がうってつけと判断した為である。
そんな話を思い出しつつ信広は決意を新たにした。
(権六に聞かれたらどう思うかのう……。まぁ良い。跡目争いに敗れたとは言え、弟ばかりに活躍されては兄として立つ瀬が無い。北伊勢を発展させて天下布武を後押しせねばな)
「藤吉郎。お主には色々調べてもらいたい事がある。河川で生活する者達の実態調査だ。困り事や要望をまとめて欲しい」
「分かりやした! お任せを!」
まさしく打てば響く様な身軽さで、藤吉郎は飛び出していった。
これがいずれ願証寺と藤吉郎にとって、大きな影響を及ぼすのは未来の話である。
【伊勢国/長野城 飯尾尚清、塙直政】
伊賀近辺に赴いた飯尾尚清と塙直政は、北畠に荒らされた伊賀の復興を支援しつつ、近江の六角の動向を注視していた。
今川との争いを制した後は、将来の上洛の準備を見越さなければならない。
当分先の話であるが、今川との決着の後から準備では遅すぎるので、今の内から伊賀忍者と連携し、六角の動向と東側への勢力進出を阻む任務が与えられていた。
「良いか。近江の六角は必ず影響を及ぼす。それを阻むために伊賀と綿密に連携して対処せよ。攻め寄せてきた場合は親衛隊を駆使して防衛に専念せよ」
六角氏は、六角定頼を当主に今まさに最盛期を迎えようとしていた。
史実では信長に先立って楽市楽座を実施し、北近江の浅井氏を従属させ、足利将軍家の後ろ盾ともなり、決して侮れない勢力となっていた。
「承りました。しかとその任を果たして見せましょう!」
「よし、それとは別に、北伊勢の多すぎる城の破城を命じる。必要最低限を残し、特に平城は殆ど不要故に破却して農地や町に作り変えよ」
破城とは城を分解し防御拠点としての機能を失わせる事、即ち撤去である。
北伊勢には北勢四十八家が存在していた為か、とにかく拠点が多すぎた。
今は織田家単独支配の為、不要な城は管理の為人員を割く為に邪魔でしかない。
それならば破却して資材はそのまま街づくりに流用し、開けた土地は開墾してしまった方が遥かに後々の為になるはずであった。
特に飯尾尚清は内政に明るい為、うってつけの人材であった。
逆に塙直政は戦略に長ける為、伊賀忍者と連携し六角への牽制に最適であった。
「もう一つ、滝川一益と言う中々の人物が近辺にいるらしい。何としても登用し味方に引き入れよ。伊賀忍者を使って探らせるのじゃ」
滝川一益はこの頃、伊勢志摩、あるいは六角に近しい場所に居たとされる。
鉄砲の名手で甲賀忍び出身ともされ、史実では信長四天王に数えられる程の大出世を果たす。
是が非でも迎えなければならない人材であった。
【伊勢国中部/木造城 柴田勝家、森可成】
南伊勢に派遣された勝家と可成は北畠への牽制が主任務である。
臣従したとは言え、無位無官の織田に大人しくしているハズが無いとの判断で、仮に北畠が大人しかったとしても、最初から信用される筈も無いので、武力に優れる2人が派遣された。
「人質を取っている故に裏切りは無いとは思うが、北畠には十分注意せよ。その上で、伊勢の南北縦断街道の整備を命じる。とは言っても街道整備は木造具政が平手の爺や光秀と連携する故にお主等の出番はそうそう無い。じゃからお主等は親衛隊を動かして、拠点と町の整備を任せる。基本は濃尾街道と同じだ」
柴田勝家も森可成も武辺一辺倒と言う訳ではなく、高いレベルで内政も行える人材ではあるが、それは二人とも晩年の時であって、若い今ではそのレベルに達して無いので、伊勢の開発でその才能を伸ばそうと信長は判断したのである。
「わかりました。殿のご期待に添えるべく、粉骨砕身整備いたします!」
史実と性格の変わった柴田勝家は、嫌な顔どころか新しい挑戦ができる事を喜んでいるようであった。
森可成もそこは変わらず、伊勢を津島、熱田と変わらぬ規模にしようと考えていた。
「九鬼殿と連携して伊勢、志摩、津島、熱田の広範囲商圏で織田家を支えて見せましょう!」
やる気に溢れているのも仕方ない理由があった。
それは勝家、可成は伊勢侵攻作戦の途中で尾張に帰還しており、まだまだ暴れ足りない熱意をどうすべきか相談していた。
そんな折、武辺一辺倒だと思っていた帰蝶が、農村で米増産の為の実験を行っている事を知った。
まだまだ成果は出ていないが、それでも二人には『あの濃姫様が!』と思うところがあった。
功績は戦場だけではない、あらゆる所に可能性があると知り、内政方面には可能性が無限に広がると考えるに至ったのだ。
(歴史改変がこうも如実に表れるとはな。前々世では考えられぬ変わり様よ。何か一つ違えばこうも結果に影響がでるのだな)
信長は逞しく成長する二人の将来の姿が、頼もしくなる事を願わずにはいられなかった。
更に全ての地域共通の任務として、新規親衛隊の募集と治安維持が命じられた。
尾張の治安は他国に比べて群を抜いて良いが、制圧したばかりの伊勢志摩は野盗が跋扈する危険地帯である。
その為に、親衛隊指揮官が各地に派遣され、尾張で信長がやった様に、人材の確保と訓練を兼ねた野盗狩り励む事になった。
