39話 伊勢の雄 北畠家
【伊勢国/大河内城 北畠家】
予想外の降伏を打診してきた北畠は妙な条件を出した。
その一つが『信長と側近が城に来る事』である。
ただ、『分りました』とホイホイ入っては大河内城にどんな罠があるかわからないので、信長が通される通路や部屋はすべて検められ、床下、天井すべて刺客が潜んでいないか確認が行われたが、不審な点は一切無かった。
むしろ清々しいまでの無抵抗で、信長が城に近づいた時、直ぐに気がつく事があった。
(この城は……小癪な真似をしよる)
城内も安全が確認された事で信長一行が大河内城の広間に入り、周囲は親衛隊で固められた。
上座に信長が座り、周りを親衛隊指揮官が控え、下座に北畠親子と家臣一同が座る。
会談の準備が整った所で信長が口を開いた。
「さて、前置きは不要である。お主らは臣従の条件の一つとしてワシをこの城に招いたな。それは今達成された。では他の条件が何か聞こう。ただし我らは交渉に応じず戦って全てを奪う道もある。それをこうして交渉の場につかせたのじゃ。条件が気に入らなければ当然拒否するし、ふざけた提案であればこのまま全員討ち取る。そこの所を理解したら条件を申すが良い」
信長は何が来るのか楽しみしているのか、強い言葉とは裏腹に顔は珍しい物を発見した子供の様であった。
北畠具教も土産を持ってきた親が、喜ぶ子供の顔を楽しみにしている様な顔である。
北畠当主である北畠具教が臣従の理由を語りだした。
「はっ。我ら北畠、このまま織田家と争っても絶対に勝てないと悟りました。例え一時的に凌いでも、農繁期に自由に動き回れる織田軍には太刀打ち出来ません」
余りにも物分りの良い態度に織田家家臣一同あっけにとられてしまったが、信長はそんな感情を一切見せず、眉毛だけピクリと動かし、威厳と冷酷が同居した声で話す。
「ほう? その通り、ワシらは絶対に勝つ自信がある。その絶対勝てる戦いを捨てて交渉に応じるからには所領安堵などあり得ぬが、それは分かっていような?」
信長の厳しい視線と圧力を真っ向から受け止める具教は、わざとらしい程に苦痛に満ちた顔をした。
「もちろんです。ただ、後3年、織田の進軍が遅ければ何とか出来る自信はありましたが、事今に至っては挽回は不可能と判断しました」
いかにも悔しそうな顔で、あえて具教はわざと挑発気味に言って信長を煽り、欲しい言葉を引き出そうとしていた。
「ほう、3年待てば我らに対抗出来ると?」
信長は挑発と知りつつ、喋らされて居るのを察しつつ、史実では十数年後でも何ともならなかった北畠の強気の発言に信長は興味を持った。
「はい。必ず対抗できます。そこで最初に言った条件についてです。我らにも長年伊勢に名を轟かした誇りがございます。それを長野城での一戦だけで敗北を認め臣従する姿勢を評価して頂きたい。もし仮に大河内城で戦った場合、皆様はここに来るまで城の防御体制を見たと思いますが、織田軍は甚大な被害を出すであろう事は承知して頂けると思います」
実は今の大河内城は長野城と同等レベルの改修が施されており、御丁寧に崩れる土壁や、絶対に開かない城門まで再現されていた。
具教の言う通り、攻めるとなれば甚大な被害を被ったはずである。
信長にコレを見せる為に、北畠は大人しかったのだと一同は理解した。
「もう一つ今から対抗策を述べますが、我らの策と才能を認めて頂ければ、単なる織田家の家臣ではなく、織田家の一翼を担う将として取り立てて頂きたい」
恥じも外聞も無い、形振り構わぬ必死のアピールであったが、確かに北畠の自力を考えれば一翼を担う実力はあるのを信長は理解し、ニヤリと笑って北畠の策に乗る事にした。
「つまり臣従はするが安売りはしない、と言う事か」
「そうです。単なる臣従では人が増えるだけで付加価値がありません。付加価値を認めてもらってこそ役に立てると確信しております」
自信に満ちた顔で具教は応えた。
「おもしろい。その対抗策を聞かせてもらおうか」
一体何を聞かせてくれるのか、信長は先を促した。
「はい、とは言え特別な事をする訳ではありません。身も蓋も無い話ですが、織田に対抗するには織田の真似をするしかありません。では織田の真似とは何か? 今より織田家躍進の理由を述べます。その対抗策が正しければ、それを真似して3年あれば可能と判断しています」
具教はハッキリと織田の政策を真似すると宣言した。
真似するのが卑怯とは言わないが、実績の有る敵の政策をそっくりそのまま真似るのは、頭の固い君主では到底不可能である。
しかし無理して妙な新しい事をして失敗する事に比べたら、プライドさえ許せば賢い選択であはある。
特に織田の真似は日ノ本最先端であるから真似しない手は無い。
「良いだろう。何を真似るか述べてみよ」
「何と言っても専門兵士です。農兵にそんな事させたら年貢が得られないのに兵糧不足にならないのは、農民とは別に戦い専門の人間が居るはずです。そう、例えば当主になれなかった家の男子です。気が付いてしまえば何の事は無い、たったこれだけの事ですが、こんな事を実際にやったのは某の知る限り織田家だけです。父や家臣一同、連日議論を交わしましたがこの結論にたどり着いた時は戦慄しました。肥沃な尾張の地と、銭の力がある織田家だからこそ出来た奇策中の奇策。我らが真似しようとしても伊勢の商人衆は居れど制度の浸透には時がかかる上に、北伊勢も制圧しなければなりません。少なくとも3年は必要と見積もりました」
「なるほど。それが正しいかどうかは今は言わぬ。ただ、仮にそれが正しくとも既に我らが実施済みであり、北畠を重用する理由も無ければ付加価値も足りぬ。他に何か無いか? 無ければ織田家でイチから出直してもらうぞ?」
「もちろんまだあります! 戦う専門兵士であるならば武芸の訓練は日常的に行われているのでしょう。某と父ならば手前味噌ながら武芸の心得がありまする。部隊の底上げに役立つと自負しております。また、我等は朝廷や将軍家、公家との繋がりもあります。交渉も請け負いましょう」
確かに北畠親子の武芸は他国にまで轟くし、面倒な朝廷との交渉も北畠なら可能である。
「ふむ。では実際に3年で南伊勢をワシが納得できる水準で発展させて見せよ。その上で常備軍を設立できれば北畠の力を認めよう。この大河内城から南側で出来る規模で良い。そうじゃな……常備軍3000人を申し付ける。言うまでも無いが、ただ3000集めれば良いと言う訳ではない。国も発展させてもらう。これが達成できなければ領地没収の上、織田家で侍大将をやってもらう」
その後、詳細な取り決めが行われ、北畠家は南伊勢の大河内城から北を織田に献上し、織田家は伊勢の四分の三を支配する事になった。
その上で、産まれたばかりの具房と母親が人質となり、家督を譲った晴具と弟の具政は北畠との繋ぎも兼ねて織田家出向となり、親衛隊の武芸を見る事となった。
「一つ織田家として支援をしよう。伊勢を南北縦断する街道を作る。これは尾張や美濃に通じる街道じゃ。さらに伊賀から志摩への街道もじゃ。あと楽市楽座と関所の撤廃を行う。これは銭の流通に大いに助けになるはずじゃ。これだけ支援して失敗したらそれ相応の覚悟をしてもらう」
もちろんこれは、北畠を不憫に思って純粋に支援の手助けするのではない。
伊勢全体が活気づけば、必ず尾張美濃にも恩恵があるからである。