伊勢志摩の農民も兵役が無くなった為、積極的に開墾を行う様になり、治安の向上と食料の増加を期待できる織田家の政策を支持し、伊勢志摩の支配はかつてないスピードで浸透していったのであった。
【伊勢国南/笠木城 北畠具教】
信長の厳命により兵3000の確保と地域の発展に励む北畠家は、名門のプライドを捨てて泥臭く汗を流した。
すべては信長を見返す為であるが、とは言え自力で信長の『専門兵士の計』に気づいた具教の才能に狂いは無い。
「甚だ不本意であるが、信長を認めない訳にはいかん……! だが、手の内さえ分かれば挽回の機会は必ずある! 今は雌伏の時である!」
いずれ来るであろう信長への成果報告で、北畠の存在を思い知らせる意味でも、信長の提示した条件以上の成果を出す為に率先して現場に赴く具教であった。
「あの鼻っ柱を必ず叩き折ってやる!」
急速な発展を予感させる南伊勢の情勢に、信長の政治の才を認めつつ、復讐の牙を具教は研ぐのであった。
【尾張国/末森所城 織田信秀、北畠晴具】
引退した信秀は秀三郎(信秀の偽名)として親衛隊に出入りし、野盗狩りや訓練に励んでいる。
北畠より派遣扱いとなっている北畠晴具も、当初は疲れた顔をして世捨て人の様であった。
だが、飲み込みの早い親衛隊に武芸を教える内に、段々と若返ったかの如く活き活きとし、文化人でもある信秀とは馬が合ったようで仲良く親衛隊に溶け込んでいた。
「秀三郎殿。三郎殿に官位を宛がったりしないのですか?」
そんな晴具が織田に来て不思議に思っていた事を、隣で馬を並べる信秀に聞いた。
今は親衛隊の野盗狩りの最中故に秀三郎と呼んでいる。
「実は家督譲渡の折、弾正忠の位も譲ろうとしたのですが、三郎が拒否しましてな。理由を問うた所、今は時期ではないと言うておりました」
「時期ではない……? 某が見た所、風格は十分備わっていると思うのですが? 無位無官では内外に示しが付きにくいのでは無いのですか?」
「ワシも不思議に思うのですが……。ワシらには及びもつかん思惑があるのかもしれませんな」
信秀の言う通り、信長は頑なに官位を固辞していた。
もちろんこれは信長の策の一環である。
いずれは官位が必要な時が来るが、その時は黙っていても高い官位が得られる実力を蓄える為、また、権威に左右されない人材を確保する為である。
それに、今官位を得ようとすると、決して安くない金を朝廷に献金する必要がある。
今は財を蓄える時期ではなく、積極的に国造りに投資して将来に備える必要があると信長は判断している。
更にもう一つ、魑魅魍魎の跋扈する朝廷の権力争いには前々世で辟易しており、可能な限り朝廷と接触したくない無意識の思いもあった。
そんな前々世の思惑を知りようの無い信秀と晴具は、信長の考えが理解できないので、信長が自分で必要だと言い出すまで黙っておく事にしたのであった。
「さぁ、今日も親衛隊の小童共に、武芸の何たるかを叩き込まねばなりますまい!」
「そうですな! 引退した余生にこの様な楽しみが舞い込んでくるとは思いもしませんでしたわい!」
そう言いながら文化人と武人の両方の顔を持つ二人は意気揚々と野盗討伐に向かうのであった。
【尾張国/那古野城 織田信長、帰蝶、ファラージャ】
《これで、ようやく今川に対する準備の為の準備が整った。あとは今川侵攻までの間にどれだけ国力を増大できるかが勝負じゃ》
《殿、一つ思うのですが、こちらから今川に侵攻するのはどうでしょう?》
帰蝶が以前から思っていた疑問を口にした。
《それは考えた事もある。しかし長所と短所を比べた場合、圧倒的に短所が勝ってしまうからな》
《短所? 負けたのなら理解できますけど、勝ってもですか? それは一体どんな短所があるんですかー?》
ファラージャも疑問に思っていたらしく質問した。
《兎にも角にも武田、北条に領地が接するのが駄目だ。奴らの領地と接した瞬間、天下布武が遥か彼方に遠のく。畿内を相手にしながら片手間に奴等を相手をするのは危険極まりない。これが京を抑え天下布武を達成する為の最短行為なのじゃ。どれだけ領地が広かろうとも京を支配していなければ無意味じゃし、どんなに領地が狭くても京を抑えたなら天下布武は半分以上達成したも同然じゃ。従って、ここは歴史通り今川を迎え撃つに留める。その上で、今川には―――を行い歴史改変を試みる。成功確率は果てしなく低いがな》
《成功率……。本当に果てしなく低いですが改変と言う意味では絶大ですね》
以前も効いた今川家に対する何らかの歴史改変を狙う信長。
帰蝶もその難易度の高さに、成功した世界が想像できない。
《その為にも、領地の発展を急いで国力を増強せねばならん。歴史が狂っている以上、明日にでも今川が攻め寄せる可能性もある故に、のんびりしている暇はない。これから忙しくなるぞ!》
信長の目には強大な敵として立ちはだかる、転生最初の難敵となるであろう今川家攻略を達成すべく、全身全霊で領地発展を行うと、改めて心に誓うのであった。