それは南伊勢にも相乗効果をもたらすはずであった。
ただ、領土が半減した北畠には厳しい条件であったが、絶対に勝てない戦いを仕掛けて滅亡するよりは利口な判断であったし、少なくとも歴史を知る信長は北畠の姿勢を評価していた。
そんな北畠にとって屈辱の会談が終わり、織田家の面々が大河内城から撤退し具教以下家臣達が残った。
「殿、良くぞ耐えられました! ご立派です!」
「……なに、伊勢の民やお主達の事を思えば、ワシが頭を下げて無用な流血が防げるなら安いモノじゃ。それよりも3年で織田を納得させる成果を見せねばならぬ。お主らには苦労をかけるが頼むぞ!」
「はっ! この命に変えても!」
一人自室に入った具教は、周囲に誰も居ない事を確認すると、ゆっくりと大刀を抜き襖を一閃して斬りつけた。
剣に優れる具教の刃は、4枚並ぶ襖の中央2枚を一刀の元に切り裂き、襖が倒れる前に更に一閃し6枚に分割した。
口の端からは血が一筋流れている。
「クク……クッ……!! これほどの屈辱を強いられたのじゃ! このワシがあんな下賎のガキに頭を下げるとは! こうなれば必ず織田に一泡吹かせてやる! 見ておれよ信長ァッ!!」
暗い決意を胸に織田への復讐を誓った具教は、対抗心も相まって史実よりも信長に対し悪感情を持ったのであった。
具教の怒りの源は何か?
負けた事は勿論あるが、根本の原因は単に血筋、DNAの問題である。
今でこそ信長は尾張最大の実力者で大名と言える存在であるが、斯波氏の家臣の家臣と言う事実は決して消えない上に、あろう事か無位無官である。
エリート具教から見たら、そこらの山賊と大差ないのである。
幾ら権威が踏みにじられる時代であっても、下剋上の乱世であっても権威は権威であり、腐っても鯛である。
史実でも天下を取った信長、秀吉、家康は権威を得るのにそれぞれ苦労している。
信長は足利義昭を影で操る立場になり、絶大な力と金で。
秀吉は近衛前久の猶子となる奇策中の奇策で。
家康は先祖が由緒正しい血筋だったと屁理屈をこねて。
そうでもしないと、朝廷や諸大名に相手にされなかったり馬鹿にされたりするのだ。
日本の国の特性上、軍事力だけあれば良いと言う訳では決して無いのである。
具教はそんな屈辱の一切を心に封じ込め、北畠の破滅を避けるべく断腸の思いで信長に臣従を申し出たのだ。
【尾張へ向かう信長一行】
《信長さん、1年半での伊勢制圧おめでとうございます!》
具教の怒りを知らないファラージャが呑気に祝いの言葉を述べた。
《本当は北畠を滅ぼした上での制圧が良かったのだがな。北畠があの様な態度に出られては手出しできぬ。あの場で全員討ち取る事も出来たが、それをやっては家臣の心が離れてしまう。武装解除までして城に招いた者を斬っては、覚悟や心意気を踏みにじる事になる。それを見越しての一世一代の芝居であったのだろうな。どこの馬の骨とも知れぬ織田に頭を下げるのは北畠の血筋からしても耐え難い屈辱であろうに。前々世からすれば考えられない程に具教は侮れぬわ》
会談の場で終始北畠を見下した信長であるが、具教の姿勢は評価していた。
《そうすると、少しでも織田が隙をみせたら反逆しそうですね》
《その為に人質をとってあるが、どう出るかは分からぬな。まぁ今はこれで良しとしよう。ともかくこれで今川対策の下準備が整った。あとは今川侵攻までにどれだけ備えられるかが、運命の分かれ道になるであろう!》
こうして信長の伊勢侵攻作戦は完遂された。
力で北畠をねじ伏せて、戦わず力量差を見せ付けての圧勝であった。
信長は具教率いる北畠が、どう歴史に影響を及ぼすか楽しみにしつつ尾張に帰還したのであった。




